まずギリシャの概念論理学はどのような文化的風土から生み出されたのか。このような論理学を生み出したその文化の根源的魂とはどのようなものだったのか。
それは「肉体的な個物への愛」である。
「肉体的な個物への愛」…その代表的表れがギリシャ彫刻である。ギリシャ人は建物にも広場にも至る所に彫刻を立てて倦むことを知らなかった。ギリシャ人やローマ人が至ったところではどこでも山ほどの彫刻が作られたものである(日本人が至るところに桜の花を植えたがる、そのような感情だろうか)。しかもそのすべてが人間の姿の彫刻であり、また多くが肉体をこれ見よがしにさらけ出した裸体像である。しかも女性よりも男性のヌード裸体の方が喜ばれたのである。今でいえばジャニーズの東山紀之のような美男子を真っ裸にし、それを台の上に乗せて澄ましたポーズをとらせ、その周りを大勢の観衆が取り囲んで、「この脇腹の筋肉…なんて素敵なんだ」「このお尻の肉のつき具合がたまらん」「これこそ最高の美だ」と讃嘆と陶酔の念を込めて舐めるように見まわしているようなものである。新宿二丁目では珍しくない趣味だが、当時のギリシャ・ローマでは老若男女すべてがこの趣味にはまっていたのである。
この肉体美への愛はギリシャでは宗教的なものでさえあった。オリンポスの神々とは最も美しい肉体を持つ存在に他ならず、その肉体から生じる喜びや享楽を最高度に楽しんでいる神々なのである。とりわけ一番ギリシャ人から愛された神がアポロン神であった。彼は美青年の神であり、光り輝く太陽のように美しい肉体を持った神だった。彼は最高の肉体美を体現した神であり、オリンポスの神々の中である意味最も重要な神であったのである。かのローマの円形闘技場のすぐ横にもアポロン神の巨大な裸体像が立てられていたそうである。闘技場では鍛え抜かれた肉体を持つ剣闘士たちが連日肉弾戦を演じていたのだが、ギリシャ・ローマの人々はそれを見ることが何よりの楽しみで、血を流して倒れてゆく剣闘士の姿にも性的陶酔を感じながら見物していたのである。
このギリシャ人の「肉体的な個物への愛」はどこから生じたのだろうか。一つにはギリシャの風土そのものが反映しているのだろう。光り輝く太陽と深く蒼いエーゲ海、そこに浮かび上がる「個物としての」鮮やかな島々の世界…そのようなギリシャ人の原風景がこのような愛着に大きな影響を与えているのに違いない。
もう一つがギリシャ・ローマの最も重要な社会制度「重装歩兵市民軍」である。これは市民が鎧や剣で武装し、密集陣形を作った歩兵として肉弾戦を仕掛けてゆく戦法のことである。当時の市民とは軍人のことであり、日本の武士のような存在であり、労働などは奴隷にまかせて自分は日夜ジムや体育館で肉弾戦に備えて肉体を鍛えていたのである。市民たちのこの鍛え上げられた肉体、同じ市民としての強い仲間意識、規律の行き届いた軍隊組織、さらには民主的で合理的な社会制度や高度に発達した市民的知性も合わさったこの「重装歩兵市民軍」は、当時の世界で最強に強かった。ペルシャの大軍を撃退したのもこの市民軍だったし、アレキサンダー大王に率いられて全オリエントを征服したのもこの軍隊だった。ローマ帝国を築く原動力になったのもこの市民軍だったのである。
この軍隊を形作る根本となったのが、鍛え上げられた肉体を持った筋骨隆々の若者たちであった。ホメロスが讃えたアキレスのような若者たちである。彼らの肉体を鍛え上げ筋骨隆々に育てあげることに、国家の命運がかかっていたのである。筋骨隆々の肉体を愛する文化的風土ができたのも、このような社会的背景があったからなのだろう。
この「肉体的な個物への愛」は彫刻や軍隊にとどまらず、ギリシャ・ローマ人の生活の至るところに及んでいる。小さな都市国家ポリスという社会制度も政治的な「肉体的個物」と言えるし、彼らが生み出したコイン貨幣―金属に肖像の印を押してある―も貨幣として用いられた彫刻である。かのユークリッド幾何学も「肉体的個物」としての物体を研究した学問であり、そこに真実の法則を見い出すことにギリシャ人は精根を傾けたのである。
またギリシャ・ローマ人の「その日を楽しめ」という奔放な享楽生活―料理やセックスやフェスティバル(お祭り)など肉体からわき起こってくる情熱や享楽を最大限味わおうとする生き方―今日のイタリア人にもなお通じる肉体派的な生き方にも、この「肉体的な個物への愛」が反映しているのである。
そして概念論理学もまたこのような文化的風土から生まれたものなのだ。彼らが精神世界に見い出した「肉体的な個物」こそ概念に他ならない。彼らはそこに真実と美的完成を求めようとした。彼らは混沌の中から概念を掘り出し、それに彫琢を加えて明晰な形を与え、磨きをかけて美しい完成体にまで高め、それを要所要所に配列してゆき、それでもって一つの完成された論理的世界(ギリシャ彫刻が立ち並ぶ広場と同じようにギリシャ人の世界に他ならない)を築こうとしたのである。
