日銀券を増刷して日本国を救う村島定行のBlog

①日本は世界最大の債権国、お金がなければ刷りなさい②英語を多用すると次第に馬鹿になる③靖国参拝は日本人の義務だ。

いじめに対しては怨憎会苦の考え方を

2006年11月14日 | 文化
 いじめで簡単に子供が死ぬのはどうしてであろうか。いじめは昔からあることである。いじめのない社会は来ない。そんなに簡単に死ぬのは間違っている。
 またいじめを放置したと非難されて校長が自殺する。子供全員に目が届かないのは普通である。みんな常識的に考える必要があるのではないだろうか。
 仏教では生老病死の四苦の他に怨憎会苦という苦しみも教えている。嫌いな人間に合わなければならない苦しみである。まさにいじめっ子がいる状況をさしている。さらに求不得苦というのもある。求めるものが得られない苦しみである。 
 「いじめを聞いてなぜ手を打たなかった」と責める保護者が普通であるが家庭教育はきちんとやっていたのであろうか。
 いま学校では日の丸反対や強制連行などのばかばかしい自虐思想ばかりを教えているが仏教思想を教えていればこんなおかしな世の中にはならなかったであろう。仏教思想は1000年以上にわたって日本人に親しまれてきて聖徳太子や憲法17条、教育勅語などにも色濃く反映している。教育の自由、思想の自由などを主張する先生方は責任を感じてほしい。
 仏教では世の中の理を知れ(智恵)とも教えている。学校では差別反対で成績の良い子と悪い子をはっきりさせない。足の速い子と遅い子をはっきりさせることをきらう。世の中の実際の姿を隠して、差別のない、いじめのない、能力に違いのないあり得ない世間の姿を子供たちに見せようとしているのではないか。これでは子供たちが世の中を間違って理解してしまうのは避けられない。世の中の理を子供が理解することを先生が妨げているに等しい。
 こんな世の中になったのも90%は学校の先生方に責任があると思う。
 
コメント
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