寄り道 まわり道 遠くへ行く道

新しいことを見つけるって楽しい!

アメリカのクレジットカード、銀行口座をクローズ

2020年10月03日 | アメリカ生活
2005年にアメリカから帰国しましたが、その後もしばしば出張するので、
クレジットカードと銀行口座を維持していました。
わたしはアメリカで給料をもらっていたので
わずかですが年金を受け取る予定もあります。
そのとき、アメリカの銀行口座があった方がいいだろうと思っていました。

しかし帰国して15年、世の中が変わってきました。
最初にクレジットカードを解約することに決めました。
当時は、例えばアメリカのamazonで買い物するとき
日本のクレジットカードが使えませんでした。
洋書はアメリカのamazonから買う方が安いので
利用していましたが、日本のクレジットカードが使える場面が
増えました。アメリカのクレジットカードは、Costcoで使える
カードでしたが、ある時Costcoがその提携を切ったので
そのメリットもなくなりました。

アメリカのクレジットカードは、オンラインではキャンセルできませんでした。電話をかけないとダメでした。
しかも800から始まるフリーダイヤルは海外からは使えません。
そこでスカイプで国際電話の契約をしました。
最初の1か月は無料で使えるので、クレジットカード会社に電話した後
速攻解約しました。
アメリカへの電話は、オペレータにつながるまでが大変です。
日本だと番号を押して進んでいきますが
アメリカの会社では「内容を言え」と言われるので
言うんですが、発音が悪いと「わかりません」と切れるのです。
ものすごく丁寧に発音してつながりました。
オペレータにキャンセルしてほしいと言うと(もちろん英語で)
「何が気に入らないの?」とか聞かれます。
「キャンセルの理由をいいなさいよ」みたいな感じですね。
日本にいて、使う必要がなくなったのでと説明しました。
そしたら「あなたはどこに住んでるの」と聞かれました。
何を言われているか一瞬わかりませんでしたね。
日本の△△県だけど、あなた知らんでしょ。というと
「それってTokyoに近いの?」という。
何を言いたいのか全然わからないけど「近くないです」
と答えると「あなたは〇〇年間このカードを使ってくれた。
感謝の気持ちを込めてギフトカードをあげたいんだけど
東京のオフィスに取りに行けるかな」というので
「それはいらないです。遠すぎる。」といって
お断りし、「じゃあこれでキャンセルね!」
と言われて完了。
「あなたどこに住んでるの?」って言われて聞き取れなかったのは
初めてですが、予想外のことを聞かれると意味(意図)がわからないってことですね。

これでクレジットカードがキャンセルできたので
次は銀行、と銀行のサイトを調べました。
そしたら銀行は(も)オンラインではキャンセルできず、
紙に書いて送るということがわかったので
作文して送付。
それが受理されると同時にオンラインで口座にアクセスできなくなり
これで完了と思っていたら
「サインの公証が必要なので、公証とって送りなさい」という
郵便が来ました。日本では印鑑証明があるのですが
アメリカではサインがあっても本物かどうかわからないから
公証を受けないといけないということが時々ありました。
だから私も知ってたけど、知らないと言われたことの意味がわからなかった
かもしれないです。

さて、アメリカに居たら公証ってすぐ受けられるけど
日本ではポピュラーじゃないシステム。
外務省のアポスティーユも受けないといけないとわかり
どんよりムードに。
数か所回らないといけないし
共同名義の銀行だからパートナーのサインも公証もいると
いうことになり頭を抱えました。
パートナーの方は委任状を用意し
東京の公証役場に行ったのが今年の2月。
しかしあっけなく断られました。
理由は、「面前でサインするって書いてあるのに委任状は受け付けられない」

しょうがない、では名義人二人そろって公証役場にいくしかないか
と思い、東京出張の折に合わせて行こうと考えたのですが
そのまま東京はコロナ禍に。アメリカの銀行には
「数か月待って」と手紙を郵送。

8月ごろ、このままではいけないと思い、
行政書士さんに代行を依頼することに決めました。
東京への交通費くらいで依頼できることがわかったのも
決め手になりました。

再び印鑑証明・委任状など用意して
行政書士さんに郵送。その日のうちに手続きしてくれて
今度は公証役場もあっさり口証してくれて
書類が自宅に戻ってきました。

さて、その書類を今度はアメリカの銀行に送る必要があります。
9月上旬郵便局に行きEMSを出そうとしたら
アメリカは受け付けていませんと断れました。
コロナのため航空便が減っており
受けていないとのこと。
普通郵便になると言われました。
こんなに苦労した公証書類、普通郵便ではとても送れないと
思い、今度はヤマトで出そうと準備。
ところが宛先がPOBOX(私書箱)だったため
こちらも断られました。

