「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 36 「様々な電子同人雑誌―悪の集団に対する対抗」

2016-08-31 02:13:08 | 日本文学の革命
あるいは批判や罵詈雑言よりも、一歩進んで説得や説諭、論争という手段を取ることもできる。たとえば「知的障害者は抹殺しよう」と主張する者に対しては「じゃあ君はどんな人間を生かす甲斐のある立派な人間だと思うのか。たとえば世界の最高学府を出て国際金融ビジネスで活躍しているエリートビジネスマンは、実に立派な人間だと君は考えるのか。あの連中がどれだけの詐欺を働いて、リーマンショックで世界中にどれだけ迷惑をかけたか(しかも自分たちは大金を抱えて逃げてしまった)、君は知っているのか。それに比べたら知的障害者の迷惑なんてかわいいものなのだぞ」「おまえなあ。そんなこと言ってるとその内人類全体を抹殺しなければならなくなるぞ。人口知能から見たら人間なんて、計算もよく間違えるし、ちょっと高度な数学問題だとすぐお手上げだし、何十年学んでも英語一つ出来ないし、どうしようもないほどの阿呆で、知的障害者と変わらない存在なんだぞ。人工知能が人間を無用な存在と決めつけて抹殺しようとしたとき、おまえは賛成するのか」
「みんなで見ようよ児童ポルノ」に対しては「女の子の母」を名乗る女性が執拗に投稿を繰り返してきた。「あんた。女性から全然モテないでしょ」「可哀そうに。大きくなっても中身は幼児のままなのね」「ブサイク男。ハイパールーパーみたいに気持ち悪いのよ」

悪の集団に対して一つ言えるのは、彼らの魂が歪んでいることである。彼らの魂は歪んでいるか、荒廃しているか、未発達で幼稚のままか、いずれにしろ何らかの形で異常を呈しているのである。当然まともな人々との魂の交流や共有はなく、従って幅広い広がりは起きないと言っていいだろう。
孔子の言葉に「徳は孤ならず。必ず隣りあり」というものがあるが、逆に悪人に共通した特徴が「孤独」なのである。『罪と罰』のラスコーリニコフが殺人を犯したあと、「もう二度と自分は人々と心から談笑したり交友したりすることはできない!」ということに気づいて慄然とする場面がある。罪を犯し、それを悔い改めようともしない人間はこのような孤独に落ち入るのである。

電子同人雑誌の可能性 35 「様々な電子同人雑誌―ファンタジー系・危険な雑誌」

2016-08-31 02:04:55 | 日本文学の革命
空想系・ファンタジー系の同人雑誌も考えられる。自由な空想やファンタジーに耽り、それを誰かと共有しようとするものである。たとえば「UFOもの」「オカルトもの」「怪談や心霊スポット」「都市伝説もの」「ツチノコなどの未確認生物」「ボーイズラブ」など、いろいろなものが考えられる。ただ空想とは言っても彼ら同人仲間は本気で信じていることが多い。「それは現実には存在しない空想なのだよ」と無粋なことは言わず、彼らの魂がつむぎ出す自由なファンタジーの邪魔をしない方がいいだろう。

空想ならまだいいが、危険な集団、ヤバいグループが同人雑誌を立ち上げてくることが考えられる。たとえばカルト教団が信者獲得を目指して雑誌を立ち上げて来る。『日本イスラム原理主義同盟』という雑誌が日本にイスラム原理主義を広めようとしてくる。『ネオ血盟団(略してネオケツ) 世直しのために一人一殺!』という過激雑誌も出て来る。あるいは『知的障害者を抹殺しよう』だの『みんなで見ようよ児童ポルノ』だのヤバい活動を訴える雑誌も出て来る。あるいは『危険ドラッグでシビレようぜい!』や少女買春組織が出した『私たち 売ります!』などはっきり違法な犯罪に誘う雑誌も出て来る。

いつの時代どこの世界でもこのような悪の群れは出てくるものであるが、ただ禁止すればいいというものでもないし(場合によってはその中にいいところもあるかも知れない)、かといってこういう連中に主導権を握られたらたちまち荒廃、衰退、破滅が待ってるし、頭の痛いところである。

