まずかつての同人雑誌のような創作団体―文学系、美術系、音楽系、芸術系、あるいは哲学系学問系の団体は、技術的にはそのまま同人雑誌の再現が可能である。結成の旗印となる何かの理想を掲げて、仲間を集め、創作を持ち寄り、それを雑誌化して、世の中に向かってアップロードしてゆくことは十分可能なことである。これまでは文字しかできなかったが、今や写真や美術作品も高精度のものをいくらでもネットに出すことができるのである。バンドのミュージックビデオも簡単に撮ってアップロードできる。劇団の公演までビデオ撮影してネットで公開できる。僕の知り合いにネットでコントやネタ的企画を公開している若者がいるが、その技術や仕上がり具合はテレビ番組に負けないくらいである。それを365日毎日出すことを日課にしている。それだけの大量情報を公開できる容量も(しかも無料で)解放されているのである。
ただまだ戦前のようなネットワークは構築されていない。横の連携が悪く、相互の交流もほとんどなく、相互が離れ小島的に孤立して活動している。上のネットワークに至っては、既存のメディアが無視していることもあって、まったく構築されていない。しかし彼らの活動を励まし、その成果を引き上げるようなネットワークが築かれ、また同時に本当に発展する文化が彼らに与えられたのなら、彼らの中から戦前と同じような本物の文学者や芸術家が続々と現れることは十分可能なのである。
しかし志ざしといっても、戦前の同人雑誌のような烈鋭的で挑戦的な、悲壮感さえ感じさせる志ざしのみが志ざしなのではない。人間がやりたいと思うこと、情熱を込めて打ち込めるもの、他の人々と思いを共有し広めたいと思うこと、これはすべて「志ざし」なのである。そしてその志ざしを持って作られた雑誌はそれ自体が創作であり創造行為なのである。
ただまだ戦前のようなネットワークは構築されていない。横の連携が悪く、相互の交流もほとんどなく、相互が離れ小島的に孤立して活動している。上のネットワークに至っては、既存のメディアが無視していることもあって、まったく構築されていない。しかし彼らの活動を励まし、その成果を引き上げるようなネットワークが築かれ、また同時に本当に発展する文化が彼らに与えられたのなら、彼らの中から戦前と同じような本物の文学者や芸術家が続々と現れることは十分可能なのである。
しかし志ざしといっても、戦前の同人雑誌のような烈鋭的で挑戦的な、悲壮感さえ感じさせる志ざしのみが志ざしなのではない。人間がやりたいと思うこと、情熱を込めて打ち込めるもの、他の人々と思いを共有し広めたいと思うこと、これはすべて「志ざし」なのである。そしてその志ざしを持って作られた雑誌はそれ自体が創作であり創造行為なのである。