もはや普通郵便しか選択肢がなく再び郵便局へ。
そしたら今度は「船便しか受け付けていない」と言われ
「いやいや、普通郵便しかないけど、航空便で送れるはず」と
押し問答。最後は別の局員さんが助け舟を出してくれて
出すことができました。ただし、何日かかるかわからない、と。

その話を海外の友人にしたところ3ヶ月くらいかかってる例も
あると言われ、公証書類の期限が3ヶ月だから、それは困る!
と焦るも、出してしまったものはしょうがないし
だいたい普通郵便しか出せなかったんだから
どうしようもない。と腹をくくったのが9月中旬。

そしてついに本日銀行より正式に「あなたの口座をクローズしました」
とメールが!!!

最初にクローズしようと決心してから10か月。
長かったーーーー。
でもやっと決着をつけることができました。

残高は小切手でくるはずで
これを換金するというところがさらに難関なんですが
今日はここまで到達できたことを喜ぼうと思います。

あのアメリカがこんなことになるなんて。
郵便さえ滞るような事態になるなんて。
小切手が使えなくなるなんて。
アメリカに行けない日がくるなんて。

まったく想像していませんでした。
世の中は、変わる。
そのこと、今回身に染みました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Happy Halloween !

2016年10月31日 | アメリカ生活
1999年の11月1日にアメリカに行きました。今から17年前のことです。
前日がハロウィンだったので、到着直後にお世話になった日本人の方からたくさんお菓子をいただきました。
おいしいかどうかは別にして、アメリカらしいお菓子に「アメリカに来た!」という実感がわいたものです。
それから毎年ハロウィンは仮装の支度やお出かけに大わらわで、いわゆるマンションを回ったことや(日本のマンションとはまったくの別もの)、動物園のイベントに行ったこと、地域のイベントに行ったことなどを思い出します。当然学校でも毎年パレードがありました。手作りもたくさんしましたし、市販の仮装を買ったこともあります。

日本でこんなにハロウィンがポピュラーになるとは思ってませんでした。
今朝は研究室に入ったら山のようなお菓子。
さっき見たら研究室はすでに真っ暗だったので、皆なにかしらイベントに出かけたのでしょう。

仮装って楽しいんだよね。
たった一日のイベントだけど。

これが終わったら次はサンクスギビング。そして、いよいよクリスマス。

【Happy Halloween 2002】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学生を連れての海外赴任3

2014年12月23日 | アメリカ生活
もう一つ大事なことを書いてなかったんですが、小学生になると「日本語はどうする」というのもけっこう大きな問題です。1年間程度の滞在であればその間は英語環境にどっぷりつからせて英語を身につけさせたい、という親御さんもいらっしゃるのですが、わたしは日本人のお友達との付き合いや、日本語補習校や、日本の通信教育等をうまく活用することをお勧めします。子どもはすぐ慣れると多くの大人は考えますが、海外生活のストレスは子どもにもあります。場合によっては全然なじめない子もあります。そういうとき、やはり日本語環境はその子にとって安心できる場所になります。また、逆に滞在が長くなると今度は日本語がどこかにいってしまい、家庭内でも英語で過ごすようになったりする場合もあるのですが、その場合でも親が思うほど英語で完全に自己表現ができているわけではなく、日本語がおぼつかなくなると自分をきちんと表現する言語が日本語でも英語でもない、という中途半端な状態にもなりかねません。第2言語の習得は母国語の根っこがきちんとできているときに一番効率的に進むということがわかっているので、日本語を大事にすることは英語の習得にもけっしてマイナスになりません。

大きな都市でしたら日本語補習校がある場合もありますし、進研ゼミやZ会は海外にも送ってくれますから、ぜひ海外赴任前に検討されるといいと思います。

ところでせっかく習得した子ども達の英語ですが。
ずうっと以前にも子どもの英語の保持について書いたことがありますが、あれからまた何年も経ち、やっぱり英語には助けられています。子ども達ったってもう上の子は二十歳過ぎちゃいましたが、二人ともすべての受験科目の中で英語の偏差値が一番高く、小さい時の努力が報われたかなと思います。いや、もちろん引き換えに置いてきたものもたくさんあるんですよ、だからうちの子だけじゃなく、帰国子女の皆さんにはけっして単純に「英語ができていいねー」みたいなことは言いたくありませんが、あの耳はあの年齢で海外にいたからこその賜物だとは思いますね。