一つの考えられる解答としては、インターネットが本質的に“自由空間”であることだ。そこではどんな意見も言えるが、同じようにどんな批判もできるのである。実際ネットの批判や罵詈雑言は、顔が見えない分やりたい放題で、至るところでネット名物の「炎上」を起こしているほどだ。カルト教団や原理主義は自分たちの教義で人間を染め上げたいと願っている。しかしネット上でそのようなことをしようとすればするほど、ネットからの総攻撃を受け、批判、嘲笑、罵詈雑言の一斉射撃を受けるだろう。彼らは自分たちの教義を広めようと表舞台に上がって来たが、実際には嘲笑のサンドバッグと化し、さらしものにされてしまうのである。
あまりにバカにされるので腹を立てたイスラム原理主義者が「我々に対するこのような侮辱はもう我慢がならない。我々はネットカフェに対してテロを敢行する」という声明を発表し、実際いくつかのネットカフェを爆破したとしても、ネット自体には何の影響もない。彼らのテロ組織と同じようにネットにも中央管理組織というものはなく、多極分散的に組織されているので、一部を叩いても全体の活動は相変わらず続いてゆくのである。

電子同人雑誌の可能性 34 「様々な電子同人雑誌―地域密着・生活充実系・池袋探検団・月島もんじゃ」

2016-08-28 13:19:18 | 日本文学の革命
域密着系・生活充実系の電子雑誌も考えられる。
たとえば高島平在住のある主婦が『高島平e(イー)ライフ』という電子雑誌を立ち上げた。これは高島平の地域や歴史の紹介、いい店や役立つショップ、おススメのスポットや楽しい行事などを掲載したタウン情報誌である。タウン情報誌は紙の雑誌でもすでにあるが、電子雑誌の場合は大きく異なるのである。あるパスタがおいしいイタリア料理店があるとしよう。紙の情報誌ではその情報が記載されているだけであるが、電子の場合だとそこをクリックするとイタリア料理店の店主が実際に応答に出て来るのである。「マスター。この前のオクラのパスタ、ホントおいしかったよ〜!」「そうお。じゃあ今度は納豆パスタ作って見るから食べに来てね」といったやり取りが起きるのである。店の店主にしてみれば地域の人々に支持されることに自分の店、ひいては自分の人生がかかっているので一生懸命コミュニケーションを取ろうとするだろう。また主婦にしてみれば、この雑誌の売り上げを家のローンに当てることができるし、なにより地域の人々と交流が取れるし、自分の暮らしている町を良くするのに役立つこともできるしと、彼女の高島平ライフを充実させることができるのである。
同じようなことはどこでもできる。生まれも育ちも大阪・尼崎で尼崎を心から愛するヤンキー男性が『尼崎めっちゃ好きやねん!』という電子タウン情報誌を運営することもできる。また同じようなことは特別な地域団体、たとえば中学や高校などの学校でもできるだろう。

『池袋探検団』という電子同人雑誌もあり得る。これは池袋を愛する者たちが結成した雑誌で、池袋の街をディープに楽しむことを目的にし、かつその活動を雑誌で公表することで、より突っ込んだ、より臨場感あふれる池袋のタウン情報誌となろうとするものである。団員たちは様々に知恵を持ち寄り、面白そうなスポットやお題を見つけては毎週集まって池袋ツアーに乗り出して行く。団員たちは緑の探検帽をそろってかぶっている。こうすると池袋の人たちから「あ。あれは池袋探検団だ!」「よう!今日も池袋を楽しんでいるかい」と声をかけられ交流が生じるし、雑誌の宣伝にもなるからである。このような活動を通じて団員たちは池袋の街を満喫し、また池袋の繁栄に一つの貢献をすることができるのである。

ネタ的・企画的同人雑誌も考えられる。
何年か前に、みんなが集まって廃墟ツアーをしたり、文豪の墓巡りをしたりすることがブームとなったが、同じようなことは電子同人雑誌でもできる。(僕も以前僕の漱石崇拝を知っていた『ネバーモア』の同人に招待されて、雑司ケ谷の漱石のお墓を訪れたことがある。漱石の墓の前で同人たちと酒を酌み交わし、なんと深夜まで酒宴をしていた。夜の墓地で酒盛りをするという不思議な体験を今でも懐かしく覚えている)
たとえばこんなのはどうだろう。もんじゃ大好き青年が月島の有名なもんじゃ専門の商店街(50軒くらい軒を連ねているだろう)の食べ尽くしを企画したのである。名付けて『月島もんじゃ商店街完全食べ尽くしガイド』。彼はこのガイド雑誌を作るべく、同人を集め、商店街の端から端までもんじゃ店を食べ尽くしていった。もんじゃのおいしさ、店の雰囲気、店主の人柄まで克明に調査して、雑誌に掲載していった。頻繁にもんじゃ商店街を訪れては食べ尽くしに励んでゆき、脱落する同人も相次いだが、新たに参加する同人たちも多く、それに力を得てがんばっていった。そしてついに月島もんじゃ商店街の完全マップを完成させたのであった。彼のガイド雑誌は月島もんじゃ商店街を訪れる観光客に「完成度が高い」「月島もんじゃの全体像がよく分かる」と評判になり、かなりの売り上げをもたらした。彼は今やもんじゃ評論家という肩書まで持つようになったのである。
(続く)


