「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 34 「様々な電子同人雑誌―地域密着・生活充実系・池袋探検団・月島もんじゃ」

2016-08-28 13:19:18 | 日本文学の革命
域密着系・生活充実系の電子雑誌も考えられる。
たとえば高島平在住のある主婦が『高島平e(イー)ライフ』という電子雑誌を立ち上げた。これは高島平の地域や歴史の紹介、いい店や役立つショップ、おススメのスポットや楽しい行事などを掲載したタウン情報誌である。タウン情報誌は紙の雑誌でもすでにあるが、電子雑誌の場合は大きく異なるのである。あるパスタがおいしいイタリア料理店があるとしよう。紙の情報誌ではその情報が記載されているだけであるが、電子の場合だとそこをクリックするとイタリア料理店の店主が実際に応答に出て来るのである。「マスター。この前のオクラのパスタ、ホントおいしかったよ〜!」「そうお。じゃあ今度は納豆パスタ作って見るから食べに来てね」といったやり取りが起きるのである。店の店主にしてみれば地域の人々に支持されることに自分の店、ひいては自分の人生がかかっているので一生懸命コミュニケーションを取ろうとするだろう。また主婦にしてみれば、この雑誌の売り上げを家のローンに当てることができるし、なにより地域の人々と交流が取れるし、自分の暮らしている町を良くするのに役立つこともできるしと、彼女の高島平ライフを充実させることができるのである。
同じようなことはどこでもできる。生まれも育ちも大阪・尼崎で尼崎を心から愛するヤンキー男性が『尼崎めっちゃ好きやねん!』という電子タウン情報誌を運営することもできる。また同じようなことは特別な地域団体、たとえば中学や高校などの学校でもできるだろう。

『池袋探検団』という電子同人雑誌もあり得る。これは池袋を愛する者たちが結成した雑誌で、池袋の街をディープに楽しむことを目的にし、かつその活動を雑誌で公表することで、より突っ込んだ、より臨場感あふれる池袋のタウン情報誌となろうとするものである。団員たちは様々に知恵を持ち寄り、面白そうなスポットやお題を見つけては毎週集まって池袋ツアーに乗り出して行く。団員たちは緑の探検帽をそろってかぶっている。こうすると池袋の人たちから「あ。あれは池袋探検団だ!」「よう!今日も池袋を楽しんでいるかい」と声をかけられ交流が生じるし、雑誌の宣伝にもなるからである。このような活動を通じて団員たちは池袋の街を満喫し、また池袋の繁栄に一つの貢献をすることができるのである。

ネタ的・企画的同人雑誌も考えられる。
何年か前に、みんなが集まって廃墟ツアーをしたり、文豪の墓巡りをしたりすることがブームとなったが、同じようなことは電子同人雑誌でもできる。(僕も以前僕の漱石崇拝を知っていた『ネバーモア』の同人に招待されて、雑司ケ谷の漱石のお墓を訪れたことがある。漱石の墓の前で同人たちと酒を酌み交わし、なんと深夜まで酒宴をしていた。夜の墓地で酒盛りをするという不思議な体験を今でも懐かしく覚えている)
たとえばこんなのはどうだろう。もんじゃ大好き青年が月島の有名なもんじゃ専門の商店街(50軒くらい軒を連ねているだろう)の食べ尽くしを企画したのである。名付けて『月島もんじゃ商店街完全食べ尽くしガイド』。彼はこのガイド雑誌を作るべく、同人を集め、商店街の端から端までもんじゃ店を食べ尽くしていった。もんじゃのおいしさ、店の雰囲気、店主の人柄まで克明に調査して、雑誌に掲載していった。頻繁にもんじゃ商店街を訪れては食べ尽くしに励んでゆき、脱落する同人も相次いだが、新たに参加する同人たちも多く、それに力を得てがんばっていった。そしてついに月島もんじゃ商店街の完全マップを完成させたのであった。彼のガイド雑誌は月島もんじゃ商店街を訪れる観光客に「完成度が高い」「月島もんじゃの全体像がよく分かる」と評判になり、かなりの売り上げをもたらした。彼は今やもんじゃ評論家という肩書まで持つようになったのである。
(続く)


