以上のような経緯で開かれそして滅んでいった太平洋戦争の道…
これに対して「もう一つの道」を切り開こうとしたのが漱石の『こころ』なのである
漱石は小説家として、“こころ”の専門家として、西郷や軍人たちよりも内面世界を深く見る能力を持っていた
彼は西郷たちよりももっと深い形で“明治の精神”を捕えたのである
そしてそれを描いたのが『こころ』なのであった
『こころ』の主人公として「先生」という人物が出てくる
彼は「もう一人の乃木大将」ともいうべき人物で、乃木大将と同じように青年時代に取り返しのつかない過ちを犯し、それを生涯悔いていた人物である
そして彼もまた乃木大将と同じように明治とともに、あるいは明治のために殉死する
それは乃木大将のように社会に衝撃を与えたものではなく、ただ一人の弟子ともいえる青年に長い遺書を残しただけで、ひっそりと死んでゆくのであるが、乃木大将と同じように“明治の精神”に殉死したものである
この先生の「殉死事件」を描いたものが『こころ』なのである
乃木大将の殉死事件が後に太平洋戦争の道を開いたように、この先生の殉死事件も新たな道を切り開く可能性を持っている
それは本当の“明治の精神”を体現した道、日本が本当に歩むべきだった道である
それは軍国主義化の道ではなく、豊かな創造的な道である
昭和の武士たちが文明開化や女性文化を絶滅させたような、あるいは明治の文明開化が武士階級を絶滅させたような、男と女の滅ぼし合いの関係ではなく、それは日本の男性性と日本の女性性がともにお互いを生かし合う「愛の実現」の道である
そのような「もう一つの道」を『こころ』は切り開こうとしたのである
この道はまだ生きている
そして実現の機会を今も待っているのである
『「こころ」と太平洋戦争』を以上のようなあらすじで書いてゆくつもりであるが、これだけで一冊の本になるような大きなものを書くことになるだろう
この後にも『「道草」と私小説』 『「明暗」と則天去私』 『「文学論」と西洋文明と東洋文明の融合』といずれ劣らぬ大作が続いてゆく
そしてこれ以外にも、メインとなる予定の「新しい文学」を書いて行かねばならない
果たしてどこまで行けるだろう…
時間がいくらあっても足りない状態である
「どうせ生まれたからにゃ 命の限り 旅を続けよう」(『東京VICTORY』)
僕も頑張って、この旅を続けて行こう
これに対して「もう一つの道」を切り開こうとしたのが漱石の『こころ』なのである
漱石は小説家として、“こころ”の専門家として、西郷や軍人たちよりも内面世界を深く見る能力を持っていた
彼は西郷たちよりももっと深い形で“明治の精神”を捕えたのである
そしてそれを描いたのが『こころ』なのであった
『こころ』の主人公として「先生」という人物が出てくる
彼は「もう一人の乃木大将」ともいうべき人物で、乃木大将と同じように青年時代に取り返しのつかない過ちを犯し、それを生涯悔いていた人物である
そして彼もまた乃木大将と同じように明治とともに、あるいは明治のために殉死する
それは乃木大将のように社会に衝撃を与えたものではなく、ただ一人の弟子ともいえる青年に長い遺書を残しただけで、ひっそりと死んでゆくのであるが、乃木大将と同じように“明治の精神”に殉死したものである
この先生の「殉死事件」を描いたものが『こころ』なのである
乃木大将の殉死事件が後に太平洋戦争の道を開いたように、この先生の殉死事件も新たな道を切り開く可能性を持っている
それは本当の“明治の精神”を体現した道、日本が本当に歩むべきだった道である
それは軍国主義化の道ではなく、豊かな創造的な道である
昭和の武士たちが文明開化や女性文化を絶滅させたような、あるいは明治の文明開化が武士階級を絶滅させたような、男と女の滅ぼし合いの関係ではなく、それは日本の男性性と日本の女性性がともにお互いを生かし合う「愛の実現」の道である
そのような「もう一つの道」を『こころ』は切り開こうとしたのである
この道はまだ生きている
そして実現の機会を今も待っているのである
『「こころ」と太平洋戦争』を以上のようなあらすじで書いてゆくつもりであるが、これだけで一冊の本になるような大きなものを書くことになるだろう
この後にも『「道草」と私小説』 『「明暗」と則天去私』 『「文学論」と西洋文明と東洋文明の融合』といずれ劣らぬ大作が続いてゆく
そしてこれ以外にも、メインとなる予定の「新しい文学」を書いて行かねばならない
果たしてどこまで行けるだろう…
時間がいくらあっても足りない状態である
「どうせ生まれたからにゃ 命の限り 旅を続けよう」(『東京VICTORY』)
僕も頑張って、この旅を続けて行こう