「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 195 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-29 06:50:13 | 日本文学の革命
コンピュータやインターネットを駆使したアメリカ勢に日本は負けまくってきた訳だが、しかし何度も書いてきたように同じようなことは日本の技術でもできたのである。スマホを作る技術も持っていたし、資金力を持った大企業も軒を連ねていたし、優秀なスタッフもたくさんいた筈である。ヘッジファンドのような業態でさえ野村証券やホリエモンのような人間が本腰を入れて取り組めば技術的に可能だったかも知れない。ではなぜアメリカにはできて、日本にはできなかったのだろう。
それを決定づけたのは文化力の差、文化的パワーの差だったのではないだろうか。

別にアメリカの方が文化的に高尚で日本が文化的に劣っていると言っているのではない。日本を圧倒して敗戦させた数々のもの、それを生み出した決定的要因が実はアメリカの文化だったと言いたいのである。
たとえばスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなどの名経営者はまさにアメリカの文化が生み出したものである。アメリカは歴史的伝統的に数多くの名経営者を生み出してきたのであり、その伝統的文化・歴史的風土が彼らをも生み出し、人間として育て、タフで気鋭で創造的な名経営者とさせたのである。ヘッジファンドのような金融頭脳もアメリカ人の得意とするものであり、彼らの生粋の文化だと言ってもいいほどである。詐欺やペテンで世界をだますことも「愛すべき詐欺師たちの国」アメリカならではのものである。そしてコンピュータやインターネット自体も―この後「関数」のところで書くことになるが―まさにアメリカ文化であり、もっというならアメリカ文化の背後にある西洋文明そのものなのである。
技術力や資金力を越えたこの文化的パワーが決定的要因として働いて、アメリカに勝利をもたらした数々のものが生み出され、日本を見事に打ち破ったのである。

もちろん日本にも成功をもたらした文化があった。その代表的なものは「モノマネ」である。
「モノマネ」というと聞こえが悪いなら「キャッチアップ」とでも何でも言っていいが(僕などはこれを「外国主義」と呼んでいる)、要は外国文明に学び、それをドシドシ日本に取り入れて自分のものにしてゆくという「日本文化」のことである。海の彼方の外国に見果てぬ夢と憧れを抱き、外国の文物を好奇と喜びと憧れを持って取り入れ、たまにやって来る外国人を生き神様のように扱い(日本の神様の一人である「エビス様」は神戸あたりで信仰されていた神様だが、このような生き神にされた外国人が原型なのである)、外国文明を他の国では想像できないほどの規模で受け入れてゆくという日本の伝統文化である。
この文化は日本にたいへんな成功をもたらしてきた。明治の文明開化が成功したのもこの文化のおかげだし、戦後の経済発展が成功したのもこの文化のおかげだと言っていい。日本人は外国文明に対して「坂の上の雲」のような憧れを抱き、苦労しながらも青雲の志ざしで坂道を登ってゆき、外国文明を自分のものとして取り入れていって、日本の大いなる発展を成し遂げていったのである。

ところがこの「モノマネ」という文化がまさに今通じなくなったのである。「モノマネ」をされていた当の国アメリカがそれを許さなくなったからである。日本がまだ従順で無害な生徒のようだった頃、「あなた色に染めてください」というようなかわいい女性に見えた頃なら、アメリカもドシドシ日本にモノマネさせたのだが、日本が巨大なモンスターのようになりアメリカの産業を次々と圧倒するようになると、アメリカの態度は変わった。アメリカは日本を敵視するようになり、日本をやっつけるために攻撃してくるようになったのである。モノマネをさせてくれるどころか、アメリカ―そしてその背後にある西洋文明が日本に立ち向かって来たのである。

