「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

三つのノート

2006-03-30 07:05:07 | 日本文学の革命
僕の机の上に三つのノートが置いてある
一つ千円もする上質のノートである

それぞれに表題を書いてある

○則天去私の実現―『明暗』

○仏教と文学の融合―『文学論』

○新しい韻文の形成―新しい文学の樹立

今この三つのノートを書いてゆくのに没頭している
これさえ出来れば「日本文学の革命」は実現すると言っていい

まさに機は熟している
「日本文学の革命」を実現することが出来る!

戦後文学について

2006-03-26 21:38:52 | 日本文学の革命
阿部公房についていろいろ教えてくれてありがとう

buddadog_o_la_la さんはどうやら文学通の方のようですね
あなたのような人が「日本文学の革命」に興味を持ってくれたとは、うれしい限りです

阿部公房については、重要な作家だとは認識していたんですが、他にもやらなければならないことが多すぎたので、ついつい手をつけていませんでした
でもこれを契機に阿部公房の小説を読んでゆきますよ

>こう言ってはなんですが、関場さんが現在の文学界の視野の狭さにいらだつように、関場さん自身もある種の文学に対しては感性を欠いているのではないですか。
戦後文学には自分が感じ取れないような部分での豊かさがあるのかも、と考えてみたことはありませんか

それはあるでしょう
僕も戦後文学が全くダメだとは言っていないのです
いろいろ豊かなものが達成されてきたはずです

では僕が戦後文学の何を問題にしているかというと、それが日本文学の「本質的発展」にほとんど何も寄与してこなかったことを問題にしているのです

日本文学の「本質的発展」とは何か
日本文学の本質とは何なのか

それは「日本文明の変革」であると僕は考えています

明治以前の京都を中心にして形成された古い日本文明
それはたしかに偉大なものであり、今でも日本人の本質を形作っていますが、しかし明治以後の新しい時代においては時代遅れのものになろうとしている

この古い日本文明を克服し、新しい時代にふさわしい新しい日本文明を築こうとしたもの、それが日本文学なんです

戦前の日本文学者たちはまさにこれに奮闘していたのであり、彼らが血みどろの闘いをしていたのはまさにこのためなのです
そして彼らは実際のところ「あと一歩」というところまでこれを成し遂げたのです

それに比べて戦後文学には、新しい日本文明を築こうとした作家などは見あたらないのです

それどころか、京都文化を復活させようとした三島由紀夫に典型的に表れているように、戦後文学は「反動」ですらあったのです
それは戦前の文学を否定してなんとか「封殺」しようとしてきた戦後文学の傾向にも、また「プチ平安朝化」した今の文学状況にも現れています
(戦前の文学があれほど乗り越えようとしてきた「外国主義」も、戦後復活してしまいました)

しかしこの「反動」も失敗に終わり、今日本文学は前へ進むこともできず、過去に戻ることもできず、中途半端の状態のまま立ち往生しつつあります

この状態をなんとかして、ふたたび日本文学を前へ進めてゆこうとして始めたのが「日本文学の革命」運動なのです

僕が戦後文学を否定するのは、そういう意味合いがあるからなのです

「具眼の士」のいない現在

2006-03-23 06:56:02 | 日本文学の革命
戦前の日本文学には文学者たちの強力なネットワークがありました
(いわゆる「文壇」というものです)

この強力なネットワークが絶えず文学界全体に目を光らせていて
何か面白そうなもの、すごそうなもの、有望な新人、意欲ある運動、などがあったら、文学関係者の誰かが必ず見つけて、すぐにそれを他の人々に伝えてゆき、森鴎外や夏目漱石や永井荷風のような「具眼の士」の目にもたちまち届いてしまう
そのような構造を持っていたのです

鴎外はその辺のことを「いい作品が具眼の士の目からもれることはない」と表現しています
当時のネットワークがいかに強力であり、かつ有効に働いて、いかに文学界を活気づかせてきたかがうかがえます

だが今やこういうネットワークはなくなってしまいました

内容はさておき、「日本文学の革命」は十分意欲のある、魅力的であり挑戦的である運動だと思います
これが戦前だったら、すぐに文学者たちのネットワークにひっかかって、彼らの注目するところとなったでしょう

