いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

Paul McCartney in nagoya dome

2018-11-09 19:42:03 | 日記
 (1)生きてポール・マッカートニーさんに会えるとは思ってもいなかったナゴヤドームコンサートです。カナダからスタートした世界ツアーの「freshen up」(あらたに力を増す)コンサートで、早々に東京、名古屋コンサートの開催です。

 セットリストが半端ないもので、a hard day's night からオープニングしてhi,hi,hiをはさんでcan't buy me love(往年のカバー曲、ビートルズそのもの曲にした)とビートルズ初期の代表曲が続き、あとは今年発表していきなり全米チャート1位を記録したアルバムのエジプト・ステーションからの新曲に代表作の名曲の連続で、ビートルズ、ポール・マッカートニー作品の歴史、伝説を完全に網羅(もうら)した、息もつかせぬ怒涛の3時間のナゴヤドームコンサートです。

 (2)ポール・マッカートニーさんはヘフナーのバイオリンベースからE・ギター(ピーコック革命のようなピンク系の模様ギター)、ピアノ、アコースティック・ギター(銘柄はわからなかったが報道によるとヤイリギターか)、キーボードにウクレレ(サムシング曲)そしてまたベース、ギター、ピアノ、キーボードと楽器を替えながら3時間をほとんどシャウトの曲を歌いきるという音程の安定した圧倒的なボーカルを聞かせた。

 途中、日本語を交えてMCをして、覚えたての名古屋弁を披露(・・・だがや、でら・・・)して喝さいを浴びていた。

 (3)from me to you,love me do,somethingからビートルズ結成前の最初の収録曲も披露して、アンコールではビートルズがライブをやめたあとの(ライブでは実現できないむずかしい曲に取り組む)sgt.pepper's lonly heart's club bandも披露した圧巻のナゴヤドームコンサートだ。

 ドームコンサートということで大音響のアグレッシブな選曲が多い中で、ピアノのlet it be、キーボードでのhey judeはひときは心に深く残る曲となった。

(4)ジミー・ヘンドリックス、ジョン・レノン、ジョージ・ハリソンさんの今亡き盟友をしのぶ名曲も披露して、律儀なところをみせていた。ギターの天才、異才のジミヘンとはジャズの天才マイルス・デイヴィスさんを交えてポール・マッカートニーさんがベースで参加する実現すれば究極のバンドの企画もあったようだがポール・マッカートニーさんの都合で実現しなかった紹介もあった。

 広いナゴヤドームのアリーナ、スタンド席すべてを埋めつくしたオーディエンスがケイタイなどの照明をかかげるさまは、天空の夜空の星を思わせる壮観ですばらしかった。

 (5)アンコールに際してはすべての座席にセットしてあった配布物のなかに二面折りの目の部分をくり抜いた厚紙があって、アンコールでポール・マッカートニーさんが登場するときにナゴヤドームコンサートへのお礼メッセージとしてすべての人に仮面をつけるように顔にかぶせてほしい案内があり、それはなんとそうするとアリーナ席は「日の丸」(赤の席と白の席)となり、スタンド席は「PAUL JAPAN TOUR」(白の席とブラウンの席)のメッセージになるというこれを見たポール・マッカートニーさんはbeautifulを連呼していました。壮観でした。

 (6)ビートルズ、ポール・マッカートニーさんの歴史、伝説の連続曲の息もつかせぬ怒涛の日本で最後を飾るコンサートは、終わりました。
 多分名古屋の思いはポール・マッカートニーさんには強く伝わったと思います。ポール・マッカートニーさんは最後にまた名古屋に戻ってくるといっていましたので、どうでしょうか名古屋のオーディエンスの熱狂、期待の大きさとコンサートのすばらしさを実感して、もうナゴヤドームコンサートは欠かせないのではないかと思わせた。

 (7)ポール・マッカートニーさんの歌声、演奏は、まだまだこれからも続くと確信できるほど力強いものでした。

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