アメリカは日本の最大の武器が「モノマネ」にあることを熟知しており、日本の「モノマネ」を封じるために様々な手を打ってきた。ITという文化的創造性や革新力がモノをいう世界をビジネスや産業の中心に据えた。ナスダックやシリコンバレーなどによって革新的なベンチャーや有望な若手をドシドシ登用させる仕組みも作った。世界中から創造的な知性を集めて研究開発や企業経営を行わせた。莫大な研究開発費を矢継ぎ早に投入してゆくことで、ぶっちぎりの独走態勢も築いた。いずれも日本の「モノマネ」では太刀打ちできないシロモノであり、追いつきたくても追いつくことができず、上からアメリカに叩かれるばかりで、発展の道を失ってしまったのである。

上に登れないだけでなく、下からも日本は追い上げられてきた。モノ作りの分野でアジア諸国が日本に追いついてきたのである。韓国や台湾などは日本に劣らないようなハイテク製品を作れるようになった。タイやインドネシアやベトナムもそれに続こうとしている。いくら日本が「日本のモノ作りは一味違う」と自惚れても、そんな「こだわりの逸品」など世界は求めていない。安くてそれなりに動くモノなら世界は満足して買ってゆくのである。

そして最大の勢力・中国が台頭してきた。中国も目覚ましい経済発展をして、その産業力を高めてきたのである。中国も日本の成功が「モノマネ」にあることを熟知しており、ある戦略を持って日本に立ち向かってきた。それは「日本人のモノマネをモノマネする」という戦略である。日本人の最大の得意技をモノマネすることによって自国を発展させ、同時に日本人がモノマネするのを封じてしまうという戦略なのである。日本が前に進むと中国もただちに日本のモノマネをして前へ進んでくる。別の方向に進むとそれもモノマネして日本についてくる。日本のすぐ背後にピッタリとくっ付いて離れず、日本がいくら進んでもそれとともに中国も進んでゆくのである。日本が怒って「知的財産権の侵害だ」と訴えても全然動じない。逆に日本がそんな訴えを起こせば起こすほど自分がモノマネできないようになってゆく。さらには中国は国ぐるみで産業スパイをするというかつての日本でもしなかったほどの手法を使ってこのモノマネ政策を強力に推し進めているのである。
まさに「天下三分の計」などの大戦略を生み出すのが得意な民族が生み出した見事な戦略なのである。


こうして日本は上からはアメリカに叩かれ、下からは中国などに追い上げられ、どんどんシェアを失い、たいへんな窮地に追い込まれてしまったのである。

電子同人雑誌の可能性 194 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-27 05:28:23 | 日本文学の革命
日本の財政の赤字体質は田中角栄が赤字国債を発行するのを解禁した頃から始まった。田中派は全国各地に道路や鉄道やダムや空港、要りもしない公共施設などの公共事業を行うことによりそこから利益や権力基盤を得ていた。公共事業を誘導した各地の土建業者たちから賄賂を徴収したり選挙の票を得たりして、自分たちの権力を拡大していったのである。公共事業を誘導するために官僚を支配下において国の予算を出させたり、郵貯や年金のお金を使い放題に使ったりしていたが、そこに打ち出の小づちとして加わったのが赤字国債であった。
当時の田中派の国会議員は企業の営業部隊の様相を呈していて、「ウラ〜!!もっと公共事業費をぶんどって来んかい〜!」「なんだこの成績は!ノルマを達成できんと首に(=選挙で落とす)するぞ!」とハッパをかけられていた。しかし企業の場合は経済原則というものが働き、たとえば需要を無視して商品を作り過ぎるとたちまち在庫過剰となり、経営を圧迫してしまうのであるが、そういう経済原則の働かない政治の場合は命令次第で何でもできてしまうのである。公共事業なども政治権力とゴリ押しの論理さえあれば原則的にいくらでもできてしまう。赤字国債のように紙切れ一つで巨額マネーを捻出できる仕組みが加われば、なおさらそうなるであろう。
田中派は所属国会議員を駆使した営業努力を営々と続け、実に小泉首相が出て来る頃まで日本の赤字財政を営々と積み上げてきたのである。

