「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 27 「様々な志ざしと同人雑誌」

2016-08-22 04:33:46 | 日本文学の革命
たとえば、ここにサッカーチームのACミランが大好きで、その思いを人々と共有し広めたいと思っている若者がいるとしよう。彼がACミランの情報や活動を伝える雑誌を作り、それをネットに出して、人々に広める行為をしたとすれば、それは立派な「志ざし」の発現であり、その雑誌作りは一つの立派な創作活動である。ACミランにオタク的に詳しい仲間が2、3人集まればこのような同人雑誌の発行は可能である。さらにその周りに十数名ほどACミランのファンがいて彼らの思いに共鳴して協力すれば、このACミランの同人雑誌は一つの発展する流通ネットワークまで獲得するのである。
このような雑誌は普通の商業雑誌ではカバーできない内容となっているため、サッカーファンを中心にかなり購読者を増やすかも知れない。さらには本場イタリアにもネットワークが広がるかも知れない。現地のACミランファンとのネットや翻訳ソフトを通じた交流が始まり、その模様も雑誌に書かれ、このミラン大好き若者がイタリアに観戦ツアーに出かけたときは、イタリアの仲間たちと現地で交流し、共にミランの応援に出かける、ということも十分起こり得るのである。(同じことはたとえば広島カープでもできる。カープファンの広島市民の一人が立ち上がり、仲間を集め、ネット上で雑誌を発行し、その同人雑誌を拠点に交流を広げてゆけば、その先に多彩な人々との交流と自分の趣味や思いを広げてゆく機会が広がってゆくのである。カープの選手との交流という夢のような出来事も叶うかも知れない。もちろんこのような雑誌作りは巨人でもソフトバンクでもできる。そのような雑誌同士が応援合戦をしたり罵詈雑言を浴びせ合ったりすることもアリだと思う。野球界が盛り上がる)

たとえばベトナム料理が大好きな女性がいるとしよう。彼女がいままで貯えてきたベトナム料理の知識と経験を総動員して「ベトナム料理を日本に広めよう」という雑誌を作ったとき、これは彼女の「志ざし」の発現であり、その社会的な実践となり、彼女による手作り感いっぱいの創作活動ともなるのである。彼女は身近にいる家族や友人に雑誌の購買を頼み、また購読を通じて彼女の趣味を周りの人々に広げてゆく。ネットでの活動を通じてネットでもベトナム料理の愛好家仲間を増やしてゆく。雑誌主催の料理会も開いて、そこに同人や購読者や日本に出稼ぎに来たベトナムの若者たちも招いて、ともにベトナム料理を作り、ともに味わうという交流活動を行ってゆく。彼女はこの雑誌活動を通して、自分のベトナム料理に関する趣味をさらに深め、広め、友人の輪も広げ、副収入まで得ることができるのである。

あるゲームが好きだ、やりたい、ということも、一つの趣味であり、「志ざし」の発現であり、その対戦活動は仲間たちとの魂の交流であり、ゲームを通して仲間を広げてゆく行為となるのである。どんなゲームでもいいが、ここでは囲碁を選んでみよう。囲碁の対戦を楽しむ団体としては全国各地に碁会所や専門の店があり、そこに老若男女様々な人々が集まっては碁を打ち合い、同時にコミュニケーションを楽しんで、それはそれで楽しいコミュニティを形成している。同じようなコミュニティは、ある碁好きの人間がネット上に碁の同人雑誌を作り、そこに仲間を募ることで形成することもできるのである。碁の対戦ソフトは今でもあるので、それを雑誌上にプログラミングすることは可能である。集まった同人たちの顔写真が並んでいて、今対戦可能かどうか、何日の何時からなら対戦できるか、どれだけのランクの強さなのか、というようなことが書いていて、好きな相手を選んで対戦できる。面白そうな対戦なら他の同人がリアルタイムに見ることができるし、コメントを寄せることもできる。普通の碁会所や店だとその地域の人しか集まれないが、こちらは全国誰もが同人になれて、韓国や中国の同人もできるかも知れない。世界的な対戦ゲームソフトは今でもあるが、それは相手の“顔”がまったく見えないもので、純粋にネット的関係である。しかしこちらは碁会所のように相手の顔が見れるのであり、同人雑誌的な魂の交流団体でもあり、ネットと碁会所の中間的存在なのである。だから「たまにはリアルに対戦しようよ」ということで同人仲間たちを募って一泊二日の熱海旅行に出かけ、熱海見物をして温泉につかると同時に、旅館の広間を借りて碁の対戦会をし、終わったら仲良く飲み会をする、ということもできるのである。また雑誌ならではの特集記事として過去の名人戦を分析した連載記事だとか、碁の歴史とか碁に関する面白い読み物を書いてゆき、一般購読者を広げてゆくこともできるのである。雑誌の購入が会費みたいになり、たとえば7月号を買えば7月中は対戦できるとすることで、利益を出すこともできる。
(続く)

電子同人雑誌の可能性 26 「同人雑誌の復活は可能か」

2016-08-22 04:30:11 | 日本文学の革命
まずかつての同人雑誌のような創作団体―文学系、美術系、音楽系、芸術系、あるいは哲学系学問系の団体は、技術的にはそのまま同人雑誌の再現が可能である。結成の旗印となる何かの理想を掲げて、仲間を集め、創作を持ち寄り、それを雑誌化して、世の中に向かってアップロードしてゆくことは十分可能なことである。これまでは文字しかできなかったが、今や写真や美術作品も高精度のものをいくらでもネットに出すことができるのである。バンドのミュージックビデオも簡単に撮ってアップロードできる。劇団の公演までビデオ撮影してネットで公開できる。僕の知り合いにネットでコントやネタ的企画を公開している若者がいるが、その技術や仕上がり具合はテレビ番組に負けないくらいである。それを365日毎日出すことを日課にしている。それだけの大量情報を公開できる容量も(しかも無料で)解放されているのである。

ただまだ戦前のようなネットワークは構築されていない。横の連携が悪く、相互の交流もほとんどなく、相互が離れ小島的に孤立して活動している。上のネットワークに至っては、既存のメディアが無視していることもあって、まったく構築されていない。しかし彼らの活動を励まし、その成果を引き上げるようなネットワークが築かれ、また同時に本当に発展する文化が彼らに与えられたのなら、彼らの中から戦前と同じような本物の文学者や芸術家が続々と現れることは十分可能なのである。

しかし志ざしといっても、戦前の同人雑誌のような烈鋭的で挑戦的な、悲壮感さえ感じさせる志ざしのみが志ざしなのではない。人間がやりたいと思うこと、情熱を込めて打ち込めるもの、他の人々と思いを共有し広めたいと思うこと、これはすべて「志ざし」なのである。そしてその志ざしを持って作られた雑誌はそれ自体が創作であり創造行為なのである。