「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

ゴールドラッシュ状態

2010-03-28 18:18:57 | 日本文学の革命
> 近況はどんな感じですか?


それが実にいいんですよ!

書けば書くほどズバズバ多くのものが出てきます
毎日毎日が発見の連続なんです

たとえば、ここにシェイクスピアの文体の本質があるだろう、とそこを掘ってゆくと、まさにそれが出てくるのです

ここにドストエフスキーの文体の秘密がありそうだと、掘ってみると、ジャストミートでそれが出てきました

この前などには、到底分かるはずがないと思っていた西洋近代文学の秘密まで分かってしまって(あまり詳しく説明できませんが“福音書”です)、大喜びしました

そんな感じで次から次へと発見・発掘を繰り返してます
貴重な金鉱を次々と発見しているようなものです

まあ 僕は相変わらず貧乏で、毎日卵かけご飯で暮らしてますが、精神的にはゴールドラッシュ状態で、大判小判がざっくざくというウホウホの毎日です

ここまで多くのことが分かるということは、“できる”ということなのでしょう

「日本文学の革命」もほんとにあともう少しだと思います

なつかしき仙台

2010-03-28 18:05:47 | 日本文学の革命
>そんなこと言うなよー。
関場君は仙台三校にトップで入学して、
入学式の宣誓をしたんだぞー!

ところで関場君、仙台一校が男女共学に
なったって知ってた?
時代は変わったね。


だれですか、あなた?

なんでそんな詳しいことまで知ってるんです?

ひよっとしてキャノンの君ですか
もしそうだとしたら、テレビ以来ずいぶん長く経つのに、僕のことを忘れずにいてくれて、ありがとう

あれからもさんざんバカにされてきましたが、ようやく「日本文学の革命」もできそうです
日本文学の復活ー誰かがやらなければ、日本にとってたいへんな損失をもたらしますー、これが実現できそうです

仙台がなつかしいですよ
とくに仙台の自然が!
あの東北の自然、宮沢賢治が描いたあの自然、あれは僕の心の故郷です

もし別荘が持てるんなら、仙台郊外の泉区、あそこに別荘を持つのが僕の夢なんですよ
一年のうち一月でもいいからあそこで暮らせたら、どんなにいいだろう、と思ってます

会社の仕事もそうでしょうが、何かをやろうとすることはたいへんな苦しみをもたらしますが、おたがいへこたれずに、がんばってゆきましょう!

昔は「革命」が当たり前だった

2010-03-28 17:18:01 | 日本文学の革命
>外部の持ち込みを許可するとその対応に人手をさく必要がでてくるじゃあないですか。そんな面倒までして売れない文筆家を量産しているほど出版社の余裕はないと思いますよ。
”「外部からの持ち込み企画」としか映らない”というよりは外部からの持ち込み企画でしかないですよね。

自信がおありでしたら、一部を70枚程度に抜粋もしくは要約して群像新人文学賞の評論部門にでも出されたらどうでしょうか。もしくは小説部分を文学賞に出すのでもいいかと思います。
編集さんをうならせることができたなら、完全版での出版にこぎつけるかも知れませんよ。
完成する気があるのなら、人に評価を受ける気があるのなら、早く完成するといいですね。


たしかにそうですね
文学賞にせっせと応募していたら、もしかすると今頃は職業作家になれていたかもしれませんね

でも文学賞には抜き難い不信感があるんですよ
日本文学をダメにした大きな原因の一つがこれなんじゃないかと

戦後は賞によって作家が生み出されるのが当然になりましたが、戦前は違っていたのです
意外に思うかもしれませんが、戦前の文学者たちの多くは「革命」によって世に出てきたのです

彼らは大胆にも前代の文学を否定して、「オレが新しい文学を作るんだ!」というものすごい気概で登場してきました
彼らのほとんどが同人誌から出てきたということもありますが、先輩や既成の権威などに従わず、「自分たちでやるんだ!」というたくましい意欲にあふれていたのです

一例をあげれば、正岡子規なんかもそうだったのですよ
彼は従来の和歌や俳句の革新を目指しました
当時和歌や俳句は最高級の芸術とみなされていて、それを大胆にも革新しようなんて、恐れ多いことこの上ないものでした
まさに彼も「日本文学の革命」をしていたのです

そして和歌や俳句にはもう発展の余地がないと見てとるや、今度は写生文を主張し、新しい日本語表現を追及してゆきます
ある意味日本語そのものを革新しようとするような、大胆きわまりない行為でした

