人間に仮想現実を体験させる方法は何も3D空間や3D画像だけとは限らない。脳に直接影響を及ぼして仮想現実のヴィジョンを見させる方法も考えられる。人間の頭にヘッドギアか何かをかぶせて外から影響を及ぼし、人間に思うがままのヴィジョンを見させるという方法である。
人体に残った最後の謎―脳を解明しようという試みも今長足の進歩を遂げている。脳科学や認知心理学の研究が発展し、脳波や脳内物質の解明も進んでいる。人間の脳もその内すっかり解明されてしまい、思うがままに操作することができるようになるかも知れない。また人間の脳を機械によって再現しようという実験も盛んに行われている。コンピュータのような電子回路に人間の脳を再現し、人間の脳を機械の中に移し替えてしまおうとするものである。こうすれば人間の脳もコンピュータ並みの計算能力を獲得できるかも知れないし(今のレベルではコンピュータに比べたら幼児並みである。猿並みかも知れない)、英単語を覚え込もうと必死に努力しなくてもソフトを注入するだけで一瞬で全英単語をマスターできるし、そしてなにより脳の永久保存ができるのだ。
人間の脳も年をとるに従い肉体的に劣化してゆき、物忘れがひどくなったりうまく回らなくなったり、どうかすると痴呆症になったりして、やがては消えてゆくものだが、これが機械の脳だといつまでも保存することができるのだ。肉体的に劣化することはないし、古くなったら別の機械にコピーすることもできるし、肉体的な限界を超えて一つの脳、一つの意識をいつまでも保存することができる。ある意識が時間空間を超えていつまでも存続する訳で、人類はいつまでも死なない「不死の脳」「永遠の意識」を手に入れることができるのだ。自分の自我を永遠不滅のものにするという人類の大理想を達成できてしまうのである。
しかし人間の意識というものは、その意識が生まれた時代によって不可避的に制約されているもので、時代を超えて長続きしないで、素直に時代とともに消えた方がいいという側面も持っているのであるが…。たとえば江戸時代に生きていた人間の意識が、真空パックされた形で現代にも生き残っていた場合のことを想像してみよう。その意識は現代を見てどう思うだろうか。
「おまえどもわしの家柄をなんと心得おるか。身分違いも甚だしい。無礼者め。控えおろう!」
「町人の分際で小賢しい知恵を使って金儲けばかりに励みおって。許せん!切り捨て御免で成敗してやる」
「忠孝仁義礼智信。これこそが人が学ぶべき最高の教えじゃ。これを守らん奴らは天道に反する屑どもじゃ」
「カ〜!!女の分際で男にたて突くとは何事じゃ!男に黙って従うのが女というもの。三歩下がって男の影を踏まず。それが婦徳というものじゃ」
こういう意識が時代を超えて現代まで生きていたら、周りの人間はたいへん困ってしまうし、迷惑なだけだろう。どうかすると憎たらしくなって、いじめてやりたくなるかも知れない。時代を超えて生き残ってきた本人にとっても、周りから反感や反撥ばかりを受け、憎まれたりいじめられたりするので、不幸な思いをするだけだろう。
意識というものはそれが生まれた時代によって育まれ、成長し、大成してゆくものであるから、その時代を超えてまで生き長らえようとしない方がいいのかも知れない。
人体に残った最後の謎―脳を解明しようという試みも今長足の進歩を遂げている。脳科学や認知心理学の研究が発展し、脳波や脳内物質の解明も進んでいる。人間の脳もその内すっかり解明されてしまい、思うがままに操作することができるようになるかも知れない。また人間の脳を機械によって再現しようという実験も盛んに行われている。コンピュータのような電子回路に人間の脳を再現し、人間の脳を機械の中に移し替えてしまおうとするものである。こうすれば人間の脳もコンピュータ並みの計算能力を獲得できるかも知れないし(今のレベルではコンピュータに比べたら幼児並みである。猿並みかも知れない)、英単語を覚え込もうと必死に努力しなくてもソフトを注入するだけで一瞬で全英単語をマスターできるし、そしてなにより脳の永久保存ができるのだ。
人間の脳も年をとるに従い肉体的に劣化してゆき、物忘れがひどくなったりうまく回らなくなったり、どうかすると痴呆症になったりして、やがては消えてゆくものだが、これが機械の脳だといつまでも保存することができるのだ。肉体的に劣化することはないし、古くなったら別の機械にコピーすることもできるし、肉体的な限界を超えて一つの脳、一つの意識をいつまでも保存することができる。ある意識が時間空間を超えていつまでも存続する訳で、人類はいつまでも死なない「不死の脳」「永遠の意識」を手に入れることができるのだ。自分の自我を永遠不滅のものにするという人類の大理想を達成できてしまうのである。
しかし人間の意識というものは、その意識が生まれた時代によって不可避的に制約されているもので、時代を超えて長続きしないで、素直に時代とともに消えた方がいいという側面も持っているのであるが…。たとえば江戸時代に生きていた人間の意識が、真空パックされた形で現代にも生き残っていた場合のことを想像してみよう。その意識は現代を見てどう思うだろうか。
「おまえどもわしの家柄をなんと心得おるか。身分違いも甚だしい。無礼者め。控えおろう!」
「町人の分際で小賢しい知恵を使って金儲けばかりに励みおって。許せん!切り捨て御免で成敗してやる」
「忠孝仁義礼智信。これこそが人が学ぶべき最高の教えじゃ。これを守らん奴らは天道に反する屑どもじゃ」
「カ〜!!女の分際で男にたて突くとは何事じゃ!男に黙って従うのが女というもの。三歩下がって男の影を踏まず。それが婦徳というものじゃ」
こういう意識が時代を超えて現代まで生きていたら、周りの人間はたいへん困ってしまうし、迷惑なだけだろう。どうかすると憎たらしくなって、いじめてやりたくなるかも知れない。時代を超えて生き残ってきた本人にとっても、周りから反感や反撥ばかりを受け、憎まれたりいじめられたりするので、不幸な思いをするだけだろう。
意識というものはそれが生まれた時代によって育まれ、成長し、大成してゆくものであるから、その時代を超えてまで生き長らえようとしない方がいいのかも知れない。