「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

『「こころ」と太平洋戦争』 5

2015-03-24 19:45:54 | 日本文学の革命
以上のような経緯で開かれそして滅んでいった太平洋戦争の道…
これに対して「もう一つの道」を切り開こうとしたのが漱石の『こころ』なのである
漱石は小説家として、“こころ”の専門家として、西郷や軍人たちよりも内面世界を深く見る能力を持っていた
彼は西郷たちよりももっと深い形で“明治の精神”を捕えたのである
そしてそれを描いたのが『こころ』なのであった

『こころ』の主人公として「先生」という人物が出てくる
彼は「もう一人の乃木大将」ともいうべき人物で、乃木大将と同じように青年時代に取り返しのつかない過ちを犯し、それを生涯悔いていた人物である
そして彼もまた乃木大将と同じように明治とともに、あるいは明治のために殉死する
それは乃木大将のように社会に衝撃を与えたものではなく、ただ一人の弟子ともいえる青年に長い遺書を残しただけで、ひっそりと死んでゆくのであるが、乃木大将と同じように“明治の精神”に殉死したものである
この先生の「殉死事件」を描いたものが『こころ』なのである

乃木大将の殉死事件が後に太平洋戦争の道を開いたように、この先生の殉死事件も新たな道を切り開く可能性を持っている
それは本当の“明治の精神”を体現した道、日本が本当に歩むべきだった道である
それは軍国主義化の道ではなく、豊かな創造的な道である
昭和の武士たちが文明開化や女性文化を絶滅させたような、あるいは明治の文明開化が武士階級を絶滅させたような、男と女の滅ぼし合いの関係ではなく、それは日本の男性性と日本の女性性がともにお互いを生かし合う「愛の実現」の道である
そのような「もう一つの道」を『こころ』は切り開こうとしたのである
この道はまだ生きている
そして実現の機会を今も待っているのである

『「こころ」と太平洋戦争』を以上のようなあらすじで書いてゆくつもりであるが、これだけで一冊の本になるような大きなものを書くことになるだろう
この後にも『「道草」と私小説』 『「明暗」と則天去私』 『「文学論」と西洋文明と東洋文明の融合』といずれ劣らぬ大作が続いてゆく
そしてこれ以外にも、メインとなる予定の「新しい文学」を書いて行かねばならない

果たしてどこまで行けるだろう…
時間がいくらあっても足りない状態である

「どうせ生まれたからにゃ 命の限り 旅を続けよう」(『東京VICTORY』)
僕も頑張って、この旅を続けて行こう

『「こころ」と太平洋戦争』 4

2015-03-24 19:44:51 | 日本文学の革命
時代は流れ、明治の末年になる頃、かつての西郷の予見通り、文明開化政策は行き詰まりを見せ、日本には破滅的な危機が押し寄せて来た
そしてこの時に起こったのが「乃木大将の殉死事件」なのである
この事件を契機に日本人の魂の奥底から滅びたはずの「武士の魂」が猛然と蘇ってきた。しかも天皇と結びつくという形で蘇ってきた
かつての西郷の構想が蘇ったのである
それは昭和に入ると社会の表舞台に噴出してきて、様々なテロや暴力革命を通じて社会を乗っ取っていった。かつて自分たちがされたように文明開化派や華美な女性文化を弾圧し掃滅してゆき、社会全体に尚武の気風を蔓延させていった
そしてついに戦争へと突入していったのである

しかしこの「武士と天皇との融合」には重大な欠陥があった
それは武士の文化と天皇の文化の本当の融合ではなく、武士の文化の一方的な発現であり、武士による天皇の強奪ともいえる事態なのであった
武士は自分に都合のいいように主君を天皇に取り換えただけで、天皇が体現していた日本文化に対しては何一つ尊敬することなく、逆に弾圧をしていたのである
彼らは文明開化や女性的文化を忌み嫌い、弾圧し掃滅していったが、まさにそれこそが天皇と京都の朝廷の文化だったのである!
このグロテスクな矛盾は、昭和の武士たちに対する天皇自身の態度に象徴的に現われている
日本社会の軍国主義化を誰よりも嫌ったのは天皇自身であった
二二六事件の際、鎮圧を躊躇う重臣たちに激怒し、「お前たちが鎮圧に行かないのなら私が兵を率いて鎮圧に向かう」と怒鳴りつけたのも天皇である
敗戦の際、なおも戦い続けようとする軍部を押さえて終戦の決断を下し、昭和の武士たちにとどめをさしたのも天皇である
敗戦後焼け跡の中で、ふたたび新たな文明開化政策を起こして日本を立ち直らせたのも、天皇であると言っていい