【ワシントン日本語補習校での音楽会:2002年頃】


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学生を連れての海外赴任2

2014年12月20日 | アメリカ生活
私がアメリカに行くことになったとき、現地には日本人の方が数人おられて、その方々に大変お世話になりました。先の記事に書いた予防接種を無料で受ける方法や子ども達の英語力試験を受けに行く場所や運転免許の取り方を教えてもらい、本当に助かりました。渡米してすぐ子どもの体調が悪くなった時も、すぐに医者に予約を入れてくれ、連れて行ってくれて、薬のもらい方なども教えてもらいました。当時、そういう手助けがなかったら、私はいったいどうしていたのだろうと想像もつかないくらいです。ですから、わたしも現地にいる間は、次々に渡米してこられる方々のお世話をずいぶんしました。情報を共有するだけでも本当に役に立つのです。おかげで、これまでどこででも体験したことのないほど深いつながりでたくさんの友人に恵まれました。

最近はインターネットが発達していますから、渡米前に現地の情報を得ることは昔よりたやすいと思いますが、生身の人間にまさるものはありません。海外赴任が決まったら、現地の方と積極的にコンタクトを取ることをお勧めします。

アメリカでは最初段ボール10個程度の荷物だけで生活をスタートし、家具を少しずつ買ったり、ムービングセールで格安に譲ってもらったりして最後にはそれなりに家らしくなりましたが、何にもないところから始めるというはけっこう楽しく、工夫も生まれ、よい経験になったと思います。最後はすべての家具を売り払いましたが、その時に知り合った人とまた新たに友人関係を築いたり、まさに日々エキサイティングで有意義な時間を過ごしました。

海外では、日本のように至れり尽くせりのサービスはありません。
電話をつけるために電話会社に電話しなきゃなりませんが、その電話が手元にないんですからどうしろというの?というようなことや、〇日〇時に行くからと言われて待っていたら何の連絡もなくすっぽかされる、なにかを契約するにはクレジットヒストリーが必要だけど、日本のヒストリーは使えないよ、とか、まあよくもこれほど難問があるなとあきれるくらい次々とやっかいな問題がありました。全部解決していかなきゃなりませんが、非常に面倒です。日本だとなんの疑問もなくだれか(ショップやら営業さんやら)がやってくれたことが、すべて自分でやる必要があり、おとなしくだまっていたらまったく解決されないことも多々あって、物事をはっきり言う、確約をとる、といったことをやっていかなくては、生活そのものがなりたたず、当然仕事・研究どころではないわけです。

先の記事に書いたスクールバスの進路変更などは、とあるオフィスに電話をかけるのですが、いつも留守電。しかもメッセージはフローしており、相手は絶対に聞いておらず当然コールバックもありません。そこで【配達証明】つきの郵便を出し、いかに困っているかを訴え、なんとかちらの言い分を聞いてもらいました。アパートの食器洗い機が壊れたときはいくら催促しても修理に来ず、しまいに「この食洗機は家賃に含まれているはずである。これ以上修理しない場合、その分を差し引いてもらう」という手紙を出したら、翌日修理に来てくれたなど、そういう話だったらいくらでもあります。

ビザのことも始終頭を悩ませました。
1年くらいの赴任ならJで問題ないのでいいのですが、行ってるうちに「もう少しこのまま続けたい」などとなる場合もあり(わたしも)、そうするとビザの切り替えが必要になります。今思い出してもこのビザの問題がわたしにとっては一番難問でした。最後まで、よくやり通せたなと思います。Hへの切り替えはまさに命がけで、ダメだったら帰国しかない、という土壇場に、多くの人が神経をすり減らしています。そういう意味で、母国というのはなんとありがたいものかなあ、と思いますね。わたしはこの国で、仕事してもしなくても、学校へ行っても行かなくても「ここにいていいよ」と言われる。アメリカではポスドクでしたが、研究費が切れるから君の首を切るよと言われて(実際わたしも言われましたが)、とたんに帰国か次のラボをみつけるかのまた土壇場に立たされる。結局、アメリカにいて一番よかったなと思うことは、研究の内容もさることながら、これだけのサバイバルを生き抜く力、とくに精神力が鍛えられたことです。

