「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

世界最高のパソコンをゲット!♪

2020-01-20 07:20:12 | 日本文学の革命
年末から今にかけてほとんど沈黙してきたが、この間大戦争の準備と覚悟を着々と行ってきた。まさに命を賭けた大戦争となるものである。

これは桑田佳祐の言う「奇跡のドア」を開くための戦いである。94年に桑田佳祐たちミュージシャンと「反外国主義運動」に立ち上がったのだが、あの頃からずっと戦い続けてきて、今でもあの頃の情熱と使命感をそのままに持ち続けている。焦点となるのがやはり「奇跡のドア」を開くことである。これができないとすべては水泡に帰してしまうのだ。「反外国主義運動」は挫折してしまうし、またもや日本は「新しい発展の道」を閉ざされてしまう。

しかしこれは開くことができたら奇跡のような「ドア」であり、いまだに誰も開くことができないでいる。奥田民夫もできないし石井竜也もできない。ミスターチルドレンもできないし中島みゆきもできない。スマップも解散に追い込まれてしまった。偉大な戦いを繰り広げてきた桑田佳祐も、やはりできないままに終わりそうなのである(今年の東京オリンピックのテーマ曲は『東京VICTORY』になりそうだが、そんなことは「奇跡のドア」を開くこととは何の関係もない)。宮崎駿の『風立ちぬ』や『ポニョ』も方向的には正しいが、しかしまったく不十分なのである。

90年代の頃からこうなるんじゃないかと予想していたが、予想していた通りになっている。やはりこれができるのは日本文学なのである。夏目漱石を始めとする昔の日本文学者たちの伝統を復活させて、それをさらに前へと前進発展させてゆくこと、それが「奇跡のドア」を開く鍵となるのだ。

この目の前に立ち塞がっている「奇跡のドア」
四方八方から銃弾や砲弾が撃ち込まれ、味方の部隊は次々とやられてゆくという極限状態の中、ここさえ突破できれば全軍を救うことができる、未来を切り開くことができる、という最後の希望。これを突破するために今から爆弾を抱えて突っ込んでゆこうという訳である。

そんな中頼もしい味方ができた。「世界最高のパソコン」をゲットできたのである。

今僕の使っているパソコンは壊れる寸前にある。なにしろ先ごろ更新サポートが中止されたウィンドウズ 7パソコンをいまだに使っているのである。まさにいつ壊れたりウィルスに乗っ取られたりしてもおかしくないのだ。タブレットも持っているが、これも壊れかかっている上に、タブレットだと十分な仕事ができない。新しいパソコンを買えたらいいのだが、よく言えば清貧悪く言えば貧乏の僕にはなかなかお金が工面できない。さて困った、どうしようと思っているところへ、ケータイショップで目に止まったのが、12.9インチという大画面のiPad Proである。

これだけの大画面で専用のキーボードも用意できるのだから、これならタブレットでも十分仕事ができるに違いない。ケータイショップで買うなら分割で払えるし(経済的信用のない僕ではクレジットカードが作れないのである)、十分月々払ってゆくことができる。よし、これだ!と購入を決め、三年分割にすれば月々数千円程度なので最高スペックの製品にし、キーボードやマックペンシルも合わせて買い、合わせて24万5千円にもなったが12.9インチのiPad Proを購入した。

一月ほど前の12月初めに届いたのだが、使ってみると実にいい製品なのである!
アップルのパソコンは初めてだったのだが、ウィンドウズパソコンよりも格が違うという感じがする。実にスマートで高性能だし、本格的なプロが作ったこだわりの製品という印象がある。ソフトも充実している。オフィス以上の仕事用ソフトもそろっているし、検索力もすごいし、タブレットなのに画面分割で複数のソフトも使える。今はやりのホーム家電もこれで操作できるし(ただコンピュータ操作できるホーム家電など持っていないので無意味なのだが、嬉しくはある)、Siriという人工知能も搭載されていて会話的に操作もできる。

あまりにいいソフトがそろっているし、アップルショップでは様々なソフトの講習会を無料で開いているので、講習を受けに新宿や川崎のアップルショップに出かけたりもした。アップルショップの感じのいいオシャレな店内で本格的な音楽を作れる音楽ソフトの講習や動画編集の講習を受けてきた。ゲームで学べるプログラミングの講習も実に面白かった。しかもただのゲームで終わらせずに本格的なプログラミングにまで通じているので、至れり尽くせりで実に有り難い。今度はマックペンシルを使ったペイントソフトの講習に参加したいと思っている。

