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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

裁判と内省。 trail and introspection

2010-11-02 19:35:46 | 日記
 (1)刑法の殺人罪の最高量刑は「死刑又は無期懲役」。「生命体」の人間が受ける罪罰と
しては、同一犯罪行為を対象とするには余りに両極端で、受ける効果、時間、未来に歴然と
した差異、区分がある。
 「感情思考能力」としての人間にとっては、無期懲役という一生拘束された時間、空間で生
きながらえることのストレス、プレッシャーは想像をはるかに超えるもので、「一生をかけて償
う」というこの「苦痛」も大変なものだ(犯罪行為者に対して「大変なものだ」もおかしいが)。

 日本の刑法は「報復主義(principle of retaliation)」をとらない。犯罪の意思、行為、結果
に基づいて公平で公正の必要原則から判例(judicial precedent)を参考にしながら、犯罪の
種別、量刑を判断、判決する。事件ごとに個別にその時々の裁量だけで決めることは、でき
ないというのが通例だ。

 死刑求刑については、最高裁がかっての連続射殺事件(83年)にかかわり基準を示した。
この基準が、死刑か無期かの両極端の間の一定の判決の裁量に拘束(判例)をもってきた。
 
 (2)裁判員裁判で初めての死刑か無期かの最高量刑にかかわる女性店員、祖母殺害の
裁判で、動機、計画性で、その悪質性が死刑に相当する程度のものではないと判断し、無期
懲役の判決を下した。「一生をかけても人生の最後まで事件への内省(introspection)を期待
する」という判決要旨が示された。

 「死刑は人の命を奪う(多分、国家権力として、と付け加えるべきだが)究極の刑罰」として
の前書きもある。
 誤解を恐れずに言うなら、一生をかけての内省(introspection)、反省、償いに期待するなら、
刑法の刑罰規定は「いらない」。

 多分、今回のケースは犯罪行為者のそれまでの経歴、性格、生き方なども総合的に勘案さ
れて「一生をかけての内省への期待」の結果であろう。

 (3)最高裁の「死刑基準(standard of death penalty)」に基づいての熟慮審査する無期懲役
判決であるはずだから、メディアに言われるように裁判員裁判では経験則上(あるいは経験不
足上というか)人命を権力として奪うことには慎重にならざるを得ないとか、一生をかけて人生
の最後まで内省に期待するとかが「強調」されては、裁判の公平、公正性の意味、意義に逆
行することにもなりかねない。

 落ち度もなく人命を奪われた被害関係者への配慮がどうの以上に、公平で公正な相当の判
決であった説明責任があれば、いいだけだ。
 落ち度もなく人命を奪われた本人はもとより被害関係者の無念の意思を含めた「救済」につ
いて、公平で公正な社会正義、安全な社会生活の実現で最大に報(むく)いることが 、最低
なくてはならない。そこが、問題だ。

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