「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

「道を行い道を楽しむ」〜西郷と漱石の言葉 3

2020-09-19 18:05:02 | 日本文学の革命
次の「道の言葉」は漱石のものである。これは漱石の『野分』という中篇小説の中で「道也先生」という人物のセリフとして出て来る言葉だが、漱石自身の言葉とみなしてもいいものである。これはもう暗唱できるほどそらんじているものだから、ここでも何も見ずに暗唱的に書いてゆこう。

「私は名前なんて宛てにならないものはどうでもいい
ただ自分の満足を得るために世の為に働くのです
結果は悪名になろうと臭名になろうと気ちがいになろうと仕方がない
ただこう働かなくっては満足できないから働くまでのことです
こう働かなくって満足できない所をもってみると、これが、私の道に相違ない
人間は道に従うほかやり様がないものだ
人間は道の動物だから、道に従うのが一番貴いのだろうと思っています」

同じ箇所で彼は「道に従う人は神も避けねばならんのです」とまで言っている。

自分の道を歩むことは、辛く苦しいし危険でもある行為で、地味で泥臭く、暗夜の中を手さぐりで歩むような心細いものでもあるが、それは神をも敬服させるような崇高な人間の行為でもあるのだ。心励まされる言葉である。

いろんな人やいろんな言葉に励まされて僕は今まで生きて来た。
彼らの励ましに感謝しつつ、自分の道を歩み、やれるだけのことはやってしまいたい覚悟でいる今日この頃である。

「道を行い道を楽しむ」〜西郷と漱石の言葉 2

2020-09-19 18:00:39 | 日本文学の革命
まず西郷隆盛の言葉。
これは『西郷南洲遺訓』という西郷の言葉が記録された実に珍しい本からのものである。原文は難しい漢文なので思いっ切り意訳した文章も載せておこう。

「道を行う者は、もとより困厄(困難や苦難)に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生などに、少しも関係せぬもの也(事が失敗するんじゃないかとか自分が死んでしまうんじゃないかとか、そんな不安などに一切捕らわれるな。道を歩むことはそんなこととは何の関係もない)。

事には上手下手あり、物には出来る人出来ざる人有るより、(自分には出来ないんじゃないかと)自然心を動かす人も有れども、人は道を行うものゆえ(人はもともと自分の道を歩むためにこの世に生まれてきたのだから)、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し(誰もが当然自分の道を歩めるのである)。

故にひたすら道を行い道を楽しみ、もし艱難に逢うてこれを凌ぎんとならば、いよいよ道を行い道を楽しむべし」

この中の「道を行い道を楽しむ」は僕の座右の銘になっている。自分の道を歩むことはたしかに辛く苦しいことであるが、その辛い中にも様々な「楽しみ」を見い出して、楽しみながら道を歩んで行く。

西郷が運命として受け取った道―討幕の道―はすさまじいほど辛く艱難に満ちた道だったが、西郷はその生きるか死ぬか激烈な政争の渦中でも道を歩むことに「楽しみ」を見い出して生きていたのである。まさに頭が下がる。見習いたい生き方である。


「道を行い道を楽しむ」〜西郷と漱石の言葉 1

2020-09-19 17:52:20 | 日本文学の革命
暑さや慌ただしさや心労が重なって、文学の仕事に集中できず、何もする気が起きない虚脱状態が続いていたが、ようやくパワーが回復して気力が充実してきた!

我ながらたくましい回復力だと思う。僕の置かれている状況は普通だったらまったく耐えられないような状況である。今の日本では、正社員の地位が得られなかった、首にされて正社員の地位を失った、それだけで鬱やノイローゼに追い込まれて、どうかすると自殺までしてしまう者が数多い。「将来年金がもらえなかったらどうしよう!!」と遠い将来のことを心配して今からパニックに陥っている20代の若者もいるそうだ(年金より先にその心労で死んでしまうのではないかと心配になってくる)。

僕などはハナから正社員ではないし、会社から保護されるどころか鼻つまみ者として排斥されてばかりいるし、お金は全然ないし、助けてくれる人も全くいないし、周囲からはバカにされクズ扱いにされている。年金なども将来絶対にもらえない。

それなのに割合平気なのである。「鈍感力」が高い方なのかも知れないが、普通の人なら「もう絶望だ」「もうダメだ」と思うような状況でも、別に鬱やパニックに陥ることもなく坦々と暮らしている。むしろ「保護」されている筈なのに暗い顔ばかりしている人々が多い昨今、生き生きと意欲にあふれて暮らしていると言ってもいい。

これは別に僕がことさら強いのではなく、実は多くの人々に支えられているからである。残念ながら目の前にいる訳ではないが、実に多くの人々に僕は支えられて生きているのである。

まず第一が昔の日本文学者たちである。漱石や芥川や太宰たち昔の日本文学者は僕にとって「同志」とも言うべき人たちで、彼らがやってきたこと、やろうとしたことが僕には痛いほどよく分かるのである。まさに僕にとっては「精神的仲間」であり、彼らによってどれだけ支えられてきたか分からない。

桑田佳祐や中島みゆき、奥田民夫やミスターチルドレンなどのミュージシャンたちにも支えられてきた。彼らの音楽に励まされ続け、彼らの音楽を聴きながらどれだけ感動の涙を流してきたことだろうか!