電子同人雑誌の可能性 33 「様々な電子同人雑誌―助け合い・ボランティア・子育て」

2016-08-28 13:17:58 | 日本文学の革命
助け合い活動的な雑誌を作ることもできる。
たとえば被災地支援に駆けつけたボランティア同士が横の連携を取るために電子同人雑誌を作り、被災地の現状はどうなっているのか、どこにどれだけ支援に駆けつければいいのか、現場で見聞きしたり役所の人から教えられた情報を共有し合って活動に生かし、またボランティア同士励まし合い感想を寄せ合うというボランティアの同人雑誌である。
被災者自身の同人雑誌も考えられる。辛い経験をし、今も苦しい境遇で生活している者同士の、助け合い、励まし合いの雑誌で、同じ経験をした者同士の痛切感を持って運営されているのである。

助け合い的な雑誌としてこういうものも考えられる。板橋区に住む子育て中のママたちが『板橋区子育てママ助け隊』という電子同人雑誌を結成したのである。
もともと人間の子育てというものは、一人のママが付きっきりで行うものではなく、集団の輪の中で行うものであった。一人のママの周りにはおじいちゃんおばあちゃんがいて、親しい隣近所の住人がいて、そばで働いている夫がいて、同居している妹などの親族がいて、またママの子供で今は子育てを手伝えるほど大きくなったお兄ちゃんお姉ちゃんがいて、また近所には小遣い程度の賃金で子守りを手伝う子守り娘もたくさんいたのである。そういう人たちが適時ママの子育てを手伝い、ママをサポートしていたのである。また忘れてはならないものに家の周りに広がる野山などの自然がある。子供はたった一人でも野山を遊び回ることを好み、そこでいろいろな根源的体験をして成長してゆくのである。たしかに危険である。中には命を落とす子供もいるだろう。しかしそういう危険も含めて自然は子供たちの最良の育て手なのであり、運悪く命を落とした子供のママには「誰のせいでもない」「神様が連れていった」という最後の慰めが与えられたのである。

しかし現代のママにはこういう子育ての輪は一切なくなってしまった。核家族化が進み、隣近所との付き合いはなくなり、自然からも切り離され、最後の身内の夫も会社に取られて姿も見えず、狭いマンションの一室で一人、子供と付きっきりで子育てをしなければならないのである。それはあるママの言葉を借りればさながら「生き地獄」的な環境なのであった。

そこで結成されたのが電子同人雑誌『板橋区子育てママ助け隊』である。これは板橋区に在住している子育て中のママたちの助け合い的交流団体であり、この雑誌の中でお互いに子育ての悩みを打ち明け合ったり、子育ての方法を教え合ったり、いい絵本はどれかとか安い子供服はどこで売っているかとか情報を共有し合ったりと、様々な助け合いの活動をするのである。お互いが子育ての実践者であり、子育ての苦労がどういうものかよく分かっているので、互いが良き理解者、良き仲間になれるのである。ママたちはお互い同士を慰め合い励まし合おうと、泣ける韓国ドラマを紹介し合ったり、たまにはみんな集まってお茶会したりと様々な交流も行ってゆく。さらにはこの交流の輪を拡大してゆく。最も有望な拡大先が「おばあちゃん」である。おばあちゃんは、かつて子育てを立派に成し遂げた子育てのプロであり、子育ての苦労もよく分かっているので、親身になって活動に参加してくれるだろう。板橋区に住んでいるそのようなおばあちゃんたちにもこの輪に加わってもらい、様々な知恵を授けてもらう。さらに信頼できるおばあちゃんたちには子育てを手伝ってもらう。ママたちが何かの用事のときに子供を預かってもらうのである。おばあちゃんは暇を持て余しているし、孫のような子供が大好きだし、喜んで応じるだろう。お小遣い程度の謝礼で済むし、なによりおばあちゃんにとっての最大の成果は、近所の若夫婦のご家族と交友関係ができたことである。これがなによりの謝礼となるのである。