ところが今の文学関係者たちは(出版社もそうです。インターネットでやっているということが気に入らないのかも知れません。インターネットで日本文学に革命を起こされた日には、紙メディアの権威はがた落ちになるからです)、「日本文学の革命」という運動があることを知っても、それを「握りつぶそう」とするのです
見てみないふりをして、黙殺してくる
世に出る前になんとか消えて欲しいと念願している節さえあります

戦前と比べて、これは情けないほど意欲のない、卑屈な態度です
おそらく今の文学界には「具眼の士」すらいなくなったのでしょう

今の文学界がこういう現状である以上、大衆戦略に訴える以外に手はないように思えます

日本社会のための戦い 4

2006-03-19 22:25:44 | 日本文学の革命
今やっている「日本文学の革命」運動は、この「反外国主義運動」の続きなのです
前の運動が破壊だったのなら、今度は破壊のあとに続く建設の運動なのです
外国主義でもなければ国粋主義でもない「第三の道」を開きたいのです

日本文学は伝統的にこの「第三の道」を切り拓こうとしていたのです
その日本文学を復活できれば、この「第三の道」も開けるはずです

長々と書いてきましたが、要するに「日本社会のための戦い」をやっているつもりでいるのです
くだらないコメントスパンと一緒にされたら困るのです

日本社会をいい方向に持ってゆこうとする戦いです
実にやりがいのあるものです

べつに今すぐ答えを求めるというものではありませんから
気が変わったらどうか協力してください

日本社会のための戦い 3

2006-03-19 22:24:33 | 日本文学の革命
当時の社会では、退廃した外国文明崇拝に対する嫌悪の感情が日本国民の間に広がっていました
若者たちの醜いアメリカかぶれ外国かぶれに対する苦々しい気持ちが蔓延し、それが国粋主義的反動さえ起こしかねない状態だったのです

最大の脅威は、この国粋主義的な感情が田中派と結びつき、田中派を応援し始めることでした
そうなったら田中派に巨大な風が吹くことになり、田中派が推進している「国会独占」が国民的な後押しを得て、まさに現実のものとなったでしょう

それを防ぐためには、なんとしても今ここで「外国主義」を打ち壊す必要がある
国粋主義的反動が起こる前に、また国粋主義者につぶされる前に、自分たちの手で徹底的に打ち壊してしまう
そうすれば国粋主義的反動を未然に防ぐことができるし、またそれが田中派の後押しをするのも防ぐことができる
そして外国主義でもなければ国粋主義でもない「第三の道」への期待を人々に抱かせる
そうすれば田中派の「国会独占」も日本全体の国粋主義化も防ぐことができるだろう

そう思って「反外国主義運動」に打って出たのです
始めた当時は一人きりの運動でしたから、もう決死の覚悟でした
当時は外国文明崇拝に反対することはそれ自体がタブーでしたから、至るところで白い目で見られました

しかし同じ思いを抱いている人はどこかにはいるもので、そのうちに桑田佳祐をはじめとするミュージシャンたちが続々と立ち上がってくれました
彼らが捨て身の勢いで激しく戦ってくれたおかげて、戦後の外国主義は打ち壊され、反動的国粋主義も未然に防がれ、田中派の「国会独占」も失敗したのです
(この戦いは実に長い間続き、去年の9月11日の選挙で、ようやく田中派は完全崩壊して決着がついたのです)

日本社会のための戦い 2

2006-03-19 22:22:50 | 日本文学の革命
もう10年以上も前のことですが、94年にも決死の思いで社会運動を始めたことがあります
「反外国主義運動」と銘打った運動で、「外国主義はもう時代遅れです」という看板を掲げて、渋谷をはじめ東京のさまざまなところで街頭に立ち、辻説法みたいにして人々に訴えました

これも日本社会のために戦った運動でした
93年に自民党が分裂するという「政治改革」が起き、細川内閣が出来たり、新進党が結成されたりと、たいへんな激動が起きました
そのとき日本社会にたいへんなことが起きようとしていたのです
田中角栄が育てた派閥が、自己を二つに分裂させ、一つは今まで通りに自民党を支配し続け、もう一方の党の外に出た勢力は新たに政党を結集し、社会党を蹴落として、新たに自民党との「二大政党」を築こうとしたのです
これは形式的には「二大政党」ですが、実態はどちらも田中派であり、事実上の田中派による国会独占が起きようとしていたのです

