「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 31 「様々な電子同人雑誌―研究・愛好会・ファッション」

2016-08-27 16:29:06 | 日本文学の革命
趣味の養成や専門知識の練磨や技術の習得―それは戦前の同人雑誌の場合と同様に、人間的な成長でもあり、一人一人の内部で起こる文化の発展でもある―、それには実に様々なものが考えられる。

先端的な研究開発をしている研究員同士の同人雑誌というものも考えられる。彼らはお互いの試行作的な研究成果を雑誌上に発表し、互いに批判し合い励まし合って、さらに優れたものを作ろうとしてゆく(これなどはかつての同人雑誌に近いものである)。

鉄道模型の愛好家やサーフィンの愛好家も、愛好家同士が集まって同人雑誌を作り、彼らの趣味の活動をさらに深め、さらに広げてゆくことが可能である。ネットでリアルタイムで開かれる句会などというものもあってもいい。ネットでリアルタイムで行われる俳句の競作は、一種ネットの対戦ゲームに近いものとなるかも知れないし、あるいはまったりとした心の交流となるかも知れない。映画愛好家同士の雑誌、古書マニア同士の雑誌、様々な趣味や文化があるところ様々な電子同人雑誌の成立が可能なのである。

詳しくないので黙っていたが、ファッション系の同人雑誌も実に様々な可能性が考えられる。美しくなりたいと切実に思っている女性は巨大な数にのぼるのであり、そのような熱い思いがあるところその思いに共鳴する仲間たちが集まり、美しくなることを旗印に掲げた雑誌を立ち上げ、同人や購読者たちによる切磋琢磨や美の研究が行われ、同人雑誌としての活動と交流が行われれてゆくのである。『メイク革命! 驚きのメイク法が韓国にあった!私たちは実践します!』『イスラム女性のファッション研究会―いかに顔を隠してキレイに見せるか・ミステリアスな目の見せ方』『五十を過ぎてもきれいになれる!美魔女になろう会』などなど、手に負えないほど多くのものが考えられるのである。

電子同人雑誌の可能性 30 「様々な電子同人雑誌―ヘッジファンド・プログラミング・ヴィヴィアン先生」

2016-08-27 16:27:06 | 日本文学の革命
証券会社に勤めている男性が、実名を秘して『月刊 ヘッジファンド』という雑誌を刊行した。ヘッジファンドはリーマンショック以来「悪党ども」というイメージが強いが、そのヘッジファンドのワルの手口、汚い株価操作のやり方、顧客を騙して大金を巻き上げる詐欺の方法を克明に暴露した雑誌なのであった。この男性は証券会社に長年勤務していて、アメリカ系ヘッジファンドの汚い手口、その海賊まがいのやり方を熟知していた。また一人の愛国的日本人として、アメリカ系ヘッジファンドによってバカ正直な日本経済がボロクソにやられている事態にも憤慨していた。彼は証券業界で長年培ってきた人脈を利用し(この人脈の中にも彼と同じように愛国的憤慨をしている者がいたのである)、ヘッジファンドの活動実態をつかみ、それを電子雑誌という形で広く世に知らしめようとしたのである。株式投資をしている多くの人々がこの雑誌の愛読者になった。株で儲けるためには、表看板のやり方ではカモにされるだけであり、このようなワルの手口こそ最強の教科書になるからである。毎月の雑誌では「今月のベスト・オブ・ワル」が発表されていた。「今月は上海の株価操作で大儲けしたこのアメリカ系ヘッジファンドの証券第二部が受賞!」と発表され「濡れ手に粟で賞」が勝手に授与された。ヘッジファンドにしてみれば、このような雑誌が広く読まれることは嫌なことだが、この雑誌を訴えたら裁判所の調査が入ることになり、その結果この雑誌の記事が事実であることが判明されるともっと困った事態になるので、見て見ぬふりをして黙っているのである。

あるプロのプログラマーが副業として『プログラミング道場 かかって来いや〜!』という個人雑誌を立ち上げた(この個人雑誌は同人雑誌に交じって戦前にも事例があり、『或る女』の有島武郎なども出していた)。その中では、ごく初級のものから高度なプログラミングに至るまで多種多様のプログラミングのお題があり、雑誌の購読者の解くべき課題として課されている。様々なヒントは書かれているが解答は書かれていない。どうしても解けず解答が知りたければ別途料金を払って道場主であるプログラマーから解答を送ってもらわなければならない。「昔から師匠の手ほどきを得たければ、なにがしかの謝礼を師に払ったものではないか」というのがその理由である。しかしこれがかえって評判が良く、罰ゲームのあるゲームをしているようで面白く、また金まで払って得た解答だからしっかり身につくというのだ。解答を達成するごとに階級が上がってゆき、ついに免許皆伝となったときには、道場主自身が直々に秘伝のハッキングの技術を伝授してくれるのである。なんだかプログラマーの養成よりもハッカーの養成が目的みたいな雑誌だが、道場主には道場主の思いがあって、これからますますコンピュータに支配される社会になってゆくと、人間のコンピュータに対する対抗手段はハッキングしかなくなる。だから今から一人でも多くのハッカーを日本でも育てて行こう、という思いからこの雑誌の運営を行っているのである(もちろん実入りのいい副業にもなる)。

