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電子同人雑誌の可能性 267 「コンピュータの本質ー数学とは何か 14 」

2024-04-15 04:12:08 | 日本文学の革命
「計算」とは外界を正確に認識し、その性質や運行を見定め、外界を自分の思惑通りに操作しようとする知的活動なのである。人間の原初の活動である狩りもまた複雑な「計算」の上に築かれた活動であった。現代の数による「計算」は非常に抽象度の進んだもので、外界とは関係のないそれ自体の知的パズルのような様相を呈しているが、それでもやはりそれは外界と厳密に結びついていて、たとえばオフィスで行われている取引計算や給料計算を「一桁くらい下げてもいいか」というようないい加減な態度で計算していたら、たちまち外界から取引先や従業員たちが嵐のような猛抗議を仕掛けてきて、自分の地位や会社の存続まで危うくなってしまうだろう。現代でも「計算」は外界と密接に結びついているのである

原初の「計算」行為である狩りから始まって人間はその「計算」能力をどんどん発展させていった。まず獲物を求めて広大な自然界を彷徨うよりも、獲物を自分で飼って育てた方がより能率的効果的に獲物をゲットできることに気がついた。周囲の外界には飼い馴らすことができる動物たちがたくさんいる。羊もそうだし牛もそうだし、鶏や豚も飼い馴らすことができる。彼らから乳や毛織物などを得ることができるし、最後には肉を得ることができる。しかも一頭一頭狩りで獲っていた時と比べて比較にならないほど大量に得ることができるのである。人間はその「計算」能力を駆使して牧畜業を発明したのである

人間は森林生活をしていた時から木の実や植物を常食にしていたが、森林から出た後もそれらの物を採集して食料にしていた。しかしここでも認識の変化が起こり、当てずっぽうに採集しているよりも自分たちで植物を育てた方が能率的であり効果的であることに気づいたのである。植物の種を土に撒けばそこから新たに植物が育ってくることにも気づいていた。人間は栄養豊富で大量に栽培できる植物を探してゆき、品種改良も加えて、麦や米やジャガイモを栽培していった。それらの植物を栽培するための専用の土地も開発していった。人間はその「計算」能力によって外界を作り変えてゆき農業を興したのである

さらに人間の「計算」能力は発達してゆき、自然の利用や改良にとどまらず、自分たちに必要なものを一から作り出すまでになった。自然界にある一本の木はそれ自体としては人間にとって役に立たない代物である。しかしこれを切り倒し、細かく分割し、部品になるまで加工して、それを再び組み合わせてゆくと、実にさまざまな物が作り出せるのである。椅子も作れるしベッドも作れるし、たくさんの木があれば家まで作れる。荷車も作れるし船だって作れてしまう。「分割ししかる後に総合せよ」とデカルト的な知性を発揮することによって、一本の木から実にさまざまな物が作り出せてしまうのだ。まさに工業の誕生であり、人間の「計算」能力は自然界にない新しいものを一から作り出せるまで発展したのである


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