「新しい文学」を生み出すための最後の戦いをしているが、今日でもうノート100枚ちょうど一冊分書くことができた
ノート一枚二ページは原稿用紙にすると四、五枚になるから、原稿用紙で四、五百枚書いた計算になる
結構早い勢いで書いているものだ
ノートに書くときは小論文形式にして書いている
つまりノート一枚二ページをひとつの単位にして(必要に応じて何枚にでも増やす)、それに題名をつけてちょっとした小論文みたいにして書いているのだ
この書き方をしてからドバドバ書けるようになった
題名をもとにあらかじめよく考えてから書くことができて、ノートに行き当たりばったりに書くのではなく、ある程度の計画性と形式性をもって書くことができる
一つの問題を様々な角度から細分して書くこともできて、伸縮自在・臨機応変に書けるところから書いてゆくことができる
いろんな題名のものを書いている
「七五調の秘密」「平家物語の韻律の仕組み」「能の原理―神の降臨」「宮沢賢治の挑戦」など日本の韻律文学を分析したものもあれば
「シェイクスピアの文体」「ドストエフスキーの『悪霊』の分析(これには手こずった。しかし全部解明することができた!一行一句にいたるまで解明することができたのである)」「ゲーテと民謡―民族精神の文学化」など外国の韻律文学を分析したものもある
他にも「漢字と俳句(この二つには密接なつながりがある)」「マンガとひらがな(この二つにも密接なつながりがある)」「日本語の源流と構造」などを書いたり、また文学とは直接の関係のない社会的経済的テーマのものもたくさん書いている
そんなこんなで100枚書いたが、実はこれを書く以上に力を入れていたものがある
それはある中心テーマを“書けるような状態にする”ことである
この中心テーマをこのような小論文形式でどんどん書けるようになったら、そのときはもう「新しい文学」は時間の問題で出来てしまう
これですべてに決着をつけてしまえる
桑田佳祐的にいえば「奇跡のドアを開ける」ことができるのでる
その中心テーマとは下のようなものだ
「(F+f)と則天去私 」
結局 最終的にこの一点に煮詰まったのである
これができたらすべてが出来てしまう。『漱石』も完成できるし「新しい文学」も生み出せる。「日本文学の革命」を見事に成し遂げることができるのである
あとでもっと詳しく書くと思うが、(F+f)という妙な公式は漱石の『文学論』の中心テーマであり、『文学論』は最初から最後までこれを論じるために書かれていると言ってもいいものだ
ただ『文学論』は未完成作品であり、この問題も十分に展開されていない
それを今完成させようと奮闘しているわけである
ここには新しい言語観・新しい文学様式が眠っている
それを発掘したい
則天去私は、いうまでもなく漱石の用語である
漱石は『明暗』でこの“新しい魂”を実現しようとしたのだが、惜しいことにこれも未完に終わってしまった
これも今完成させたい
新しい文学様式と新しい魂
この二つがあれば「新しい文学」は出来てしまうのである
で この「(F+f)と則天去私 」だが、これも書けるようになった
F だろうがf だろうが(F+f)だろうが、ありとあらゆる角度から分析してゆくことができる
もちろん則天去私も、それがどんな歴史の流れの中で生まれてきたのか、どのような言語構造と結びついているのか、とりわけ自然随順とどのような関係にあるのか
すべて分析してゆくことができるだろう
これからはがっぷりよっつでこの中心テーマに取り組んでゆきたい
これがバンバン書けるようになったのだから、あとはもう時間の問題である
ちょっと予想してみたのだが、あと3ヶ月もあれば決着をつけることができそうだ
長い長い戦いだったが、それもあと数ヶ月
なんとしても「奇跡のドア」を押し開けたい
ノート一枚二ページは原稿用紙にすると四、五枚になるから、原稿用紙で四、五百枚書いた計算になる
結構早い勢いで書いているものだ
ノートに書くときは小論文形式にして書いている
つまりノート一枚二ページをひとつの単位にして(必要に応じて何枚にでも増やす)、それに題名をつけてちょっとした小論文みたいにして書いているのだ
この書き方をしてからドバドバ書けるようになった
題名をもとにあらかじめよく考えてから書くことができて、ノートに行き当たりばったりに書くのではなく、ある程度の計画性と形式性をもって書くことができる
一つの問題を様々な角度から細分して書くこともできて、伸縮自在・臨機応変に書けるところから書いてゆくことができる
いろんな題名のものを書いている
「七五調の秘密」「平家物語の韻律の仕組み」「能の原理―神の降臨」「宮沢賢治の挑戦」など日本の韻律文学を分析したものもあれば
「シェイクスピアの文体」「ドストエフスキーの『悪霊』の分析(これには手こずった。しかし全部解明することができた!一行一句にいたるまで解明することができたのである)」「ゲーテと民謡―民族精神の文学化」など外国の韻律文学を分析したものもある
他にも「漢字と俳句(この二つには密接なつながりがある)」「マンガとひらがな(この二つにも密接なつながりがある)」「日本語の源流と構造」などを書いたり、また文学とは直接の関係のない社会的経済的テーマのものもたくさん書いている
そんなこんなで100枚書いたが、実はこれを書く以上に力を入れていたものがある
それはある中心テーマを“書けるような状態にする”ことである
この中心テーマをこのような小論文形式でどんどん書けるようになったら、そのときはもう「新しい文学」は時間の問題で出来てしまう
これですべてに決着をつけてしまえる
桑田佳祐的にいえば「奇跡のドアを開ける」ことができるのでる
その中心テーマとは下のようなものだ
「(F+f)と則天去私 」
結局 最終的にこの一点に煮詰まったのである
これができたらすべてが出来てしまう。『漱石』も完成できるし「新しい文学」も生み出せる。「日本文学の革命」を見事に成し遂げることができるのである
あとでもっと詳しく書くと思うが、(F+f)という妙な公式は漱石の『文学論』の中心テーマであり、『文学論』は最初から最後までこれを論じるために書かれていると言ってもいいものだ
ただ『文学論』は未完成作品であり、この問題も十分に展開されていない
それを今完成させようと奮闘しているわけである
ここには新しい言語観・新しい文学様式が眠っている
それを発掘したい
則天去私は、いうまでもなく漱石の用語である
漱石は『明暗』でこの“新しい魂”を実現しようとしたのだが、惜しいことにこれも未完に終わってしまった
これも今完成させたい
新しい文学様式と新しい魂
この二つがあれば「新しい文学」は出来てしまうのである
で この「(F+f)と則天去私 」だが、これも書けるようになった
F だろうがf だろうが(F+f)だろうが、ありとあらゆる角度から分析してゆくことができる
もちろん則天去私も、それがどんな歴史の流れの中で生まれてきたのか、どのような言語構造と結びついているのか、とりわけ自然随順とどのような関係にあるのか
すべて分析してゆくことができるだろう
これからはがっぷりよっつでこの中心テーマに取り組んでゆきたい
これがバンバン書けるようになったのだから、あとはもう時間の問題である
ちょっと予想してみたのだが、あと3ヶ月もあれば決着をつけることができそうだ
長い長い戦いだったが、それもあと数ヶ月
なんとしても「奇跡のドア」を押し開けたい