寄り道 まわり道 遠くへ行く道

新しいことを見つけるって楽しい!

卒論が提出されました。

2009年01月31日 | 仕事・研究
昨日、1月30日午後5時、卒論の提出締め切りでした。うちの研究室の3人は、すべて午後4時をまわってから提出に行くというぎりぎりさでしたが、特に最後の一人は、私が彼の卒論を直していた4時30分頃、ワードがいきなり止まってしまい、まったく動かなくなってしまいました。本当に焦りましたが、だいたいそういうトラブルが起こるものなのです、締め切り間際というのは。しかしとにかく強制終了し、ちょっと前の状態で回復されてきたのをまた修正して、5時ぎりぎりに走って持って行って間に合いました。うちの学科の何人かは、事務局まで抜きつ抜かれつでデッドヒートだったとか、、、。

そしてとにかくすべてが終了し(発表会の準備はまだこれからですが)、みんなほっとして晴れ晴れとした顔をして、喜んで帰っていきました。まだ先はあるけど、とにかく昨日はいったんゆっくりしようよ。とにかく寝ようね。といってみんなで解散!!しました。

よかったです。本当に皆がよい顔をしていました。実を言うと、私はあんなにみんなが輝くような笑顔で帰ってくことを想像していませんでした。それだけがんばったってことですね。達成感があったのですね。本当に、よかったです。


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究極の選択とホロコースト

2009年01月30日 | その他もろもろ
先日ここで紹介したフリーダム・ライターズの中で、主人公の先生がホロコーストの話をするシーンが冒頭にあります。この映画の中で、ホロコースト、アンネの日記というのは非常に大きなウェイトを占めているポイントなのですが(詳細は映画を見てくださいね)、最初高校生達はアウシュビッツのことを全く知らなかったのでした。

数日前に子どもがアニメ「ハンターハンター」を見ていました。その中で「大切な人をどちらか選ばなくてはならない、究極の選択を迫られる厳しくてつらい時が予告もなく来るときがある、その時のために心の準備が必要、、、」というような話があったんです。

用事をしながらそれを小耳にはさんだ私は、「ソフィーの選択」というメリルストリープの映画を思い出しました。アウシュビッツで母親が子どものどちらかを選べと言われる。最後まで、選べないと叫ぶ母親の目の前で子どもが二人とも連れ去られそうになるのですが、最後の瞬間男の子を選んでしまうのです。非常に深く深く心に刻まれた映画でした。

その話を子どもにしたら、「ホロコーストってなに?」(子どもは小学校6年生)
それで、簡単に説明はしたんですが、機会があったらまたじっくり話そうと思いました。で、その話を大学で4年生としていたら、なんとこの人たちも「ホロコーストって何ですか」、、、。

アンネの日記も、名前は知っているけど、という程度でした。
うーん、そういう時代なのだろうと思いますが、知らないで済まされないこともあります。卒論も終わったし(さっきようやく)、ぜひ就職する前に、そういうことも知っておいて欲しいですね。ソフィーの選択も、ぜひ見て欲しいです。
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できそこないの男たち

2009年01月29日 | レビュー
できそこないの男たち 福岡伸一

この間読んだ「生物と無生物のあいだ」よりはずっとおもしろかったです。比喩的表現がちょっとこねくりまわしすぎでかえってわかりにくいので、あまり凝らずに書いてあった方がよかったなあと思いましたが。でも、「性を決定する遺伝子」の発見についての話がよく理解できて、とにかくおもしろかったです。分子生物学はその発展の歴史を知ると本当に楽しいんですよね。教科書になってしまうと「わかりきったこと」になってしまいますが、世界で初めてそれを見つけたときのその感動と興奮、それを今サイエンスの世界にちょっとだけ足の指先をつけてみたくらいの大学生に読んでもらえたらいいなあ、と思います。
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1月末の大学

2009年01月27日 | 日々の暮らしを楽しく
1月と言えば大学は後期が終了する頃。そろそろ定期試験です。私の一日はと言うと、4年生の卒論の直し(直して送る→もどってくる→直して送る、のエンドレス)、3年生のエントリーシートのチェック、3年生で進学予定の学生の面談と大学院入試の情報集め、定期試験の問題作成。合間を縫ってやってくる学生とあれこれ懇談(だいたい将来の相談、試験対策の質問も)。

