(1)そういう記事ではなかったが、今年の東大の入学式で学長他学部長など役員が入場してくる写真があって、それぞれに伝統色の古式ゆかしきマントに身を包んでいた。ピカピカの靴の中、学長だけが使い古したヨレヨレの分厚いスニーカーだったのが愛嬌で微笑ましかった。
1年に1度か2度の入学生を迎え入れる式だから、伝統色豊かな身なりで祝うのもいいし、大学の国際化も進んで教育、研究競争も激しい中でもうそんなことから脱して時代に合った普段着でもよかった、見たかったという思いもある。
(2)日本の大学の世界評価が低く(政府の教育投資なども含めてのものだが)、大学改革の9月入学も実現しないマンネリ化教育だ。その藤井東大学長は、大学教育でのチャットGPT利用についてしっかりとした文章を書くためには「創造性を育む基盤として経験学習が重要」(報道)と問題提示をした。
(3)東大は「リポートは学生本人が作成することを前提としている」と強調してチャットGPTの使用を禁止するとしているが、一方でAIの進歩は極めて速いとして生成AI(人工知能)ツールの利用について「AIを巡って今ものすごい競争が世界で起きている。早くやらないとたぶん追いつけなくなってしまう」(太田東大副学長)として具体的な指針を1~2か月後に示したいとしている。
(4)学長他が古式ゆかしきマントに身を包んで新入生を迎え入れる荘厳な入学式もいいが、日本の大学の置かれている世界基準との落差について理解し、大学改革を進める気力、気概が必要だ。新しい改革として取り組まず、古式ゆかしき伝統色に身を包んで安住していては「創造性を育む経験学習」ができるのかは心もとない。
(5)入学式での伝統色豊かな古式ゆかしきマントとその学長の足元のはき古したスニーカーの自由でおおらか、愛嬌の異色の組み合わせで、これだから東大改革に期待できるのか、東大のチャットGPT、生成AI利用に対する見解がどう出るのか興味、関心がある。
(6)教育研究は進化とどう向き合うのかは、パラドックス(paradox)として松下村塾のような先祖返り論も一部にはあり、時代の変化と歩調を合わせる、先取りするものもあれば、時代の変化に左右されない高い独自性、独立性、先見性に帰るものもあり、大学改革の本質論がまだみえない。