概念論理学という極めて形式的な学問の背景には「肉体的な個物への愛」というギリシャ人の文化的風土があったのである。
それは「肉体的な個物への愛」である。
「肉体的な個物への愛」…その代表的表れがギリシャ彫刻である。ギリシャ人は建物にも広場にも至る所に彫刻を立てて倦むことを知らなかった。ギリシャ人やローマ人が至ったところではどこでも山ほどの彫刻が作られたものである(日本人が至るところに桜の花を植えたがる、そのような感情だろうか)。しかもそのすべてが人間の姿の彫刻であり、また多くが肉体をこれ見よがしにさらけ出した裸体像である。しかも女性よりも男性のヌード裸体の方が喜ばれたのである。今でいえばジャニーズの東山紀之のような美男子を真っ裸にし、それを台の上に乗せて澄ましたポーズをとらせ、その周りを大勢の観衆が取り囲んで、「この脇腹の筋肉…なんて素敵なんだ」「このお尻の肉のつき具合がたまらん」「これこそ最高の美だ」と讃嘆と陶酔の念を込めて舐めるように見まわしているようなものである。新宿二丁目では珍しくない趣味だが、当時のギリシャ・ローマでは老若男女すべてがこの趣味にはまっていたのである。
この肉体美への愛はギリシャでは宗教的なものでさえあった。オリンポスの神々とは最も美しい肉体を持つ存在に他ならず、その肉体から生じる喜びや享楽を最高度に楽しんでいる神々なのである。とりわけ一番ギリシャ人から愛された神がアポロン神であった。彼は美青年の神であり、光り輝く太陽のように美しい肉体を持った神だった。彼は最高の肉体美を体現した神であり、オリンポスの神々の中である意味最も重要な神であったのである。かのローマの円形闘技場のすぐ横にもアポロン神の巨大な裸体像が立てられていたそうである。闘技場では鍛え抜かれた肉体を持つ剣闘士たちが連日肉弾戦を演じていたのだが、ギリシャ・ローマの人々はそれを見ることが何よりの楽しみで、血を流して倒れてゆく剣闘士の姿にも性的陶酔を感じながら見物していたのである。
このギリシャ人の「肉体的な個物への愛」はどこから生じたのだろうか。一つにはギリシャの風土そのものが反映しているのだろう。光り輝く太陽と深く蒼いエーゲ海、そこに浮かび上がる「個物としての」鮮やかな島々の世界…そのようなギリシャ人の原風景がこのような愛着に大きな影響を与えているのに違いない。
もう一つがギリシャ・ローマの最も重要な社会制度「重装歩兵市民軍」である。これは市民が鎧や剣で武装し、密集陣形を作った歩兵として肉弾戦を仕掛けてゆく戦法のことである。当時の市民とは軍人のことであり、日本の武士のような存在であり、労働などは奴隷にまかせて自分は日夜ジムや体育館で肉弾戦に備えて肉体を鍛えていたのである。市民たちのこの鍛え上げられた肉体、同じ市民としての強い仲間意識、規律の行き届いた軍隊組織、さらには民主的で合理的な社会制度や高度に発達した市民的知性も合わさったこの「重装歩兵市民軍」は、当時の世界で最強に強かった。ペルシャの大軍を撃退したのもこの市民軍だったし、アレキサンダー大王に率いられて全オリエントを征服したのもこの軍隊だった。ローマ帝国を築く原動力になったのもこの市民軍だったのである。
この軍隊を形作る根本となったのが、鍛え上げられた肉体を持った筋骨隆々の若者たちであった。ホメロスが讃えたアキレスのような若者たちである。彼らの肉体を鍛え上げ筋骨隆々に育てあげることに、国家の命運がかかっていたのである。筋骨隆々の肉体を愛する文化的風土ができたのも、このような社会的背景があったからなのだろう。
この「肉体的な個物への愛」は彫刻や軍隊にとどまらず、ギリシャ・ローマ人の生活の至るところに及んでいる。小さな都市国家ポリスという社会制度も政治的な「肉体的個物」と言えるし、彼らが生み出したコイン貨幣―金属に肖像の印を押してある―も貨幣として用いられた彫刻である。かのユークリッド幾何学も「肉体的個物」としての物体を研究した学問であり、そこに真実の法則を見い出すことにギリシャ人は精根を傾けたのである。
またギリシャ・ローマ人の「その日を楽しめ」という奔放な享楽生活―料理やセックスやフェスティバル(お祭り)など肉体からわき起こってくる情熱や享楽を最大限味わおうとする生き方―今日のイタリア人にもなお通じる肉体派的な生き方にも、この「肉体的な個物への愛」が反映しているのである。
そして概念論理学もまたこのような文化的風土から生まれたものなのだ。彼らが精神世界に見い出した「肉体的な個物」こそ概念に他ならない。彼らはそこに真実と美的完成を求めようとした。彼らは混沌の中から概念を掘り出し、それに彫琢を加えて明晰な形を与え、磨きをかけて美しい完成体にまで高め、それを要所要所に配列してゆき、それでもって一つの完成された論理的世界(ギリシャ彫刻が立ち並ぶ広場と同じようにギリシャ人の世界に他ならない)を築こうとしたのである。
概念論理学という極めて形式的な学問の背景には「肉体的な個物への愛」というギリシャ人の文化的風土があったのである。