電子同人雑誌の可能性 33 「様々な電子同人雑誌―助け合い・ボランティア・子育て」

2016-08-28 13:17:58 | 日本文学の革命
助け合い活動的な雑誌を作ることもできる。
たとえば被災地支援に駆けつけたボランティア同士が横の連携を取るために電子同人雑誌を作り、被災地の現状はどうなっているのか、どこにどれだけ支援に駆けつければいいのか、現場で見聞きしたり役所の人から教えられた情報を共有し合って活動に生かし、またボランティア同士励まし合い感想を寄せ合うというボランティアの同人雑誌である。
被災者自身の同人雑誌も考えられる。辛い経験をし、今も苦しい境遇で生活している者同士の、助け合い、励まし合いの雑誌で、同じ経験をした者同士の痛切感を持って運営されているのである。

助け合い的な雑誌としてこういうものも考えられる。板橋区に住む子育て中のママたちが『板橋区子育てママ助け隊』という電子同人雑誌を結成したのである。
もともと人間の子育てというものは、一人のママが付きっきりで行うものではなく、集団の輪の中で行うものであった。一人のママの周りにはおじいちゃんおばあちゃんがいて、親しい隣近所の住人がいて、そばで働いている夫がいて、同居している妹などの親族がいて、またママの子供で今は子育てを手伝えるほど大きくなったお兄ちゃんお姉ちゃんがいて、また近所には小遣い程度の賃金で子守りを手伝う子守り娘もたくさんいたのである。そういう人たちが適時ママの子育てを手伝い、ママをサポートしていたのである。また忘れてはならないものに家の周りに広がる野山などの自然がある。子供はたった一人でも野山を遊び回ることを好み、そこでいろいろな根源的体験をして成長してゆくのである。たしかに危険である。中には命を落とす子供もいるだろう。しかしそういう危険も含めて自然は子供たちの最良の育て手なのであり、運悪く命を落とした子供のママには「誰のせいでもない」「神様が連れていった」という最後の慰めが与えられたのである。

しかし現代のママにはこういう子育ての輪は一切なくなってしまった。核家族化が進み、隣近所との付き合いはなくなり、自然からも切り離され、最後の身内の夫も会社に取られて姿も見えず、狭いマンションの一室で一人、子供と付きっきりで子育てをしなければならないのである。それはあるママの言葉を借りればさながら「生き地獄」的な環境なのであった。

そこで結成されたのが電子同人雑誌『板橋区子育てママ助け隊』である。これは板橋区に在住している子育て中のママたちの助け合い的交流団体であり、この雑誌の中でお互いに子育ての悩みを打ち明け合ったり、子育ての方法を教え合ったり、いい絵本はどれかとか安い子供服はどこで売っているかとか情報を共有し合ったりと、様々な助け合いの活動をするのである。お互いが子育ての実践者であり、子育ての苦労がどういうものかよく分かっているので、互いが良き理解者、良き仲間になれるのである。ママたちはお互い同士を慰め合い励まし合おうと、泣ける韓国ドラマを紹介し合ったり、たまにはみんな集まってお茶会したりと様々な交流も行ってゆく。さらにはこの交流の輪を拡大してゆく。最も有望な拡大先が「おばあちゃん」である。おばあちゃんは、かつて子育てを立派に成し遂げた子育てのプロであり、子育ての苦労もよく分かっているので、親身になって活動に参加してくれるだろう。板橋区に住んでいるそのようなおばあちゃんたちにもこの輪に加わってもらい、様々な知恵を授けてもらう。さらに信頼できるおばあちゃんたちには子育てを手伝ってもらう。ママたちが何かの用事のときに子供を預かってもらうのである。おばあちゃんは暇を持て余しているし、孫のような子供が大好きだし、喜んで応じるだろう。お小遣い程度の謝礼で済むし、なによりおばあちゃんにとっての最大の成果は、近所の若夫婦のご家族と交友関係ができたことである。これがなによりの謝礼となるのである。