このようにしてこの『板橋区子育てママ助け隊』という電子同人雑誌は、失われた子育てママの周りの輪を再構築するものとなったのであった。


電子同人雑誌の可能性 32 「様々な電子同人雑誌―政治系・沖縄語」

2016-08-28 13:14:24 | 日本文学の革命
活動系の電子同人雑誌というものも考えられる。社会に向けて何かの運動を掲げ、その実現を目指して活動してゆく同人雑誌である。

まず第一に考えられるのが政治系のものである。たとえばシールズみたいに憲法改正反対を掲げる者たちが自分たちの機関誌をネットに出し、そこになぜ憲法改正に反対するのか彼らの主張を克明に述べて、社会に訴えかけてゆく。国会前のデモの日時を掲げて参加を呼びかける。憲法改正反対学者との語らいの場を設け、そこにも人々の参加を促す。まったく反対に憲法改正賛成の雑誌を結成するグループも現われ、両者の間に激しい論争と熱いバトルが交わされる。
憲法問題だけでなくたとえば原発再稼働反対を掲げる雑誌が活動を起こしたり、賛成を唱えるグループも激しい活動で応酬したりと、ホットな政治問題ごとに同様の雑誌活動が起こってもおかしくないし、これは政治の原点でもある。
あるいは『国の借金一千兆円 いったい誰が作ったか』こういう疑問を抱いた有志たちが真相究明のために同名の同人雑誌を立ち上げ、活動を開始した。真相を追及すべく様々な学者に問い正したり、関係省庁に実態を明らかにするよう借金の明細を出すことを求めるが、実態を知られたくない関係省庁は機密文書だとして頑として出さない(知られたくないことがあるのである)。

こうした硬派の運動ばかりではなく、次のような運動も考えられる。沖縄では、新たな基地の建設を強要されたり国から訴えられたりと、本土からさんざんな目に会っているので、沖縄ナショナリズムが高まってきた。失業中で暇をこいていた沖縄のある青年が暇つぶしに『沖縄語を沖縄の第二言語にしよう』という雑誌をネタ的企画としてネットに出してみた。彼のおばあちゃんが沖縄民謡の歌い手だったこともあるが、基本的には暇だったのでこの機会に電子同人雑誌でも出して小遣い稼ぎをしようとしたのである。意外に反響がよく、「うちのおじいちゃん沖縄語を話せるんだけど、何か役に立ちます?」と協力者まで現われてきた。彼はおじいちゃんの所へ行って、沖縄の古語を一つ一つ発音してもらってその様子をビデオで撮り、ネットにアップした。おじいちゃんの写真の下に古語が並んでいてそれをクリックするとおじいちゃんがしゃべるのである。ゲーム感覚を取り入れようと、たくさんクリックするとおじいちゃんが「まだするの」とぼやき、さらにクリックすると「もう疲れたよ」と泣き言を言うようにプログラムしておいた。おじいちゃんに泣き言を言わせたくてクリックの回数が増えるという訳である。
そんなとき沖縄県庁から電話が来た。基地反対派の知事が彼の活動を知り、会いたいというのである。沖縄ナショナリズムが高まっていることを社会に知らせて、国を牽制しようという戦略であった。彼は沖縄県庁へ行き知事室で知事と握手した。そこには知事が呼んでおいた沖縄タイムスの記者もいて彼のことを大々的に新聞に載せた。彼の活動は全国に知られるようになり、支援者の輪が拡大した。このとき彼は文部科学省に沖縄語を沖縄の第二言語化する請願書を直接手渡すことを考えついた。そうすれば支援者たちから多額の支援金が得られ、それで東京へ観光旅行に行けるし、失業中の生活費も得られるからである。沖縄ナショナリズムを警戒していた政府も有名人となった彼を拒む訳に行かず、請願は受け付けた。将来沖縄で沖縄語の授業が行われるようになったら、こののんぽり青年が暇つぶしに行った運動が一つの実を結んだことになるのである。