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科研費の季節ふたたび

2018年03月28日 | 仕事・研究
3月末なので、科研費採択のキーワードでこちらに来られる方が時々あるようです。
最近は4月1日にe-Radで結果を見られます。
今頃ドキドキしても、結果はすでに決まってますので、採択か不採択かでこの3月末の数日を不穏に過ごすことはありません。その時点までは忘れておいた方がよろしい。

来年度は、わたしも3年ぶりに申請の年になります。
宮城大学に来てからほぼ連続して取れてきたのですが、だからといって次も取れるとは限りません。精進しなければと思っています。ただ、やはり勝負はどれだけきちんと準備したかによりますので、締め切り間際になって慌てて書くのは避けたいと思っています。構想は練っておかねばならないし、予備実験なども今の時期にきちんとやって、申請書に載せられるようにしておかないといけません。

科研費になかなか採択されない先生に時々相談されますが、多くの場合、皆さん準備不足です。
日常の多忙な用事の中に、少しずつ準備を入れていかないといけません。
やはり何事も完成予定の日時から遡って計画をするべきと思います。

締め切りがある仕事は、最後の追い込みで仕上げられるものではありますが、とはいえ、きちんと前もってやっておれば精度は上げられます。わたしは自分を信用しておらず、たとえ丸一日講義も実習もなくて会議もなくても8時間執筆できるとは全く考えておりません。結果的にのってきてできるときもありますが、将来の自分を信じてはいけないと思っています。普段は何事も「やればできる!」と楽観的な私ですが、原稿・論文・研究費申請書書きだけは前倒し前倒しで寝かせて起こして揺り動かしてまた寝かせて起こしてと繰り返して仕上げていきます。もちろん短時間ですごい集中で書ききる先生もいらっしゃいますが、ほとんどの人はなるべく悲観的にやっていく方がたぶんうまくいくと思いますね。




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2018年3月までの記録

2018年03月25日 | その他もろもろ
【研究】
①卒論をやってる中で想定外で見つけた事例が興味深く、今後発展させる予定。
1)線虫を感染させるとオスだけが全頭死亡、という症例が2つのまったく異なるKOマウスで観察された。性差があるということ。
2)これまで時々線虫を感染させてもTh2サイトカインが上がらない例があり、学生の「感染手技の失敗」と考えていたものが、実は「腸内細菌叢の単一化」である可能性が見出された。が、なぜそうなったのかは全く不明。
②年末に依頼されていた論文が完成。
③今年度実施していた共同研究の継続が認められた。来年度も研究費がつく。
④夏の国際学会(Oxford)にエントリー。
⑤来年の2月、寄生虫感染免疫研究会を仙台で主催することになった。←スタッフのいないうちのラボで引き受けたのは相当覚悟がいったけど、メンバーの皆さんに仙台でセリ鍋を食べていただきたい一心で決意(笑)。

【教育】
①卒論4名終了。3年生3人がテーマをだいたい決めて始動。4月より社会人大学院生(修士)受け入れ決定。
②来年度新2年生担任を受け持つことに。←食資源開発学類の晴れて1期生となる2年生。

【社会貢献】
①指導している学生ボラグループ「@グリーン」が(財)学生サポートセンターの助成に採択。今年は震災7年になり、グリーンのこれまでの活動を冊子にまとめようと考えているところ。
②そのグリーンが3月にあすと第1住宅でコモンミールのシェフを担当。試作を重ねたロールキャベツを提供した。



あっという間に4月が目の前。
次の3か月もきっちりしっかり意識をもってやっていきたいと思います。


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平成29年度宮城大学卒業式

2018年03月19日 | 大学でのひとこま


本日、卒業式でした。
私の研究室からも、4人が卒業していきました。
なんとなんと、10期生であります。
ついに10年間卒業生を送り出したことになります。




次は3年生(写真前列)ががんばります。



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最後のこども時代

2018年03月15日 | 大学でのひとこま
大学は最後の子ども時代、と私はよく言ってるんですが、今まさに学生の未熟さを痛感する事態となっています。
4月から社会人として送り出すために、最後まで指導の手綱は緩めず、甘やかさないというのが私の主義ですから、ちょっとかわいそうになることもあるんですが、でも私は絶対に妥協はしません。

