いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

メディアの罪深さ。 sinfulness of media

2018-06-05 20:02:34 | 日記
 (1)大阪地検が財務省決裁文書の改ざん告発で告発された財務省職員全員を不起訴処分にしたのに続いて、麻生財務相がこの問題での調査報告書を公表した。
 改ざんは佐川前理財局長ら一部が主導して、組織ぐるみの政治的改ざんを否定した。

 自らの責任は閣僚給与の1年分(170万円)を自主返納するとして、省内最高責任者として人ごとのように財務相を続ける。
 改ざんの動機について「それが分かれば苦労せんのですよ」(報道)と一体何が目的の調査報告書だったのか世間をなめきった記者会見だった。

 (2)報じたメディアは「(政権は)幕引きを図ろうとしている。だがこれで終わりにしてはいけない。むしろ国会が真相解明に果たす役割はさらに大きくなった」(報道ー( )内は本ブログ注)と書いているが、その通りだ。

 しかし、今回の問題、一部に決裁文書改ざんをスクープした新聞もあったがメディア、新聞は国会審議を伝えるだけで核心に迫る事実、証拠について調べ政権を追い詰める記事はみられなかった。

 (3)そうしておいて国会の役割に委ねるだけの記事では情けない。今、経産省は出入口を施錠してメディアの入室を排除している。自由主義、民主主義国の日本の政府機関がこんな状態だからメディアの情報収集も十分機能しないのは致し方もないが、メディアはなぜこれに徹底的に抗議して、抗戦してやめさせないのか、体たらくはメディアの方だ。

 (4)近年の政治にかかわるスクープは週刊誌からで、メディア、新聞から聞かれることはほとんどない。首相の行動記録を見ると首相とメディア、新聞の政治部長らがよく会食しているのを目にするが、それは情報収集といえないこともないが、政治に厳格に批評の目を向ける立場のメディア、新聞としては首相との会食につきあうのはふさわしくない。

 (5)かってニクソン政権での汚職事件、ウォーターゲート事件でワシントン・ポスト紙2記者のスクープがついにはニクソン大統領を辞任に追い込んだのは有名で、米国メディアの良質、良識を世界に知らしめた。

 その米国メディアも昨年のトランプ大統領の誕生では選挙戦情勢見誤りを伝えて、当人からはフェイクニュースとして揶揄(やゆ)されている。

 (6)政治の劣化は政治家の劣化と同列ではあるが、政治を批判、批評するメディアの劣化とも同一だ。高年令化社会を迎えて、新聞の文字を読みやすく大きくしたのはいいが比例して記事内容、量が減ったということであり、新聞の記事が事実を伝えるのに偏向して批評、分析、解析、比較、検証力が不足しておもしろくなくなった。

 (7)今回の報道でも安倍首相は「行政府の長として責任を痛感している」と報じるだけで、だから国民に対してどうすべきか、どうしなければ言葉の意味がないのか指摘、批評、検証が必要だ。

 安倍首相の責任痛感発言だけを報じられても、国民からすればむなしいだけの失望感でしかない。国民も政治になめられてだけではいられないだろう。

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