このようにしてこの『板橋区子育てママ助け隊』という電子同人雑誌は、失われた子育てママの周りの輪を再構築するものとなったのであった。


電子同人雑誌の可能性 32 「様々な電子同人雑誌―政治系・沖縄語」

2016-08-28 13:14:24 | 日本文学の革命
活動系の電子同人雑誌というものも考えられる。社会に向けて何かの運動を掲げ、その実現を目指して活動してゆく同人雑誌である。

まず第一に考えられるのが政治系のものである。たとえばシールズみたいに憲法改正反対を掲げる者たちが自分たちの機関誌をネットに出し、そこになぜ憲法改正に反対するのか彼らの主張を克明に述べて、社会に訴えかけてゆく。国会前のデモの日時を掲げて参加を呼びかける。憲法改正反対学者との語らいの場を設け、そこにも人々の参加を促す。まったく反対に憲法改正賛成の雑誌を結成するグループも現われ、両者の間に激しい論争と熱いバトルが交わされる。
憲法問題だけでなくたとえば原発再稼働反対を掲げる雑誌が活動を起こしたり、賛成を唱えるグループも激しい活動で応酬したりと、ホットな政治問題ごとに同様の雑誌活動が起こってもおかしくないし、これは政治の原点でもある。
あるいは『国の借金一千兆円 いったい誰が作ったか』こういう疑問を抱いた有志たちが真相究明のために同名の同人雑誌を立ち上げ、活動を開始した。真相を追及すべく様々な学者に問い正したり、関係省庁に実態を明らかにするよう借金の明細を出すことを求めるが、実態を知られたくない関係省庁は機密文書だとして頑として出さない(知られたくないことがあるのである)。

こうした硬派の運動ばかりではなく、次のような運動も考えられる。沖縄では、新たな基地の建設を強要されたり国から訴えられたりと、本土からさんざんな目に会っているので、沖縄ナショナリズムが高まってきた。失業中で暇をこいていた沖縄のある青年が暇つぶしに『沖縄語を沖縄の第二言語にしよう』という雑誌をネタ的企画としてネットに出してみた。彼のおばあちゃんが沖縄民謡の歌い手だったこともあるが、基本的には暇だったのでこの機会に電子同人雑誌でも出して小遣い稼ぎをしようとしたのである。意外に反響がよく、「うちのおじいちゃん沖縄語を話せるんだけど、何か役に立ちます?」と協力者まで現われてきた。彼はおじいちゃんの所へ行って、沖縄の古語を一つ一つ発音してもらってその様子をビデオで撮り、ネットにアップした。おじいちゃんの写真の下に古語が並んでいてそれをクリックするとおじいちゃんがしゃべるのである。ゲーム感覚を取り入れようと、たくさんクリックするとおじいちゃんが「まだするの」とぼやき、さらにクリックすると「もう疲れたよ」と泣き言を言うようにプログラムしておいた。おじいちゃんに泣き言を言わせたくてクリックの回数が増えるという訳である。
そんなとき沖縄県庁から電話が来た。基地反対派の知事が彼の活動を知り、会いたいというのである。沖縄ナショナリズムが高まっていることを社会に知らせて、国を牽制しようという戦略であった。彼は沖縄県庁へ行き知事室で知事と握手した。そこには知事が呼んでおいた沖縄タイムスの記者もいて彼のことを大々的に新聞に載せた。彼の活動は全国に知られるようになり、支援者の輪が拡大した。このとき彼は文部科学省に沖縄語を沖縄の第二言語化する請願書を直接手渡すことを考えついた。そうすれば支援者たちから多額の支援金が得られ、それで東京へ観光旅行に行けるし、失業中の生活費も得られるからである。沖縄ナショナリズムを警戒していた政府も有名人となった彼を拒む訳に行かず、請願は受け付けた。将来沖縄で沖縄語の授業が行われるようになったら、こののんぽり青年が暇つぶしに行った運動が一つの実を結んだことになるのである。

電子同人雑誌の可能性 31 「様々な電子同人雑誌―研究・愛好会・ファッション」

2016-08-27 16:29:06 | 日本文学の革命
趣味の養成や専門知識の練磨や技術の習得―それは戦前の同人雑誌の場合と同様に、人間的な成長でもあり、一人一人の内部で起こる文化の発展でもある―、それには実に様々なものが考えられる。

