コンピュータやインターネットを駆使したアメリカ勢に日本は負けまくってきた訳だが、しかし何度も書いてきたように同じようなことは日本の技術でもできたのである。スマホを作る技術も持っていたし、資金力を持った大企業も軒を連ねていたし、優秀なスタッフもたくさんいた筈である。ヘッジファンドのような業態でさえ野村証券やホリエモンのような人間が本腰を入れて取り組めば技術的に可能だったかも知れない。ではなぜアメリカにはできて、日本にはできなかったのだろう。
それを決定づけたのは文化力の差、文化的パワーの差だったのではないだろうか。
別にアメリカの方が文化的に高尚で日本が文化的に劣っていると言っているのではない。日本を圧倒して敗戦させた数々のもの、それを生み出した決定的要因が実はアメリカの文化だったと言いたいのである。
たとえばスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどの名経営者はまさにアメリカの文化が生み出したものである。アメリカは歴史的伝統的に数多くの名経営者を生み出してきたのであり、その伝統的文化・歴史的風土が彼らをも生み出し、人間として育て、タフで気鋭で創造的な名経営者とさせたのである。ヘッジファンドのような金融頭脳もアメリカ人の得意とするものであり、彼らの生粋の文化だと言ってもいいほどである。詐欺やペテンで世界をだますことも「愛すべき詐欺師たちの国」アメリカならではのものである。そしてコンピュータやインターネット自体も―この後「関数」のところで書くことになるが―まさにアメリカ文化であり、もっというならアメリカ文化の背後にある西洋文明そのものなのである。
技術力や資金力を越えたこの文化的パワーが決定的要因として働いて、アメリカに勝利をもたらした数々のものが生み出され、日本を見事に打ち破ったのである。
もちろん日本にも成功をもたらした文化があった。その代表的なものは「モノマネ」である。
「モノマネ」というと聞こえが悪いなら「キャッチアップ」とでも何でも言っていいが(僕などはこれを「外国主義」と呼んでいる)、要は外国文明に学び、それをドシドシ日本に取り入れて自分のものにしてゆくという「日本文化」のことである。海の彼方の外国に見果てぬ夢と憧れを抱き、外国の文物を好奇と喜びと憧れを持って取り入れ、たまにやって来る外国人を生き神様のように扱い(日本の神様の一人である「エビス様」は神戸あたりで信仰されていた神様だが、このような生き神にされた外国人が原型なのである)、外国文明を他の国では想像できないほどの規模で受け入れてゆくという日本の伝統文化である。
この文化は日本にたいへんな成功をもたらしてきた。明治の文明開化が成功したのもこの文化のおかげだし、戦後の経済発展が成功したのもこの文化のおかげだと言っていい。日本人は外国文明に対して「坂の上の雲」のような憧れを抱き、苦労しながらも青雲の志ざしで坂道を登ってゆき、外国文明を自分のものとして取り入れていって、日本の大いなる発展を成し遂げていったのである。
ところがこの「モノマネ」という文化がまさに今通じなくなったのである。「モノマネ」をされていた当の国アメリカがそれを許さなくなったからである。日本がまだ従順で無害な生徒のようだった頃、「あなた色に染めてください」というようなかわいい女性に見えた頃なら、アメリカもドシドシ日本にモノマネさせたのだが、日本が巨大なモンスターのようになりアメリカの産業を次々と圧倒するようになると、アメリカの態度は変わった。アメリカは日本を敵視するようになり、日本をやっつけるために攻撃してくるようになったのである。モノマネをさせてくれるどころか、アメリカ―そしてその背後にある西洋文明が日本に立ち向かって来たのである。