ええそう、卒論のことです。
締め切りはとっくに過ぎてます。
卒業も決まってます。成績もつけました。
だけど指摘されたところをきちんと直して「これでいいです」と私に言われ、印刷するまでは終わりません。
毎年終わらない終わらないといいながらも、卒業式までに終わらなかったのはこれまでに3名くらい(30人くらいの母数で)。
しかし今年は4人中3人がまだ印刷できていません。
卒業式は次の月曜日です。

一番の問題は、取り組み始めが遅い、ってことですが、それにもまして「将来への楽観」がありすぎると思います。卒論がおわらないのに卒業旅行に行くのはホントだめ。予約してるから行かざるをえないですが、なぜその日程で予約するかというと「ここまでにはきっと終わっているだろう」という楽観があるからです!だったらもっとその前にがんばれと言いたい。

それから、うちの研究室の話じゃないですが、学生のことで他にもがっかりすることがあり、今非常に残念な気持ちになっています。こんなに残念な気持ちで卒業式を迎えるのはこの大学に来て2回目かな(笑)。
まあ学生の至らなさは教員の指導の至らなさなんですから、私が悪いということなんですけどね。

やっぱり大学は最後の子ども時代なんだなー。
たぶん4月1日に社会に出てから、理解してくれるのだろうと期待します。
卒業していった子たち、みんな立派になってるしナ。

ガンバってね、みんな。
失敗して叱られて学んだこと、ちゃんと糧にしてってね。
次のときに役に立てばそれでいいんだから。


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終わりの時間を意識する

2018年03月12日 | 仕事・研究
うちの子ども達が小さかった時、保育園・アフタースクール・塾などの送迎のため、わたしの仕事時間には必ず終わりの時間が決まっていました。実験の各作業にどのくらい時間がかかるかの予測はとても大事で、実験を一時的に止めることができる時点まで持っていけるかどうか常に考えていました。ですから、今でもだらだら実験するようなことはありません。会議や講義の合間の時間にどこまでできるか、ということは緻密に計画しています。しかしすでに私の場合、絶対に帰らなければならないという時刻はなくなりましたから、夜遅くまでやって片付けてしまおう、とか、土日にやろう、とかいう発想もまた日常になっています。つまり、前ほど時間に追われていないため、最速で成果をあげているとはいいがたいわけです。だから、仕事の効率化ということを考えるとき、終わりの時間を定めることは必須だと思います。たとえ帰らなければならないという束縛がなくとも、設定しておかなければ普通の人なら最高密度の仕事はできません。いつも言ってることですが、「社会で一番効率的に仕事ができているのは子育て世代」に間違いないと思います。

さて最近私は「定年退職」ということをちょっと考えるようになりました。私の場合、まだけっこう年月がありますが、そうはいってもそう遠くはありません。そこで、最近はいかにこの年月を過ごしていくのかということをいろいろ考えておりました。その中で、「3年計画で仕事を考えてみようか?」という発想に至り、65歳までの年月を区切ってどのようなゴールを目指すかということを3年ずつ考えることにしてみました。そのことで気が付いたことがたくさんありました。やはり、終わりを意識するというのは大事だなと改めて実感しています。研究者の場合、論文を出すのが最終的な成果ですが、そのためにはある程度データを積み上げる時間、そして書く時間が必要です。後ろを気にしていなかったときは、どんどん実験してどんどん書く、くらいのつもりでいましたが、きちんと年限を区切って考えると、そんな大雑把な考えじゃいかん、ということが明確になりました。数年前にはまったく思いも及びませんでしたが、今この時点で気がついて本当に良かったと思います。



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集中したい

2018年03月09日 | 仕事・研究
今週は日曜日から今日まで予定していなかったことがいろいろあって、落ち着いて考える仕事ができませんでした。わたしの仕事は多岐にわたるため、こういうときもままあります。先週から学外に出る仕事が多かったことも影響し、どうも合間に集中してというわけにはいきませんでした。もちろん、新しく出会った人やアイデアがあり、実りのある時間であったのは確かですが、「やらなければならないことを後回しにしている」という状況の時、私の精神は非常にざらざらします。結局、今晩は行くつもりだった学外でのセミナーをキャンセルし、研究室で執筆の続きをやることにしました。とは言ってもその状況になるまでに一日大いに動き回った末にやっと机に向かったのが17時半くらいだったのでそこから3時間ほどですが、それでも集中して書き仕事ができました。これでやっと私の気持ちも落ち着きました。

