「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

こうなりゃ俺も男だ!

2008-07-31 23:03:07 | 日本文学の革命
宮崎駿の『ポニョ』の評判がすこぶる悪い
映画評論家たちは口をそろえて「つまらない」「物足りない」と言ってるし、上映直後に出たある新聞なんか一面ぶち抜きで「ポニョ駄作」「宮崎駿 落ち込む」と書いていた
まあ 自分で見てみないことにはなんとも言えないが、どうもダメらしい

ミスチルの新曲で北京オリンピックの応援歌というやつを聞いてみたが、やはりいつもどおりの「どこに向かったらいいのか 見当もつきません」という類いの玉虫色の歌だった
桑田佳祐のサザンも8月で終わってしまうし、「奇跡のドア」を開くことができないまま退場してしまうというわけだ

このままでは「反外国主義運動」も、自己の可能性を開花できないまま、終わってしまいそうだ

しかしこうまで総崩れ状態になると、逆に闘志が湧いてくる
「やってやろうじゃないか!」という気持ちがメラメラと燃えあがってくる
無名だからといって、なめてもらっちゃ困る
こっちには夏目漱石と日本文学の伝統がついているのである
これを動かすことができたら、誰も開くことができない「奇跡のドア」だろうが、一気にぶち破ることができるのだ

とにかく 機はもう熟している
どこをどうすればいいのか、どこからどこに向かっていけばいいのか、すべてありありと分かっている
具体的な手段も全部用意できている
あとはやってしまうだけなのだ

これから持てるすべての力をこの一点に集中しよう
すべての力を24時間体制で、寝ても覚めてもこの一点に、この実現に、集中させるのである

必ずできる
必ずぶち破ってみせる!

勝利は もう目の前にある
あと1、2ヶ月もあれば、出来てしまいそうだ

「お見合い」 失敗

2008-07-13 19:25:10 | 日本文学の革命
このところ鬱々とした日々を送っている
虚しい喪失感にとりつかれたり、イライラした捨て鉢な気持ちになったりと、さんざんだ
べつに文学が原因ではなく、そっちの方はむしろ順調に進んでいる
実は「お見合い」に失敗したので、それで落ち込んでいるのだ


ネット上で知り合いになり、一年以上もメール友達のような関係になった女性がいた
20代後半のOLの女性で、彼女の出しているブログで知り合ったのだ
もちろん僕も男だから、女性に頻繁にメールを送る理由はただ一つ、なんとかお付合いできないかな、というものだった
一年以上も知り合いになってお互いに相当親密になったことだし、彼女も結婚願望を述べていてなにやら思わせぶりなことも書いてくるし、ここらで実際に会ってみようと思い、「お見合い」を申し出たのだ
お互いに結婚願望があることだし、僕の方でも実際に会ってみて彼女がいい人だったなら結婚してもいいと覚悟を決めていたし、ここらで「お見合い」をしてもいいんじゃないかと

「お見合い」といっても実際はデートだから、デートの下準備にあれこれと奔走した
彼女は名所旧跡めぐりが好きで文化的なものを愛しているから、何日もかけてあちこちをめぐって彼女の好みに合いそうなコースを探し出したり(実にいいコースができた)
面白そうなアミューズメントスポットをコースに取り入れて実際に下見に行ったり
昭和初期のモダニズムの雰囲気がただようおしゃれなレストランを見つけたり
洋服も新調したりと
準備万端整えて、当日は期待に胸をふくらませて待合場所へと向かった

ところが来ないのである
三時間近く待ったが、それらしい人はついに現れなかった
唯一の連絡手段だったメールも閉鎖されてしまっていた
要するにふられたのである

来てくれるに違いないと思っていただけにダメージが大きかった
「やはり独身がおれの運命なのか」と嘆きと諦めの気分になった

彼女はとにかく外を出歩くのが大好きな人で、街中だとか自然だとかに暇さえあれば出向いている
雑誌片手に街めぐりすることなど、もともと僕の趣味にはなかったのだが、彼女の影響を受けて旅雑誌やタウン情報を購入して実際に出向いてみると、これが結構面白い
今度はこういうコースでめぐってみようとか、いやこのコースも面白そうだとか、そういう計画を練ることに没頭してしまい、今度彼女を連れてゆくときはこのコースにしようとか、その次はこっちだとか、すっかり恋人になった気分であれこれ空想していた

