またこのような給料制的定期収入は、団体のメンバーには強大な経済的束縛ともなるのである。人は誰しも給料には弱いものである。給料を手にしたときは心からホクホクして、さあ今日は何か御馳走を食べようとか何か買い物をしに街に出かけようとか、嬉しくなるものである。逆に給料が断たれたときは目の前が真っ暗になり、ああこれからどうしよう、家賃や家のローンが払えなくなる、毎日の生活費にも事欠くようになる、このままではホームレスに追い込まれる、もう終わりだおしまいだ、と絶望してしまうものである。給料を断たれるということは現代の人間にとって死に直結するほどの重大事なのである。
しかしまあ人間というものは案外たくましいもので、給料を断たれたぐらいではすぐには死なないものなのだが。食べ物がないなら野山に出かけていってウサギやイノシシを狩って来ることができるし、栗や木の実を拾うこともできる。川や海に出かけて魚を釣ったり突き刺したりすることもできるし、海の底にもぐって貝やアワビを取ってくることもできるのだ。家がないなら木を切り倒して手作りのログハウスを作ることもできるし、着るものがないなら動物の皮を剥いでなめして毛皮を作りそれを身にまとうこともできるのである。現在の人類が誕生して20万年ほどになるというが、そのほとんどの期間を人類はこのようにして生きて来て、槍一本を手にして家族を引き連れて、世界中に拡散して行ったのである。現代の人間にもこのようなたくましいパワーは残っているはずだし、ロビンソン・クルーソーや『サバイバル』の少年のように何かの拍子で自然の中に取り残された人間は、たちまちこのパワーを取戻してたくましく生きてゆくものなのである。人間は給料を断たれたぐらいでは死なないのだ。
ちなみに会社を首にされて困ったあげく自殺するという者が跡を絶たず、リストラが横行する現代日本ではますます増えているが、実際に命を絶った人にはからかっているようで申し訳ないのだが、これには大きな論理的矛盾があるのである。
会社を首にされて何が困るのか。給料が断たれるからである。給料が断たれて何が困るのか。食えなくなるからである。食えなくなって何が困るのか。食えないと死んでしまうからである。とここまで論理的連関をたどってゆくと、会社を首になって困るのは死んでしまうからである、という結論に到達する。
しかしここでおかしな論理的矛盾が起きるのだ。会社を首にされて自殺するとは、会社を首にされる=死んでしまう、それが困るそれが怖い、だから自殺する、ということになってしまう。つまり死ぬのが怖いから自殺するという妙な矛盾に落ち入ってしまうのである。
会社を首になって自殺するとは、このように論理的には破綻しており、また実際的にも先に述べたように人間はたくましいもので会社を首にされたぐらいではそう簡単に死なないのである。会社を首になって自殺することには、何かもっと別の原因があるのだろう。おそらく精神的なものであり、会社的価値観、会社的世界観を絶対のものと思い込み、それからはずれたら生きていけない、生きる価値がない、と絶望し、そのあげくに自ら命を絶つのだろう。一つの絶対を要求する価値観が人々を追いつめているのである。
しかしまあ人間というものは案外たくましいもので、給料を断たれたぐらいではすぐには死なないものなのだが。食べ物がないなら野山に出かけていってウサギやイノシシを狩って来ることができるし、栗や木の実を拾うこともできる。川や海に出かけて魚を釣ったり突き刺したりすることもできるし、海の底にもぐって貝やアワビを取ってくることもできるのだ。家がないなら木を切り倒して手作りのログハウスを作ることもできるし、着るものがないなら動物の皮を剥いでなめして毛皮を作りそれを身にまとうこともできるのである。現在の人類が誕生して20万年ほどになるというが、そのほとんどの期間を人類はこのようにして生きて来て、槍一本を手にして家族を引き連れて、世界中に拡散して行ったのである。現代の人間にもこのようなたくましいパワーは残っているはずだし、ロビンソン・クルーソーや『サバイバル』の少年のように何かの拍子で自然の中に取り残された人間は、たちまちこのパワーを取戻してたくましく生きてゆくものなのである。人間は給料を断たれたぐらいでは死なないのだ。
ちなみに会社を首にされて困ったあげく自殺するという者が跡を絶たず、リストラが横行する現代日本ではますます増えているが、実際に命を絶った人にはからかっているようで申し訳ないのだが、これには大きな論理的矛盾があるのである。
会社を首にされて何が困るのか。給料が断たれるからである。給料が断たれて何が困るのか。食えなくなるからである。食えなくなって何が困るのか。食えないと死んでしまうからである。とここまで論理的連関をたどってゆくと、会社を首になって困るのは死んでしまうからである、という結論に到達する。
しかしここでおかしな論理的矛盾が起きるのだ。会社を首にされて自殺するとは、会社を首にされる=死んでしまう、それが困るそれが怖い、だから自殺する、ということになってしまう。つまり死ぬのが怖いから自殺するという妙な矛盾に落ち入ってしまうのである。
会社を首になって自殺するとは、このように論理的には破綻しており、また実際的にも先に述べたように人間はたくましいもので会社を首にされたぐらいではそう簡単に死なないのである。会社を首になって自殺することには、何かもっと別の原因があるのだろう。おそらく精神的なものであり、会社的価値観、会社的世界観を絶対のものと思い込み、それからはずれたら生きていけない、生きる価値がない、と絶望し、そのあげくに自ら命を絶つのだろう。一つの絶対を要求する価値観が人々を追いつめているのである。