私は小学5年生の時に友人が「将来は動物のお医者さんになりたい」というのを聞いて、初めて「そんな仕事があるんだ!」と知って、動物が大好きだったので私も動物のお医者さんになろう、と決めました。中学に入り、父が大学案内という本を買ってきたので、獣医学科について調べました。そうしたら、家から一番近い大学の入試科目は物理・化学と数学でした。私は小さい時から喘息で体が弱く、学校を休みがちでしたからあまり勉強はできませんでした。でも学校を休んでいる間はずっと本を読んでいたので、国語はすごくよくできました。ですから当時すでに自分は文系だと思っていて、数学も理科も自信がありませんでした。生物分野はよいのですが、物理はとてもできそうにありませんでした。でも、どうしても獣医になりたかったので、数学と理科の勉強を本気で始めました。今も覚えていますが、私が勉強に本気になったのは中2の2月です。
そこからは本当に死ぬほど勉強しました。試験の成績が芳しくなくてグダグダ言っていたら母に「朝起きて勉強したら」と言われ、そこから朝型にシフトしました。1年間必死で勉強し、でも数学も理科もできるようになったという実感がないまま高校に進学しました。高校では、最初の面談から「獣医学科をめざしています」と言いました。何時間くらい家で勉強していますかと聞かれて「7時間といったら先生がびっくりするだろう」と思って「4時間」と答えたところ、「そんなので行けるわけないだろう」と言われたのを覚えています。
高校では吹奏楽部に入り、とても楽しい3年間を過ごしましたが、相変わらず勉強は必死でやっていて、朝2時半に起きて登校まで勉強していました。数学はいつの間にか得意科目になっていて、高校3年生の時の数IIB(入試対策のためのクラスで、基本的に問題集をひたすら解くのみのクラス)では1年間試験はすべて100点を取りました。でも3年生になって共通一次を受けたら、英語が全然できず、最後の大問6題は長文を読む時間がなくて全部勘でマークしました。そんな感じでしたから、初日が終わった段階でこれは浪人だなと思いました。
自己採点では判定はB。得点率8割を目指していたのに25点足りませんでした。獣医学科は難関ですから、8割は必須と考えてました。2次試験は生物・化学と数学。私の頃の入試では生物が選択できるようになっていて、私は化学も得意になっていました。受験勉強についていえば、私はベストは尽くしました。あとから考えても、あれ以上はできなかった。そしたらなんとか合格出来て、大阪府立大学獣医学科に入学しました。
入学する前は臨床の獣医師になることしか考えていませんでしたが、入学してみたら面白いことがいっぱいありました。実験も楽しかったし、習うことすべてがおもしろかった。それで卒業後は研究職をめざしました。ところが、私が大学院を出るころ(80年代後半)はまだ女性の就職が全然ない時代でした。私が就職試験を受けられたのは大阪府だけでした。公務員でさえ、「男子のみ」と書いてある自治体もありました。大阪府で獣医師研究職を募集する、それも大動物だというのを聞いて迷わず応募しました。私は繁殖の研究室にいたから、牛がやりたかったんです。
一次試験は2名募集のところ20名が受験。面接には3人が残りました。結果として大阪府に合格はしましたが、配属は公衆衛生研究所になりました。理由は、大阪府の畜産の研究所には女子トイレがない、ということでした。あまりがっかりもせずに(予想の範囲内だったので)公衆衛生研究所でウイルスの仕事を始めました。でもそれが私の一大転機になりました。今私が免疫の研究をしているのは、新卒で免疫不全を起こすウイルスの研究に携わったことが原点です。そして、私が入職したころPCRの技術が普及し始めました。遺伝子解析時代の幕開けです。私は分子生物学をゼロから勉強してウイルスの遺伝子解析に取り組みました。この技術が後の私を助けました。
その後、家庭の理由で山口大学に移り、学振のPDに採用されてアメリカに渡り、USDA、USUHS、メリーランド大学で研究に従事しました。私は自分が器用だという認識は全くなかったけど、「Motokoはすごく実験がうまい」「繊細に丁寧に仕事する」と評価してもらえて、学振の期限が終わった後も「残って研究を続けないか」と要望され、そのまま向こうで就職しました。研究は順調に進んでいたし、とにかく楽しく生活していたけれど、子どもが中学生になり、そろそろ帰らねばと思って、帰国し、宮城大学に赴任しました。2005年のことです。私は順風満帆な人生ではなく、ただひたすら努力を継続してここまで来たんですが、おかげで色々経験できたことを若い人に伝えていきたいなと思ってこのブログを始めました。20年近く、いろんなことを書いてきました。思わぬ人が読んでくれていて、びっくりしたことがたびたびあります。日本に帰ってきてからも本当に楽しい毎日で、やりがいがありました。そのことをここにたくさん書いてきました。定年まであと4年あるし、まだ働きますが、gooブログが終了するということなのでここで終わりにします。インスタやXもあるので発信はそちらにしていこうと思います。
自分がやりたいと思ったことができないことは多々ある。外圧で自分の道が違う方向に向くことがある。でもその時こそ自分では思いもしなかった新しい道が開ける。だから思い通りにならないときは、新しい自分が待っているとわくわくしながらその道を進め。そう思っています。