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新しいことを見つけるって楽しい!

研究分野を変えること

2012年04月30日 | 仕事・研究
私は若い時はウイルスの仕事をしていて、その間に阪大微研で組換えの技術を学んで、その後山口大学で動物のサイトカインの仕事を始めて(とはいっても組換えタンパクを作ったりモノクロを取ったりが主な内容)、そのあとアメリカで寄生虫感染と消化管免疫、、、と研究領域を少しずつ変えてきました。意図的にじゃなくて、否応なくというのがホントのところで、もともと卒業後の自分の希望は畜産領域の仕事だったのに全然そういう機会に恵まれず、、、という流れです。アメリカでも3つのラボを経験したので、履歴書書くときはかなり面倒。で、いろいろなことを体験したのがよかったなあというのはあるんですが、若い時から免疫一筋で来た方とは全然バックグラウンドが違うし、日本に帰って来た後はどの学会が自分の領域なのかも模索状態で、いろんな学会に出てみたりもしました。最近やっと自分の立ち位置、というのが見えてきて落ち着いてきてますが、やっぱり一筋でやってこられた方がうらやましいという場面もあります。

アメリカではステップを上がるごとに違うラボに移動ってのは普通で、学部→大学院っていうのも普通は違うところに行きます。日本でも流動的ってのが推奨されていて、大学の常勤職にも任期がついてるのが普通になってきました。かくいう私もつい最近まで任期つきでしたが、今の所属に来た時は、これまで経験したことのない食分野ということで、ここへきてから食品免疫という領域にも関わるようになりました。最近は脂肪酸とか以前は全然知識のなかった分野がおもしろくて、動いてきたからこその出会いだなあとは思います。

結局、幅広い経験で広い視野を得るというやり方と一つのことを極めて行くやり方、どっちも意義があると思いますけど、新しい領域に入っていく時はいつも素人ですから、その辺はやっぱり大変。道を切り開いていくという労力がものすごくあって、そういう時は「若い時からこの分野でやってきた人はいいな~」と思ったりします。反面、学際領域の発想が相手にインパクトを与えられるという時には「いろいろやってきてよかったなあ」と思います。自分がやっていくのは、やっぱりそういう境界領域なんだろうなあと思います。

最近、復興支援とか震災関連の仕事がやたらと増えて、わたしの残り年月を考えるとこれはこの分野も柱にしてくことになるかもしれないなあと感じています。一朝一夕で復興はなりませんし、被災地に位置する大学に身を置く身としては天命でもあると思うからです。しかし幅が広がるのはいいけど、発展して分散して霧散、じゃなくて、いろいろな要素がつながって、そのことで意義を得、最終的にまとまっていくように心していかなくてはと思っています。
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仕事するか休むかそれとも家事片づけるか

2012年04月29日 | その他もろもろ


春は遅かったがGWに桜が見れるのもまたよし。



GWはたまった仕事&家事を片づけなくては、という気持ちが強い一方、ここで休まねばいつまた休めるかわからない、という葛藤があり。今日は意を決して家事を片づけることに。明日は祝日だけど、朝9時からゼミ、午後は卒業生が訪ねてくるので、その合間を縫って5月1日締め切りの助成金の申請書を書いて、関係各位にメールする、という予定。

あと、とにかく急いでアメリカ行きの予定を立てなくてはいけないんですけど、スケジュールfixしてしまうには不安が、、、。とりあえず元ボスにメールしないといけないんだけど、悩み中。例年だと8月の渡米のために、3月にはスケジュールについてメールでやりとりするのに、今日はもう4月29日。アメリカから帰ってきたころは今よりずっと大学の管理運営の仕事が少なかったから、なんとかやりくりできましたが、今や本当にがんじがらめというか。でもこれまでだって手帳を見るとよくこなしてきたよなと我ながらあきれるんですよね。すべてがうまく運ぶという前提のもとにスケジュール組んでるから、一つでもずれたら一巻の終わり、、みたいな。あっでも飛行機遅れて大変な目にあったことも多数あったし、アメリカに行ってみたら機械が壊れててわたしがメンテやったりとか、それで帰国に間に合わすために日本でやる以上に長時間労働こなすはめになったりとか。でも大変なのはわかってても、昨年は震災のために一年渡米を休んだんで、今年行かないともう共同研究維持できなくなっちゃうし、やはりどーしてもスケジューリングしなくては、と思います。とりあえずメール出そ。

それが済んだら、東北大からマウスをもらうための書類、さっさとやんなきゃ、、、書類出さないと譲渡してもらえない→実験できない。あ、科研費の報告書もあるんだーーー この調子でやってたら書きかけの論文はいつになったらあがるのやら。

