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隠れ疲労

2017年12月25日 | レビュー
隠れ疲労 休んでも取れないグッタリ感の正体 (朝日新書)
梶本修身
朝日新聞出版


私は忙しい割に「ぐったり疲れてだるい。動けない。」みたいにはならないのですが、周りにはこういう人が多い(主に学生)ので、そういう人に勧めようかなと思って読んでみました。
私は生理学を教える立場なので、この本に書いてあることはあまり新しくないというか、改めて確認したという感じではありますが、簡単にまとめると「あらゆる疲労は神経の疲弊からくるものだ」ということでした。だから、疲労から回復するには神経を休めることだ、そのためには質の良い睡眠を心がけることが大事、と。

体の調子は自律神経が支配しているのですから、自律神経が機嫌よく働けるようにしてやるのが一番しんどくない生き方ということになります。わたしの持論は

毎日同じ時間に起きる

ということですが、同じことがこの本にも書いてありました。
体の調子を整えればおのずといろんなことがうまく動き出すのですから、あれこれ試す前にまずこれをやってみたら、と思うのですが、学生を見ていると意外になかなか難しいみたいですね。
わたしはとにかく夜寝る時間に関係なく、朝は同じ時間に起きてます。




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やっぱり読むしかない

2017年12月08日 | 仕事・研究
実験をしていて、びっくりするようなデータが出たときが一番おもしろい。「これはいったいどういうことだろう」と考える。
私は生物系の研究者だから、相手は細胞や動物など生きているものなので、「体の中でなにが起こってこの結果が導き出されたのか?」ということを考える。
「機序」とか「メカニズム」というものだ。

これを考えるとき、自分の中の情報が少ないと、答えはまったく見えない。
けれども、これまでのデータや、学んできたことの基礎があれば、「こうかな?」「ああかな?」と考えることができる。
そして先行研究などの文献にあたる。
しかし、自分の蓄えが少なければ、文献検索の方向性を見出すことさえ困難だろう。
最低限の知識がなければ、どちらに進むか決められない。
もちろんオリジナルなアイデアは重要だ。
でも、根拠のないアイデアは単なる思いつき。
思いつきに飛びついて実験すると無駄なデータが積みあがる。

自分の蓄えを増やすためには、やっぱり書いてあるものを読むしかないと思う。
その分野を知っている人に聞くというのは手っ取り早いが、そんなに身近に大家がそろっているわけじゃない。
だから、本や文献を読む。

読む時間をきちんと取らないといけない、と最近非常に強く思っている。
新年の目標になるかもしれない。








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大学生の文章力の低下

2017年12月02日 | 仕事・研究
大学生の文章力が低下しているということで、どのように指導していったらいいかということを考えるシンポジウムがあった。
結論は、残念ながらない。
しかし、子ども達の育ちの過程で、おおよそ以下のようなことが必要だろうと考えられた。(シンポジウムで話された内容を踏まえた、わたしの考え)

【幼少期】
1、多様な経験をさせる。
大人が準備して導いて経験させるというのではなくて、子ども自身の興味のままに行動できる環境が重要。
経験の裏付けなしに表現などできない。
社会で生きていくうえで感情のコントロールは大事だが、感情そのものを失わせてはいけない。

2、紙媒体の文字を読む。
デジタルに行く前に、紙を体験する。文字情報は紙の質感とともに頭に入る。
記憶のメカニズムを考えても、単なる記号は覚えられないが、感情を伴う情報は力強くインプットされる。

3、想像の楽しさを知る。
見えそうで見えない方が興味をそそるもの。
全部説明されてはつまらない。自分で考える、の基本は「どうなんだろう?」という気持ちから。
成長の過程で、自分で考える能力に合わせた「見えない」があるとよい。

【学齢期】
1、大量に読む。
2、大量に書く。
3、指導する側は子ども達に読ませて書かせるための覚悟と準備が必要。

【大学生】
1、書いたものを批評してもらい、何度も書き直す。
2、ヒトの書いたものを批判的に読む。
3、指導する側は書かせっぱなしではいけない。ちゃんと読んで、書いた学生とちゃんと話す。どこがよくないのか、本人が気づくことが大事。

文章を書く意義は、たいていの場合、「読んだ相手に何かを伝える。その結果、なにか変化が生じる。」ということだろうと思う。
読んだ相手が「そうか」と納得し、それに基づいて「行動する」のが目的ではないか。
楽しみに読む小説のようなものでも、「楽しかった。また、読もう。」とか、「おもしろかった。友達にすすめよう。」とか、次の行動が起こってくるのである。
依頼の文章なら、「そうか。」、「ではこうしてあげよう。」となるのが目的。
取説なら「そうか。」、「じゃあここをこう動かせばいいんだな。」となる。

もちろん自分のための文章もある。
その場合は、自分が、書いたことで気持ちが整理できたり、新しいことを見つけたりできる。

文章は、一方的なものじゃない。
言葉を選び、表現を選ぶ。
学生が一朝一夕にその能力を身につけることはできない。
子どもが育ってくる間に、大人がやるべきことはいろいろある。
それぞれの人がそれぞれの場面で果たすことがあって、責任がある。

「こんなに文章力が低下!」というデータを目の前にしてあきらめないで、目の前の子ども、目の前の学生に対して責任を果たしていきたいと、私は思う。


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