「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

日曜日は寝すぎた

2006-06-26 07:24:57 | 日本文学の革命
先日の土曜日 仕事から帰るとさっそく具体的な手順を紙に書いて(もちろん「新しい文学」を形成してゆくための手順である)机の前の壁に貼り付けた
その紙をにらみながら、何時間も考えて、「よし これでいこう。明日からがんばるぞ」と誓って眠ったのだが、ここ数日の興奮で疲れがたまっていたのか、爆睡してしまった

『チャングム』を見たあとだから寝たのは12時だったのだが、ハッと気づいたら昼の1時をまわっていた。13時間以上も寝ていたわけだ
起きてからも眠くてたまらない
床の上にたおれ込んでうつらうつらしているうちに三時をまわってしまった

それから風呂に入って、シャンプーとか洗剤とかの買い物をしてきて、休日の楽しみである韓国映画を借りてきた
結局日曜にしたことは、韓国映画の『B型の彼氏』と『マルチュク青春通り』を二本立てで見たことだけだった(韓国女性の間ではB型の男は最低最悪と見なされているようだ。自分勝手で気遣いのない、傲慢な男だという印象があるようで、映画の中でもそのように描かれている。面白いのは、日本ではB型の人間はたしかに自分勝手でマイペースだが、その反面おっちょこちょいで愛嬌のある人物と見なされているのだが、韓国ではB型にそういう面を見ていないのである。血液型なんて、ちょっと国境を越えただけで、ニュアンスを変えてしまうらしい。ちなみに僕はB型である)

日曜日は一日中寝て過ごしてしまった

でもまあ あわてる必要はない
目標はすぐ目の前
もうそろそろ手が届くんだから

「新しい文学」の扉が開いた!

2006-06-23 07:21:41 | 日本文学の革命
昨日は僕にとって奇跡の日だった

「新しい文学」への扉が開いてしまったのである!
実現への道が開けたのである

「仏教と文学の融合」も具体的にできるようになった
新しい韻文も形成できるようになった
どちらも一挙にできるようになってしまった

もう「新しい文学」を具体的に実現してゆくことができる!

信じられない
だができたんだ

「新しい文学」実現へ向けて、扉が大きく押し開かれた

どんどん実現してゆこう
(サッカー日本 残念だったね。これでJリーグという形で現れた外国主義はお終いだろう)

勝負の月

2006-06-20 07:15:58 | 日本文学の革命
今からはじめて7月いっぱいを「勝負の月」としよう

ここで勝負をかける
毎日毎日火の玉のように挑戦し続けて、「新しい文学」を切り開いてしまいたい

そのための準備は十分できている
「仏教と文学の融合」はもう出来ている。少なくとも始まっている
古今東西の韻律文学も理解できてしまったし、韻文というものの本質も分かるようになった
則天去私をどのように実現していけばいいか、その道筋もできている
準備はもうできている

これができたら「日本文学の革命」は実現する
広大な未来を開くことができる

毎日毎日「寄せては返す波のように」(好きな言葉だ)ひたすら努力を繰り返してゆこう

いつ出来てもおかしくない 2

2006-06-15 04:27:16 | 日本文学の革命
「日本文学の革命」を実際に成し遂げるということは
実に難しい事業なんですよ(笑)

ホントに難しいものです
今の職業作家の中にも、出来る人間はいないでしょう

たとえば『夏目漱石の継承』という評論を書いているんですが
これだけでもマルクスの『資本論』なみの分量になってしまいます
それだけのものを書くのにどれだけ労力がいるか!
どうかご想像ください

でも もうほとんどすべて出来てますけどね
ホームページに載せてあるようなものは、もう出来ていると言っていい
今は最後の難関「新しい文学」に挑戦している最中です

誰もが口をそろえて「不可能だ」と言っていた「日本文学の革命」
(でもそういうことを言う人間に限って、日本文学のことをよく知っていないのですが(笑))
そろそろ実現できそうです

いつ出来てもおかしくない

2006-06-14 06:52:43 | 日本文学の革命
geeksoskinnyさんに答えようといろいろ考えてみたんですが
質問の内容が難しすぎるし、どう答えていいのか分かりません