中曽根内閣のとき赤字財政が100兆円ほどになった頃、さすがにこれではいけない、赤字を減らそう、行政改革だ、土光行革だと、赤字財政を建て直そうという動きが起きた。「土光さん。めざしを食べてがんばって」と質素倹約の風潮が社会にも広がったのである。
しかし直後の竹下内閣でバブルが本格化したために質素倹約などはどこ吹く風、バブリーに金を使う風潮が日本中に蔓延して行政改革などは忘れ捨てられてしまった。そして数年後のバブル崩壊。巨額の不良債権が残り、その解消のためにさらに財政は赤字化していった。気づけば200兆円をはるかに超えて300兆円に迫るほどの財政赤字になっていたのである。

そこに襲ってきたのがアジア経済危機だった。日本政府はこの危機に対抗するために前代未聞の財政出動を行うことになった。その結果日本経済の崩壊は避けられたが、財政赤字が倍増し600兆円を超えてしまったのである。100兆円程度でも行革だと騒いでいたんだから、これは致命的ともいえる数字である。アメリカやヘッジファンドにしてみたら、日本を経済崩壊させることこそできなかったが、その代わり致命傷となるような大借金を背負わせてやったぞ!とさぞかしほくそ笑んだことだろう。

97年以降の10年間もヘッジファンド全盛の時代だった。世界中でギャンブルまがいの大勝負をし、世界の富をかき集めて荒稼ぎしていたのである。その際彼らは日本の金を大いに利用していた。日本に蓄積されていた資金をギャンブルの元手として日本から供出させていたのである。ギャンブルにはまることもあまり感心できることではないのに、人の金を使ってギャンブルをするというのだからなお呆れてしまう。また日本がギャンブルには参加できないよう押さえつけてもいた。ガッポリ稼ぐのはオレたち、オマエは金さえ出していればいいという態度であり、日本はヘッジファンドたちが荒稼ぎするのを指をくわえて見ているしかなかった。

しかし金融工学によって作られた金融商品―高等数学を使いハイテクコンピュータを駆使して作られた絶対に正しい安全確実な商品だと喧伝されていたが―それはいったいどれだけ正しいものだったのだろう。自然科学で使われる数学はモノや自然界と一体化していて、そこに人間の思惑など入り込む余地がないので、そういう意味では確かさが保障されている。またそれを作る科学者たちは基本的に自分の利益は度外視してただ真実のみを求めているので、なおさら勝手な思惑などは混入してこない。ところが金融商品の場合はたとえ高等数学を使っていようが、いくらでも人間の思惑が入り込んでくるのである。しかもその思惑たるや、金が欲しい、ガッポリ稼ぎたいというドロドロした欲情にまみれまくった思惑なのである。高等数学のかげに隠れてこの欲情に満ちた思惑が混入して来ない訳がない。高等数学が普通の人間には訳の分からないシロモノなので、いわば誰にも分からない隠れた所で好き勝手なことができるので、なおさらそうなのである。しかもそれを作っている人間がヘッジファンドのような海賊や詐欺師と同レベルの悪党たちなのである。金融工学で作られた金融商品が絶対に正しいどころか、詐欺の巣窟と化しても全然不思議ではないのだ。

それが露呈したのが2008年のリーマンショックだった。サブプライムローンの焦げ付きに端を発し、経済大恐慌が世界に吹き荒れたのである。扱っていたマネーが巨大だっただけに、被った損失も巨大で天文学的なものとなった。アメリカでは大銀行や大企業がバタバタと潰れていった。ヘッジファンドの連中は金をかかえて逃げ去ってしまい、投資銀行という業態もなくなってしまった。世界に君臨したハイテク金融ビジネスは一挙に崩壊してしまったのである。
このときアメリカや世界を救ったのが、実はあの宮沢元首相がやった財政出動政策だったのである。世界はこれをモデルに行動し、これによって世界を焼き尽くさんばかりに燃えあがっていた火災は消し止められ、世界経済は崩壊を免れたのである。まさに因果は巡るである。少しはアメリカに感謝してもらいたいぐらいである。

