「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 188 「コンピュータの本質―「通信の01化」と世界を統一するメディア」

2019-04-13 05:29:59 | 日本文学の革命
この便利な電子情報を今日のように自由自在に送信できるようになるには長い歴史が必要であった。パソコンが始めて世界的な大ブームになったのは1995年に発売されたマイクロソフトのWindows 95からだが、当時マイクロソフトはパソコンをスタンドアローンの機器として構想していてネット通信はほとんど眼中に置いていなかった。もともと会社のオフィス内で覇権を握ろうとした企業なので、データはフロッピーディスクにコピーしてオフィス内で手渡しすればいいやと考えていたのかも知れない。その頃もパソコン通信なるものはあったが一部のマニアが片言の言葉を送信し合って楽しんでいるようなもので、電報みたいな「サクラサク ムスメゴウカク」「チチキトク スグカエレ」程度のものであった。それでも自分のパソコンから直接送受信できるので、プレミアムな特権感もあって本人たちは楽しんでいたのだろうが、メディアとしてはカスであった。

ところがその後インターネットが急速に拡大し、インターネット専用の閲覧ソフトも開発され(当時は高値で発売されていた)、インターネットのサイトを見歩いてゆくことが「ネットサーフィン」と名づけられ流行語になったりした。マイクロソフトも本腰を入れてインターネットに取り組むようになり、競合他社を蹴落としてやるために「インターネットエクスプローラー」を無料で配布して大きな話題になったりした。98年頃のことであり、この頃がインターネットの黎明期であったろう。

この頃のインターネットの通信は電話線がそのまま用いられていた。もともとアナログ的な音声情報を伝える線なのだが、この線ならばほとんどの家庭や会社にすでに届いていてあらためて敷設する必要はないし、この線を利用してインターネットの電子的01情報を伝えようとしたのである。ただそのためインターネットを使うと電話が使えなくなってしまうという今ではあり得ない事態も生じた。息子や娘がインターネットを使っていると電話から遮断されたお母さんに白い目で見られるという光景が当時の各家庭での風物詩になっていた。またその通信速度も今から見るとあきれるほど遅かった。ホームページ一つ表示させるにもかなりの時間がかかり、写真一枚ダウンロードするにもパソコン画面の前で何分も通信状況が悪い時には何十分もジッと待っていなければならない。動画を見るにも手間暇がかかり、動いていたものが突然止まったり、また動いたなと思ったらまた途切れたり、あらためて再ダウンロードを要求されたりと、たくさんの時間を費やしていたのである(しかもその間お母さんから白い目で見られ続けるのである!)。
ただそれでもこの新しいメディアには新しいワクワク感があって、掲示板などで今自分が書いた投稿が次の瞬間にはアップされているのを見たりすると、今までにない新鮮な驚きを感じて、遅さやイライラも忘れるほどワクワク楽しいものであった。

電子同人雑誌 ついに最終章

2019-04-09 05:44:00 | 日本文学の革命
長い間苦労して書いてきた『電子同人雑誌の可能性』もようやく最終章に近づいている。今書いているコンピュータについての章を書き終わったあと電子同人雑誌のネットワーク「同人内―同人間―文壇のネットワーク」を書くことになるが、これが最終章になる。これを書くことにより電子同人雑誌の全貌をヴィジョン的に確立させ、具体的に実現可能なものにしたいのだ。
実はこの章は一年半ほど前に書き上げようとしたのだが、うまく行かずに挫折し敗北を喫したものなのだ(当時は奈落の底に突き落とされたような絶望を味わったものだった…)。今回十分構想が熟したので、リベンジとして再挑戦し、今度こそ書き上げてついに『電子同人雑誌の可能性』を完成させようという訳である。

本当は早く『「こころ」と太平洋戦争』に取り組みたくて仕方がないのだが(これこそが決戦の場となる。日本文学にとってもあるいは日本にとっても衝撃的な著作になるだろう。ただもう着手は始まっていて、土台部分を精力的に建設している真っ最中である)、しかし『電子』もやはり書かなければならない。
もともと現在の時代遅れの「賞取りシステム」を克服し戦前の文学的社会制度「同人雑誌」(この「同人雑誌」の時代に日本文学は本当の発展を遂げたのである)を電子的に復活させようとして書き始めたものだが、今や「賞取りシステム」などどうでもよくなり、この制度が発揮できる社会的な効果に関心が移っている。電子同人雑誌という制度が社会的に実現したら、実にいい効果が日本社会にもたらされるのである。活力を失い衰退状態にある日本社会に新しい活力をもたらすことができるのである。発展の道を失い閉塞状況にある日本に新たな発展の道をもたらすことができるのである。メディア的にも魅力的であり、「誰もが参加でき世界の人々と魂の交流ができる」というインターネットの理想を実現できるメディアになるかも知れない。また日本と同じように衰退の一途を辿っている本や出版界を再生できるものになるかも知れないのである!
これほどの可能性が『電子』にはあるのだから、何がなんでも書き上げなければならない。何度も書くことを諦めて『こころ』に移ろうかと思ったが(先に挫折を味わったときなどは特に)、今度こそ書き上げてしまいたい。