『「こころ」と太平洋戦争』 3

2015-03-24 19:43:40 | 日本文学の革命
実際この「武士と天皇」の関係を新たな国家形成の原動力にしようとした人物が、明治の初めにいた
それは西郷隆盛である
彼は明治維新を成し遂げたあと一時引退していたが、その間起こった新政府の腐敗と当時勃興しつつあった文明開化派によって政府が乗っ取られる事態を憂慮していた
文明開化派によって政府が乗っ取られたら日本は「一代限り」で滅びる、そう西郷は予見していた
彼は「第二維新」を決行することを決意し、その際文明開化派による国家モデルに代わるものとしてこの「武士と天皇」の忠義の関係を新しい国家の柱にしようとしたのである

もともと明治維新を成し遂げた勤王の志士たち自体が、このような天皇を主君と仰ぐ新しいタイプの武士たちであった
彼らが明治という世を切り開いたのだから、この「武士と天皇」の関係こそが“明治の精神”に他ならない
西郷の目にはそう見えたことだろう

当時すでに文明開化派による武士階級の絶滅政策が行われていたが、西郷はそれに対抗して武士階級に新たな活躍の場を設けようとする
朝鮮半島で戦争を引き起こし、この戦争という溶鉱炉の中で「武士と天皇」の忠義の関係を鍛え上げ、それを新国家の柱となるまで高めようとしたのである
(日中戦争や太平洋戦争で「武士と天皇」の忠義の関係が極限まで高まったが、それを先取りしようとしたものであった)
しかし西郷派は征韓論争で敗れ下野することになり、間一髪のところでこの構想は挫折するところとなった
文明開化派は手を緩めることなく西郷派を掃滅しようとし(文明開化が実現するためには、武士階級の絶滅が不可欠なのである)、西南戦争を引き起こし、これによって西郷派を絶滅に追い込み、ついに文明開化政策を実現させたのである

乃木大将はこの西南戦争と深く関わっていたのである
彼は青年時代、明治政府の軍人として西南戦争に参加し、そのとき西郷軍に「軍旗を奪われた」ことを生涯の負い目とし、切腹の際の遺書に自殺の理由としてあげているほどである
しかしこのときの彼の行動は軍旗を奪われた程度にとどまらず、西郷派に加担した恩人や友人を裏切って死に追い込んだ「裏切り者」であり、精神や武力で敵わない西郷軍を物量で掃滅していった「卑怯者」だったのである
武士の最後の意地と魂を見せて勇敢に戦死してゆく西郷軍たち―それを圧倒的な物量で掃滅してゆく「卑怯者」としての自分、武士の風上にも置けない自分…
乃木大将はこの時の経験を生涯の負い目として生きてゆくことになった

『「こころ」と太平洋戦争』 2

2015-03-24 19:41:41 | 日本文学の革命
「乃木大将の殉死事件」を契機に日本人の“こころ”の奥底から「武士の魂」が蘇り出したのである
40年前の西南戦争で絶滅したはずの武士―その武士の魂が日本人の深層から蘇り、全日本人に憑りつき始めたのである

そしてその際重要なことは、この新しく蘇った武士の伝統が「天皇と結びつく」という形で蘇ったことである
天皇をいわば自分たちの国家的な“主君”とし、天皇に武士的な忠義と忠誠を捧げ、天皇を奉じるという形で蘇ってきたのだ

