「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 270 「コンピュータの本質ー数学とは何か 17 」

2024-05-23 03:54:59 | 日本文学の革命
外界は様々な生物によって様々に異なる形で認識されているのである。生物ごとに異なる感覚器官や異なる興味関心に従って全く異なる形で外界を認識しているのである。外界を自分の都合のいいように切り取ったり色付けしたりしてその生物独自の「自分たちの世界」を形成していると言っていいだろう。では人間が外界に感じ取っている世界とは何なのだろう。それは「目の世界」である

目という感覚器官はまだ生物が海中の甲殻類だった頃からすでに持っていた器官だが、人間においてそれは極度にまで発達したのである。人間は他の感覚器官を犠牲にしてこればっかり発達させてきたと言っても過言ではないほどなのだ。他の動物たちが通常持っているような溢れるほど豊穣な感覚器官を人間はまるで持っていない。例えば犬であれば電信柱にかかっている他の犬のオシッコを嗅いで、そのオシッコの主の性別、年齢、健康状態、強そうなオスなのかそれとも可憐なメスなのか、さらにはその犬の今の気分や感情状態まで識別してしまう。そして自分もオシッコをすることでそのコミュニケーションの輪に参加するのである。ところが人間はそんなことはまるで出来ず「うわ。オシッコだ」と目を背けるだけなのである。人間の味覚は繊細で多彩で高度に発達しているが、しかしこれもライオンが獲物の生肉にかぶりついた時に全身から湧きあがって来る爆発するような快楽と恍惚感情に比べたら取るに足りないと言えそうだ。動物の中には「星の感覚」を持っているものがあり、人間にも大昔はあったようだが、今は「満月の夜には異常になる」という狼男伝説にその痕跡を残すだけである

人間はその進化の過程で実に多くの感覚能力を失ってしまったのである。動物たちが持っている豊穣な感覚世界を感受できず、逆にそのような感覚世界を「動物的」と言って忌み嫌っているほどなのだ。人間は感覚的には実に貧困な世界を生きている動物なのである

代わりに人間が発達させてきたのが「目」なのである。目の感覚がもたらす鮮やかな世界、一つ一つの事物が明瞭に明晰にそして豊かに見える世界、遥か遠くまで見渡せて天空高くまで見透せることができるような世界、地上をのたうっている動物たちとは隔絶した「より高い世界」、美しく神々しく光り輝いている「光の世界」、そのような世界を我々人間は追い求め、自分の周囲に形作っていったのである。人間は外界を「目の世界」「光の世界」として捕らえているのである

電子同人雑誌の可能性 269 「コンピュータの本質ー数学とは何か 16 」

2024-05-15 02:34:11 | 日本文学の革命
外界は「計算」によって支配することができるかも知れない。そこには確かに何らかの法則性や周期性があるし、しかもそれらは厳密な数量性や計量性を持っていて数的に把握できるものである。外界のこの法則性を見抜き、数的に掌握できたなら、外界を思うがままに操作できるかも知れない。この世界の根源にあるものを洞察し、その秘密の原理をあばき出すことにより、この世界を知的に支配することができるかも知れない。人間の巨大に発達した「計算」能力をもってすればそれが可能かも知れないのである

確かにその可能性はあるかも知れないが、しかし我々人間が見ている外界とは実は「人間にとっての外界」だけなのである。人間の感覚器官が捕えることができるもの、人間にとって役に立ち人間が必要としているもの、人間にとって興味関心が湧いてくるようなもの、そのようなもののみで成り立っている「人間にとっての外界」なのである。それ以外の対象は通常目にも耳にも入らないし、存在すら感知されないのだ

例えば海中にたくさん存在しているプランクトンは人間は通常目にすることはないし、直接食べれるものでもないので興味関心もない、人間にとって存在しないも同然の生物である。ところがこれが鯨の場合は、まさにこれこそが主食であり、美味しくてたまらない食物であり、大洋の果てから果てまで泳ぎ回って追い求めているほどの限りなく貴重な存在なのである。このプランクトンを認識し見つけ出す独特の感覚器官が鯨にはあるに違いなく、プランクトンを見つけ出し飲み込んでいる時は鯨にとってこの上ない至福の快楽を味わっている筈である

地磁気や磁場なども通常人間は感知することができず、長いこと人間にとって存在しないのも同然のものであった。地磁気を指し示す羅針盤なども長いこと面白いおもちゃぐらいにしか思わなかったろう。ところが鳩はどうもこの地磁気を認識できる独特の感覚器官を持っているらしい。彼らにはこの地磁気が有り有りとした存在として感じ取れるのであり、おそらく空に張り巡らされた道路標識みたいに見えるのであり、彼らがどんな遠方から放たれても自分の巣に正確に戻って来れるのはこの感覚器官があるからなのだろう。人間が地磁気や磁場の存在にようやく気づいたのは大航海時代になってからのことであり、果ても見えない大洋の中で行先を見つけ出すのに地磁気を指し示す羅針盤が大活躍してからである。まさにこの切実な必要性こそが地磁気や磁場の存在を認識させたのであり、この外界に実在する不可思議な存在の正体を探る努力を人間にさせるようになったのである