ちょっと「小学生」の話からそれました。続く。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小学生を連れて海外赴任の巻

2014年12月14日 | アメリカ生活
tamaさんからご相談があった小学生を連れて海外赴任する、について。

連れて行くかどうか、っていうところはメリットデメリット並べて比較検討してみてください。
単身赴任でアメリカに連れて行くということになった場合のことについて書きます。
以下長々書きますが、一言で言うと、「準備をしっかり」ということに尽きます。

アメリカでは大人の監視なく子供だけを家においておくことはできませんので、小学生と言えどもアフタースクール(学童保育)またはシッターさんが必要になります。わたしもそれはわかって渡米したのですが、ラボのボスは「小学校内のアフタースクールに入れるから心配いらない」と言っていたのに、行ってみたらウェイティグリストで待ってる人がものすごく多くて、まったく話になりませんでした。ボスはそういう情報は全然調べずに安請け合いしていたと思います。まあでもよくある話です。そこで地域の学童に申し込みました。こちらは入れたのですが、スクールバスがそこを経路にしていませんでした。それで交渉して停車してもらうことにし(これが結構大変だった)、無事に入所できました。バス停から一人で歩かせられませんから、施設の前でおろしてもらうしか選択肢はなかったんですよね。

その前に、英語の試験を受けに行くというのがありまして、地区の教育委員会(?)みたいなところに出向いて試験をしてもらい、この子はESOLが必要だから○○小学校に入学させてください、という許可みたいなのをもらいました。また、予防接種を受けないと入学できませんので、移民対象のクリニックに行って無料で予防接種を打ってもらいました。これ、医者に普通に行くとすごい料金とられます。さて、連れて行った長男は日本では保育園児で、行ったら小学校1年生だったので、まず授業になれるのにすごく苦労しました。英語もわかりませんし、しばらくはしょっちゅう学校に呼び出されました。同じ学校に日本人の子どもさんがいたので、何度も助けてもらいました。

わたしが赴任した地域には日本人もけっこういたのですが、お母さんが働いているというケースはありませんでした。ですから、わたしのように子どもの預け先で苦労している人がおらず、とにかく情報不足でした。ちょっと離れたところにNIHがあり、そちらの地区だと赴任サポートサービスをビジネスでやっている方があり、家さがしや学校についてもサポートしてもらえるのでしたが、わたしの住んでいた地域ではそういうのはありませんでした。家だけはボスや同じラボの日本人の方に探してもらい、先に決まっていたので本当に助かりました。

車は最初はレンタカーですが、なるべく早く買わないとやっていけないし、保険も入らないといけないし、運転免許も取りに行かねばならず、最初の一か月はわけがわからないまま奔走している感じで、それと同時並行で子どもが学校や保育園に行き始めたので、私にはまったく余裕がありませんでした。実家の母が一緒に行ってくれてたすかりました。

小学生がいるなら、理想を言えば、8月中に赴任するのがベストです。最初は家庭ですごし、9月になる前にBack to Schoolに出てそろえるものリストなどをもらって買い物し、新学期に間に合わせると子どもの負担はかなり減ります。うちは11月に赴任したので、クラスの子ども達はすでに9月から新学期を始めているからついていけないし、もともと英語もわからないしで、時期については大失敗でした。いや、わたしもボスに言ったんですよ。ラボの仕事始める前に、先に行ってセットアップしたいって。でもボスが「そんな必要ないよ。大丈夫、大丈夫」というので、まあ失敗したんですな。アメリカという国柄を知らなすぎました。

長くなりましたので、続きはまた明日。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新1年生の大学生活が始まりました。

2014年04月09日 | アメリカ生活
入学式も無事終わり、1年生が太白キャンパスにやってきました。
まず学部学科のオリエンテーションを受け、理科数学の基準試験や英語のプレースメント試験を受けて、昨日より講義がスタートしました。

【学科オリの様子】


私は今年は学生委員長ということで、留学生の履修の相談に乗ったり、さっそく委員会があったりで、目が回りそうな忙しさです。
まあ4月が忙しいのは毎年のことですけれど。

