これもプルーンに明け暮れた敬老の日のことであった。自宅に少し遠慮がちなお電話があった。私が本人だと確認された後「父が亡くなりました」と告げられた。
驚きで一瞬言葉が止まってしまった私。それでも慌ててお悔やみの言葉を発した。
娘さんだと名乗られた後「父が亡くなった時に知らせて欲しいという名簿にあったので」とそしてさらに遠慮がちに「どういうご関係だったのでしょうか」と聞かれた。
それは平成12年の今頃の季節だったのかもしれません。日経新聞の1面に出た、カネカの屋根一体型の太陽光発電の広告を見て、千葉からお電話をいただいたその日の夕刻から始まったのでした。
松井さんの「いい家が欲しい」を読まれて、建てるならと心を決められ、さらにこの太陽光発電を使いたいと、その日小1時間もお話したのでした。
ただ一つの難点は、もう土地をお求めの後だったのでした。当社の商圏としては少し離れておりました。工事に行って行けない場所ではありませんが、お客様に何かあった時、すぐに駆けつけられないということから、当時は30分と決めていました。
その後はどうしてもというお客様が増えてきて、1時間の範囲と延ばしましたが。
最近は高速を使うとかなり遠くまでが、商圏に入ってしまうようになりましたけれど。
当社が工事に行けないなら、自分が軽井沢に土地を探すとおっしゃられて、土地探しのお手伝いも始まったのでした。
奥様がここがいいと惚れられた土地が出てきたのに、ミニバブルと共にその交渉が難航、
春になると地主さんは強気に、秋になると弱気になるのの繰り返しの中で、奥様が子供の頃住んでいた雰囲気と似ていることを最後まで大切にされ、他の土地には見向きもされませんでした。
建てるなら中島木材とあんなに言っていただいていたのに・・・・あの最初の日・・・遠くても行きますと言う言葉が言えなかったために、信州に家をお持ちになれなかったのでした。
長いあいだには、当社の建替用の仮住まいで、ひと夏を過ごされたり、アパートを借りられたりして、ひっきりなしに「来たよ」と立ち寄ってくださいました。
告別式の終わった夜、奥様がお電話をくださいました。「立派な生き方をなされたご主人様でしたね」と、発明家であったお父様ゆずりの好奇心にあふれた方でした。
まだ亡くなられたことを受け入れられていない奥様と深夜まで、尽きぬ思い出話をしたのでした。
「依田さん、依田さん」と呼んでくださったあの明るいお声が、いつも耳にあります。まるで妹のように、可愛がってくださったI様心よりご冥福をお祈り申し上げます。
体調を崩されたと分かった日から2年、この日がずっと先であることを私たちは祈っていたのでした。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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驚きで一瞬言葉が止まってしまった私。それでも慌ててお悔やみの言葉を発した。
娘さんだと名乗られた後「父が亡くなった時に知らせて欲しいという名簿にあったので」とそしてさらに遠慮がちに「どういうご関係だったのでしょうか」と聞かれた。
それは平成12年の今頃の季節だったのかもしれません。日経新聞の1面に出た、カネカの屋根一体型の太陽光発電の広告を見て、千葉からお電話をいただいたその日の夕刻から始まったのでした。
松井さんの「いい家が欲しい」を読まれて、建てるならと心を決められ、さらにこの太陽光発電を使いたいと、その日小1時間もお話したのでした。
ただ一つの難点は、もう土地をお求めの後だったのでした。当社の商圏としては少し離れておりました。工事に行って行けない場所ではありませんが、お客様に何かあった時、すぐに駆けつけられないということから、当時は30分と決めていました。
その後はどうしてもというお客様が増えてきて、1時間の範囲と延ばしましたが。
最近は高速を使うとかなり遠くまでが、商圏に入ってしまうようになりましたけれど。
当社が工事に行けないなら、自分が軽井沢に土地を探すとおっしゃられて、土地探しのお手伝いも始まったのでした。
奥様がここがいいと惚れられた土地が出てきたのに、ミニバブルと共にその交渉が難航、
春になると地主さんは強気に、秋になると弱気になるのの繰り返しの中で、奥様が子供の頃住んでいた雰囲気と似ていることを最後まで大切にされ、他の土地には見向きもされませんでした。
建てるなら中島木材とあんなに言っていただいていたのに・・・・あの最初の日・・・遠くても行きますと言う言葉が言えなかったために、信州に家をお持ちになれなかったのでした。
長いあいだには、当社の建替用の仮住まいで、ひと夏を過ごされたり、アパートを借りられたりして、ひっきりなしに「来たよ」と立ち寄ってくださいました。
告別式の終わった夜、奥様がお電話をくださいました。「立派な生き方をなされたご主人様でしたね」と、発明家であったお父様ゆずりの好奇心にあふれた方でした。
まだ亡くなられたことを受け入れられていない奥様と深夜まで、尽きぬ思い出話をしたのでした。
「依田さん、依田さん」と呼んでくださったあの明るいお声が、いつも耳にあります。まるで妹のように、可愛がってくださったI様心よりご冥福をお祈り申し上げます。
体調を崩されたと分かった日から2年、この日がずっと先であることを私たちは祈っていたのでした。
依田美恵子
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