犬が感じ取っている外界も人間とは大きく異なっている。犬にとって最も重要な感覚器官とは「匂い」なのである。我々人間のお粗末な嗅覚とは比べ物にならないほど鋭敏な嗅覚を持つ犬たちは、外界を匂いによって峻別している筈である。飼い主を始め一人一人の人間を匂いによって明確に区別し、外界のさまざまな生物や物質も匂いで認識し、目に見えない遥か遠くの事物まで匂いによってアリアリと感知してしまう。おそらく人間のように知的に事物を認識しているのではなく、感性的肉体的レベルで事物を感受しているのだろう。しかも匂いだからすべてが混ざり合って独特のハーモニーを成している筈である。一つ一つが明確でありながらすべてが混ざり合った「匂い」の世界、生命に満ち溢れた香しくて美しいハーモニーの世界、そんな世界を犬たちは生きているのだろう。もし犬の哲学者がいたら「万物は匂いである」と人間の哲学者をズッコケさせるような判断を下してもおかしくない。彼らにとって世界はまさに「匂い」で出来ているからである

電子同人雑誌の可能性 268 「コンピュータの本質ー数学とは何か 15 」

2024-05-10 05:22:18 | 日本文学の革命
このような「計算」ー外界を自分の知性によって思うように操作しようとすることーは人間以外の動物たちももちろんしている。大空を翔けまわりながら狩りをしている鷹も、ただ当てずっぽうに翔けまわっているのではなく、人間の狩りなみに緻密な「計算」をしながら狩りをしている筈である。鷹の仲間で海岸で暮らしているトンビなどは海辺に旅行に来た観光客の手から実に見事にハンバーガーやおにぎりを奪い取っているが、その際決して観光客を傷つけたりしない。これはもし傷つけて人間たちを怒らせたらたちまち自分たちが害獣として駆除されてしまうことに気づいており、それを「計算」に入れて行動しているのかも知れない。猫などもしたたかな「計算」能力を持っていて、猫の赤ちゃん言葉でニャーニャー鳴けば人間たちがメロメロになってなんでも言うことを聞くのをよく知っているのである。膝の上に乗ったりグルーミングしたりして甘えたらさらに一層人間を意のままに操ることができる。ある意味猫の方が人間を飼い馴らしていると言ってもいいほどである。カエルは普段はボーとしていて何も考えていないように見えるが、目の前に虫が来たら一瞬の早技で舌を発射して搦め捕って食べてしまう。これを見るとカエルがボーとしているのも自分を岩か何かに見せて虫を引き寄せるための「計算」なのかも知れない

このように動物たちもさまざまな「計算」をしているのだが、人間の「計算」能力はその中でも群を絶しているのである。巨大に発達した大脳、他に類を見ない言語能力、道具や技術の伝承などで人間の「計算」は極めて緻密で大規模なものになり、他の動物たちを遥かに凌駕してしまったのである。そして人間はこの「計算」能力を駆使して外界のすべてを支配したいという野望まで持つまでになった。「計算」によって外界を思うがままに支配できたら、まさに人間にとって夢のような生活が待っているからである。狩りで「計算」を的中させたら獲物を次から次へと獲れることになり、原初の腹ペコで荒野を彷徨っていた人類にとってそれはまさに夢のような生活である。現代でも株や投資あるいはFXや競馬で見事「計算」を的中させて大金を手に入れることができたらやはり夢のようなゴージャスな生活が待っている

外界を思うがままに支配できるようになったらどんなに素晴らしいだろう。命じただけでピザや寿司などのご馳走がたちまち目の前に運ばれて来たら実に嬉しい。行先を告げただけで自動的に目的地まで運んでくれる乗り物があったらまさに魔法のようである。世の中のありとあらゆるものを見聞きでき、どこにでも行くことができるし誰とでも会うことができるような魔法の本があったら夢みたいである。自分の意のままに働かせ、自分に代わって辛い労働を行わせることができる奴隷や召使いがいたらまさに王様気分である。面倒な計算や帳簿作りや文章作りまで代わりに行なってくれる優秀なアシスタントがいたらこれも嬉しい

外界を思うがままに支配し操作することは太古から続く人類の理想なのである。外界という本質的に得体の知れないもの、怖しいもの、死と繋がっているもの、それでいて我々の生存がそこにかかっているもの、それを我々の知的支配下に置き、思うがままに操作できるようにするのである。人間の巨大に発達した「計算」能力を駆使すればそれは可能かも知れない。人間の野望は外界の支配へと乗り出してゆくのである