日本は指をくわえて見ていただけだったので、リーマンショックの直接の被害を被ることはなかった。しかしアメリカやヘッジファンドに負わされた大借金は今でもあり、しかも拡大を続けて今では一千兆円を超えてしまったのである。「一千兆円の借金があっても日本の貯蓄額は一千兆円もあるんだから大丈夫」と言っていた経済評論家もいたが、その日本の貯蓄額も今では600兆円を切るところまで減ってしまった。これはもう日本を破綻させかねない時限爆弾となっているのである。まさにこれは今でも残る「ニッポン敗戦」の負の遺産なのである。

電子同人雑誌の可能性 193 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-26 04:29:36 | 日本文学の革命
アメリカ率いるヘッジファンド勢による東アジアへの猛攻撃、そして日本をも襲った金融植民地化の危機、このような巨大な危機に際して登場してきたのが宮沢元首相だった。彼は政界きっての経済通と呼ばれており、どんどん進行してゆく経済危機の中政府から再三請われて、元首相ではあったが財務大臣として入閣したのである。

彼は入閣するや否や大規模で大胆な財政出動政策を開始した。至る所で燃えあがろうとしている火災を消すには消防車でチョロチョロ消火しているようでは間に合わない。ダムを決壊させるような、あえて堤防を崩して大河の奔流を溢れさせるような、そんな大胆な政策が是非とも必要だと彼は確信したのだろう、すさまじい勢いで財政出動して巨額マネーを溢れさせていったのである。ヘッジファンドもこれだけ徹底的に痛めつければ日本経済も崩壊するだろうと厳密に計算して攻撃してきたのだろうが、その計算を上回るような規模での財政出動だったのである。この政策は功を奏し日本は経済崩壊の危機から脱することができた。アメリカ資本による金融植民地化も免れることができた。
宮沢元首相は崩壊の危機にあったタイなどのアジア諸国にも手を差し伸べ、多額の財政支援をして、ここでも最悪の崩壊を防ぐことができた。東アジア全体を金融支配しようとしたヘッジファンドたちの目論みは部分的なものにとどまったのである。

しかしこの大規模な財政出動で生じてしまったのが、巨額な財政赤字である。当時の日本もすでに財政赤字体質で300兆円近い財政赤字が積み重なっていたのだが、それがこの財政出動の期間になんと二倍の600兆円以上にまで膨れあがってしまったのである!


電子同人雑誌の可能性 192 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-24 04:45:01 | 日本文学の革命
1997年のアジア経済危機も「ニッポン敗戦」の一つだった。これはずいぶん前の一過性の事件だったようにも見えるが、実は今でも日本はその負の遺産に苦しめられているのである。

コンピュータやインターネットの世界はどんどん拡大して仕事でも日常でも社会生活でもなくてはならない存在になっているが、このコンピュータやインターネットをいち早く取り入れた分野が金融ビジネスだった。アメリカの金融ビジネス界ではコンピュータやインターネットの可能性をいち早く見抜き、ただちにこれをビジネスに取り入れて活用していったのである。
インターネットは世界をリアルタイムに一体化した情報ネットワークという性格を持っているが、それがまず金融の世界に有利に働いた。インターネットを使ってコンピュータの画面に見入っていれば、世界中の株価や金融商品、金融情報などをリアルタイムに知ることができるのである。まさに刻一刻と知ることができるのであり、これに比べたら従来の新聞や雑誌やテレビなどは遅すぎるし見ずらいしで役に立たない(テレビなどは一番ノロい。テレビ局のクルーたちがカメラをかついでドカドカと乗り込んでくる時は、その情報を熟知している関係者にとってはその情報が最終的に公けになるという最後の段階なのである)。しかも情報に対する対応力も素早い。ある情報を得たら瞬時にそれに対応してコンピュータを通して指令を出すことができる。それがインターネットを通じて地球の裏側にでも瞬時に反映してゆくのである。
またその情報処理能力もすごい。アメリカの金融のプロたちはただでさえもの凄い金融の頭脳を持っているのに、そこにコンピュータというもの凄い計算能力を持ったマシーンが加わって、いわばハイテク化されたもの凄い金融頭脳集団と化したのである。しかもインターネットによって世界中から情報を収集し世界中に情報を発信し世界ぐるみで金融戦略を実行してゆくことができる。まさに世界を相手に戦い世界を手玉に取ることさえできるエリート金融部隊となったのである。