先端的な研究開発をしている研究員同士の同人雑誌というものも考えられる。彼らはお互いの試行作的な研究成果を雑誌上に発表し、互いに批判し合い励まし合って、さらに優れたものを作ろうとしてゆく(これなどはかつての同人雑誌に近いものである)。

鉄道模型の愛好家やサーフィンの愛好家も、愛好家同士が集まって同人雑誌を作り、彼らの趣味の活動をさらに深め、さらに広げてゆくことが可能である。ネットでリアルタイムで開かれる句会などというものもあってもいい。ネットでリアルタイムで行われる俳句の競作は、一種ネットの対戦ゲームに近いものとなるかも知れないし、あるいはまったりとした心の交流となるかも知れない。映画愛好家同士の雑誌、古書マニア同士の雑誌、様々な趣味や文化があるところ様々な電子同人雑誌の成立が可能なのである。

詳しくないので黙っていたが、ファッション系の同人雑誌も実に様々な可能性が考えられる。美しくなりたいと切実に思っている女性は巨大な数にのぼるのであり、そのような熱い思いがあるところその思いに共鳴する仲間たちが集まり、美しくなることを旗印に掲げた雑誌を立ち上げ、同人や購読者たちによる切磋琢磨や美の研究が行われ、同人雑誌としての活動と交流が行われれてゆくのである。『メイク革命! 驚きのメイク法が韓国にあった!私たちは実践します!』『イスラム女性のファッション研究会―いかに顔を隠してキレイに見せるか・ミステリアスな目の見せ方』『五十を過ぎてもきれいになれる!美魔女になろう会』などなど、手に負えないほど多くのものが考えられるのである。

電子同人雑誌の可能性 30 「様々な電子同人雑誌―ヘッジファンド・プログラミング・ヴィヴィアン先生」

2016-08-27 16:27:06 | 日本文学の革命
証券会社に勤めている男性が、実名を秘して『月刊 ヘッジファンド』という雑誌を刊行した。ヘッジファンドはリーマンショック以来「悪党ども」というイメージが強いが、そのヘッジファンドのワルの手口、汚い株価操作のやり方、顧客を騙して大金を巻き上げる詐欺の方法を克明に暴露した雑誌なのであった。この男性は証券会社に長年勤務していて、アメリカ系ヘッジファンドの汚い手口、その海賊まがいのやり方を熟知していた。また一人の愛国的日本人として、アメリカ系ヘッジファンドによってバカ正直な日本経済がボロクソにやられている事態にも憤慨していた。彼は証券業界で長年培ってきた人脈を利用し(この人脈の中にも彼と同じように愛国的憤慨をしている者がいたのである)、ヘッジファンドの活動実態をつかみ、それを電子雑誌という形で広く世に知らしめようとしたのである。株式投資をしている多くの人々がこの雑誌の愛読者になった。株で儲けるためには、表看板のやり方ではカモにされるだけであり、このようなワルの手口こそ最強の教科書になるからである。毎月の雑誌では「今月のベスト・オブ・ワル」が発表されていた。「今月は上海の株価操作で大儲けしたこのアメリカ系ヘッジファンドの証券第二部が受賞!」と発表され「濡れ手に粟で賞」が勝手に授与された。ヘッジファンドにしてみれば、このような雑誌が広く読まれることは嫌なことだが、この雑誌を訴えたら裁判所の調査が入ることになり、その結果この雑誌の記事が事実であることが判明されるともっと困った事態になるので、見て見ぬふりをして黙っているのである。

あるプロのプログラマーが副業として『プログラミング道場 かかって来いや〜!』という個人雑誌を立ち上げた(この個人雑誌は同人雑誌に交じって戦前にも事例があり、『或る女』の有島武郎なども出していた)。その中では、ごく初級のものから高度なプログラミングに至るまで多種多様のプログラミングのお題があり、雑誌の購読者の解くべき課題として課されている。様々なヒントは書かれているが解答は書かれていない。どうしても解けず解答が知りたければ別途料金を払って道場主であるプログラマーから解答を送ってもらわなければならない。「昔から師匠の手ほどきを得たければ、なにがしかの謝礼を師に払ったものではないか」というのがその理由である。しかしこれがかえって評判が良く、罰ゲームのあるゲームをしているようで面白く、また金まで払って得た解答だからしっかり身につくというのだ。解答を達成するごとに階級が上がってゆき、ついに免許皆伝となったときには、道場主自身が直々に秘伝のハッキングの技術を伝授してくれるのである。なんだかプログラマーの養成よりもハッカーの養成が目的みたいな雑誌だが、道場主には道場主の思いがあって、これからますますコンピュータに支配される社会になってゆくと、人間のコンピュータに対する対抗手段はハッキングしかなくなる。だから今から一人でも多くのハッカーを日本でも育てて行こう、という思いからこの雑誌の運営を行っているのである(もちろん実入りのいい副業にもなる)。

