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『宮崎駿のドキュメンタリー』再放送禁止事件 6

2023-12-29 11:33:07 | 日本文学の革命
だが12月16日にこのドキュメンタリー番組が放送されたあと一週間も経たないある日、一つのニュースをネットで目にした。それはこのドキュメンタリー番組が「再放送禁止」にされたというニュースであった。出どころは『X』のNHKの公式サイトで、この番組が「再放送禁止」になった旨を伝え(理由は述べていない)、「NHKプラスではまだ視聴可能なのでどうか見てください」という内容だった。これは今までにない異例な事態である。宮崎駿のドキュメンタリーは人気があるのですぐに再放送されるし、DVD化されることもある。それが再放送禁止にされたのであり、もちろんDVD化もされないだろうし、「もう二度と放送するな」ということなのだ。余程の放送事故でもない限りこんな事態になる筈がないし、僕が見た限りそんな放送事故に相当するものなどどこにもなかった。それなのにNHKが自分が作った番組を「再放送禁止」にしてしまい、さらにはそれを広く社会に宣言しているのである。これはまさに異例な事件である

NHKにこんなことをさせることができるのは宮崎駿だけである。おそらくあのドキュメンタリーを見て宮崎駿は激怒したのだろう。自分を「高畑勲コンプレックス」に取り憑かれている者として描かれて、頭に来たのだろう。人生をかけて苦心惨憺作り上げた『君たちはどう生きるか』をくだらない「三文話」にされることに危機感も覚えたのだろう。まず間違いなく宮崎駿本人がNHKに怒りと抗議をぶつけ、二度と放送しないよう「再放送禁止」にさせ、さらにはそれを広く社会に宣言するよう強要したのである。NHKも宮崎駿に逆らう訳にいかないから唯々諾々と従ったのだろう。まさに宮崎駿自身があのドキュメンタリーとその内容にダメ出しをしたのである。そうすることによって「大叔父=高畑勲」というくだらない主張から自分の作品を守ったのである

このドキュメンタリー番組の冒頭で宮崎駿本人が語る印象的な言葉が流されていた。それは「終わらせないとタタリから抜け出せない」という言葉である。まさにこの言葉こそが宮崎駿が『君たちはどう生きるか』を作った根本的な動機なのである

あの番組ディレクターはこの言葉の意味が分からず、宮崎に取り憑いている「高畑勲コンプレックス」だと解釈したのだが、実は宮崎駿がこれまで作ったアニメの中にその答えはあるのである。宮崎アニメの多くが「呪い(タタリでもいい)からの解放」を主題としているのだ。『紅の豚』では主人公の男が何らかの呪いによって豚に変えられているし、『もののけ姫』では主人公のアシタカが死に至る呪いをかけられそれを解くために旅立ってゆくところから物語は始まる。『千と千尋の神隠し』ではやはり呪いかタタリによって両親が豚にされてしまい千尋自身も名前を奪われて、そこから如何に解放されるかが主題となっている。『ハウルの動く城』では18歳のソフィーが呪いによって(魔法でもいい)90歳のお婆さんに変えられてしまい、やはりそこからどう解放されるかで物語が展開してゆく。『風の谷のナウシカ』もまた「腐海に覆われた世界」の物語であって、これはまさに「呪われた世界」であり、この呪われた状態からどうしたら解放されるのかが中心主題となっている

宮崎駿のアニメの多くがこの「呪い(タタリ)からの解放」を主題として作られているのだ。この「呪い」は作品だけでなく宮崎本人にも取り憑いているのである。宮崎は番組の中で自閉的で鬱病的であった自分の少年時代の写真を指さして「この少年は死に取り憑かれている」と述べていたが、まさに彼自身にもこの「呪い」が幼少期から取り憑いているのであった。もっと言えばこの「呪い」は近現代の日本そのものにも取り憑いているのである。この「呪い」から解放されることーそれは日本を未来に向けて解き放つことでもあるのだ

この「呪い」から日本を解き放つものこそ「則天去私」に他ならないのである。かつて夏目漱石は「則天去私」を実現することによって日本を「呪い」から解き放とうとしたが、未完成のまま終わってしまった。今宮崎駿も「呪い」から自分や人々を解き放とうとして『君たちはどう生きるか』で果敢にチャレンジしたのである。成し遂げられたかどうかは分からない。これまでの宮崎アニメに見られたように「未来への先送り」で終わったのかも知れない。しかし「則天去私」の実現へ向けて肉迫したことは事実であり、あともう少しで達成されたかも知れないのである

その意味で『君たちはどう生きるか』はやはり夏目漱石の『明暗』と並ぶ記念碑的な作品となっているのである



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