またこの頃「金融工学」という新しい学問も登場した。難しい数学やコンピュータによるシュミレーションを駆使して数学的に完璧な金融商品を開発してゆくという学問で、それは物理的な工学と同じように科学的に確かなものであり、たとえばタワーマンションが絶対に崩れないと信頼されているように(もし崩れそうだったら誰も高いお金を出して入居したりしない)絶対的に確かなものなのだという。最先端なものであり、最高の知性が参加し、最高に儲かるという、オシャレ感スマート感満載のニュー学問だった。
この金融工学を駆使すれば数学的に完璧で絶対に安心な金融商品を開発できる。それは数学的な完璧さで絶対に儲かるのであり、投資家たちはドシドシここに投資すべきだ。それはどんなシュミレーションにも耐えられて絶対に安心なので、銀行に預金されているような本来リスクにさらしてはいけない資金もいくらでもここに投資してよろしい。レバレッジのようなバクチかハッタリに見えるような手法も、金融工学によってしっかりと設計されているのでいくらでもやってよろしい。そのように投資を煽り、世界中の巨額なマネーが金融商品に集まるようになった。

コンピュータとインターネットで世界中がひとつの巨大金融市場となり、金融工学と金融商品によって世界の巨額マネーが集まり、そしてそれを操るヘッジファンドや投資銀行のようなアメリカの金融頭脳が現われ、コンピュータと融合した金融界は恐るべき巨大勢力となっていった。この巨大金融勢力が突如東アジアを襲ってきたのが、1997年のアジア経済危機と呼ばれるものだった。
突如と言っても前触れはあった。この頃アメリカのクリントン大統領は「ソ連の次の敵は日本だ」と日本に宣戦布告をするような演説をしていたが、バブルの時日本経済にさんざんな目に遭っていたアメリカはなんとか日本をやっつけられないかと画策していたのである。そしてこのアジア経済危機でそれが火を吹いた訳である。

この恐るべき実力を持ったハイテク金融頭脳軍団がまだ前時代的な牧歌的経済活動をしていた東アジアを襲ってきたのだからたまらない。ヘッジファンドの金融攻撃を前に東アジアの国々は次々と経済恐慌に見舞われていった。タイのバーツは暴落し、韓国は経済崩壊し、インドネシアも大混乱し、マレーシアのマハティール首相は「国際的な海賊が我々の築いた富を奪い取ろうとしている」と悲鳴に近い声明を発表した。混乱は日本をも襲い、絶対に潰れるはずがないと信じられていた大銀行が次々と倒産し、経済パニックが巻き起こったのである。
ただこの時東アジアでも中国やシンガポールなど中華圏では経済パニックは起きなかった。裏密約でもあったのかヘッジファンドが中華圏を攻撃しなかったからである。攻撃目標はあくまで日本であり、日本と共に雁行的に発展してきたアジア諸国だったのである。

このように経済危機を引き起こし相手国の経済を崩壊させた後、ヘッジファンドや投資銀行はその国の主要企業の株を買い占めて大株主になり、いわば相手国を金融植民地にしようとしたのである。韓国などはまさにそうなり、このとき財閥企業の株を買い占められてアメリカの金融植民地にされてしまった。日本もまたこの時そうなる危機にさらされたのである。

電子同人雑誌の可能性 191 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-22 05:40:54 | 日本文学の革命
スマートフォンは画期的なメディアとして登場してまたたく間に世界中に広まっていった。当時パソコンの世界ではWindowsが世界標準で揺るぎない独占市場を形成していたが、アップルのスマホはそれとは別次元の市場を作り出してこの独占を打ち破り、広がりと利用頻度から言ってWindows以上の巨大市場を形成したのである。まさに驚くばかりの大成功だがこのスマートフォンを生み出すのを可能にしたのはやはり指で自由に操作するというアイデアだろう。もともとマウス操作というアイデアを生み出したのはアップルだったし、それを一歩進めてアイコンの指じゃなくて本物の指で操作するというある意味単純なアイデアだが、しかしそれによってスマートな操作性が実現したし、キーボードいらずで大画面化できたし、スマートフォンの世界的な勝利が実現したのである。