夫が日本でビジネスを行っているために一緒に日本に長期滞在しているアメリカ人妻ヴィヴィアンがいた。しかし彼女には一つの悩みがあった。それは彼女があまりに白人然としたアメリカンな体格と顔立ちをしているため、日本人が怖がって彼女に近寄って来ないことだった。慣れない異国で寂しい暮らしをしなければならず、アメリカで日常的に行っていたホームパーティーも全く開くことができなくなった。そんなときヴィヴィアンは日本では英語を教えることがビジネスとして成り立っていることを知った。そこでヴィヴィアンはネットで英会話教室を開くことを思いつく。英会話教室を開いてそこに日本の小中高生を生徒として招けば、日本人との交流の機会(しかもかわいい子供たちとの)となるではないか。彼女の京都や金沢への旅行の資金にもなる。ヴィヴィアンはさっそく『ヴィヴィアン先生の英会話教室』という電子雑誌を立ち上げて生徒を募った。ほどなく日本人の生徒たちが集まって来るようになった。ネットで5、6人の生徒と一緒にリアル中継で授業をしたり、パソコン画面でマンツーマンで英会話の訓練を行ったりした。夫の留守中は暇を持て余していたヴィヴィアンにはそんな時間を割くのは造作のないことだった。子供たちもヴィヴィアン先生に親しみを持つようになった。生徒たちを招いてのホームパーティーも開かれるようになり、生徒たちには親も同伴してやって来て、さらに日本人との交流の輪が広がった。いつしかパーティーにはヴィヴィアンの夫も加わるようになり、日米様々な人々が集う楽しい宴になったのであった。

電子同人雑誌の可能性 29 「様々な電子同人雑誌―読書会・クラッシック」

2016-08-27 16:23:53 | 日本文学の革命
まず趣味を楽しんだり養成したり、専門知識を磨いたり、技術を習得したりする雑誌が考えられる。戦前の同人雑誌も、文学という専門知識を磨き、文学技術を習得し、そのための見識を広める活動も行っていた出版団体だったが、同じようなことは電子同人雑誌でも可能である。現代のように人々の趣味が多種多様化し、ネット技術が広がり、生活が高度化した時代では、さらに多彩な形で雑誌を作ることができるだろう。

たとえば戦前でもよく行われていた読書会もネットで行えることができる。作品や作家についての感想や論述を持ち寄って雑誌に発表し合うこともできるし、お題となる資料を配信しておいてそれについてネット中継で論じあうこともできる。宮沢賢治や森鷗外や村上春樹など一人の作家についての専門雑誌を作り、興味を持った人を同人として集め、趣味的に雑誌活動を行うこともできる。ただ読んだり感想を述べたりするだけでなく、ネットならではでの読書を工夫することもできるだろう。たとえば『プラトン研究会』という雑誌があり、そこではプラトンの著作紹介や研究や読書会などが行われているが、プラトンの対話篇をチャットで再現しようと思い立ち、同人の一人がソクラテス役、もう一人が対話の相手役となり、プラトン風にチャットで哲学的対話をやってみることにした。
「では議論を始めようではないか、平山君よ。君は愛についてどう考えるかね。」
「いや〜、今までまともに考えたことないっすね」
「愛とは遥か神話時代の昔に切り離された半身が、互いを求めあう行為だと思わないかね」
「そう言われればそうっすかね」
「だとすれば我々は完全ではなく、いつも切り離された半身を求めている不完全な存在だということだ」
「そうっすね〜。そうなるっすかね」
このチャットのプラトン風哲学対話は、同人同士様々な組み合わせで行われ、記録は雑誌に載せられ、皆で読むことができる。「あ…おれ、プラトンよりもいいこと言ったかも」「さすがプラトン、私たちじゃとても言えないことを言うわ」プラトンの哲学的対話を自分たちで実際に試してみることにより、よりリアルで臨場感に満ちた読書体験を得ることができたのである。

