様々なものが「01化」され電子情報化されてゆくのを今まで見てきた。画像も音声も文字も、触覚や味覚などの情報もどんどん「01化」されてゆき、果てはわれわれの人生さえも丸ごと「01化」されかねない所まできた。そして最後に考察したいのが「通信の01化」である。このような「01化」され電子情報化されたものがどのように伝達されてゆくかというメディア的な問題についてである。
まず指摘したいことはこの「01化」された電子情報が極めて微細だということである。塵やほこりや芥よりもはるかに小さく、原子よりも小さく、まず目にすることができないような微細な存在なのである。重さも極めて微細であり、厳密に計測すればあるのだろうが、まああってないようなものである。それでいてこの電子情報の内に高精細な画像も大容量の動画も緻密にプログラミングされた実行ファイルも何でも収めることができるのである。
これを長い間人類のメディアの主役であった紙と比べてみると、その差は歴然である。紙は数枚程度ならペラペラして軽いもので、そよ風に乗っても飛ばされてしまう存在だが、これが束となって一冊の本を形成するようになると途端にズシリとしてくるのである。これが数十冊数百冊となるとすさまじい重さになってしまい、引っ越し業者の人を苦しめることになる。これを遠方に輸送しようとするとさらにたいへんで、トラックや重機やコンテナを動員しての大労力が必要となってしまう。それでいて情報量としてはたいしたことないのである。この『電子同人雑誌の可能性』もどんどん膨れ上がって今では一冊の本になるほどの分量になり、よくもまあここまで書いてきたなあと感慨深くなるが、さっき情報量を調べてみたらたった437キロバイト。メガにも達していないのである!写真数枚程度の情報量である。こんなのだったらインターネットを使えば鼻歌感覚で送信できる。たとえ何十冊何百冊の本を送信することになっても、やはり造作なくできてしまうのである。
この微細な電子情報を送信するエネルギーもたいしてかからない。テレビがテレビ情報を伝えるためには高い塔の上から巨大な電圧とものすごいエネルギーをかけて全国に電波を飛ばす必要がある。これほどのパワーとコストを発揮できるのは政府機関や大企業ぐらいなもので、自然テレビは彼らの独占事業となり、上から一元的に管理された一方向的メディアというテレビの特質を構造づけている。しかしこれほどのパワーを発揮しても、せいぜい国内にしか届かないのである。海外のテレビ、地球の反対側のテレビを受信できるかというと、まず無理なのである。
それに対して電子情報の場合は送信エネルギーがほとんどかからない。スマホで海外にいる友達に写真付きのメールを送るとしよう。その際スマホが海外まで情報を飛ばそうとヤッキになり、エネルギーを酷使して熱くなって、スマホが触れないほどになってしまう、ということはもちろんない。海外だろうがどこだろうが苦もなくメールを飛ばせるのである。動画だって送れてしまう。多少送信時間がかかる程度である。しかも動画サイトを利用すれば無料で送信も公開もできてしまうのである。
微細で重さゼロ、それでいて緻密で大容量の情報も扱える「01」情報を使えば、どんなメディア情報でも世界中に簡単に送信できる。そんなとてつもない時代が到来したのである。
その速度もすごい。光ほどではないが電子もすごいスピードで移動するのである。たしか一秒で地球数周する筈である。一秒以内に世界のどこにでも行き着くことができる訳である。『八十日間世界一周』というような原始的な速度を遥かに超えて(ただロマンチックな時代だったが)、世界が秒単位で送信し合い交流し合うという、これまた空前の時代が到来したのである。
まず指摘したいことはこの「01化」された電子情報が極めて微細だということである。塵やほこりや芥よりもはるかに小さく、原子よりも小さく、まず目にすることができないような微細な存在なのである。重さも極めて微細であり、厳密に計測すればあるのだろうが、まああってないようなものである。それでいてこの電子情報の内に高精細な画像も大容量の動画も緻密にプログラミングされた実行ファイルも何でも収めることができるのである。
これを長い間人類のメディアの主役であった紙と比べてみると、その差は歴然である。紙は数枚程度ならペラペラして軽いもので、そよ風に乗っても飛ばされてしまう存在だが、これが束となって一冊の本を形成するようになると途端にズシリとしてくるのである。これが数十冊数百冊となるとすさまじい重さになってしまい、引っ越し業者の人を苦しめることになる。これを遠方に輸送しようとするとさらにたいへんで、トラックや重機やコンテナを動員しての大労力が必要となってしまう。それでいて情報量としてはたいしたことないのである。この『電子同人雑誌の可能性』もどんどん膨れ上がって今では一冊の本になるほどの分量になり、よくもまあここまで書いてきたなあと感慨深くなるが、さっき情報量を調べてみたらたった437キロバイト。メガにも達していないのである!写真数枚程度の情報量である。こんなのだったらインターネットを使えば鼻歌感覚で送信できる。たとえ何十冊何百冊の本を送信することになっても、やはり造作なくできてしまうのである。
この微細な電子情報を送信するエネルギーもたいしてかからない。テレビがテレビ情報を伝えるためには高い塔の上から巨大な電圧とものすごいエネルギーをかけて全国に電波を飛ばす必要がある。これほどのパワーとコストを発揮できるのは政府機関や大企業ぐらいなもので、自然テレビは彼らの独占事業となり、上から一元的に管理された一方向的メディアというテレビの特質を構造づけている。しかしこれほどのパワーを発揮しても、せいぜい国内にしか届かないのである。海外のテレビ、地球の反対側のテレビを受信できるかというと、まず無理なのである。
それに対して電子情報の場合は送信エネルギーがほとんどかからない。スマホで海外にいる友達に写真付きのメールを送るとしよう。その際スマホが海外まで情報を飛ばそうとヤッキになり、エネルギーを酷使して熱くなって、スマホが触れないほどになってしまう、ということはもちろんない。海外だろうがどこだろうが苦もなくメールを飛ばせるのである。動画だって送れてしまう。多少送信時間がかかる程度である。しかも動画サイトを利用すれば無料で送信も公開もできてしまうのである。
微細で重さゼロ、それでいて緻密で大容量の情報も扱える「01」情報を使えば、どんなメディア情報でも世界中に簡単に送信できる。そんなとてつもない時代が到来したのである。
その速度もすごい。光ほどではないが電子もすごいスピードで移動するのである。たしか一秒で地球数周する筈である。一秒以内に世界のどこにでも行き着くことができる訳である。『八十日間世界一周』というような原始的な速度を遥かに超えて(ただロマンチックな時代だったが)、世界が秒単位で送信し合い交流し合うという、これまた空前の時代が到来したのである。