夫が日本でビジネスを行っているために一緒に日本に長期滞在しているアメリカ人妻ヴィヴィアンがいた。しかし彼女には一つの悩みがあった。それは彼女があまりに白人然としたアメリカンな体格と顔立ちをしているため、日本人が怖がって彼女に近寄って来ないことだった。慣れない異国で寂しい暮らしをしなければならず、アメリカで日常的に行っていたホームパーティーも全く開くことができなくなった。そんなときヴィヴィアンは日本では英語を教えることがビジネスとして成り立っていることを知った。そこでヴィヴィアンはネットで英会話教室を開くことを思いつく。英会話教室を開いてそこに日本の小中高生を生徒として招けば、日本人との交流の機会(しかもかわいい子供たちとの)となるではないか。彼女の京都や金沢への旅行の資金にもなる。ヴィヴィアンはさっそく『ヴィヴィアン先生の英会話教室』という電子雑誌を立ち上げて生徒を募った。ほどなく日本人の生徒たちが集まって来るようになった。ネットで5、6人の生徒と一緒にリアル中継で授業をしたり、パソコン画面でマンツーマンで英会話の訓練を行ったりした。夫の留守中は暇を持て余していたヴィヴィアンにはそんな時間を割くのは造作のないことだった。子供たちもヴィヴィアン先生に親しみを持つようになった。生徒たちを招いてのホームパーティーも開かれるようになり、生徒たちには親も同伴してやって来て、さらに日本人との交流の輪が広がった。いつしかパーティーにはヴィヴィアンの夫も加わるようになり、日米様々な人々が集う楽しい宴になったのであった。

電子同人雑誌の可能性 29 「様々な電子同人雑誌―読書会・クラッシック」

2016-08-27 16:23:53 | 日本文学の革命
まず趣味を楽しんだり養成したり、専門知識を磨いたり、技術を習得したりする雑誌が考えられる。戦前の同人雑誌も、文学という専門知識を磨き、文学技術を習得し、そのための見識を広める活動も行っていた出版団体だったが、同じようなことは電子同人雑誌でも可能である。現代のように人々の趣味が多種多様化し、ネット技術が広がり、生活が高度化した時代では、さらに多彩な形で雑誌を作ることができるだろう。

たとえば戦前でもよく行われていた読書会もネットで行えることができる。作品や作家についての感想や論述を持ち寄って雑誌に発表し合うこともできるし、お題となる資料を配信しておいてそれについてネット中継で論じあうこともできる。宮沢賢治や森鷗外や村上春樹など一人の作家についての専門雑誌を作り、興味を持った人を同人として集め、趣味的に雑誌活動を行うこともできる。ただ読んだり感想を述べたりするだけでなく、ネットならではでの読書を工夫することもできるだろう。たとえば『プラトン研究会』という雑誌があり、そこではプラトンの著作紹介や研究や読書会などが行われているが、プラトンの対話篇をチャットで再現しようと思い立ち、同人の一人がソクラテス役、もう一人が対話の相手役となり、プラトン風にチャットで哲学的対話をやってみることにした。
「では議論を始めようではないか、平山君よ。君は愛についてどう考えるかね。」
「いや〜、今までまともに考えたことないっすね」
「愛とは遥か神話時代の昔に切り離された半身が、互いを求めあう行為だと思わないかね」
「そう言われればそうっすかね」
「だとすれば我々は完全ではなく、いつも切り離された半身を求めている不完全な存在だということだ」
「そうっすね〜。そうなるっすかね」
このチャットのプラトン風哲学対話は、同人同士様々な組み合わせで行われ、記録は雑誌に載せられ、皆で読むことができる。「あ…おれ、プラトンよりもいいこと言ったかも」「さすがプラトン、私たちじゃとても言えないことを言うわ」プラトンの哲学的対話を自分たちで実際に試してみることにより、よりリアルで臨場感に満ちた読書体験を得ることができたのである。

音大でバイオリンを習っているある女学生が『バッハ大好き』という電子同人雑誌を立ち上げた。そこに同じ音大でピアノやパイプオルガンを習っている学生、フルートなどの管楽器を習っている学生、チェロを習っている学生を同人として集め、自分たちのバッハの演奏をアップロードしたり、バッハについて生い立ちや技法や聴きどころなどの記事を書いたりした。演奏の勉強にもなるし、その成果を広く人々に見てもらえるし、お小遣いにもなった。勉強のついでにできて手間暇もかからないし、同人という形で学内で仲良しを増やすこともできたし、購読者を招いてリアルな演奏会も開くことができた。彼女にはもう一つのほのかな期待もあった。音大の男子学生は生真面目すぎて女性に奥手で誰も彼女を口説いてくれない。こうして広い世間に発表していれば、誰か素敵な男性が彼女の清楚な美貌に魅かれてやって来るかも知れない。バッハが好きということはかなり趣味の高い男性のはずで、そこら辺のやりたがり男は排除できるし、彼女好みの男性を引き寄せることができるのである。そういうほのかな期待も抱きつつ同人雑誌の発行をしているのであった。