集中できない時間を過ごしていると気持ちが焦ってくるのです。一日のうちの2,3時間でいいから誰からも話しかけられず、考えたいだけ考え、調べたいだけ調べ、読んで、書いてという時間をもてれば私は超HAPPYなんですが、それがまったくかなわない日常なんですよね。だから今日のこの3時間はすごーく楽しく、幸せに思いました。

明日、宮城大学学生ボラグループの@グリーンがあすと長町の市営住宅(復興住宅)でコモンミールの活動をするのですが、そのための準備を今朝9時から11時20分まで加工棟で学生と一緒にやり、その後、卒業生が大学案内のパンフレット作成のため来仙してくれたので一緒に写真に納まり、それから一緒にランチに行き、戻ってきて今日締め切りの伝票の処理をやったりなどしてから、まだ未完成の4年生の卒論を添削し、そこで17時半というのが今日の私の一日でした。非常に有意義な一日で、地域貢献活動もやり大学の仕事もやりさらには教育活動もあり、最後は論文執筆(研究活動)で、大学教員の責務の4分野をすべて網羅した(笑)一日でしたね。

というわけで明日はまた朝9時前には大学に来て、コモンミールに出かけますので今日はこれで終わりにしたいと思います。

*コモンミールというのは、地域の方とおいしいものを一緒に作って一緒に食べて、いっぱいしゃべって元気に楽しく過ごす活動です。

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両立にあがいていた頃

2018年03月03日 | その他もろもろ
細かいToDoじゃなくて、こんなことがしてみたいとかやっていこうとか、目標とか夢とか、そういうのを書いていたノートがありました。ちょっと前まで、私は恐ろしく忙しい日々を過ごしており、しかし時間のない中でやりたいことがいっぱいありました。ですから、本当に命削って時間を絞り出して、自分のやりたいことを実現しようとしていたのです。今になってみれば、「過ぎてしまえばもっと時間ができるよ」とわかるし、今のお母さんたちにもそう言ってあげたいという気もする一方、あの時あれだけやってきたからこそ、今の自分があるというのが真実かなと思います。仕事だけでなく、本を読んだり映画を見たり、美術館に行ったり旅行に行ったり、ジムに通ったりすることも、めちゃくちゃ無理して時間をやりくりしてやってきて、周りの人から見たら「わざわざ今それやらなくても」と思われたり言われたりして、実際「イタイ」人だったかもしれないんですが、でもあの頃もし「そういうのは時間ができるまで我慢しよう」と思っていたら(今話題の「私お母さんだから」的な)、わたしのエネルギーは枯渇していたろうと思うんです。そして、今はもう好きに時間を使えるので、どこへ出かけるのも楽々なのですが、「空白の20年間」があったらちょっとこの機動力は私には備わってなかったろうと思うんですね。両立にあがいていたわたしの精神は、休みなく刺激を受けて向上しようとし、限界に挑戦し続けてきたのだろうと思います。っていうと大げさだけど、けっこう大変だったですよやっぱり。だけど、がんばった甲斐はあったと思います。だって今「年取るっていいなあ」と思えますからね。だからやっぱり今のお母さんたちにも「我慢しないでやりたいことは全部やれ!」と言いたいです。その分確かに大変だけど、できるんだもの、実際。

しかしこんなこと書いてるけど、今わたしめちゃくちゃ仕事がハードで、家でもずうっと仕事しています。だけど今書いてる論文が終わったら映画を見に行こうと思っていて、そのためにもがんばってます。なんか目標が小さいけど、でも楽しみです。この論文は書き始めたらすごく楽しい仕事だった。まあやっぱり「知ること」が楽しいんですね、私は。論文書くために大量に文献を読みましたが、本当に勉強になったし、楽しかった。あともう少しです。がんばります。
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