経済的な仕事にも苦労しながら(週五日のレギュラーワークと週一の日雇い派遣の仕事で週六日働いているのである!ただ正社員に比べたら自由な時間をたくさん持つことができるので、そこは有り難いが)、毎日毎日寸暇を惜しんで頑張っている。
最近実にいいことが起こった。酒を克服できたのである。仕事終わりの酒は多くの人々の楽しみであり、僕も長年楽しみにしていたが、しかし仕事終わりの酒のために毎日1時間2時間も、酔っ払っていい気分になったらどうかすると3時間も4時間も、過ごすのは時間の浪費も甚だしい。ということで最近一念発起して酒時間を無くしてしまうことにした。具体的には酒量をコンビニで100円で売っている小さな箱の酒一つにとどめ、それをチューチュー吸いながら本を読んだり草稿を書いたり(さすがに仕事あがりでは疲れ切ってしまい文章を書くことはできない)するのである。酒を飲みながらテレビを見たり音楽を聴いたりしていた時間も文学に投入しようとしたのである。
二か月ほどたいへん苦しんだ。夜眠れなくなったり、体調が妙におかしくなったり、体がカッカと熱くなったりした。おそらくいつもやってくる酒が来ないので体がバランスを崩しておかしくなったのだろう。酒の誘惑にもたいへん苦しんだ。酒を飲ませないために仕事からの帰宅時には財布の中身がからっぽになるように調整して帰宅時どの店にも寄れないようにした。
その結果ようやく酒を克服して酒量を抑えることに成功できた。毎日文学に投入できる時間が拡大できたし、この一箱分の酒量は体にとって「百薬の長」になる量だというので人生の時間も増やすことができそうだ(笑

日本の未来を切り拓くために、拍車をかけて頑張ってゆきたい。

新しい時代の元号「令和」

2019-04-02 04:54:28 | 日本文学の革命
昨日のお昼ついに新しい元号が発表された。
どんな元号になるか、巷やネットでは様々な予想が立てられていたが、元号選考委員の人たちがJR東日本のように奇をてらって「開元ゲートウェイ」とかにしたら嫌だなと思っていた。そうなったら新しい天皇は「開元ゲートウェイ天皇」と呼ばなければならないのか。天皇に安っぽい名前つけやがって!と暴動になるかも知れないと心配していた。
というのはいつものジョークだが、新しい元号は「令和」となった。誰もが予想していなかったもので、今まで見たことがないような言葉である。

「令」の付く熟語としては「令息」「令嬢」「令夫人」などがあり、それぞれ「立派な息子さんで」「素晴らしいお嬢さんで」「こんな素敵な奥さんをもらえて。よっ!この果報者」という意味になるが、そうすると「令和」も「高貴な和」といったような意味になるのだろうか。
「令和」の出典は万葉集だそうだが、漢文的に読めば「和を令する」「和であるよう命令する」とも読める。強い口調で「和たれ!」と命じているような意味にもとれるのである。

どんな過程で「令和」が選考されたのかは明らかでないが、日本会議や安倍サイドから出たものではなさそうだ。再軍備や憲法改正や太平洋戦争肯定にヤッキになっている彼らに元号を選定させたら「再武」だとか「尚武」だとか「憲武」や「健武」だとかになってしまいそうである。

これはどうも天皇サイドから出たものかも知れない。今の平成天皇も昔の昭和天皇も先の大戦を深く痛んで、二度とあのような戦争が起きないように尽力してきた方々である。今の社会や世界の風潮―国際憎悪や人種憎悪があふれ、あちこちでテロや紛争や戦争騒ぎが起こり、国粋主義やネオナチまで台頭している―そんな風潮だからこそ日本はそれに乗ってはならない、それに同調してはならない、「平和であれ!」「素晴らしい和を目指せ!」「世界の人々との和を貴べ!」と強い口調で命じているのかも知れない。

いずれにしろ新しい元号が制定され、また新しい時代が始まろうとしている。
新しい時代に向かって、がんばってゆこう!