「日本文学の革命」の日々

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四面楚歌―絶望の中の希望

2014-02-02 03:00:34 | 日本文学の革命
94年に猛然と沸き起こり、現在に至るまで日本の文化をリードしてきた「反外国主義運動」も、近年大いに衰えてしまった。
これは日本的世界の一つの根源である「外国主義」(非常に古くからある日本の古典文化である)を創造的に克服し、それ以上の新しい文化、今日的で未来的な大きな可能性を持った文化を築いて行こうとする運動であったのだが、決定的なところ(桑田佳祐の言うところの“奇跡のドア”)を開けることが出来ないまま、今衰退しようとしている。

宮崎駿は引退したし(もしかしたら文学を書くためかもしれないが)、中島みゆきも力を失ってしまった(今生での実現は諦め、来生の準備を始めたようだ)。ミスター・チルドレンも、奥田民夫も、石井竜也も、みんな力を失い、低迷してしまった。木村拓哉はすっかり裏切り者になってしまったし、SMAP自体も形骸として残っているだけだ。
一人気を吐いているのが桑田佳祐だが、しかし彼もこの先どう進んで行けばいいか分からず、開けることの出来ない“ドア”の前で絶望的な戦いをしている。
桑田佳祐たちが舞台としてきたミュージック業界自体も、低俗化と空洞化の果てに衰亡しようとしている。

「外国主義」を克服した向こうには、非常に大きな未来的な可能性が、今行き詰まっている日本の前に開けるのである。その可能性を実現できないまま、今やすべてが滅び去ろうとしているのだ。

だがこのような絶望的状況の中でも、まだ一つの希望が残っている。
日本文学だ。
夏目漱石を始めとする戦前の日本文学者たちは、「外国主義」の克服活動を伝統的に行ってきたのであり、彼らは9割がたそれを成し遂げているのである。
あと残り1割

この1割を実現させるために、この10年以上頑張ってきたが(長いと言うなかれ。漱石の死後100年経っても、まだ実現していないものなのである)、あともうひと頑張りで出来るだろう。今毎日10時間も自由な時間を取れる生活をしているため、文学の仕事がグングンと日進月歩で進展して行ってる。
あと2か月もあれば出来てしまうだろう。

あと最後の1割とは「則天去私」の実現である。

「則天去私」が実現したとき、外国主義とその背後の本質である「自然随順」が創造的に克服される。「自然随順」にまで踏み込まない限り外国主義を克服することは不可能なのだ(ただしそれは「自然随順」を否定したり破壊したりするのではない。その時代的限界を乗り越え、継承発展させるのである)。そのとき時代に合わなくなっている京都的な古い日本文明が乗り越えられ、「新しい日本」が―目の前にそして未来に広大な可能性を持った「新しい日本」が開けるのである。