次の「道の言葉」は漱石のものである。これは漱石の『野分』という中篇小説の中で「道也先生」という人物のセリフとして出て来る言葉だが、漱石自身の言葉とみなしてもいいものである。これはもう暗唱できるほどそらんじているものだから、ここでも何も見ずに暗唱的に書いてゆこう。
「私は名前なんて宛てにならないものはどうでもいい
ただ自分の満足を得るために世の為に働くのです
結果は悪名になろうと臭名になろうと気ちがいになろうと仕方がない
ただこう働かなくっては満足できないから働くまでのことです
こう働かなくって満足できない所をもってみると、これが、私の道に相違ない
人間は道に従うほかやり様がないものだ
人間は道の動物だから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています」
同じ箇所で彼は「道に従う人は神も避けねばならんのです」とまで言っている。
自分の道を歩むことは、辛く苦しいし危険でもある行為で、地味で泥臭く、暗夜の中を手さぐりで歩むような心細いものでもあるが、それは神をも敬服させるような崇高な人間の行為でもあるのだ。心励まされる言葉である。
いろんな人やいろんな言葉に励まされて僕は今まで生きて来た。
彼らの励ましに感謝しつつ、自分の道を歩み、やれるだけのことはやってしまいたい覚悟でいる今日この頃である。
「私は名前なんて宛てにならないものはどうでもいい
ただ自分の満足を得るために世の為に働くのです
結果は悪名になろうと臭名になろうと気ちがいになろうと仕方がない
ただこう働かなくっては満足できないから働くまでのことです
こう働かなくって満足できない所をもってみると、これが、私の道に相違ない
人間は道に従うほかやり様がないものだ
人間は道の動物だから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています」
同じ箇所で彼は「道に従う人は神も避けねばならんのです」とまで言っている。
自分の道を歩むことは、辛く苦しいし危険でもある行為で、地味で泥臭く、暗夜の中を手さぐりで歩むような心細いものでもあるが、それは神をも敬服させるような崇高な人間の行為でもあるのだ。心励まされる言葉である。
いろんな人やいろんな言葉に励まされて僕は今まで生きて来た。
彼らの励ましに感謝しつつ、自分の道を歩み、やれるだけのことはやってしまいたい覚悟でいる今日この頃である。