調べてみるとこのipad proはアップルのパソコンの中でも最高位を占めていて、さらにその最高スペックの製品を買ったのだから、期せずして世界最高のパソコンを手にいれた訳である。実に頼もしい味方ができたものだ。

写真にあるのがiPad Proである。もちろんキーボードをはずしてタブレットとしても使える。万能のパソコンだ。
画面の写真は松たか子。「なんて素晴らしい女性なんだろう!」と感じさせる写真だし、またこの人は「反外国主義運動」の女神みたいな存在なので、待ち受け画面として使っているのだ。木村拓哉もこの人から逃げ出したりせず、この人と結びついていたら、今のようなテイタラクになっていなかったろうと今さらながら思う。

ともかくこれから大戦争の開始だ。まさに命を賭けた戦いである。なんとか「奇跡のドア」をこじ開けてしまいたい。この「ドア」をこじ開け、全軍の前に道を開いたところで「バキューン」と撃たれて戦死するのもカッコいいかなとも思う。まあ 開いた向こうでもまだまだやりたいことがあるし、しぶとく生きていたいものでもあるが。

ともかく決死の覚悟でこの戦争に臨んでゆこう。なんとしても日本の未来を開いてみせる!

電子同人雑誌の可能性 215 「コンピュータの本質―関数と西洋文明」

2020-01-14 06:01:46 | 日本文学の革命
この「計算」を積み重ねてゆき、最後に行き着くのが「法則化」である。つまり個々の「計算」を積み重ねて体系的なものにしてゆき、それでもって世界の森羅万象を論理的に完璧な形で秩序立てようとするのである。いわば世界のすべてを明晰に体系づけられた「一つの数学」にしてしまおうとするのだ。これこそが数学という人間の知的活動の究極の理想なのである。

ただその究極の理想は結構なのだが、それがどの程度まで実現できたのかはかなり疑問なのだが…。
ピラミッドは数百万もの石を自在に駆使した巨大建造物であり、数学的に完璧な存在である。ピラミッドとその内部では石という自然物は見事な数学的論理性をもって構成され秩序化されている。しかしピラミッドを一歩離れたより広い外界に対しては、別に何の作用も及ぼしていないのである。ピラミッドという建物には「法則」がゆき渡っているのだが、それ以外の世界はそれとは無関係に存在しているのだ。せいぜい見物人がピラミッドを見上げて「うわ〜 すげえもの作ったなあ!」とビックリさせる感嘆力があるだけなのである。
メソポタミアの「天空の星々」の数学も世界の森羅万象を解明するには程遠かったし、アラビアの数学などは所詮紙上の計算であった。インド人の場合などは数学的な追及や法則化を途中で諦めたふしがある。「数学ごときで輪廻転生の秘密を解明できるものか!やはり修行せねば」とインド人らしく思い返したのかも知れない。

世界の諸文明は様々な数学を作り上げてきたが、その数学で外界の世界をどこまで論理化・法則化できたのだろうか。世界のすべてを「一つの数学」にしたいという気持ちは分かるが、しかしエジプト人の数学やメソポタミアの数学で世界を一つに統一されてしまったら、その文明に属していない他の民族は困ってしまうではないか。そもそも人間の知性などで世界の森羅万象を捕えることができるのか。その数学がどんなに巧みに構成されていても所詮チベット僧が描く「砂上のマンダラ」に過ぎないのではないか。

いろいろ疑問が湧くが、しかし数学が人間の知性を堅固なものにし高度に発展させることも確かなのだ。この高度に発達し体系化した知性を前にしたら、以前はあれほど怖がっていた幽霊や妖怪なども撃退し亡き者にしてしまえるし、世界のすべてを支配できるような感じもするし、人間の知性を高々とこの世界に聳え立たせることができるのである。前にコンピュータのデジタル空間に横溢しているのは「人間の知的傲慢」であると書いたが、そのような傲慢にふけってもおかしくないほどの全能感を数学は人間に与えてくれるのである。
「数量化」「計算化」「法則化」を経て、人間の知性を高度に発達させ堅固なものにしてくれるもの、それが数学なのである。