アメリカは日本の最大の武器が「モノマネ」にあることを熟知しており、日本の「モノマネ」を封じるために様々な手を打ってきた。ITという文化的創造性や革新力がモノをいう世界をビジネスや産業の中心に据えた。ナスダックやシリコンバレーなどによって革新的なベンチャーや有望な若手をドシドシ登用させる仕組みも作った。世界中から創造的な知性を集めて研究開発や企業経営を行わせた。莫大な研究開発費を矢継ぎ早に投入してゆくことで、ぶっちぎりの独走態勢も築いた。いずれも日本の「モノマネ」では太刀打ちできないシロモノであり、追いつきたくても追いつくことができず、上からアメリカに叩かれるばかりで、発展の道を失ってしまったのである。
上に登れないだけでなく、下からも日本は追い上げられてきた。モノ作りの分野でアジア諸国が日本に追いついてきたのである。韓国や台湾などは日本に劣らないようなハイテク製品を作れるようになった。タイやインドネシアやベトナムもそれに続こうとしている。いくら日本が「日本のモノ作りは一味違う」と自惚れても、そんな「こだわりの逸品」など世界は求めていない。安くてそれなりに動くモノなら世界は満足して買ってゆくのである。
そして最大の勢力・中国が台頭してきた。中国も目覚ましい経済発展をして、その産業力を高めてきたのである。中国も日本の成功が「モノマネ」にあることを熟知しており、ある戦略を持って日本に立ち向かってきた。それは「日本人のモノマネをモノマネする」という戦略である。日本人の最大の得意技をモノマネすることによって自国を発展させ、同時に日本人がモノマネするのを封じてしまうという戦略なのである。日本が前に進むと中国もただちに日本のモノマネをして前へ進んでくる。別の方向に進むとそれもモノマネして日本についてくる。日本のすぐ背後にピッタリとくっ付いて離れず、日本がいくら進んでもそれとともに中国も進んでゆくのである。日本が怒って「知的財産権の侵害だ」と訴えても全然動じない。逆に日本がそんな訴えを起こせば起こすほど自分がモノマネできないようになってゆく。さらには中国は国ぐるみで産業スパイをするというかつての日本でもしなかったほどの手法を使ってこのモノマネ政策を強力に推し進めているのである。
まさに「天下三分の計」などの大戦略を生み出すのが得意な民族が生み出した見事な戦略なのである。
こうして日本は上からはアメリカに叩かれ、下からは中国などに追い上げられ、どんどんシェアを失い、たいへんな窮地に追い込まれてしまったのである。
それを決定づけたのは文化力の差、文化的パワーの差だったのではないだろうか。
別にアメリカの方が文化的に高尚で日本が文化的に劣っていると言っているのではない。日本を圧倒して敗戦させた数々のもの、それを生み出した決定的要因が実はアメリカの文化だったと言いたいのである。
たとえばスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどの名経営者はまさにアメリカの文化が生み出したものである。アメリカは歴史的伝統的に数多くの名経営者を生み出してきたのであり、その伝統的文化・歴史的風土が彼らをも生み出し、人間として育て、タフで気鋭で創造的な名経営者とさせたのである。ヘッジファンドのような金融頭脳もアメリカ人の得意とするものであり、彼らの生粋の文化だと言ってもいいほどである。詐欺やペテンで世界をだますことも「愛すべき詐欺師たちの国」アメリカならではのものである。そしてコンピュータやインターネット自体も―この後「関数」のところで書くことになるが―まさにアメリカ文化であり、もっというならアメリカ文化の背後にある西洋文明そのものなのである。
技術力や資金力を越えたこの文化的パワーが決定的要因として働いて、アメリカに勝利をもたらした数々のものが生み出され、日本を見事に打ち破ったのである。
もちろん日本にも成功をもたらした文化があった。その代表的なものは「モノマネ」である。