やっぱGWは仕事で決まり、ですね














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いいお天気だったんだけど

2012年04月28日 | その他もろもろ
今日はほんとはいろいろ計画があったんだけど、、、予定外の事件が次々起こって、結局計画倒れ。あ~あ、せっかくいい天気だったのになあ。

まず一つ目。
アクアが来たんです
それはいいんですが、トヨタから帰ってきてから「ETC付け替えるの忘れた、、、」というのでまたトヨタへ。



二つ目は次男発熱。
けっこう高熱だったのと、最近またインフル出てるので、医者へ。でもかなりふらふらしてるので車で行ったら、かかりつけ医の駐車場が激混み。妙なところにとめている人がいて、ものすごく困った事態になりました。買ったばかりのアクアだから、あんまり車両感覚がつかめず、切り替えし何回もやってなんとか脱出。

夜はひとつ会合が入ってて、なんだかほんとにあっという間に一日が終了。

写真は今年初めて買った変わりチューリップ。このあたたかさで一気に開花。



ところで今年はわたし、当たり年かもしれない。いい意味か悪い意味かよくわからないけど、仕事の依頼がどどんと次々やってきます、、、。社会的な責任のある仕事が立て続けにやってきたので、もうそういう年なんだよなあと思ったり。でもありがたいことなんですよねえ。だから断りませんけど、ますます忙しさに拍車が、、、。


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思い出話、その後

2012年04月28日 | 仕事・研究
学振のポスドクの話を書いたら、いつもよりずっと多いアクセスがありました。
関心の高い分野の話なんだろうと思います。
わたしも、任期のある仕事を渡り歩き、いつも「いつまで仕事が続けられるのか」ということに汲々としてきましたし、アメリカで一度はいきなり解雇されてそのまま帰国という危機もあったので、今そういう厳しい立場で仕事されている若い人たちの気持ちはよくわかります。そういう立場にあれば、わたしのこれまでの歩みは甘すぎじゃないのと思われるでしょうね。たまたまのラッキーの連続だし、ほんとに若い時はアカデミックポジションへの執着もなかったし。まあ私は最初から能力の高い傑出した人材じゃなかったのは確実です。ただ、努力し続ける能力は持っていたんじゃないかな。目の前のことにきちんとていねいに取り組んで、そういう積み重ねの中で一歩ずつ成長してきたのだと思っています。ですから、ものすごく能力が高くてばりばり研究の最前線で大活躍の先生方とは全然違いますが、成果はきちんと出して今に至っているのだという自負はあります。でも、まあ、やっぱり若い時は甘かったですね。ものを知らないにもほどがあるというか、、、学振でアメリカに行ったのが35歳(子供は3歳と6歳)、任期が切れた後どうするんだっていう計画をまったく持たずに渡米しましたから。でもきっと先に新しい道が開けると信じていて、しかしあとになってそれがとんでもなく甘い考え方だったとわかるんですが、、、。だけど知らなかったから挑戦できたというのは、やっぱり若さの賜物でしょうね。


ところで昨日は大学の女性教員がそろっての飲み会(女子会)で、みんなでビールを飲みに行きました。この業界にいる女性はみんないろんな苦労をしています。まあ男性も当然あるんでしょうけど、女性ならではの壁というのがあるんですよね。学生は女性の方が多いのに、教員はたった一割です。まあでもだんだん数が増えてきましたから、これからどんどん皆さんに活躍してもらいたいです。

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学振のポスドク(PD)だった。

2012年04月26日 | 仕事・研究
ちょっとしたことがあって、昔のことを思い出しました。
長男がまだ3歳のころ、私は大学卒業後8年間勤めた大阪の研究所をやめて、山口大学に赴任していた夫がすむ山口市へ転居しましたが、これからもなにかしら仕事はやりたいなあと思っていました。やめるまでに学位もとっていたし、技術職でもいいしと思っていましたが、山口には仕事は全然ありませんでした。それで、科学論文の翻訳をやったり、山口大学で非常勤講師をしながら、農学部の動物衛生の研究室で研究生をさせていただいていました。あのころは仕事をやめるということにさほど大きな決意が必要だったわけではなく、なにか新しい生活が待ってるという思いで楽しく山口へ越しましたが、ちょうどポスドク一万人計画が起こったころで、夫は楽観的に「けっこう高い確率でポスドクに採用される可能性がある」とかなんとか言っていて、わたしも無邪気に期待して応募したのですが、そのころ私はすでに32歳になっており、しかも次男を妊娠中で、客観的に考えればかなり無謀な挑戦だったなあと思います。案の定、不採択になりましたが、その知らせを受け取ったのは次男を出産した病院であったような覚えがあります。