さいわい会議がちょっと落ち着いてるので助かってますが、全く時間が足りない毎日です。とくに今週金曜日が卒論〆切なので、ここは正念場。

その中で、昨日ちょっとうれしい出来事がありました。2年生のA君が「春休みに免疫の勉強をしたいので、本を紹介して下さい」と研究室にやってきたのです。毎年この時期は2年生が翌年度の研究室配属などを考えて悩む時期。昨年も同じことを言って訪ねてきたKさんがいましたし、その前の年もありました。でも、A君はこれまでの学生さんとはちょっと違います。これまで彼は私の実習や講義の取り組みが非常に悪くて、やる気のなさが目に余っていました。それが、年が明けて先日の実習、まるで違うヒトのような顔になっていたんですね。そして、非常にまじめに実習に取り組んでいました。私はちょっとびっくりして、「なにかあったのかなあ」と思っていました。他の先生にも、Aくん、ちょっと変わりましたよ。なんかね、いい顔になってる。と話していたくらいなんです。そしたら前述のように「勉強したい」と言って来たでしょう。これはすごいこと。彼にとってはね。だから、よかったなあと思っています。これから、がんばっていって欲しいです。そのためには、いくらでも応援しますからね。
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なぜ「できる」と思うのか、Yes, I can do that.

2009年01月25日 | その他もろもろ
楽観的に生きるっていいことらしいです。ポジティブシンキングって言ったりしますね。私もよく「前向きですね」などと言われるのですが、不思議と「これはできない」と思えない。なぜ根拠もなく「やればできる(かも)」と思えるのか、ずうっと不思議に思っています。私の頭の中はどうなってるのか。「何も考えていないんじゃないか」とか、「状況を見ないからだ」とかいわれたりもするんですが、とりあえずその状況でベストを尽くす。一番いい方法は?努力でカバーできるなら努力しよう、すぐそう思ってしまいます。

私だけじゃなくて、前向きな女性ってすごく多いような気がするんですが、これって、やっぱり頭のいろんな部分をくまなく使っているからでは?と思うんですね。家事や育児って雑事と思われることがいっぱいあって、エンドレスで、きりがなくて、ひたすら利他な部分があると思うんですが(すなわち自己犠牲)、そこをクリアしてしかもそれ以上に自分が「生きる」ってことも必要なわけで、こりゃもう、マルチに頭を使うしかないと思うんですねえ。で、それが人間として非常に重要なのではないかと。男性にも前向きな人はたくさんいますから、けして女性が、というつもりはないんですが、女性は有無を言わさず、そういう状況になる人が比較的多いんではないか、と思います。

うーんでも、それだけで説明できるものではありませんね。
女性、男性に関係なく、楽観的で前向きな人は、なぜ心配しないでやれると思えちゃうのか。
自己肯定感とか成功体験とか、そういうものの積み重ねなのでしょうか。

私という人間は一人なのですが、自分でも自分がよくこんなこと「できる」と思えたもんだなあ、なぜできると思ったんだろう、と不思議になることがあります。皆さんも手帳を使っていると思いますが、私は記録もかねていろいろ書いているので、ここ10年くらいの手帳は全部手元にとってあります。たとえば3年前の今頃。帰国してまだ1年たたないころですが、この手帳を見ると私は3月に2週間アメリカに行っています。子どもの卒業式や入院・手術もあり、年度末のあれこれもいっぱいあって、「なぜこんなことが?」と我ながら不思議でしょうがありません。ひとつ予定が狂ってもだめになっただろう予定がびっしりと書き込んでありました。計画としてうまく立てられていて、だからこそできたのですが、これならできる(かもしれない)というぎりぎりの線で勝負しているのですね。自分に対し甘えも妥協も休憩も許さないという感じで、ちょっと悲壮感もただようのですが、しかし、そういうことが必要な場面だったんでしょう。1年365日全部その調子ならとても持ちませんが、ここぞというときには「できる」。まあやはり「できる」と信じるところからしか始まらないのかもしれません。

そういえば、この間読んだ本にもそんなことが書いてありましたよ。
人間は暗示に弱い。だから「できる」「できる」と言われると「できるかも」と思っちゃう。「きれい」「きれい」といわれるときれいになっちゃう、、、みたいな。芸能人を育てる話だったっけ??まあとにかく。自己暗示、自分を信じる、ということ大事みたいです。