ほとんど無名の肺病病みの青年がこんなことをやろうとしていたので、彼を直接に知らない人からはおそらく気違い扱いされたでしょう

この溌剌とした気概、ものすごい意欲、既成の権威におもねらず自分の力でやる!という決意
これは戦前の日本文学者に共通していた精神だったのです

漱石の言葉に「“おのれ”のない文学者は蝉の抜け殻同様でなんの役にも立たない」というものがありますが、昔の日本文学者の、この一見恥知らずの気概や意欲は、この“おのれ”から発し、この“おのれ”を鍛え抜くものでもあったのです
こういう“おのれ”に支えられて、彼らはあれほどの業績を残すことができたのでしょう
(重要なのはこういう“おのれ”が、決して思いあがった傲慢ではなく、事実その通りだからそうしていただけなのです。正岡子規は日本語の革新を目指しました。とんでもない傲慢な行為に見えますが、事実彼はその通りのことをしたのです。正岡子規自身はできなかったのですが、子規の影響で文学に引きずり込まれた漱石がそれを成し遂げてしまいました)

戦前の日本文学者には、強靭な“おのれ”、豊かな自立性がありましたが、戦後の賞制度はこのような“おのれ”を奪ってしまうのです
上から権威的に与えられる賞によってはじめて作家として認定される
これほどの他律性はありません
賞制度が確立して以来、日本文学が衰退をはじめ、今や滅びつつあるのは、偶然ではないように思えます

まあ こんなことにこだわるから、いまだに職業作家になれないんでしょうね(笑


一度会って話を聞いて欲しいだけ

2010-03-28 16:38:57 | 日本文学の革命
>単にあなたの手紙が編集者の興味をひかなかったってだけでしょう。
自分は歴史に残る革命的作品を書いたとかこれから書くとかいう人は昔から沢山いて、出版社に手紙や企画書や原稿の束を送りつけてくると言います。
そういう大勢の中の一人だと思われてるんですよ。
だいたい、「革命」程度の言葉におののいてたら編集者なんてつとまらんでしょう。
本当に革命的な言論だと思われたら、向こうは引くどころか飛びついてきますよ。出版社はそういう企画を欲しがってるんだから。
よくここまで自分に都合よく解釈出来るなぁと感心します


ずいぶん長いこと返事をしないですみません

実は今ままで長い長い手紙を渾身の力をこめて書いていて、それに頭を奪われていたのです

まあ 僕も感じとして「引いているみたい」と書いただけなのですけどね
本当のところは、向こうがまったくのだんまりなので、僕にもわかりません

ただ僕が手紙で要求したことは「一度会って話を聞いてほしい」ということだけでした
それぐらいのことなら、暇なときにでも呼び出して聞いてみればいいだけなのですから、応じてもいいとおもうのですが
こちらは『明暗』を完成させた、『文学論』も完成させた、日本文学を復活できると言っているのですから、疑わしいと思いながらでも、一度話を聞いてみることが出版社の社会的義務だと思うのですが
“万が一”その通りだったということもあり得るんですから(笑

僕の作品にはまるで価値がないとしても、漱石の作品、漱石の未完成作品を完成させたということなら、たいへんに価値があるはずです
たしかに一つの社会的「ニュース」になります
仕事で忙しいのは分かりますが、一度会って話を聞くことぐらいしてもいいと思いますが
もしこれが事実だとしたら、出版社にとっても一つの遣り甲斐のある大仕事になりますし

とにかく 一度会って話を聞いてほしい
それでもし協力してもいいという気持ちになったら、できる範囲のことでいいから、力を貸してほしい
ただそれだけなのです

出版社への手紙の現状 2

2010-03-28 16:29:10 | 日本文学の革命
出版社が黙殺してくる理由はいろいろ考えられますが
中でも一番大きな理由は、いまどき文学なんて売れない、純文学なんてもっと売れない
今 出版社はどこも経営的に苦しいから、売れないものになんかかかわっている余裕はない
というものでしょう

しかしこの点に関しては言いたいことがあります

かつて日本の出版業界は世界第三位の規模を誇っていました
第一位がアメリカ、二位が旧ソ連、そして第三位が日本でした
英語圏は世界中に広がっていますから、アメリカが第一位なのは当然のことです
ロシア語も旧共産圏を中心に世界的な広がりをもってました
それに対して日本語が通用するのはこの小さな島国の中だけ
それなのにアメリカやソ連に伍して堂々第三位なのは、実に立派なことだったのです