そのころ学振のポスドクの年齢制限は32歳だったので、それはわたしにとって最後のチャンスで、でも不採択だからといってさほど落ち込んだわけではありませんでした。なんせ子育て真っ最中で、それどころではなかったし、あくまで楽観的な私はまだまだなにかできるだろうと高をくくっていたのでした。ところが、ちょうどその年、獣医系や医学系はPDの年齢制限を2年延ばす、という決定がなされました。こりゃ私のために年齢制限が延びたなと思った私は、翌年再度応募することにしました。今も忘れませんが、締め切り間際の5月、次男がはしかにかかり、おんぶして大学に行っての作業になり、それはもう大変な修羅場でした。周りの先生にも相当あきれられたことと思いますが、指導教員であった岩田先生が研究計画をがっちり作ってくださり、その年採用になりました。

学振のポスドクは毎月かなりの額の生活費をもらえます。さらに、科研費もいただけます。
おまけに、3年の任期中に、半分までは海外で研究することも許されており、その際に科研費を持って行くこともできました。この恵まれた立場を生かして、1999年、夫が文科省の在外研究で海外に出るのに合わせてわたしも渡米しました。

学振終了後はアメリカでポスドクを続けないかと声をかけてもらい、そのままアメリカの大学で研究に没頭し、2005年に今の大学に赴任することが決まって帰国しました。今、わたしが大学教員をやれているのは、あのとき年齢制限が延びて、学振に採用してもらったからです。そうでなければ、今頃わたしは家庭の主婦か、パートの研究補助員か、とにかく常勤職はとれていなかったのは確実です。学振はポスドク終了後に定期的に「その後の進路調査」を行っており、わたしはそのアンケートがくるたびに「今の私があるのは、あのときPDに採用してもらったからこそです。」と書いています。ほんとに毎回書いてると思います。学振のPDに採用されたことが、その後のわたしの人生を決めました。

あの頃わたしはまだ自分で研究計画を書くこともできないし、自力で論文を通すこともできない半人前でした。将来、大学の先生になれると思ったこともなく、ただ研究は楽しいからずうっとこういう仕事ができたらいいなあと漠然と考えていたにすぎません。思い返しても考えが甘くて実力もない能力もない、しかも子持ちで長時間労働もできない、足りないだらけの人材であったと思うのに、不思議な縁でPDに選んでいただいて、今のわたしがあるのです。

時代はかわって、すでにポスドク一万人計画はとん挫し、研究者としての人生を選ぶことは以前よりずっと大きな決断になってると思うんですが、そういう中でもこの学振のPDは、次のステップに進むために強力な踏切板になることは間違いないと思います。

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桜が咲きました!

2012年04月24日 | 日々の暮らしを楽しく
大学の桜、まだ満開ではありませんが、たぶん今一番きれいです。



そして今晩は三神峯で花見。
本当に、本当にきれいな桜でした。
昨年は桜を見たんだか見てないんだか全然覚えていないような震災後一か月というときでしたから、今年の桜はことのほかうれしいです。

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実習

2012年04月23日 | 実習と講義
今日はすごく忙しい日で、学生実習で一日が終わりました。詳しく書きたいけど、あまりにも疲れたので今日はもう寝ようと思ってます。今日の実習は血液学の実習で、牛の血液で生化学検査をしたり、白血球を数えてサイトスピンかけて、染色してスケッチなど。ピペットマンを持ったことがないという人もいるくらいなので、ほんと~に大変な実習なんですよね~。無事終了してうれしい
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この間のいろいろ。

2012年04月22日 | 仕事・研究
分かってはいたんですが、やっぱり想像を絶する忙しさの4月。
あれこれ書く間もなかったんですが、ブログは記録でもあるので思い出してメモ。

最近の私の活動:

1、春になると高知の文旦を必ず買う。わたしは柑橘類が大好き。むかーし、阪大微研の中田研にいたころ、卒業生が毎年送ってくれるという文旦を初めていただき、そのおいしさに驚いて、以来必ず高知から買うようになった。今年は文旦ジャム(ママレード)を作ろうと思いたって、日曜日のわずかな時間に作成。苦味が相当あるので、もっと水にさらすべきだった、、、と味見している時は思ったけど、完成してみたらちょうどよい苦さ。子どもたちから「なんで苦いのがいいの」と聞かれるが、ママレードは苦いのがいいのだ。というわけで最近は毎朝文旦ママレードでトーストを食べて大満足。

2、4年生が就職活動のピークであります。内定の出た子もいる模様。うちの研究室3人もそろそろ「最終面接」というタームが聞こえてきた。が、最終で落ちる、というのを毎年見ているので、確実に内定出るまではけっして気を緩めない。最終で落ちると結局そこはnothingになるわけで、もし同時に活動進めているところが全部だめになったらまたゼロからのスタートになっちゃうので、ESは切れ目なく出して、活動が終わるまで「今なんにもないや」って状態にならないように、注意。

