「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌の可能性 239 「コンピュータの本質―ギリシャの「概念」 1」

2021-09-30 09:04:57 | 日本文学の革命
ギリシャの根源的な魂「肉体の聖化」、それはプラトンやアリストテレスで有名なかのギリシャ哲学にも大きな影響を与えている。ギリシャ哲学の土台となっているのは「概念」であり、その「概念」がもたらす論理性の上にこの哲学は組み立てられているのであるが、この「概念」なるものを形成したものこそ「肉体の聖化」というギリシャ人の根源感情なのである

「概念」とはそれ自体なんとも難しい用語だが、もともとは名詞のことであり物や事物に付けられた「名前」のことである。ただ普通の「名前」ではなく、明確な定義が施された“完璧な真実”という性格を持っており、これを用いれば明確で明瞭な論理に導かれて“究極の真理”に至ることができる、とさえ信じられているほどのものなのだ

ギリシャ人は肉体美の内に至高の価値を見い出す民族であり、磨きあげられたギリシャ彫刻や鍛え抜かれたギリシャの戦士の肉体はギリシャ人にとってまさに「聖なるもの」であり「神」ですらあった。ただ彼らが肉体美を見い出したのは人間だけではなく、肉体を連想させる様々な物や事物にも肉体美を見い出し「聖化」していたのである

エーゲ海の島々などはまさに「美しい肉体」であり、彼らの魂の故郷であった。山や川や一本のオリーブの木も具体的な形状を持った肉体と見なされ、その美しさを嘆賞されたのである。動植物もそれぞれの美しさを持った肉体である。都市のような肉体と呼べるかどうか疑わしいものまで一つの肉体と見なされ、彼らは自分たちの肉体とそれを同化させ、自分たちの肉体と同じように(あるいはそれ以上に)大切にしたのである。空や海のようなとりとめのない対象までゼウスやポセイドンのような「神的な肉体」として観想され崇拝されたのであった

ギリシャ人にとってはこのような肉体を備えた物や事物こそが「真実の存在」なのであった。その間にある何もない「空間」などは文字通りの無であり、存在すらしていないものであり、彼らの関心を引くことはまったくなかったのである(これは後述する西洋文明と際立った対照を成している。西洋文明にとってはこの抽象的な「空間」こそが真実の存在であり、その中にある物や事物などはこの真実の存在にとっては二義的な意味しか持っていないのである)