社会の高齢化と並んで日本全国で不気味に進行しているのが少子化と人口減少である。日本の地方の至るところで―農村はもちろん地方の中小都市まで、少子化と人口減少の大波に直撃されているのである。農村から子供や若者の姿がなくなり、やたら高齢者ばかりとなり、さらにはその高齢者すら見かけなくなり、一体どこに人がいるんだろう、無人の荒野をさまよっているみたいだ…と思わせるような地域が全国各地で続出しているのである。
なぜこんな事態になったのだろう。経済発展のおかげで生産力は幾何級数的に増大したのだから人口も幾何級数的に増大してもよさそうなものだが、まったく逆のことが起こっているのである。農村の場合は、昔のように農業が基幹産業でなくなり農業だけでは食ってゆけなくなったこと、都会に出て働かねばならず、またそっちの方が楽しそうということで、人口の大流出が起きたのだろう。公共事業、産業誘致、農業補助金など、地域活性化のために様々な手が打たれてきたが、しかし不思議なくらいに効果がない。膨大な国家予算をつぎ込んでも人口減少に歯止めがかからず、今日の農村の閑散とした、ある意味荒廃したような状態がもたらされてしまったのである。また人口減少が起こっているのは農村だけでなく、各地の町や都市でも起こっており、さらには大阪や名古屋や東京のような大都会でも起ころうとしている。少子化高齢化人口減少の波は都市部でも起こっているのであり、まるで日本全体がシュリンク(縮小)して人のいない廃墟になろうとしている感じである。
たびたび引用しているシュペンゲラーの『西洋の没落』(漱石の未完の評論『文学論』を完成するために実に役立つ本である!)の中で、文明の末期現象として「人口減少」を書いているくだりがある。ローマ帝国の末期を例にあげて、文明の終末期には手に負えないほどの人口減少が起きること、巨大なメガロポリスばかりが繁栄し、周囲の農村部から吸血鬼のように若者や働き手を奪い取って消費してゆき、地方を無人の荒野にして荒廃させ、最後には無人の荒野の上に一人聳え立ったメガロポリスも崩壊して、文明は終末を迎える、という内容である。
なんだか東京のことを名指しで批判されているようで東京で暮らしている者としては肩身が狭くなるが、しかしこのシュペングラーの言葉通りならまだ救いはある。今末期的な状態にあるのは自己の可能性を出し尽くしてしまった西洋文明なのであり、それに対して日本文明にはまだまだ発展の余地があるからである。
文明問題はともかく少子化のベースにあるものはやはり日本人の生命力や溌剌とした生命感の減少であろう。溌剌とした生命力や未来に対する明るい希望がないと、やはり子を産み育てようという自然的な情熱も失われてゆくのである。前にも書いたことだが敗戦直後の日本では国家が崩壊し焼け跡ばかりが広がり食う物さえ満足にないという状況だったが、そのような中で日本人の生命力の大爆発が起こり、溌剌とした生命と明るい希望が日本人の間にみなぎったのである。そしてそのときに起きたのが空前のベビーブームで、女性たちは保育園もなければ子ども手当もないというのにドンドン子供を産んでゆき、これから未来を担ってゆく人材を大波のような勢いで育てていったのである。
しかし今の日本には溌剌とした生命力がどこにも感じられないし、暗い閉塞感ばかりが社会に満ちているし、若者のデート代に補助金をつけても効果なさそうだし、少子化の趨勢は変えられそうもない。この少子化と人口減少もまた現代日本を覆う暗い影となっているのである。
なぜこんな事態になったのだろう。経済発展のおかげで生産力は幾何級数的に増大したのだから人口も幾何級数的に増大してもよさそうなものだが、まったく逆のことが起こっているのである。農村の場合は、昔のように農業が基幹産業でなくなり農業だけでは食ってゆけなくなったこと、都会に出て働かねばならず、またそっちの方が楽しそうということで、人口の大流出が起きたのだろう。公共事業、産業誘致、農業補助金など、地域活性化のために様々な手が打たれてきたが、しかし不思議なくらいに効果がない。膨大な国家予算をつぎ込んでも人口減少に歯止めがかからず、今日の農村の閑散とした、ある意味荒廃したような状態がもたらされてしまったのである。また人口減少が起こっているのは農村だけでなく、各地の町や都市でも起こっており、さらには大阪や名古屋や東京のような大都会でも起ころうとしている。少子化高齢化人口減少の波は都市部でも起こっているのであり、まるで日本全体がシュリンク(縮小)して人のいない廃墟になろうとしている感じである。
たびたび引用しているシュペンゲラーの『西洋の没落』(漱石の未完の評論『文学論』を完成するために実に役立つ本である!)の中で、文明の末期現象として「人口減少」を書いているくだりがある。ローマ帝国の末期を例にあげて、文明の終末期には手に負えないほどの人口減少が起きること、巨大なメガロポリスばかりが繁栄し、周囲の農村部から吸血鬼のように若者や働き手を奪い取って消費してゆき、地方を無人の荒野にして荒廃させ、最後には無人の荒野の上に一人聳え立ったメガロポリスも崩壊して、文明は終末を迎える、という内容である。
なんだか東京のことを名指しで批判されているようで東京で暮らしている者としては肩身が狭くなるが、しかしこのシュペングラーの言葉通りならまだ救いはある。今末期的な状態にあるのは自己の可能性を出し尽くしてしまった西洋文明なのであり、それに対して日本文明にはまだまだ発展の余地があるからである。
文明問題はともかく少子化のベースにあるものはやはり日本人の生命力や溌剌とした生命感の減少であろう。溌剌とした生命力や未来に対する明るい希望がないと、やはり子を産み育てようという自然的な情熱も失われてゆくのである。前にも書いたことだが敗戦直後の日本では国家が崩壊し焼け跡ばかりが広がり食う物さえ満足にないという状況だったが、そのような中で日本人の生命力の大爆発が起こり、溌剌とした生命と明るい希望が日本人の間にみなぎったのである。そしてそのときに起きたのが空前のベビーブームで、女性たちは保育園もなければ子ども手当もないというのにドンドン子供を産んでゆき、これから未来を担ってゆく人材を大波のような勢いで育てていったのである。
しかし今の日本には溌剌とした生命力がどこにも感じられないし、暗い閉塞感ばかりが社会に満ちているし、若者のデート代に補助金をつけても効果なさそうだし、少子化の趨勢は変えられそうもない。この少子化と人口減少もまた現代日本を覆う暗い影となっているのである。