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チョコレートの消費が増えて

2009年01月23日 | その他もろもろ
今日は講義以外はだいたい部屋にいて(マウスの世話には行きましたが)、ずうっと卒論を直していました。おかげでチョコレートの消費が増え、、、。あんまり間食をする方ではないのですが、頭を使うときはよくチョコレートを食べます。受験勉強時代からそうでした。この間センター試験の日、遅くなったら血糖値が下がるからと思って朝コンビニで買ったチョコレートを一つも食べないまま持ち帰っていたのですが、デスクの上においておいたらあっというまに減ってしまいました。

まあね。甘いもの(グルコース)は頭で働いてくれますから。たぶん頭で消費してくれてるでしょう。

今日は生理学の質問に来た人の数もおびただしく、なんだかにぎやかな日でした。
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行き当たりばったりでいけないわけ

2009年01月21日 | アメリカ生活
昨日の話の続きです。

若いときは一日の時間が全部自分のもので、自分の好きに使えますが、結婚して子どもが生まれたりすると、もう生活は全然変わってしまいます。しかし昨日の話でいくと、「子ども」もある意味「負荷」になりますから、自分の能力が伸ばされます。一番大事なことは、子どもには「予定」はないということで、いつなんどき、どうなるかわかりませんから、働くお母さんというのは普通、あらゆる手を尽くして予防線を張っています。

私がアメリカに出発するとき、一番心配だったのは子どもの預け先でした。まだ見ぬボスは「だいじょぶ、だいじょぶ、来てからすぐ見つかるから」といって楽観的でしたが、実際行ってみたらやっぱりとんでもなく大変でした。一ヶ月だけ、母が同行してくれたので助かりましたが、そうでなかったらしばらく仕事にいけなかったでしょう。しかも、地理もわかりませんし、電話はありませんし(日本と違って引っ越したその日に電話が使えたりしない)、途方にくれたことだろうと思います。

アメリカ生活にだんだんなれた後も、子どものトラブルは数知れずあって、預け先を変えたり、学校を変えたり、はては引越ししたりと、それこそ気持ちの安定する暇がありませんでした。それで結局私の結論は、「できないことはないけれど、できれば学童期の子どもをつれてのアメリカ単身赴任は、やめておいたほうが、、、」というものです。赤ちゃんはいいんですよ、かえって。打つ手が決まってます。ですが、小学校に行きだすと、それはもう大変なことが山のようにあります。たとえば長期間の夏休みの預け先。2月、3月からサマーキャンプに申し込んで、隙間のないように埋めていかなければなりませんが、人気のある比較的安いキャンプはあっというまにいっぱいになってしまうため、申し込みの開始に年末から敏感にならざるを得ません。12歳以下の子どもは子どもだけで留守番させられないのですから、日本と違って預け先確保は仕事する上での生命線なのです。授業がおわったあとのアフタースクールもどれだけwaiting listで待ったかわかりません。とにかく、いいところは空きがないのです。

そういうわけで、のんきに行き当たりばったりで生活していく、ということはほぼ不可能になります。いつもマルチタスキング。将棋のように先の先を読む。まあそのおかげで、時間管理は徹底的にできるようになりましたし、予定もがっちり組みますがどのような不測の事態にも対応できるという手をあらかじめ打っておく、という生活が身につき、結果として単位時間当たりの仕事量は格段に増えて仕事力は上昇、とまあある意味能力改善につながるわけですね。

そして、昨日も書いたように、それが一朝一夕にできるわけではなくて、だんだん自分の限界が先へ先へと進む、そういう一歩一歩の積み重ねだろうなあと思うのです。


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負荷をかけて力を伸ばす

2009年01月20日 | アメリカ生活
今日はネタがないので昔の話を。

私が現職に就く前、アメリカで仕事していたことはここにもよく書いています。私は外国で暮らすということに漠然とした憧れがあって、いつかそういう機会があったらいいなあと思っていましたが、実のところ英語は全然だめだし、子どもは小さいしで、あんまり現実味がない夢でした。英語はずっと勉強していたのですが、もともと苦手で、高校時代の勉強量が足りなかったので、いくら勉強してもたいして伸びませんでした。今から思うと絶対量がまったく足らなかったのです。だらだらと少しずつやっていたのですね(英語の習得に関しては、細く長くは絶対に無駄です。ある時期死ぬほど詰め込む必要があります)。それで、アメリカに行った後、大変苦労しました。最初の半年はもう、精神的にかなりしんどかったですねえ。半年たったときに、「もう少し残らないか」という話が出たのですが(もともと1年くらいの予定で渡米していたので)、いやあこれ以上しんどいのはもう勘弁、と思ったのを覚えています。

