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なぜ「できる」と思うのか、Yes, I can do that.

2009年01月25日 | その他もろもろ
楽観的に生きるっていいことらしいです。ポジティブシンキングって言ったりしますね。私もよく「前向きですね」などと言われるのですが、不思議と「これはできない」と思えない。なぜ根拠もなく「やればできる(かも)」と思えるのか、ずうっと不思議に思っています。私の頭の中はどうなってるのか。「何も考えていないんじゃないか」とか、「状況を見ないからだ」とかいわれたりもするんですが、とりあえずその状況でベストを尽くす。一番いい方法は?努力でカバーできるなら努力しよう、すぐそう思ってしまいます。

私だけじゃなくて、前向きな女性ってすごく多いような気がするんですが、これって、やっぱり頭のいろんな部分をくまなく使っているからでは?と思うんですね。家事や育児って雑事と思われることがいっぱいあって、エンドレスで、きりがなくて、ひたすら利他な部分があると思うんですが(すなわち自己犠牲)、そこをクリアしてしかもそれ以上に自分が「生きる」ってことも必要なわけで、こりゃもう、マルチに頭を使うしかないと思うんですねえ。で、それが人間として非常に重要なのではないかと。男性にも前向きな人はたくさんいますから、けして女性が、というつもりはないんですが、女性は有無を言わさず、そういう状況になる人が比較的多いんではないか、と思います。

うーんでも、それだけで説明できるものではありませんね。
女性、男性に関係なく、楽観的で前向きな人は、なぜ心配しないでやれると思えちゃうのか。
自己肯定感とか成功体験とか、そういうものの積み重ねなのでしょうか。

私という人間は一人なのですが、自分でも自分がよくこんなこと「できる」と思えたもんだなあ、なぜできると思ったんだろう、と不思議になることがあります。皆さんも手帳を使っていると思いますが、私は記録もかねていろいろ書いているので、ここ10年くらいの手帳は全部手元にとってあります。たとえば3年前の今頃。帰国してまだ1年たたないころですが、この手帳を見ると私は3月に2週間アメリカに行っています。子どもの卒業式や入院・手術もあり、年度末のあれこれもいっぱいあって、「なぜこんなことが?」と我ながら不思議でしょうがありません。ひとつ予定が狂ってもだめになっただろう予定がびっしりと書き込んでありました。計画としてうまく立てられていて、だからこそできたのですが、これならできる(かもしれない)というぎりぎりの線で勝負しているのですね。自分に対し甘えも妥協も休憩も許さないという感じで、ちょっと悲壮感もただようのですが、しかし、そういうことが必要な場面だったんでしょう。1年365日全部その調子ならとても持ちませんが、ここぞというときには「できる」。まあやはり「できる」と信じるところからしか始まらないのかもしれません。

そういえば、この間読んだ本にもそんなことが書いてありましたよ。
人間は暗示に弱い。だから「できる」「できる」と言われると「できるかも」と思っちゃう。「きれい」「きれい」といわれるときれいになっちゃう、、、みたいな。芸能人を育てる話だったっけ??まあとにかく。自己暗示、自分を信じる、ということ大事みたいです。



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2 コメント

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Unknown (bloom)
2009-01-30 00:54:06
私は出来るか出来ないかなるべく考えないようにしています。

研究をしながら子供が産めるかどうか悩む人もいますが、私にすれば「寝るか食べるかどちらかを選ぶ」のと同じような話なので、考えませんでした。

それでも出来ないかも・・と考えてしまうことは今でも色々ありますけど。
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Unknown (はりねずみ)
2009-01-30 12:20:08
わたしも、研究しながら子どもが産めるかということについては「できないかも」という考えは全く浮かびませんでした。ただ、アメリカ単身赴任で二人の子どもを育てながら研究できるかということは真剣に考えましたねえ。まあ結局そういうことは「やるかやらないか」だと思ったので、やってみよう!と思ったんですけどね。

私がこの記事を書いたのは、実はもっとささいなこと(と思える)のに「できない」と言われてしまうことについて考える機会があったためです。子どもが二人いて、下はまだ赤ちゃんというようなときに、夫に頼んで出張に行こうと思っても「とても無理だ」と断られたりする、という話を今でもよく聞きます。しかしなぜ「とても無理だ」と思うのか。その発想を転換するには?と考えて書いた話です。
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