しかし忙しくて春や桜を十分楽しんだりできない毎日に気持ちがダウンしがちになるのを、今年こそは打破するのだという意識で仕事に取り組んでいます。「できないできない」と思うと心が塞ぐので、「絶対にできる」「絶対やる」と念じて一日をスタートさせています。

さて1年生は明日は初めての農場実習。お天気がいいといいな。もうカタクリは咲いているかしら。梅はきっと満開だろうと思います。仙台も桜の開花宣言があったらしいのですが、このあたりはまだまったく咲いていません。しかしたぶん農場ではいろいろ春の息吹が見れるはずですから、楽しみです。

ちなみにこれはうんと前に撮った農場のカタクリの写真。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒラリーさんはこれから

2013年06月12日 | アメリカ生活
1999年の11月にアメリカに行ったとき、ちょうど翌年が大統領選ということで、アメリカ国内は大変盛り上がっていました。小学校に入ったばかりの長男が、学校で「ブッシュかゴアか、どちらを支持する?その理由は?」という宿題を出され、驚いたことを覚えています。長男はブッシュと答え、ブッシュ支持者に「小さいのにスマートだ。思慮深い。」と大真面目にほめられ、苦笑したこともありました。

この年の大統領選は荒れに荒れ、その後のアメリカの方向性を決める重要な選挙になりましたが、その後も選挙のたびに日本との違いを考えさせられることが多くありました。とくにブッシュ大統領が2期目も選ばれたとき、アメリカ人の保守性の強さを改めて感じ(正確には国の真ん中あたりの保守性の強さ:真ん中は赤色に染まり、沿岸部は青に染まる。)、テロ後のこの国はどうなっていくのだろう、と怖い思いにとらわれました。私が住んでたのは東海岸なので、選挙翌日の周囲の落胆ぶりも非常に印象に残っています。

ブッシュ2期目終了時、ヒラリーさんがオバマさんと戦っていたころ、わたしの周りの女性たちの多くはヒラリーを支持していませんでした。リベラルすぎるというのがその理由でした。わたしも同じように感じていました。保守性の強いこの国で、ヒラリーは勝てないと。しかし国務長官として世界中を駆け回っている彼女を見ていて、だんだん私は考えが変わりました。この人はリベラルだけど、すごく柔軟な人じゃないか。しかもこのタフさ。あのとき選挙に勝っていたら、どうなってたかなあ。

ヒラリーさんがツイッターを始めたら、ものすごい数のフォロワーが瞬時についたとニュースで見ました。次期大統領選への期待も高まっているようです。しばらく仕事を休んで第一線から退きますが、まだまだ元気ですね。今後の活動が非常に楽しみです。

自由の国、アメリカ合衆国。けれども今まで女性大統領は誕生していません。
ガラスの天井がけっこう堅固な、良妻賢母が尊ばれる保守の国、アメリカ。高い理想とその反動でおそろしくねじまがった矛盾を抱えた国。次の大統領はどうかじを取るのか。日本への影響も大きいです。日本の若い人たちにも関心をもって見てもらいたいですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドリカムで思い出す

2012年05月18日 | アメリカ生活
ドリカムの時間旅行の記事を書いたら思い出したんですが、アメリカにいたころ、日本のTV番組のビデオってすごく貴重だったんですよね。今みたいにYou Tubeとかないから。パソコンだって日本語で使うのにちょっと設定が必要だったりでね。そんなときに、ドリカムのビデオをもらったんです。たぶん、ムービングセールでもらったとかそんなの。でね、ものすごく何回も何回も見た上に、近くの日本人が集まってさらにみたりして。そのころ、ドリカムがライブハウスでライブをやるっていうんで、DCの日本人がおーぜいそれ見に行って。わたしは子供が小さいからどうしたっていけなかったんだけど、うちに住み込みでベビーシッターしてくれてた日本人の女の子が見に行って、帰りが深夜で心配して心配して。

懐かしいなあ。
ドリカムが全部英語のCDだして、それロックビルで見つけてやたらうれしくて買ったんだけど、あんまり気持ちに寄り添ってくれないCDで、やっぱり日本語で聴きたいやと思って、アメリカに置いてきちゃったな。持って帰ってきたらよかったかな~。すっかり忘れていたことを、思い出しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終わりました!明日帰ります。

2010年09月11日 | アメリカ生活
予定していた実験が全部終わりました。いよいよ明日の飛行機で日本へ帰ります。テックのエチオピアが「フライトはいつ?」と聞くので「明日だよ」というと、「えええっ。ちっとも遊んでないじゃないの!」。いや、でも、今回はフィラデルフィアに行きましたから。