音大でバイオリンを習っているある女学生が『バッハ大好き』という電子同人雑誌を立ち上げた。そこに同じ音大でピアノやパイプオルガンを習っている学生、フルートなどの管楽器を習っている学生、チェロを習っている学生を同人として集め、自分たちのバッハの演奏をアップロードしたり、バッハについて生い立ちや技法や聴きどころなどの記事を書いたりした。演奏の勉強にもなるし、その成果を広く人々に見てもらえるし、お小遣いにもなった。勉強のついでにできて手間暇もかからないし、同人という形で学内で仲良しを増やすこともできたし、購読者を招いてリアルな演奏会も開くことができた。彼女にはもう一つのほのかな期待もあった。音大の男子学生は生真面目すぎて女性に奥手で誰も彼女を口説いてくれない。こうして広い世間に発表していれば、誰か素敵な男性が彼女の清楚な美貌に魅かれてやって来るかも知れない。バッハが好きということはかなり趣味の高い男性のはずで、そこら辺のやりたがり男は排除できるし、彼女好みの男性を引き寄せることができるのである。そういうほのかな期待も抱きつつ同人雑誌の発行をしているのであった。

電子同人雑誌の可能性 28 「見ず知らずの人々を結びつける絆」

2016-08-26 05:41:38 | 日本文学の革命
このように志ざしの意味を拡大し、ネット技術を駆使することによって、様々な同人雑誌的活動を現代においてすることができるのである。様々な創作団体は勿論のこと、自分の趣味を楽しみ深める活動、専門知識を養成したり技術をマスターしたりできる雑誌、あるいは社会運動系の活動、ボランティアや助け合いのための雑誌、あるいは生活充実系・地域密着系の雑誌(生活を充実させよう、地域を良くしようという活動も立派な「志ざし」である)、あるいは空想の世界に浸りたい、それを人々と共有したいという雑誌(たとえば「UFO」とか「オカルト」とか)、あるいは企画ものとかネタものとかヤバイものとか、様々な同人雑誌的活動が考えられるのである。

そしてこのような「志ざし」が仲間をも呼び寄せるのである。
見ず知らずの人間同士が、互いに心を許し合い、互いに力を合わせようとするときとは、どんなときなのだろう。それはお互い同士に何らかの共通の志ざし、共通の趣味、共通の感動や共通の体験があり、それを共有したときなのである。たとえば自分がかつて心の底から感動したこと―作品でも体験でもいい―、夢中になって没頭した趣味、心を込めて打ち込んだ活動、あるいは地域や学校などの“懐かしい場所”の思い出、それらを共通に持っている人間と出会ったとき、その人間がたとえ見ず知らずの人間でも、人は相手に対して心を開くのであり、かつて自分も体験した思いや感情を共有し合うことを喜ぶのである。そこでは魂の交流と共有が生じるのである。そしてそのような相手が「志ざし」を持って何かをしようとしているとき―「志ざし」とは、“魂を込めて行う行為”のことである。それが「志ざし」の本質なのである― 人はその相手に協力し助けようとするのである。その相手と自分とは同じ魂を共有しているのであり、相手の活動は自分の活動でもあり、その魂の行為の実現は自分の魂の実現でもあるからである。

様々な志ざしと仲間たちとネット技術が集まることによって、現代における同人雑誌の復活―「電子同人雑誌」が可能となる。これからいろいろな電子同人雑誌について具体的に構想してゆこう。実に様々な同人雑誌が実現可能なのであり、これから述べるのはその多彩な可能性のごく一部で、全く思いもよらない内容や形態の雑誌も可能となるだろう。今思いつく限りのものを系統立てて述べて行こう。
(続く)