「モノマネ」というと聞こえが悪いなら「キャッチアップ」とでも何でも言っていいが(僕などはこれを「外国主義」と呼んでいる)、要は外国文明に学び、それをドシドシ日本に取り入れて自分のものにしてゆくという「日本文化」のことである。海の彼方の外国に見果てぬ夢と憧れを抱き、外国の文物を好奇と喜びと憧れを持って取り入れ、たまにやって来る外国人を生き神様のように扱い(日本の神様の一人である「エビス様」は神戸あたりで信仰されていた神様だが、このような生き神にされた外国人が原型なのである)、外国文明を他の国では想像できないほどの規模で受け入れてゆくという日本の伝統文化である。
この文化は日本にたいへんな成功をもたらしてきた。明治の文明開化が成功したのもこの文化のおかげだし、戦後の経済発展が成功したのもこの文化のおかげだと言っていい。日本人は外国文明に対して「坂の上の雲」のような憧れを抱き、苦労しながらも青雲の志ざしで坂道を登ってゆき、外国文明を自分のものとして取り入れていって、日本の大いなる発展を成し遂げていったのである。
ところがこの「モノマネ」という文化がまさに今通じなくなったのである。「モノマネ」をされていた当の国アメリカがそれを許さなくなったからである。日本がまだ従順で無害な生徒のようだった頃、「あなた色に染めてください」というようなかわいい女性に見えた頃なら、アメリカもドシドシ日本にモノマネさせたのだが、日本が巨大なモンスターのようになりアメリカの産業を次々と圧倒するようになると、アメリカの態度は変わった。アメリカは日本を敵視するようになり、日本をやっつけるために攻撃してくるようになったのである。モノマネをさせてくれるどころか、アメリカ―そしてその背後にある西洋文明が日本に立ち向かって来たのである。
アメリカは日本の最大の武器が「モノマネ」にあることを熟知しており、日本の「モノマネ」を封じるために様々な手を打ってきた。ITという文化的創造性や革新力がモノをいう世界をビジネスや産業の中心に据えた。ナスダックやシリコンバレーなどによって革新的なベンチャーや有望な若手をドシドシ登用させる仕組みも作った。世界中から創造的な知性を集めて研究開発や企業経営を行わせた。莫大な研究開発費を矢継ぎ早に投入してゆくことで、ぶっちぎりの独走態勢も築いた。いずれも日本の「モノマネ」では太刀打ちできないシロモノであり、追いつきたくても追いつくことができず、上からアメリカに叩かれるばかりで、発展の道を失ってしまったのである。
上に登れないだけでなく、下からも日本は追い上げられてきた。モノ作りの分野でアジア諸国が日本に追いついてきたのである。韓国や台湾などは日本に劣らないようなハイテク製品を作れるようになった。タイやインドネシアやベトナムもそれに続こうとしている。いくら日本が「日本のモノ作りは一味違う」と自惚れても、そんな「こだわりの逸品」など世界は求めていない。安くてそれなりに動くモノなら世界は満足して買ってゆくのである。
そして最大の勢力・中国が台頭してきた。中国も目覚ましい経済発展をして、その産業力を高めてきたのである。中国も日本の成功が「モノマネ」にあることを熟知しており、ある戦略を持って日本に立ち向かってきた。それは「日本人のモノマネをモノマネする」という戦略である。日本人の最大の得意技をモノマネすることによって自国を発展させ、同時に日本人がモノマネするのを封じてしまうという戦略なのである。日本が前に進むと中国もただちに日本のモノマネをして前へ進んでくる。別の方向に進むとそれもモノマネして日本についてくる。日本のすぐ背後にピッタリとくっ付いて離れず、日本がいくら進んでもそれとともに中国も進んでゆくのである。日本が怒って「知的財産権の侵害だ」と訴えても全然動じない。逆に日本がそんな訴えを起こせば起こすほど自分がモノマネできないようになってゆく。さらには中国は国ぐるみで産業スパイをするというかつての日本でもしなかったほどの手法を使ってこのモノマネ政策を強力に推し進めているのである。
まさに「天下三分の計」などの大戦略を生み出すのが得意な民族が生み出した見事な戦略なのである。
こうして日本は上からはアメリカに叩かれ、下からは中国などに追い上げられ、どんどんシェアを失い、たいへんな窮地に追い込まれてしまったのである。