「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

今に生きる日本文学 4

2008-06-13 22:23:18 | 日本文学の革命
それにしても桑田佳祐すらこの“何か”を実現することができなかったのです
桑田の言葉を借りれば「奇跡のドアを開ける鍵」は用意できたが、その鍵を使って実際にドアをこじ開け、その向こうに進んでゆくことは未だできていないのです

いったい誰がこれをすることができるか?

やはりそれは日本文学しかないように思います

日本文学こそがこれを伝統的にやってきたのですし、他の誰よりも奥深く本質的な形で、大々的にやってきたのですから

日本文学の伝統を復活して、ふたたび前へと前進させることができたら、この“何か”を実現できるのです

日本の未来の少なからぬ部分が、この“何か”の実現にかかっているのです
もしこれが実現できなければ(ちょうど芥川が実現に失敗して自殺したときのように)、日本の未来がふたたび暗いものになるかも分からない

その意味で日本文学の現代における意義は大きいのです
「過ぎ去った」どころじゃない
まさに今現代が切実に日本文学を必要としているのです

とまあ いろいろ書いてきましたが、要するに日本文学は現代にも生き続けているということです
お互い日本文学にかかわっている者として、誇りと責任感をもって、がんばってゆきましょう

今に生きる日本文学 3

2008-06-13 22:22:37 | 日本文学の革命
最近 桑田佳祐がサザンオールスターズの無期限活動休止を発表しました
これはこれでいいことだと思います。ちょっと言葉が悪いんですが、「勝ち逃げ」できるからです

最近 桑田佳祐たちは大いに行き詰っていました
持てる力をすべて出し尽くしてしまった観があり、これ以上どう進んでいいのか分からず、追いつめられた状態にあったのです
それを見てチャンスとばかりに桑田に敵対する勢力が攻勢をしかけてきました
「やつらもうヘロヘロだぜ」なんて歌っているミュージシャンもいたし、ジャニーズも敵にまわって総攻撃してきたし、タモリなんかも足を引っぱりにきたし(ほんと芸能人なんて信用なりませんね。つい最近まで桑田たちを応援してたくせに、風向きが変わったと見たらもうこの始末です)、今ではすっかり裏切り者と化したキムタクも桑田たちがつぶれることを願っています

このままの状態だと“敗北”という形で退場させられる恐れがある
その前に活動休止と打ち出して一時撤退をすることは、実に見事な戦略です
桑田佳祐は90年代から今に至るまで、雲霞の如く押し寄せてくる抵抗勢力を片っ端から打ち破ってきました
ここで撤退するということは、その勝利の状態を維持し続けることができるということです
敗北ではなく勝利のまま一時的に退く
そして自分がまいた種が育つかどうか見ることができる
もし反動が起こるならもう一度乗り出してくることもできる
いずれにしろ桑田たちの運動を途絶えさせずにすむのです


今に生きる日本文学 2

2008-06-13 22:21:20 | 日本文学の革命
この運動をしているのはミュージシャンだけではありません
漫画界では、つげ義春や高橋留美子などがまったく同じことをしています
(ちなみに僕は、手塚治虫などよりつげ義春の方がずっと好きですね。手塚の作品からは、アイデアはいっぱい詰まってるのでしょうが、どこにも血”が感じられません。反対につげ義春の作品は、一見地味で面白みがないのですが、“血”の方はあふれるほど豊かなんです。つげ義春の作品は日本の漫画界で最も芸術性豊かな作品だとされてますが、つげ義春は自分のことを「私小説作家」だと思っているのですよ。ここでも日本文学は生きているのです)

