塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

変わらないサッカーの姿を見て

2016-08-17 01:09:10 | 日記
 ワールドカップはサッカーの祭典ですから、最新鋭のスパイク、ジャージが確認できる楽しみがあります。

 一方で五輪はスポーツの祭典ですから、ありとあらゆる競技の情報が飛び交いますし

 「ああ、この競技はこのブランドが作っているのか」
 「日本企業がここでも貢献している」

 という姿が見られることは嬉しいものです。

 例えばヨネックスは、シンガポール卓球女子代表を支援し、同様に日本を代表する卓球ブランド「バタフライ」は、本当に多くの国から愛されていることがわかります。

 僕はその卓球の経験者ですが、当時は今のように11得点先制ではなく、21得点先制、の形でした。

 ジャージも今のようなⅤネックではなくクラシカルなポロネックでしたし、タイムの要求、イエローカードの提示などは全くありませんでした。

 つまり、卓球という競技が

 1・時代の潮流を意識している
 2・よりテレビを意識したゲームカウントに移行した
 3・そのために、ショーアップに繋がった

 という見方が可能かと思います。

 ですから、サッカーが黎明期と変わらないルールで行っていることは凄いと思いますね。

 確かに勝ち点3の導入、イエローカードとレッドカードの導入、選手の交代などエポックメイキングな導入はありました。

 一方で手を使うことは禁止、選手は11人で構成し、ホームとアウエイで試合を行う、という原則に変わりはありません。

 このクラシカルな土台が変わらないからこそ、サッカーは面白いと言える、そんな気がします。
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