いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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私的な財津和夫論。(14回) private essay about k. zaitsu

2011-05-17 19:33:19 | 日記
 「私的な財津和夫論」の第14回は、鈴木康博です。
 14 鈴木康博
 元オフコースの鈴木康博さん(63才3か月)は1948年2月18日生まれで、財津和夫さん(1948年2月19日生)とは1日違いの誕生という因縁です。72年に小田和正さんと二人でアメリカンフォークを基調としたオフコースを結成して10年活動の後、82年にオフコースを離れてソロ活動を開始します。
 鈴木康博さんの音楽の源流がアメリカンフォークに原点があり、ポップスに展開してバンドサウンド(ニューミュージック)志向の小田さんとは相容れないものが広がっていったと聞いています。本人は、自分の音楽探しのオフコース脱退と言っています。
 ソロ活動を開始してからは、アコースティックギター演奏のスキルの高さ、コーラスワークをいかしたフォークコラボレーション、レコーディングのアレンジメント(arrangement)、演奏活動を展開しています。

 財津和夫さんの92年末に発表したアルバム「call」のなかでアコースティックサウンドバージョンの「サボテンの花」、「逆回転」のアレンジメント、ギター演奏にかかわって、財津さんとのステージ交流も多いミュージシャンです。
 性格が音楽性にもあらわれて、几帳面で真面目、センシティブ(sensitive)音楽性が特徴です。「逆回転」のアレンジでは、コード進行のむづかしさに驚いたと言っていたのを聞いたことがあります。
 コード進行の定石をくつがえす斬新性、革新性がビートルズだったように、財津音楽にもそれが受け継がれています。

 鈴木康博さんを最初にお見かけしたのは、92年12月末に当時の渋谷PARCO劇場で財津和夫さんが自らの音楽の原点のビートルズサウンドとの出会いを音楽劇にした、自伝的ライブショー「CALL すべて君たちのせいさ 公園通りはビートルズ」です。
 福岡での中学時代からのビートルズサウンドとの出会いを財津さん自ら演ずる日常生活のステージ描写を通して、その合間合間に登場したバンドをバックにして財津さんがビートルズソングを歌い繋(つな)いでいく音楽劇を5日間開催しました。

 この音楽劇は、ほとんど当時の実話に近いコンセプトで構成されており、財津さんの中学生になりきったコミカルな演技もさえて合間合間の突然登場のバンドをバックに財津さんがビートルズソングを歌い繋ぐという、とても興味深い企画力の高いステージライブです。
 途中休憩がありまして、ロビーに出た時にこの音楽劇を見に来ていた長身の鈴木康博さんが、上下揃いのスーツにネクタイスタイルでビシッと決めて同じくロビーに出てきました。すぐに鈴木康博さんとわかる、紳士然とした長身の社会人というのが当時の印象でした。
 財津さんは、音楽劇の演技に歌、演奏のフルスロットル(full throttle)のステージで大きな衣服の袋包みを抱えての帰りでした。

 近年の鈴木康博さんは、流行の髪形に口ひげと精悍さワイルド感を増してのスタイルにイメージチェンジしてのコラボレーション中心の音楽活動ですが、92年の紳士然としたスーツネクタイスタイルがイメージに合っていました。
 大学はロボット工学専攻で、その後音楽にオフ・コースして、繊細な組み立て、スキルが音楽の表現力にも反映されているようです。
 ソリストというよりは、ディレクタータイプで音楽のコンセプトをまとめる、基本で支える能力にすぐれているのが印象的です。ステージに鈴木康博さんがいることでコンサートに安定感、安心感をもたらすムードメーカーでもあります。

 同世代ということもあり、財津さんを基点としてそれぞれオフコースの小田和正さんと鈴木康博さんが繋がっている構図ですが、パラドックス(paradox)としてオフコースの小田さんと鈴木さんの音楽性の違いが際立っているということです。
 

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