毎日がプレッシャーでした。
どうしても電話で話さなければならないということが度々あるのですが、電話の英語が一番むずかしくて。顔を見て話せばまだ説明のしようがあるのですが、電話で一方的にやられると本当に大変でした。ビザのこととか、税金のこととか、「生活」する上で熟知しなければならない、あるいは激しく交渉しなければならないことがたくさんあって、常に緊張状態にあり、そういう問題で頭の半分くらいがいつもアクティブに働いていて、心の休まるときがありませんでした。

結局5年以上滞在し、英語だけではわからないアメリカという国のやり方がだんだんわかって、だんだん楽になりました。でも最後まで、プレッシャーはなくならなかった。常に厳しい結果を要求される場所でした。生きるということ全般において。

英語は最後まで「得意」にはならなかったし、必要最低限という感じでしたが、それでも渡米前のレベルから考えれば雲泥のところまで力が伸びました。ひたすら、負荷をかけて力を伸ばしたという感じです。できれば負荷なしに伸びれば楽しいんですが、やっぱり人間は負荷がないとだめなんですね。

何か身につけようとするとき、自分の意思とか目標とか、そんなので習得できる人がいたら超人であろうと思います。わたしは、外因しか自分を伸ばすものはなかろうと思っています。自分にはどうすることもできない、自分を追い込む外的要因。そういうのを意識的に作れれば、自分の能力というものはどんどん伸びていくのでしょう。つらいに決まってますけどね。でも振り返ってみて、あの頃のあのつらさ、これは一生の宝としか言えません。知ってたら行かなかったかもしれないんですけど、知らなかったからこそできたのかもしれません。

子どもが小さくても。
語学力がなくても。
日々とにかく問題解決を続けていけば。
毎日毎日自分の限界が少しずつ先へ先へと進む。
そんな感じでしたね。





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締め切りを守るって

2009年01月19日 | 仕事・研究
学会抄録の締め切りって、めちゃくちゃスケジュールタイトな中、必死で間に合わせることが多いのに、そういうときに限って「締め切りは延期されました」ってことになるんですよねえ。ああ悔しい。今回もそのパターンでがっかりさせられました。まあね、いいんですよ。私自身は終わったんだし、締め切りがあるからこそ間に合わせようという力が働くんだし。

でも、じゃあ休日出勤しなくてもよかったなあとかもうちょっと寝てもよかったなあとか。いやいや。とにかく終わったんだからいいや。今回のがっかり画面はこれです。
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入試の思い出

2009年01月18日 | 大学でのひとこま
センター試験が無事終わりました。

私の頃は共通一次といいました。1000点満点で5教科7科目。私は大阪に住んでいましたが、試験会場は京大薬学部でした。寒い日でね、雪が降ってましたが、階段教室の一番前にだるまストーブがひとつ。おまけに昼食時に教室にいることは許されず、外の階段に座って食べました。不思議に「寒かった」という覚えがないんですが、まあ元気な高校生だったのでしょう。

一日目の英語、本当にできなくて、最後の5分、というときに、まだ長文読解の大問が2題も残っていて。一日目が終わった時点で「浪人かも」と思いましたねえ。あの頃、英語が一番の苦手でした。あれほど英語ができなかった私が、後にアメリカで生活することになるなど、想像もしていませんでしたね。

私の頃の入試は一発勝負でした。国公立は一校しか受けられませんから、落ちたらそれで終り。今は前期と後期で二つ受けられますから、それに比べるとあの頃は厳しかったですねえ。

今思い出しても、よく勉強したなと思います。私の生涯で一番勉強したのは中3ですけど、それでも、高3の一年間もよく集中していたと思います。私はそこそこでよしとはしませんでした。だから徹底的にやりました。受験勉強の中身は相当忘れたけれど、あれだけやったという経験がいつまでも役に立ったと思います。

受験生のみなさん、あと少し、最後までがんばって、よい春を迎えてください。





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