私は2005年の4月に帰国してから、今回をあわせて7回渡米しています。一か月の時もあるし、2週間の時もありましたが、いつも実験して、ディスカッションして、新しいアイデアをもらって、やる気ももらって帰っています。昨年までは論文をかかえていたので、それを終わらせなくてはという気持ちで必死でやっていて、それが終わったらもうこんなハードスケジュールはやだ、やめようと思っていたのですが、ボスが次のプロジェクトを提案してくれ、継続していくことになりました。

今回はじめてそれほどつらくなかったのですが、毎回ほんとにハードで、ものすごく負担に感じてました。家のことを全部片付けて、大学の用事を全部片付けて、子どもたちのこともあるし、それを全部やって、やっと飛行機に乗るときにはへとへと。ついたらすぐ実験で、時差ボケしてる暇もないほどで、緊張感があって、帰るときは「ああやっと帰れる、、、」というくらいしんどいイベントでした。

もちろんアメリカは楽しいし、十分エンジョイしてるのですが、まあとにかくこのために使う労力がはんぱないわけです。家族にも実家にも負担かけてますしね。

でも、今回は先に1週間神戸に行ってましたから、そういう大変な前作業が神戸の前にすんでいて、平常の雑事に戻らずそのまま渡米したため、精神的に非常に楽でした。そして改めて感じましたが、やはりこのアメリカとの共同研究は、わたしの命綱です。今までなんとか続けてこれて本当に良かったと思います。今後はもっと積極的にやっていこうと、今回強く思いました。

そのために、帰国したらやることがいろいろ頭に浮かんでいます。
まずどうしても取り組まなきゃならないのは仕事の整理です。もう少し削るところを削らなきゃなりません。そのことを今いろいろと考えています。なんども書いてますけど、時間は一日24時間。総量規制をかけないと、体がいくつあっても足りません。

さて、次は日本に帰ってから書くことにします。
今度は飛行機が遅れないよう祈りつつ。

(写真は、フィラデルフィアのチャイナタウン)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィラデルフィアMorimoto

2010年09月09日 | アメリカ生活
                  
                  
フィラデルフィアから帰ってきてからやたらと忙しく、書くのが遅くなりましたがレストランMorimotoの話題です。

私がアメリカに住んでいたころにも大変話題だった「料理の鉄人」というTV番組、今もわたしが名乗ると「アイアンシェフと同じ名前だな!」と言われるくらい誰でも知ってる日本人の料理人森本氏のレストランがフィラデルフィアにあります。今回は一緒に行った友人が「森本がMorimotoに行く」というシャレで行ってみようよというので、行ってきました。

でもわたし、宮城に住んでるので、刺身とか寿司とかネタは最高のものをとっても手ごろな値段で普段食べていて、野菜なども新鮮でおいしくて、アメリカでいくらすごいものを食べたってそれよりおいしいはずがなく、さて何を食べようかとちょっと悩んだんですね。お酒も、酒どころにすんでるのでわざわざここで飲む必要もないし、ということで飲み物はカリフォルニアワインをチョイス。でも日本酒はいろいろありましたよ。ただ、そりゃ仙台で普段飲むお酒と比べるわけにはいかない、、、、。

で、まずは内装がすごく奇抜なお店でびっくりしましたが、お料理も和食というより創作料理で、盛り付けとかデザインとか、意外性が楽しいお店なのだなと思いました。サラダと思って頼んだのがこれなんですが、わたしがネーミングしたら「ドライカレー」っていうところですねこれは。

                  

あとは定番のお寿司と刺身、そしてメインはステーキ(付け合せが天ぷら!)

 

最初あれこれ心配しましたが、お寿司も刺身もおいしかったです。値段は高いですが、アメリカの和食レストランはみんなこのくらいはすると思うし、私が普段日本で飲んでて支払う金額とそう大差なかったというか。ワイン一本あけましたし。

で、とにかくワインが進んで、友人とどんどんしゃべって、やたらと楽しい夜でした。そこが大事ですよね。あっ書き忘れましたが、普通はじめていく人は「おまかせ」を頼むらしいです。おまかせコースは$80と$120で設定されていました。私たちはアラカルトで上記の3点を二人でシェアしました。


                  



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする