阿部公房についていろいろ教えてくれてありがとう
buddadog_o_la_la さんはどうやら文学通の方のようですね
あなたのような人が「日本文学の革命」に興味を持ってくれたとは、うれしい限りです
阿部公房については、重要な作家だとは認識していたんですが、他にもやらなければならないことが多すぎたので、ついつい手をつけていませんでした
でもこれを契機に阿部公房の小説を読んでゆきますよ
>こう言ってはなんですが、関場さんが現在の文学界の視野の狭さにいらだつように、関場さん自身もある種の文学に対しては感性を欠いているのではないですか。
戦後文学には自分が感じ取れないような部分での豊かさがあるのかも、と考えてみたことはありませんか
それはあるでしょう
僕も戦後文学が全くダメだとは言っていないのです
いろいろ豊かなものが達成されてきたはずです
では僕が戦後文学の何を問題にしているかというと、それが日本文学の「本質的発展」にほとんど何も寄与してこなかったことを問題にしているのです
日本文学の「本質的発展」とは何か
日本文学の本質とは何なのか
それは「日本文明の変革」であると僕は考えています
明治以前の京都を中心にして形成された古い日本文明
それはたしかに偉大なものであり、今でも日本人の本質を形作っていますが、しかし明治以後の新しい時代においては時代遅れのものになろうとしている
この古い日本文明を克服し、新しい時代にふさわしい新しい日本文明を築こうとしたもの、それが日本文学なんです
戦前の日本文学者たちはまさにこれに奮闘していたのであり、彼らが血みどろの闘いをしていたのはまさにこのためなのです
そして彼らは実際のところ「あと一歩」というところまでこれを成し遂げたのです
それに比べて戦後文学には、新しい日本文明を築こうとした作家などは見あたらないのです
それどころか、京都文化を復活させようとした三島由紀夫に典型的に表れているように、戦後文学は「反動」ですらあったのです
それは戦前の文学を否定してなんとか「封殺」しようとしてきた戦後文学の傾向にも、また「プチ平安朝化」した今の文学状況にも現れています
(戦前の文学があれほど乗り越えようとしてきた「外国主義」も、戦後復活してしまいました)
しかしこの「反動」も失敗に終わり、今日本文学は前へ進むこともできず、過去に戻ることもできず、中途半端の状態のまま立ち往生しつつあります
この状態をなんとかして、ふたたび日本文学を前へ進めてゆこうとして始めたのが「日本文学の革命」運動なのです
僕が戦後文学を否定するのは、そういう意味合いがあるからなのです