これは明治以前にはなかった現象である
明治以前の日本の歴史では、武士と天皇の朝廷は仲が悪く、戦争ばかり繰り返してきたのである
明治以前の武士たちの忠義の対象は己れの主君であり(もちろん彼も武士である)、天皇に忠義を尽くす武士などは楠木正成のような例外を除けばほとんどいなかった
それどころか武士たちにとって、京都にある天皇の朝廷は不倶戴天の敵であり、何度も何度も生死を賭けた戦争を行ってお互いを滅ぼし合おうとし、決して解消することの出来ない対立関係にあったのである

乃木大将の殉死に見られる画期的な点は、彼が天皇のために殉死したということである
己れの主君のために殉死した武士は昔からいて、それは武士の忠義の最高の表現であった
しかし天皇のために殉死した武士は乃木大将が初めてだと言っていい
彼はそれをこれまた武士の最高の伝統の一つである「切腹」という手段でやってのけた
このとき「武士と天皇の融合」が行われたのである
武士はそれまでの地方領主的な主君に代わり、天皇を新たな主君とするようになった
それは広さで言えば日本全国に及び、時間的に言えば遥か悠久の神話的古代にまでさかのぼり、近代国家の理念をも包取する新たな主君である
この主君に新たに蘇った武士たちが仕える…
この関係は新たな国家形成の原動力にさえ成り得るものであった

『「こころ」と太平洋戦争』 1

2015-03-24 19:27:34 | 日本文学の革命
電子同人雑誌の発刊に当たって、長い間中断していた漱石の『こころ』の評論を再開しようと思う
雑誌「新しい日本文学」の目玉は二つあって、一つはタイトル通り日本文学を新しく発展させてゆくための「新しい文学」を実験的に書いてゆくということ
日本文学をまだ実現されていない「後半部」へ向けて前進させてゆくのである
もう一つはこれまで書かれてきた日本文学に新しい価値をあたえて復活させ、現代に蘇らせることだ
これを漱石作品に対する評論を書くことによって行ってゆくのである
漱石の評論も残すところ4作品だけであるが、この4作品はそれぞれあまりに広大で深淵な内容を含んでいるので、おいそれと手を出せない
それで今まで中断してきたのであるが、新しく雑誌を出すことだし、内容も十分熟したことだし、これ以上中断しているとこれを完成する前に僕の人生もタイムリミットに来てしまうし、そんなこんなで再開することにしたのだ

『こころ』と太平洋戦争
意外なタイトルだと感じるだろう
なぜ夏目漱石の『こころ』が太平洋戦争と関係があるのか?
実は非常に深い関係があるのだ
太平洋戦争へ至った道―関東大震災、昭和恐慌、満州事変、二・二六事件、日中戦争、軍国主義化、そして太平洋戦争への突入と最後の破滅…、と続いていった道
この実際に起こった道とは違う「もう一つの道」―日本が本来歩むべきだった道、破滅の道ではない創造的な道、日本の本当の未来へと続いてゆく道
その「もう一つの道」を切り開こうとしたものが漱石の『こころ』に他ならないのである

『こころ』の中で「乃木大将の殉死事件」というものが出てくる
日露戦争の英雄乃木大将が、明治の終わり、明治天皇の死に際して、その葬礼の最中に自宅で切腹自殺をして明治天皇の後を追って殉死したという事件である
これは当時の社会に大変な衝撃を与えた事件であった。森鷗外などもこの事件に衝撃を受け、彼はこの事件を契機に彼の有名な「歴史もの」「武士もの」シリーズの小説を書いてゆくことになる
この事件の影響は戦後の三島由紀夫にも及んでいて、彼の切腹自殺は乃木大将の自殺を再現しようとしたものなのである。乃木大将よりもより完全な形で成し遂げようとさえ狙っていた。ただ三島の場合は、いかにも彼らしくあまりに人工的で、理知的で、変態的でさえあって、乃木大将のように至誠から出たものではなかったので、その後には何の影響も及ばさなかった。せいぜい石原慎太郎に影響を及ぼしたぐらいである

実は漱石の『こころ』も、この乃木大将の殉死事件に触発されて書かれたものなのである
彼はこの事件に対抗するものを小説によって具現化しようとした
その成果が『こころ』に他ならない

ではこの「乃木大将の殉死事件」とはいったい何だったのか
実はこの事件を契機にその後実際に起こった流れ―軍国主義と戦争への道―が始まったのである