3、3年生が研究室配属に悩み中。入れ替わり立ち替わり「相談」に来る。実際に研究室に入ってみないと分からないことも多いけど、やっぱり一度は実験の見学などもして、4年生や院生に話を聞くことを勧める。研究室の説明会では「うちは英語ができないとすごーくつらいよ」とは言っておいた。英語できないと入っちゃだめってことにはならないけど、英語できないと論文やトリセツ読むのに時間がかかって実験も就活もってなると限界を超えちゃう人があるので、できれば英語はできてほしい。最初できなくても努力で克服っていうことでもいいけど、論文読むのにめちゃくちゃ時間取られるってことを理解して入ってきてほしい。わたしは自分で書いてるプロトコルも全部英語なので、それくらいは英語のまま理解してほしいし。とはいっても、わたしも学生さんのためを思ってできるだけ翻訳版も作ってあげてるんですけどね。でも社会人になったら英語できて損はないし。

4、昨日、福島の警戒区域内家畜の調査グループ(正式名は被災動物の包括的線量評価事業?らしい)のキックオフミーティングがあった。すでに1年近く活動しておられるらしいが、やっとメンバーそろってのキックオフ。わたしは年明けからの参加なので新参だし、放射線医学も全然専門外なのでおまけみたいな存在だけど、長崎から弘前まで、実に多分野の先生が集まり、とても有意義な会でした。放射線医学、ちょっと勉強し直します、、、。ところで私はアメリカでUSDA、USUHS、UMといろんな研究室を渡り歩いたんだけど、昨日はUSUHS&NIH関係者と遭遇し、しばしローカルトーク。楽しかった♪ 今年の夏はなんとしてでもまた行きたいという気持ちが強くなりましたが、昨夏行けなかったことでやや浦島太郎状態なのが気になるのと、現所属で今年度はちょっと対外的に重要なポジションについてしまったために休日にけっこう仕事で拘束されることが多く、夏休みに2週間海外に行くのは至難の業な感じで暗雲。

5、昨日は懇親会もあり、一日仕事だったので今日は休みたいところなんですが(でないと次の一週間がまわらない)、こういう時に限って査読があり、、、。水曜日までに仕上げなきゃならないのに、まだ原稿のDLもしておらず、しかも月曜日は朝7時半出勤→附属農場へ行って牛の採血→飛んでもどって白血球分離→12時50分から3年生がその白血球で実習、夜まで。火曜日も水曜日も会議山ほどという日程なので今日やらないわけにいかない。週に一回だけでいいから休みたいとずうっと思ってるけど、月一回がせいぜい??福島のサンプルも自分で切片切って染めてるけど、処理能力超えてるよな~と思いマス。

6、仙台もようやく桜が咲いてきました。動物系研究室の花見は例年週末だけど、今日はまだ寒いし天気も悪いので、今年は火曜日の夜に予定されてます。でも今日286走ってきたら、長町のあたりはめっちゃきれいにしだれ桜が咲いてました。今週は火曜日の夜だけでなく、なんとしても時間を確保して他の桜も見に行きたい!GWでもいいけど、みちのく湖畔公園も行くぞと思ってます。







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チューリップが咲いた。

2012年04月19日 | 日々の暮らしを楽しく
まだまだ寒い仙台ですが、今朝、今年最初のチューリップが咲きました♪



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変化していこう。

2012年04月15日 | その他もろもろ
最近、立て続けに堂々巡りの議論、に巻き込まれています。
いったん結論を出しても、「やっぱり、、、」と言い出す人がいて、いつまでも「検討」が繰り返される。
前に進みましょうよ、といいたい。
議論を尽くした後は、決断するしかない。
そして今わたしが直面している議論のベースは「世の中が変わってきて、社会のニーズも変化、技術も変化、人間も変化、、、」って時に、「なんとか現状維持で行こう」「どうして変えなきゃならないのか」っていう論理なんです。自分を大事にするってことも必要だし、軸を曲げないってことも重要ですけど、それで組織が衰退していくならば自分だって維持できないわけで、結局自分で自分の首をしめることになると思うんですね。

変化に柔軟に対応できる、自分を変えていけるってのはとても大事なことだと思います。
変なプライドにしがみついたり、過去の価値観に固執したりしていては、進歩はのぞめません。
自分の軸をしっかり持て、ということを過去に何度も書いてますけど、軸を持つということと変化を拒むということは全然別の話。よりよいやり方があるとわかったら前のやり方は捨てていい。新しい変化が急激にやってくると心がざわつくものですが、後ろ向きにならないようにしたいです。

私たちは遺伝子に規定された形質を持って生まれるけど、その形質は環境の違いによって発現の仕方が全然かわってしまう。生き物は生き延びるために環境にどんどん適応する。適応できなかったものは淘汰されていく。変化、は生きのびるために必要不可欠なものと言えると思います。よりよい方向に進むため、柔軟な精神で変化していきましょう。


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