これはたいへんな反動的国粋主義政権が日本を支配することを意味します
田中派はあの全体主義国家中国共産党とつるんでいますし、浮薄な西洋かぶれを憎悪して地方の伝統文化の再生を悲願としていました。また遷都で東京を滅ぼし、東京を「奈良化」しようと目論んでいました

ある意味戦前の軍国主義台頭に匹敵するような事態が、日本に起きようとしていたのです

日本社会のための戦い 1

2006-03-19 22:21:21 | 日本文学の革命
僕がなぜ「数百万人への大拡大」に打って出たかというと
「自分を知って欲しい、自分の考えを伝えたい」から、というのとはちょっと違います
また誰かとコミュニケーションを楽しみたいから、というのでもありません
コメントスパンがそうであるように、自分が儲けたいからやる、金が欲しいからやる、というのでも全然ありません
(僕はこれをやることによって一銭も得ていません。それどころか僕のホームページに載っている作品は、もし本にしたら数万円になってしまうでしょう。内容的にもたいへん重要なものだと思います。それを全くの無料で提示しているんです)
またくだらない虚栄心も僕にはありません

ではなぜこれをやるのかというと、ひとえに日本文学を変革したい、ひいては日本社会をいい方向に持ってゆきたい、という思いからなのです

社会に影響を及ぼすためには、数人の人間とコミュニケーションを繰り返しても、それだけではゼロに等しい
数十人、あるいは数百人とコミュニケーションをしても、ほとんど効果がありません
(僕は今までずっとそうしてきたのです。その結果「日本文学の革命」が全く社会に広まらないという結果を招いてきたのです)

だがもし「数百万人」の人間が「日本文学の革命」という運動の存在を知ったなら
これは一つの大きな社会的パワーになってしまうんです

必ずしも「革命」の具体的内容まで知る必要はない
「日本文学の革命」という運動がある
日本文学に革命を起こそうと真面目に努力している人間がいる
そういうことを知ってもらうだけでいいんです

「数は力なり」じゃありませんが、それだけでも「革命」を起こすのに必要な社会的パワーが得られるんです

もう「日本文学の革命」は文学的には出来つつあります。時間の問題だと言っていいでしょう
さらにその上にこれだけの社会的パワーが得られたのなら、まさにそれを力に一挙に「革命」を成し遂げてしまうことができるのです

このままでは衰亡してしまうであろう日本文学を復活し、新たに前へと前進させてゆくことが出来るようになります
ひいては日本社会の前に、未来のための新しい広大な可能性を開くことも出来るのです

破竹の勢いで驀進中

2006-03-12 19:47:14 | 日本文学の革命
「日本文学の革命」がどんどん進行していっている
まさに破竹の勢いとはこのことだ

「新しい韻文」も手がかりがつかめたし、「仏教と文学の融合」もどこをどうすればいいのかはっきりした。「則天去私」も書いていけるし、『漱石』もインターネットに関する評論もみんなどんどん書いてゆける

もうすべてが完成した
具体的に書いてゆける

そして「新しい文学世界」も開けてきた
今までにない文学世界を具体的に建設してゆくことができる

ここまで来たらもう、「日本文学の革命」は実現したと言ってもいいんじゃないかと思えてくる

長い苦しい闘いだったが、そろそろ決着をつけることができそうだ

手ごたえあり!

2006-03-08 01:33:15 | 日本文学の革命
ここ一、二週間ほど、希望と絶望の間を激しく揺れ動く不安定な精神状態が続いていた
昨日と今日とではまるで違う、夜と昼とでも違う、どうかすると数時間ごとに移り変わるような激しさだった

絶望に駆られて「もうダメだ」とすべてを投げ出したくなったり、かすかに希望の光を感じて歯を食いしばって前へ進んで行ったり、頭の中では常に戦争状態だった

「則天去私」「仏教と文学の融合」そして「新しい韻文」
これが「新しい文学」の主要な構成要素で、これらが実現できたなら文字通り今までにない新しい文学世界を開くことができる
そう思ってとにかく前へと進んで行った

今日 和歌の韻律構造を分析していたとき、「これはできるかも知れない!」という手ごたえを感じた
ガチリと鉱脈を掘り当てた感じだ

「新しい韻文」が具体的に構築できそうだ
これに「則天去私」と「仏教と文学の融合」を加えたなら
まさしく今まで誰も書いたことのない文学を生み出せるに違いない

書いていける!
書いていける!
書いていける!

たしかに書いていける!

たしかな手ごたえをつかむことができた!