電子同人雑誌の可能性 27 「様々な志ざしと同人雑誌」

2016-08-22 04:33:46 | 日本文学の革命
たとえば、ここにサッカーチームのACミランが大好きで、その思いを人々と共有し広めたいと思っている若者がいるとしよう。彼がACミランの情報や活動を伝える雑誌を作り、それをネットに出して、人々に広める行為をしたとすれば、それは立派な「志ざし」の発現であり、その雑誌作りは一つの立派な創作活動である。ACミランにオタク的に詳しい仲間が2、3人集まればこのような同人雑誌の発行は可能である。さらにその周りに十数名ほどACミランのファンがいて彼らの思いに共鳴して協力すれば、このACミランの同人雑誌は一つの発展する流通ネットワークまで獲得するのである。
このような雑誌は普通の商業雑誌ではカバーできない内容となっているため、サッカーファンを中心にかなり購読者を増やすかも知れない。さらには本場イタリアにもネットワークが広がるかも知れない。現地のACミランファンとのネットや翻訳ソフトを通じた交流が始まり、その模様も雑誌に書かれ、このミラン大好き若者がイタリアに観戦ツアーに出かけたときは、イタリアの仲間たちと現地で交流し、共にミランの応援に出かける、ということも十分起こり得るのである。(同じことはたとえば広島カープでもできる。カープファンの広島市民の一人が立ち上がり、仲間を集め、ネット上で雑誌を発行し、その同人雑誌を拠点に交流を広げてゆけば、その先に多彩な人々との交流と自分の趣味や思いを広げてゆく機会が広がってゆくのである。カープの選手との交流という夢のような出来事も叶うかも知れない。もちろんこのような雑誌作りは巨人でもソフトバンクでもできる。そのような雑誌同士が応援合戦をしたり罵詈雑言を浴びせ合ったりすることもアリだと思う。野球界が盛り上がる)

たとえばベトナム料理が大好きな女性がいるとしよう。彼女がいままで貯えてきたベトナム料理の知識と経験を総動員して「ベトナム料理を日本に広めよう」という雑誌を作ったとき、これは彼女の「志ざし」の発現であり、その社会的な実践となり、彼女による手作り感いっぱいの創作活動ともなるのである。彼女は身近にいる家族や友人に雑誌の購買を頼み、また購読を通じて彼女の趣味を周りの人々に広げてゆく。ネットでの活動を通じてネットでもベトナム料理の愛好家仲間を増やしてゆく。雑誌主催の料理会も開いて、そこに同人や購読者や日本に出稼ぎに来たベトナムの若者たちも招いて、ともにベトナム料理を作り、ともに味わうという交流活動を行ってゆく。彼女はこの雑誌活動を通して、自分のベトナム料理に関する趣味をさらに深め、広め、友人の輪も広げ、副収入まで得ることができるのである。

あるゲームが好きだ、やりたい、ということも、一つの趣味であり、「志ざし」の発現であり、その対戦活動は仲間たちとの魂の交流であり、ゲームを通して仲間を広げてゆく行為となるのである。どんなゲームでもいいが、ここでは囲碁を選んでみよう。囲碁の対戦を楽しむ団体としては全国各地に碁会所や専門の店があり、そこに老若男女様々な人々が集まっては碁を打ち合い、同時にコミュニケーションを楽しんで、それはそれで楽しいコミュニティを形成している。同じようなコミュニティは、ある碁好きの人間がネット上に碁の同人雑誌を作り、そこに仲間を募ることで形成することもできるのである。碁の対戦ソフトは今でもあるので、それを雑誌上にプログラミングすることは可能である。集まった同人たちの顔写真が並んでいて、今対戦可能かどうか、何日の何時からなら対戦できるか、どれだけのランクの強さなのか、というようなことが書いていて、好きな相手を選んで対戦できる。面白そうな対戦なら他の同人がリアルタイムに見ることができるし、コメントを寄せることもできる。普通の碁会所や店だとその地域の人しか集まれないが、こちらは全国誰もが同人になれて、韓国や中国の同人もできるかも知れない。世界的な対戦ゲームソフトは今でもあるが、それは相手の“顔”がまったく見えないもので、純粋にネット的関係である。しかしこちらは碁会所のように相手の顔が見れるのであり、同人雑誌的な魂の交流団体でもあり、ネットと碁会所の中間的存在なのである。だから「たまにはリアルに対戦しようよ」ということで同人仲間たちを募って一泊二日の熱海旅行に出かけ、熱海見物をして温泉につかると同時に、旅館の広間を借りて碁の対戦会をし、終わったら仲良く飲み会をする、ということもできるのである。また雑誌ならではの特集記事として過去の名人戦を分析した連載記事だとか、碁の歴史とか碁に関する面白い読み物を書いてゆき、一般購読者を広げてゆくこともできるのである。雑誌の購入が会費みたいになり、たとえば7月号を買えば7月中は対戦できるとすることで、利益を出すこともできる。
(続く)