アニメ界では宮崎駿がこの文化的戦いをしています
『紅の豚』から『ハウル』に至るまでの宮崎作品は、日本文学が伝統的に取り組んできた問題を取り上げ、それに解決をつけようとする試みだったと言っていいでしょう
予言してもいいのですが、来月上映される『ポニョ』もそのような作品のはずです
(ちょっと気になるのは、ポニョの相手役の男の子の名前が「宗介」であることです。前にジブリ美術館を訪れたとき、宮崎駿の蔵書らしきものが展示していたのですが、その中に夏目漱石全集が何冊かありました。たしか『門』もあったと思うんですが、その『門』の主人公の名前が「宗助」なんです。この「宗助」は漱石をもじったもので、いわば漱石の分身みたいな人物です。宮崎駿も「宗助」のことは知っているはずですから、あるいは漱石を意識して「宗介」という名にしたのかも知れません。だとしたら宮崎駿も自分が漱石と同じことをしていることに気づいたのでしょう)

現代を代表するこのような芸術家たちが、実は日本文学の伝統を受け継いでいるのです
彼らは日本文学と同じ問題意識に立ち、同じような解決を求め、同じように努力しているのです
日本文学は彼らの内に、形を変えて生きているのです

詳しい説明もせずに列挙式にづらづら書いたので(詳しく書くとちょっとした評論になってしまうのでここには収まりきらないのです)、なんだか訳が分からないかも知れませんが…
ともかく、日本文学自体はこの数十年の間、前進を忘れて眠りこけていましたが、日本文学の伝統と事業は音楽や漫画やアニメという別のジャンルのアーティストに受け継がれた形で、今日に生き続けているのです

そして重要なことは(別に日本文学の肩を持つつもりではありませんが)、彼らは日本文学がしてきたこと以上のことをしていないのです
日本文学がやってきたことに比べたら、質・量ともにかなり見劣りしてしまう
数年前宮崎駿がイギリスに行ってミレーの絵を見たとき、「なんだ。おれたちがやっていることは、ミレーがすでにやったことをヘタクソに再現してるだけじゃねえか」と言ってましたが、同じことは日本文学に対しても言えるのです
もちろん彼らの芸術をヘタクソだなんて言うつもりはないですが、日本文学が到達した地点に比べると、遥か後方で行き詰っていることも事実なのです

今に生きる日本文学 1

2008-06-13 22:19:25 | 日本文学の革命
ntgjw574さん 投稿ありがとう

芥川が好きなんですね
僕も好きですよ
『或阿呆の一生』の最後の一節を心の中で繰り返しながら、感動しつつ街中を歩きまわったこともあります

>しかし芥川はもはや過ぎ去った人であると評されています
>彼の活躍した時代の文学は終焉を迎えた
>私たち書き手は、――殊に純文学の書き手は、所謂『言葉の限界』を感じる時代の真っ只中にいるのかも知れません

いや そんなことはありません
芥川 そして日本文学の伝統は、今でも脈々と日本社会に生きているんですよ
しかもたいへんな切実さと現代性をもって

桑田佳祐はご存知ですよね
彼が90年代から今に至るまでどれだけの旋風を日本社会に巻き起こしたか、またどれだけ多くの日本人が国民的ともいえるほど大規模な形で彼を支持したか
それもご存知のはずです

またミスター・チルドレン、奥田民夫、石井竜也(彼が作った映画『河童』を見たことがありますか?あれが上映されたときはたいへんな感動を人々に与えたものですが、あれはもちろん芥川の有名な小説から取った題です。内容も全く芥川的で、日本文学の歴史を物語的に描いた作品となっています)、それに中島みゆきや井上陽水など

彼らも桑田佳祐と同じことをしてきました。一つの運動、一つのムーヴメントを作っていたといってもいい(僕はこれを「反外国主義運動」と呼んでいます)

彼らは必死になって“何か”を実現しようとしてきました。今でもしています
そして一般の日本人大衆もその“何か”に期待を込め、桑田佳祐たちがそれを実現するのを熱心に待ち望み、大々的に支持を与えてきたのです

この「反外国主義運動」は、90年代から今に至るまで、日本で最も重要な文化運動だったと言ってもいいでしょう
そしてここが大切なんですが、この運動、この“何か”を求めての文化的戦いは、実は日本文学が伝統的にやってきたものなんです
日本文学こそが、この運動の本家本元であり、桑田佳祐たちはそれを再現しているに過ぎないともいえるのです