さらには本などから得られる様々な「言葉」にも励まされてきた。ここで僕が励まされてきた「言葉」のひとつ、西郷隆盛や漱石の「道」についての言葉を紹介してみよう。

首切り―職探し―新しい仕事 2

2020-09-03 20:00:24 | 日本文学の革命
お台場にはあまり来たことがなかったのだが、これを機会に一周してみた。

まず「ビーナス・フォート」に初めて入ってみた。ここは若い女性や観光客向けのショッピングモールで、ヨーロッパのクラッシックな街並みを再現した作りになっていて、天井には夕暮れをイメージした青い空に綿菓子みたいな白い雲までたなびいていた。迷路みたいな路地が続いていて、左右にはオシャレなショップがたくさん立ち並び、高級そうなレストランもたくさんあった(どこかのレストランで食事をしようと思っていたが「高すぎるだろ」という値段ばかりだったので辞めにしたが)。

さまようようにして歩いていると「レトロ通り」なる所に行き会った。ここは日本の昔懐かしい昭和レトロな街並みを再現した通りで、六畳のお茶の間や床屋やたばこ屋が再現されていて、ヨーロッパのクラッシックな街並とはまた違った意味で楽しむことができた。
ただ東京オリンピックが中止になったせいなのか、客足はまばらで、どの店をのぞいても数人程度しか客の姿がなく、閑散としていた。こんなんで儲かっているんだろうかと心配になるほどだった。このお台場がある湾岸エリアは東京オリンピックでは中心となる場所だった。もしオリンピックが予定通り開催されていたら、ここも押すな押すなの盛況だったろうに。

次いで「ダイバーシティー」の方へ歩いてゆくと、ガンダムがまだ立っていた。ただ新しいガンダムにバージョンアップされていて、「ファーストガンダム」以外ガンダムシリーズを見ていない僕にはなんだかよく分からなかったが。

そこを通り過ぎ、フジテレビのすぐ横の巨大な広場みたいな橋を渡ると、お台場の砂浜が見えてくる。人工的に作られたビーチが連なっている所で、向かいは東京の絶景が見渡され、たしかにすごい光景だ。ビーチ沿いには「deck」という船の甲板(「デッキ」)をイメージしたらしい巨大ショッピングモールもあった。豪華客船に匹敵するような容量を持ったショッピングモールで、中にはたくさんのオシャレな店が立ち並び、吹き抜けの映画館まであった。こちらは結構賑わっていた。別に何も買いはしなかったが、楽しく見て回ることができた。

有名なお台場と言っても、実際には小さな小島であり、歩いて一時間で一周することができた。ここがこれからしばらくの間新しい仕事場になる。

暑さと職探しでバテバテになり、落ち込むことも多々あったが、気を取り直してがんばってゆこう。「奇跡のドア」を開くことができたら、行き詰まって閉塞状態にある今の日本の前に、実に大きな、希望に満ちあふれる可能性を開くことができる。絶対に負けるわけにいかない!

というわけで、新しい環境の中、ひたすらがんばってゆこう。


首切り―職探し―新しい仕事 1

2020-09-03 19:51:02 | 日本文学の革命
だいぶ長いこと投稿してこなかったが、実は7月いっぱいで仕事を首にされてしまい、職探しに追われる日々を送っていたのである。

首にされた理由は「結婚したかった人」で書いたのとほぼ同じような理由である。「会社に絶対服従しろ!会社的価値観を絶対のものと思い込め!」という会社側の主張と「いやそれは御免蒙る。今どき会社的価値観を絶対視するなんて明治維新の際に幕藩体制を絶対のものと思い込めと言われているようなもので、やってらんないね。第一文学が出来なくなる」という僕の立場との対立であり、この居り合うことのできない対立のあげくに例によって首にされたのである。

まあこういうふうに首にされるのは馴れっこになっているのだが、あともう少しで文学が「大爆発」できると喜びいさんで駆けているところへ、横槍を入れられすっ転んだ形になってしまった。
これからいよいよ「コンピュータの本質」を明らかにしてゆこう、今や全人類を飲み込もうとしているこのコンピュータのネットワーク、その強大な合理主義で人間から仕事を奪い、どうかすると人間という存在そのものまで無用なものにしてくるコンピュータ、それを面白おかしく風刺してやろう、それこそ人類のために思いっ切り茶化してやろうと手ぐすね引いて待っていたのだが、残念だ。

しかしまず生活を維持することが必要である。8月に入ったら無収入状態になり、わずかな(すぐに尽きてしまう)貯金を切り崩しながら生活することになるので、できるだけ早く仕事を見つけなければならない。そこでまず職探しをすることを優先して、暑さとコロナに煮えたぎる東京の街を駆け回るハメになったのである。

コロナ不況のせいで仕事はなかなか見つからなかったのだが、8月の半ば過ぎになってようやく仕事にあり就くことができた。政府関係の仕事で(だから民間の不況と関係なく仕事がある)、事務的なオフィス仕事である。守秘義務があるので具体的な業務については何も言えないが、コロナに関係するもので世のため人のためになる仕事である。場所はお台場であり、フジテレビがすぐ近くに見えるオフィスビルで仕事をしている。ただ週三日だけの仕事で、おまけに来年の3月で終了してしまうので、まったくの臨時仕事ではあるが。

先週からこの新しい仕事が本格的に始まったのだが、「週三日だけ」の仕事はかえっていいかも知れない。週五日勤務だと、文学のための時間を確保することが実に難しい。しばしばそのためだけに精力の多くを使い果たしてしまう。しかし「週三日だけ」だと、ぎりぎりの生活費にしかならないが、その分十分な時間を文学に注ぐことができる。どうしても足りなくなったらその時だけ日雇いバイトに出ればいい。一番大切な文学のための「時間」を存分に確保できるのである!