ところでこのスマートフォンは実は技術的には日本でもできたというのである。ソニーの技術者たちはその可能性に気づいていて、アップルに先だってソニー内部でスマホのようなものを作ろうという機運が高まっていてチーム編成までされていたというのだ。もしソニーが本腰を入れてスマホ作りに挑んでいたら、ソニーの持つ技術力・アイデア力・資金力を結集して立派にスマートフォンを作り出すこともできただろう。ところがこの動きをつぶした上司がいたのである。スマートフォンのようなどうなるか分からない新分野に乗り出すなどリスクが高すぎる、自分の地位にも危険を及ぼしかねない、というサラリーマン的な保身の本能が働いたのだろう、「私のような上司を持ったのが不運だったと思って諦めてくれ」と訳の分からない理屈まで持ち出してこの動きをつぶし、チームも解散させてしまったのである。結果ソニーはスマホを作り出すことができず、アップルに先を越され、スマートフォンという新市場はアップルのものとなってしまった。

アップルのスティーブ・ジョブズはソニーをライバル視していて、何かにつけてソニーをやっつけようとしていた。ソニーは世界の最先端企業として勇名を馳せていたし、バブルの時にはアメリカ人の心ともいうべき映画会社を買収したりして、ジョブズの敵愾心を買っていたのだろう。ソニーがブルーレイでDVD市場の世界標準を取ろうとすると、パソコンからDVD-ROM自体を駆逐したり、スマホに高度な音楽機能を持たせてウオークマンを消滅させたり、あらゆる手を尽くしてソニーを潰そうとしていたのである。ソニーがスマホ作りに乗り出そうとしていたことなどジョブズはもちろん知っていただろうし、スマートフォンにもソニー潰しという意味合いがあったのかも知れない。

向こうにはジョブズのような恐れを知らない気鋭の企業家がいて、こちらにはスマホ作りを潰すような情けないほど保守的な上司がいて、勝敗は明らかだった。これ以降ソニーはアップルにさんざんに敗北し、あらゆる分野でシェアを奪われてボコボコにされて、「何を作っているのかも分からない企業」と揶揄されるようになってしまった。ソニー内部ではすさまじいリストラの嵐が吹き荒れるようになった。あの上司はうまく勝ち逃げしてソニーの元重役という肩書で優雅に暮らしているのだろうが、不運なのは部下たちで次々と首に追い込まれて悲惨な目に会い、ソニー自体も倒産しかねないほどの敗北を喫したのである。

スマートフォンは日本の技術でもできたと書いたが、実はOSもWindowsに先だって日本の技術で生み出そうという動きがあったのである。気鋭の東大教授が日本独自のOSを開発していて、NECなどが中心になってそれをパソコンの基本OSにしようと開発に乗り出していたのである。しかしここでも横槍が入った。OSの重要性を熟知しているアメリカ政府が日本政府に圧力をかけて、日本によるOS開発を阻止させたのである。日本政府は官僚に指示を出し、官僚は企業に指示を出し、企業上層部は開発チームに指示を出すことによって、上からの命令には逆らえないということで日本によるOS開発は阻止されてしまった。その結果アメリカの思惑通りWindowsのOSが世界のパソコンを支配するようになったのである。

NECはOS開発は断念したがモノ作りに専念していいパソコンを作っていれば問題ないと考えていたのだろう。老舗パソコンメーカーにふさわしく90年代2000年代と手の込んだいいパソコンを作り続けてきた。しかしコンピュータの世界ではモノ作りよりもソフトの価値の方が高いという逆転現象が生じていたのである。いくらNECがいいパソコンを作ってもOSなどの基本ソフトに利益をゴッソリと持っていかれてしまい、作っても作っても利益にならない、ただマイクロソフトを肥え太らせるだけという「長良川の鵜」状態になってしまったのである。その結果NECも倒産の瀬戸際まで追いつめられ、繰り返し繰り返し大リストラをするようになってしまった。ついにはパソコン作りを諦め、中国企業に売却してしまった。ここでもまた一つの「ニッポン敗戦」となったのである。