実際日本人は世界でもめずらしいほど本を読む国民だったのです
どこの駅前に行っても本屋の一つや二つはある、などということは日本だけかもしれません
前にインドを旅行したとき、どこに行っても本屋がないのに驚いたものでした
ようやくデリーの街角で小さな本屋を見つけて、中に入ってみると、そこにあるのは英語の本ばかりでした
インドの国民言語で書かれた本などどこにもない(だいたいインドに国民言語があるのかどうかも疑問ですが)
本屋の中も閑古鳥状態で、外国人の僕以外一人もいませんでした

今でこそ違うようになりましたが、一昔前まで日本人は本を愛好する本好きの国民だったのです
じゃあ なぜ日本人が世界でもめずらしい本好きの国民になったのか
その最大の理由は、夏目漱石などの昔の日本文学者たちが、日本人の血肉と民族性に根ざした豊かな国民文学を作ってくれたからなのです
生きた国民言語を形成し、それに高度な芸術的表現を与え、豊かで多彩な文学作品を生み出してくれたからこそ、日本人は本をよく読む国民になったのです
日本文学、とりわけ今や売れないものの代表とされている純文学こそが、日本人を本好きの国民にし、日本の出版業界を世界有数の規模にまで繁栄させたのです

今 深刻な出版不況で、宝島社の社長に言わせれば「出版業界は崩壊寸前」だそうですが、そうなった大きな原因の一つが日本文学、とりわけ純文学が衰退したことにあるのです
いわば日本の出版業界の“心臓部”が衰退してしまったのです
それが体全体を機能不全に追い込むのは、当然のことでしょう

逆にいえば日本文学が復活したなら、出版業界もよみがえる可能性が大きいのです
心臓がふたたび力強く動き出し、生き生きとした血液を体全体に送り込みはじめたら、衰退に歯止めがかかり、出版業界も復活するに違いありません

今「ネットと出版の融合」が急速に始まろうとしています
コンピュータやインターネットによる新しい言語文化が本格的に形成されようとしているのです

その際出版社の果たすべき役割は非常に重要なものになると思います
この新しい言語文化を築く上において、言語文化に精通している出版社が一方の柱になるでしょう

とにかく これからも出版社に働きかけてゆきますよ
日本文学の復活はもうできるんだから、なんとかそれを社会的にも実現させてゆきたいですね

出版社への手紙の現状 1

2010-03-12 06:57:29 | 日本文学の革命
>ところで、300万円の公費負担を受けるよりは、出版社に持ち込みをしたほうが、いくらかの報酬を手にする可能性が高いはずだけど、そういった現実的なアクションを起こすことは、もう全く断念した?
最近の書き込みで、いつの間にか『明暗』と『文学論』が完成したことになってるけど、これがもし本当なら、社会的なニュースだわな。
十二分に商品価値があるはずだし、出版社も企画持ち込みの話に飛び付いてくるはずだね。
もう紙媒体には見切りをつけた?
それとも、時期がくればいずれ出版社に持ち込みに行くつもりはある?


一年ほど前から出版社に手紙を送り続けているんですよ
突然行っても門前払いを食わされるのが落ちだから、事前にアポイントメントを取ろうと思いまして
営業用語で言うところのアポ取りですね

数十社の出版社にこつこつ送り続けて、今ではもう数百通は送りました
しかしほとんどまったく何の返事もありません
漱石とゆかりの深い岩波書店には10通くらい送りましたが、やはり何の反応もありません
届いていないはずがないと思うのですが、どうもだんまりを決め込んでいるようです

返事を返した出版社は2社だけです
一つは筑摩書房
返事の内容は「うちは外部からの企画の持ち込みは廃止しましたので…」というものでした
なんとも官僚的な答えです
「日本文学の革命」「日本文学の復活」を主張しているのに、この人には「外部からの持ち込み企画」としか映らないようです

もう一つはPHPです
その返事は「あなたの手紙を拝見しますと、文豪関係の名前がたくさん出てきますが、うちは文豪関係の本は扱っていないので別の出版社に送ってみては…」というものでした
管轄外ということでしょか
これも官僚的な答弁です

どうも感じとしては、「革命」なんて言葉を使っているから、引いているみたいですね
ヤバそうだ、危険だ、こんなことにかかわったら自分の社内的地位にも影響する
ということで見てみないふりをしているようです

昔の出版社の人間だったら、「革命」なんて言葉を使っても、「ほう。元気のあるやつが出てきたな。どれどれ」と興味を持ったでしょう
「会って話を聞いてほしい」と頼んでも、実に気軽に応じたはずです

しかし今の出版社は違ってしまったようです
日本全体を蝕んでいる官僚主義が、ここでも蔓延しているのでしょう