まだむ日記

マダムの日常生活と大好きな旅行の日記です。

Breakfast

2009-08-08 | 日常

日の出鑑賞から 戻って

期待の 朝ご飯は・・・・?????

昨日の夕食と同じで まず~い!

2連泊は有り難いが 5食がこれでは泣けてきてしまう。

毎食同じ味付けメニューである。

美味しく作る・・・という気持ちが無い様である。

何時もの旅には 必ず湯沸かし器、そして乾燥したアルファア米、海苔を持参して

梅干を入れたおにぎりを作ったりするが 

アメリカという最先進国への旅 そんな物は必要ないだろうと何れも持参しなかった。

マイナーな国へ行っておにぎりを作るのは旅行中 1回位であるが 

無いとなると余計ご飯が、おにぎりが、恋しくなる。

梅干だけは持参したので その梅干をしゃぶりながら 

うめぼし婆さんは後悔しきりである。



超、超、超、ま○○ディナー

2009-08-06 | 日常
 全員揃って4~500メートル離れた レストランへ夕食に

レストランへ行きながら ガイドさんが社員食堂と思って下さい・・・??

社員食堂? それなるものに入った経験がない私にはどんなものだろう・・・と

レストランに入り まず食券を渡された。

自分で 大きなプレートを持ち希望のメイン料理をもらい

好みのフルーツ、好みの飲み物(アルコールは公園内の為 無い)を取り

フオーク、ナイフ、スプーン、をプレートに取り 会計を通る。

食券の範囲ならお金はいらないが 別の物を頼めば各自で精算を・・・である。

しかし ここでも参った! 参った! である。

パスタにミートソースかトマトソースとか 煮込んだ肉、ミックスベジタブル等

好みで盛り合わせてもらう。

しかし 又ここでも何を食べても美味しくない、いや不味い。

お仲間の誰もが ウヘェー・・・である。

回りはアメリカ人ばかり、当たり前の顔をしてパクパク食べている。

それも 半端じゃない量である。 美味しいの? と聞いてみたくなる。

我々から見れば これは料理では無く 胃袋を満たすだけの餌 である。

明日の朝ご飯に期待を込めてほとんど食べなかった。


グランドキャニオン国定公園内ホテル

2009-08-04 | 日常
 夕方 グランドキャニオン国定公園内のホテルに到着

ホテルと言っても 国が管理している? 宿舎の様なものである。

2階建ての長い建物が 木立のあっちこっちに何棟も建っている様である。

部屋は ホテルと何ら変わり無く広々とした部屋に大きなベッドが・・・ 

ロビーは無く、ボーイもいない。食事は離れたレストランへ・・・である。

部屋に湯沸かし器が無く、その代りコーヒーサイホンとコーヒーが置いてあるが

コーヒー党ではなく お茶党にはお湯がほしい コーヒーサイホンはお手上げの代物である。

何百というホテルに泊まったが コーヒーサイホンが置いてあるのは初めてである。

やはりここはコーヒー党の国 アメリカ

湯沸かし器を持ってくれば良かったと後悔する。

ロスアンゼルス~グランドキャニオン

2009-08-02 | 日常

 ロサンゼルスからラスベガスまでの飛行機は1時間10分

ラスベガスの空港の中は電飾が綺麗! 綺麗! まるで繁華街のようである。

空港内の待ち合い所もスロットマシーンがずらり。

そうか ここはカジノの街である。

ラスベガスは 後日のお楽しみ・・・・

ということでここは素通りして 一路グランドキャニオンに向かう。

ラスベガスからグランドキャニオン迄はバスで約5時間である。

このバスがまた ドでかい、大きいもの大好きなアメリカのこと 60人乗れるバス

そのバスに18人であるから ガラガラである。

途中 ガソリンスタンド併設のコンビニの様な所へ寄りトイレ休憩

そして 店を出ようとした時もの凄い雷雨、滝の様な雨である。

現地ガイドはラスベガスに30年住んでいるという60代?の日本人男性であるが

この 彼が言うには 30年住んでいるがこんな雨は初めてです・・・と

やはりここでも地球温暖化の異常気象を感じた。

途中 ルート66 を走ってみる。

ルート66はイリノイ州シカゴからカルフォルニヤ州ロスアンゼルスを結ぶ道路で

1926年に造られたが 大型輸送時代、高速輸送時代を迎え1985年その役目を終えたが

今も 歴史の道 として標識も出ており観光に一役買っている。

我々もルート66を通り その当時からの古めかしい店に立ち寄った。

入口でマリリンモンローの大きな看板が迎えてくれた。

もともとは床屋さんであったが 今はお土産物屋さんになっており

ルート66の文字が入った商品で溢れていた。

壁には 自分の名前をサインしてピンで止めた世界中のお札がビッシリ貼ってあり 

その中に日本の1万円札もあった。

名前が書いてあったが 高い場所で読み取れなかった。