電子同人雑誌の可能性 190 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-06-16 11:54:55 | 日本文学の革命
電話回線、ADSL、光ケーブルと電線を使ってのインターネットの高速化が進展していったが、2000年代に入ってからは「無線LAN」というものも登場してきた。これは電線を使わずに空間中に電子情報を飛ばせる技術で、電線に縛られることなく家中どこでも自由にインターネットができるという画期的なものであった。当時木村拓哉がCMでノートパソコンを手に家中自由自在に歩き回りながらインターネットを楽しんでいたが、その姿に一驚したものである。当時のインターネットは電線が命で、これがないとどこにも接続できず、電線の届く範囲に縛りつけられていたのだが―多くが自分の机である。つまりインターネットがしたければ学校の授業のように自分の机の前にジッと座っていなければならなかったのである―そこから一挙に解放され、リビングのソファでくつろぎながらでも、床に寝そべりながらでも、一階や二階を行き来しながらでも、自由にインターネットを楽しめるようになったのである。

この技術はさらに発展して今日の携帯電話やWiFi通信にまで進化した。これは無線LANを戸外に拡大したもので、マンションや建物の屋上に無線LANのような電子情報の受発信の機器を設置し、それを隈なく拡大させることによって、戸外のどこにいようがインターネットに接続できるようにしたものである。オフィスや仕事場にいても、公園やレストランにいても、歩いている時も電車や車で移動中の車内でも、まさにどこでもインターネットに接続できるようになったのである。最近では北極の秘境やエベレストの頂上からでもネット通信ができるようになり、北極冒険中の者がケータイで「このレトルトカレーほくほくしておいしいよ♪」とインスタグラムにアップしたりして、どこが冒険なのだろうといぶかしく思うほどだ。ここまで来るとインターネットはまさに我々の生活空間と一体化したものとなったのである。

ここでちょっと携帯電話について述べてみたいが、この携帯電話で一時日本が世界の標準スタンダードを取ろうとしたことをご存じだろうか。パソコンやインターネットの世界では世界標準・世界のスタンダードを取ったところが覇権を握るのだが、日本の携帯電話はこの分野で世界標準・世界スタンダードになることを狙っていたのである。パソコンの分野ではアメリカ企業に世界標準を取られてしまったが、携帯電話の分野では日本が世界標準となろうとして、ドコモなどを中心に携帯電話の開発やIモードなどのサービス提供にがんばっていたのである。日本には携帯電話を愛用する女子や子ギャルがわんさかいて、巨大市場を形成していたし、またゴツくて男性的なパソコンに比べ、手の平サイズで生活に密着したケータイは女性的で日本人の感性に合うものでもある。この携帯電話を日本の技術で高度に発展させ、世界に広めてゆけば、携帯電話の分野で日本が世界標準を取ることも十分可能なのである。当時の日本の携帯電話にはそのような勢いが感じられたものだった。
ところがその日本の携帯電話も突如現れたアップルのスマートフォンに敗北してしまった。小っちゃな画面しか持たない日本の携帯電話に対してスマートフォンは圧倒的な大画面で映画でもなんでも見れるし、指で直接操作できるタッチパネルで操作もスマートだし、小型コンピュータともいうべき高い性能を持っているし、日本の携帯電話はアッと言う間にボロ負けしてしまったのである。携帯電話の世界標準はアップルとグーグルというアメリカ企業にまたもや取られてしまった。日本で高度に発達した技術も「ガラパゴス」として―つまり日本のような隔離された島でしか通用しない技術として、またそれを搭載した日本の携帯は「ガラパゴス・ケータイ」略して「ガラケー」として―揶揄されるようになってしまった。日本の携帯電話はアップル率いるスティーブ・ジョブズに完敗したのである。

この携帯電話に限らず、インターネットの発展史は日本にとっては「ニッポン敗戦史」でもあったのである。ちょっとこれについて考察してみよう。