ただ一つ非常に懸念していたのは、彼女の外めぐりがあまりにも“度が過ぎている”ことだった
毎週のように山だ海だ海外だと旅に出ている(街めぐりも合わせれば、三日とあけずにか…。これはほとんど病的・強迫的状態である)
特に山が大好きでシーズン期ともなればすぐにあちこちの山へ出かけてゆく(まだ「冬山に登りたい」と言い出していないのは幸いだが。彼女のようにときどきマラソンをするだけで専門的な登山訓練を受けてもいない女性が冬山に登るなど、自殺行為に他ならない)
しかもそれが日本国内とは限らない
世界中の名山高峰にもわざわざ出かけて登ってくるのだ
マレーシアのなんとかという最高峰にも登ってきたし、この夏は韓国のソラク山に登ってくるし、数年以内に南米の最高峰を踏破したいとも言っている。さらにはエベレスト山にまで登りたがっているようなのだ(何度も言うように彼女はたいした登山訓練もしていないのだ)
しかもこのような旅や山登りを彼女はほとんど1人で行ってくるのである!
どうも彼女の目には旅先の外国人は「みんないい人」に見えるらしい。実際には日本人以上に危険で腹黒いことが多いというのに…

ともかくこれは、誰が見ても“度が過ぎている”し、かなり危険な状態に彼女はあると言っていい
このままの調子でゆくと、いずれ何らかの事件や事故や遭難に巻き込まれることは、目に見えている

どうすればそれを防ぐことができるか
あれこれ考えていると、ふと思いついたものがある
彼女が登山するときに持ってゆくはずの登山杖 あれ護身用の武器になるじゃないか
たとえ悪い奴が襲ってきても、あれで向こう脛でもぶっ叩いてやれば、女の身でも十分対抗できる
そのためには剣道を習っておく必要があるな
僕も学生時代剣道をやっていたし、二人で街の道場へ稽古に行ってもいいな
彼女はすぐに職場を転々としたがるように、こらえ性のない性格である
彼女がなぜ三日とあけずに旅に出たがるのかは、おそらくストレス解消・発散という側面もあるに違いない
剣道なら、なにも遠くに旅しなくても、大いに気持ち良くストレス発散ができる
彼女が剣道に一つの楽しみを見い出してくれたなら、今の病的で危険なペースもかなりやわらぐんじゃないだろうか
ひとつ近場に剣道のできる道場を探してみようか…

などなど空想ばかりが先走って、どんどん膨らんだところで、バッサリ切り捨てられて、夢がはじけてしまったというわけだ

やはり一番の問題は、僕に定職がないというところだろうか

僕自身はひとつの立派な仕事にがっぷり四つ取り組んでいるつもりでいる
それこそ今の日本で最高最重要の仕事の一つをやっているつもりなのだ
しかし世間の人は決してそう見てくれないのも事実だ

やはり文学を社会的にも成功させて、職業作家になるしかないか
それを第一義的なものにしたくはないが、やはりそうしないといつまでも結婚できないことになる

それに僕が一番恐れていることは、経済的な仕事で頭をすっかり奪われてしまうことだ
毎日毎日残業残業ノルマノルマで頭の中を経済的な雑務でいっぱいにされてしまったら、もう文学をできる余裕がどこにもなくなってしまう
それを避けるためには、文学で生活できるようになること、これが一番なのだ
幸い「新しい文学」はまもなく出来つつあるし、これさえあれば文学で食ってゆけるようになれるはずだ

ともかく 夢破れて 文学あり だ
文学という仕事だけは押し進めてゆくことができる

がんばってゆこう…

中島みゆきのCM

2008-07-12 01:13:06 | 日本文学の革命
先日テレビを見ていたとき、ふと中島みゆきの『時代』が流れてきた
CMソングとして流れていたもので、松田聖子が出てくる何かの化粧品のコマーシャルだった

松田聖子と中島みゆきの『時代』
なんか合わないなあ と見てると、CM の中で松田聖子が窓の外を眺めだした
その視線の向こうになにやら一生懸命犬を引っ張っている女性がいる
動こうとしない犬の首輪の紐をつかんで、なんとかして動かそうと引っ張ってるのだ
次の瞬間その女性のアップの映像が映ると、なんとそれは中島みゆき本人だった

中島みゆきがCM に出るなんて実にめずらしい
ていうか記憶にない
今まで一度も出たことがなかったんじゃないだろうか

このCM の意味するところは一目瞭然
最近の彼女の歌がすべてそうであるように、「負けるなー!前へ進めー!」「進めってば、コラッ」とはっぱをかけているのである

今「反外国主義運動」は大いに苦境に立っている
ヘタをしたら瓦解しかねないあり様だ
だからこそ彼女はわざわざ出る必要もないCM に出てきて、「絶対負けるな!」と激を飛ばしているのだろう

