「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

あとはもう時間の問題

2007-05-27 16:44:27 | 日本文学の革命
「新しい文学」を生み出すための最後の戦いをしているが、今日でもうノート100枚ちょうど一冊分書くことができた
ノート一枚二ページは原稿用紙にすると四、五枚になるから、原稿用紙で四、五百枚書いた計算になる
結構早い勢いで書いているものだ

ノートに書くときは小論文形式にして書いている
つまりノート一枚二ページをひとつの単位にして(必要に応じて何枚にでも増やす)、それに題名をつけてちょっとした小論文みたいにして書いているのだ
この書き方をしてからドバドバ書けるようになった
題名をもとにあらかじめよく考えてから書くことができて、ノートに行き当たりばったりに書くのではなく、ある程度の計画性と形式性をもって書くことができる
一つの問題を様々な角度から細分して書くこともできて、伸縮自在・臨機応変に書けるところから書いてゆくことができる

いろんな題名のものを書いている
「七五調の秘密」「平家物語の韻律の仕組み」「能の原理―神の降臨」「宮沢賢治の挑戦」など日本の韻律文学を分析したものもあれば
「シェイクスピアの文体」「ドストエフスキーの『悪霊』の分析(これには手こずった。しかし全部解明することができた!一行一句にいたるまで解明することができたのである)」「ゲーテと民謡―民族精神の文学化」など外国の韻律文学を分析したものもある
他にも「漢字と俳句(この二つには密接なつながりがある)」「マンガとひらがな(この二つにも密接なつながりがある)」「日本語の源流と構造」などを書いたり、また文学とは直接の関係のない社会的経済的テーマのものもたくさん書いている

そんなこんなで100枚書いたが、実はこれを書く以上に力を入れていたものがある
それはある中心テーマを“書けるような状態にする”ことである
この中心テーマをこのような小論文形式でどんどん書けるようになったら、そのときはもう「新しい文学」は時間の問題で出来てしまう
これですべてに決着をつけてしまえる
桑田佳祐的にいえば「奇跡のドアを開ける」ことができるのでる
その中心テーマとは下のようなものだ

「(F+f)と則天去私 」

結局 最終的にこの一点に煮詰まったのである
これができたらすべてが出来てしまう。『漱石』も完成できるし「新しい文学」も生み出せる。「日本文学の革命」を見事に成し遂げることができるのである

あとでもっと詳しく書くと思うが、(F+f)という妙な公式は漱石の『文学論』の中心テーマであり、『文学論』は最初から最後までこれを論じるために書かれていると言ってもいいものだ
ただ『文学論』は未完成作品であり、この問題も十分に展開されていない
それを今完成させようと奮闘しているわけである
ここには新しい言語観・新しい文学様式が眠っている
それを発掘したい

則天去私は、いうまでもなく漱石の用語である
漱石は『明暗』でこの“新しい魂”を実現しようとしたのだが、惜しいことにこれも未完に終わってしまった
これも今完成させたい

新しい文学様式と新しい魂
この二つがあれば「新しい文学」は出来てしまうのである

で この「(F+f)と則天去私 」だが、これも書けるようになった
F だろうがf だろうが(F+f)だろうが、ありとあらゆる角度から分析してゆくことができる
もちろん則天去私も、それがどんな歴史の流れの中で生まれてきたのか、どのような言語構造と結びついているのか、とりわけ自然随順とどのような関係にあるのか
すべて分析してゆくことができるだろう

これからはがっぷりよっつでこの中心テーマに取り組んでゆきたい

これがバンバン書けるようになったのだから、あとはもう時間の問題である
ちょっと予想してみたのだが、あと3ヶ月もあれば決着をつけることができそうだ

長い長い戦いだったが、それもあと数ヶ月
なんとしても「奇跡のドア」を押し開けたい

桑田佳祐の『明日晴れるかな』

2007-05-13 17:45:16 | 日本文学の革命
先日の金曜日「ミュージック・ステーション」に桑田佳祐が出たので、録画しながら見た
『明日晴れるかな』という新曲を歌っていた
メッセージ性が強い曲なので一回聞いただけではよく分からない
録画を見ながら紙に歌詞を書き出して、それを読んで繰り返し味わってみた

結構いい歌詞が並んでいる
「遠い過去よりまだ見ぬ人生は
 夢ひとつ叶えるためにある」
「もう少しの勝負じゃない!!
 くじけそうなフィーリング 乗り越えてone more chance」
桑田佳祐も苦しんでいるんだなあと思う
またがんばっているんだなあと思う

「明日晴れるかな」
曲の中でこのフレーズは子供たちの合唱によって歌われている
このフレーズで連想するのは、桑田の名曲『東京』の中の「東京は雨降り」というイメージだ

重苦しい雲に覆われ、止むことのない雨に降られ続けている東京
それは『東京』のミュージックビデオに描かれたような陰鬱な世界であり、またこの曲と深い関係がある井上陽水の『傘がない』にあるような恋人たちの間を引き裂く「冷たい雨」のイメージでもある
宮崎駿的に言えば、東京にかけられた「呪い」といったところか

この「雨降り」を克服して、なんとかして重苦しい雲を追い払い、希望に満ちた晴れ間を開きたい
もし今これをしなければ、この「呪い」は子々孫々まで続くことになる
(だから桑田は「明日晴れるかな」というフレーズを子供たちに歌わせたのだろう)
この「晴れ」をもたらすための闘い
それを桑田佳祐は闘っているのである

しかしそれをするのは、とてつもなく困難なことだ
彼が歌っているように「奇跡のドアを開ける」ようなものなのである

だが「鍵」が見つかっていることも確かなのだ
それはもう「君の手のひらの上に」ある
あと「もう少しの勝負!!」なのである

あともう少し
あともう一勝負で決着がつく!

破竹の勢い

2007-05-04 04:10:29 | 日本文学の革命
あんまり書き込みをしないでいると、「関場もとうとうくたばったか」「これで日本文学の革命も終わったな」と思われそうだが、実は今破竹の勢いで進んでいる最中である

もう書けて書けて仕方がない
「新しい文学」に向かってどんどん突き進んでいる
もう「新しい文学」の鉱脈は見つけたので、それを一生懸命掘り出しているところだ
さすがに漱石が目星をつけた所だけあって、たいへんなものが埋まっている
文学のためのばく大な鉱脈だ

ついでに今ここで『夏目漱石の継承』も完成しようと思う
もともと『漱石』と「新しい文学」は密接につながっているから、「新しい文学」を生み出してゆくついでに『漱石』も完成できてしまうのだ

具体的には残りの『漱石』の四章を何十何百と細分化し、小論文みたいにしてテーマを与え、それを書けるところからどんどん書いてゆく
もう頭の中では出来上がっているようなものだから、次々と書けてしまう
あとは細分化して書いたものをつなぎ合わせて一つの作品にしてまとめてしまう
これで長年苦しめられてきた『漱石』も、ついに完成できるというわけだ
これで一つの大仕事―漱石と日本文学の事業を復活するという大仕事をついに成し遂げることができる

今はもう時間がいくらあっても足りない状態である
この連休もずっと家の中に閉じこもりっきりだろう
とにかくやらなければ
早い方がいい

長年の夢を実現するときが、刻一刻と近づいている