彼女の根性と忍耐と気力にはいつも敬服する
この『時代』という歌からしてすごい
なにしろこの歌は、「目的地に達しないで死んだなら、生まれ変わってふたたび歩んでゆこう」「この人生で愛を実現できなかったなら、生まれ変わってふたたびめぐり合おう」という内容なのだ!
腹のすわり方が違う
来世まで視野におさめてやっているんだから

たしかに苦境に立っているが、別に負けているわけではないし、方向も間違ってはいない
決定的な一歩 ―桑田佳祐の言葉を借りれば「奇跡のドア」を開けることができなくて、立ち往生している状態なのだ
すぐ向こうに希望に満ちた新しい世界が広がっているのだが、この頑強なドアを開けることができずに、行き倒れになりかねないところなのである

これをやっている1人だから言えるのだが、この「ドア」をこじ開けるのは、実に実に難しい
とてつもなく困難なのである
まさに「奇跡」のようなものなのだ、これを成し遂げるということは!

だがまあ とにかくがんばってゆこう
ここで失敗して瓦解したら、またもやこの課題は次世代へ先送りになる(それこそ『時代』の内容のように)
で またもやわれわれ日本人は、その間“塗炭の苦しみ”を受け続けなければならない

と言ってもこの“苦しみ”は精神的魂的なものなので、精神的に鈍感な者はおそらく気づきもしないだろうが
(しかしそれでもその悪しき影響は、彼らにもしっかりと及んでいるのだが)

今一番期待できるのは、宮崎駿の『崖の上のポニョ』だ
あらすじを読むとかなり期待できそうだ
ぜひ「奇跡のドア」を押し開けて欲しい

僕も死力を尽くしてがんばってゆこう
漱石という重要なカードを握ってしまったんだから、いまさらやめる訳にいかない
行けるところまで行くのみだ

あともうほんの一歩で出来そうなんだが…

ともかく着実に進んでいることは確かだ

中島みゆきからまた進んでゆく勇気をもらった

「新しい文学」 すごい勢いで進展した!

2008-07-02 03:09:51 | 日本文学の革命
「新しい文学」を具体的に建設してゆく日々が続いているが、今日の進展ぶりは実にめざましかった

四つの部門に分けて、同時進行的に押し進めているのだが、その四分の三以上が一挙に出来てしまったのだ!
自分でも予想してなかったほどの進展ぶりだ

四つの部門について説明すると
一つ目は「仏教と文学の融合」部門
『文学論』で漱石がやろうとしたことを継承してやっているわけで、これが「新しい文学」の根本原理になるのだが、もうこれも最終段階にきている
今どんどん融合中であり、この中から新しい言語観、新しい文学原理を見いだすつもりなのだ

二つ目は「新しい文体の創造」部門
前の一つ目の部門が成功したら、そこに新しい文体の可能性が生まれる
「人間の言葉・文章の内に神的なものを見いだす文体」とでもいえるものだ
この種の文体を実現した例は今までにもいろいろあって、シェイクスピア、ゲーテ、ドストエフスキー、宮沢賢治、などの文学がある
今彼らの文体を学ばせてもらっているところで、「なるほどこうやったのか」「こうやればいいのか」と勉強させてもらっている
ここで学んだものを参考に、「仏教と文学の融合」から新しい文体を引き出すつもりでいるのだ

三つ目は「日本語の構造と伝統」の部門
日本語が歴史的にどのように変遷してきたか
明治以前の「言語の分裂状態」から明治以後の「三統一の言文一致体」へと、どのように発展してきたか
それを古典文学や近代日本文学、日本の歴史などを駆使して、具体的に跡づけてゆき、その発展の先にあるものを切り開こうとしているのだ
ここでやったものが「新しい文学」の土台や基盤となる

四つ目は「題材とメディア」の部門
上記三つのもので新しい文体を創造したら、次にそれを用いてどんな題材を描けばいいかの問題が起こってくるが、それも今から用意しておこうとするものだ
これもだいたい目星がついている
十分切り拓いてゆくことができるだろう

このようにして「新しい文学」を目指していたのだが、今日あれよあれよという間に四分の三以上が出来てしまったのだ
二つ目、三つ目、四つ目がほぼ出来てしまい、残る一つ目も半分近くが出来てしまった
あとはこの「融合」の中から具体的な文学原理さえ見いだせば、「新しい文学」は一挙に出来てしまうのである

まさかこんなにすさまじい勢いで出来てしまうとは!
今日 仮眠から起きて文学に取りかかった時には、絶望的な気分でいたのに
(まあ よく絶望的な気分には襲われるが…。こういう絶望的な気分のときこそ、そのすぐあとに可能性がドバッと開けることがよくあるのだ)

あとほんの一歩じゃないか、「新しい文学」まで

といっても、この最後が一番難しい

気を引き締めて、がんばってゆこう