なにしろ今「則天去私」や「韻文」に格闘している真っ最中なので(まさに混戦・乱闘状態です。あるいは闇の中での手探りでしょうか)、系統だった明白なことを述べることができないのです

漱石の言葉で言えば「魂がこちらこちらと教える」のを手がかりに、ようやっと進んでいる状態なんです

ただいつ「新しい文学」ができてもおかしくない状態です
もしかしたら一ヵ月後には出来ているかもしれません
案外今日あたりパッとひらめいて、すべて解決してしまうかもしれません
いつ頂上にたどり着いてもおかしくないのです

理論よりも先に実作をお目にかけることができるかも知れません

則天去私と自然随順

2006-06-10 17:04:25 | 日本文学の革命
>関場さんは、日本語に潜む「則天去私」が浮き出すような韻文を用いて書くつもりなのか。
「則天去私」それ自体を作中のテーマとして扱った作品になるのか。
あなた本人が「則天去私」の状態になって小説を書くのか。
あるいはその全部なのか。何をしようとしているのでしょうか?


則天去私は非常に曖昧模糊とした机上の概念のように思われるかも知れません
しかしそれは日本人にとって非常に馴染み深い概念と密接に結びついているのです
それは「自然随順」です

この自然随順は和歌以来の古典文学に一貫して流れている中心概念です
今でもほとんどの日本人はこれを生きていると言っていい
しかし明治以降これが時代に合わなくなってきているのです

日本人はかつて日本の自然を絶対視してましたが、明治以降になると世界には様々な「自然」があることを思い知らされるようになりました
巨大な砂漠も自然だし、アマゾンの大ジャングルも自然だし、アメリカの大平原も、宇宙空間も自然の一つです
日本の自然は、そういうものの中で相対的な一つに過ぎないものであり、日本でしか通用しない箱庭的なものになってしまったのです
かつて日本人があれほど絶対視した「四季の流れ」でさえ、今では地球の公転軸が太陽に対して何度傾いているかの結果に過ぎないとされてしまいました

そしてその日本の自然自体が今や、西洋の合理主義文明(それは資本主義という形で世界を改造しようとしています)によってさんざんに押しつぶされて、息も絶え絶えの状態です

自然随順は島国時代の日本にはピタリと適応していましたが、しかし今やそれは根底から揺らいでいるのです

その限界を乗り越えようとして現れて来たのが則天去私なのです
これは自然随順と兄弟姉妹のような関係にあります
自然随順の生命を発展的に継承して、今日の日本にふさわしい新しい世界を築こうとするものなのです

この則天去私を文学という形で実現してゆきたい
それが漱石の目指していたものであり、僕もその道を向かいたいと思っているのです

ついに成し遂げたぞ!!

2006-06-08 18:39:58 | 日本文学の革命
「一生かけてこの道を歩んでゆく!」

つい先日そう決意して、よしやってやろう、一生かけても押し開いてやるぞ
とドーンと体当たりをかけるつもりで突っ込んで行ったところ
次々と多くのものが開けていった

韻律文学の本質が次々と開示されて行った(『平家物語』の韻律の秘密が分かったときには、実にうれしかった。日本語の韻律化は七五調しかないのかと絶望していたときに、こんな方法もあるのかと、それ以外の可能性が開示されたのである)

そしてついに
あの公式が解けてしまったのである

前に掲げた公式
これが解けたなら「新しい文学」が開ける
「日本文学の革命」も実現してしまう
そう言っていたあの公式
「意識の波+文章=則天去私」
それが解けてしまったのである!

こんなに早くできるとは、予想もしていなかった
ということは、もう僕の中では自分でも気づかないうちにすでに出来ていたのだろう
そうすると前に僕に絶望をもたらしたのは、やはりマーラーの仕業だったのか
出来る寸前だったので、邪魔しようとしたんだな
(ちなみにマーラーが邪魔したり誘惑したりしてくることを「魔がさす」という)

ともかく出来てしまった
「仏教と文学の融合」が成し遂げられた
長年探求してきた問題が、ついに解決できた

漱石が未完成のままに残したもの―則天去私も「仏教と文学の融合」も、すべて成し遂げたぞ!
完成へと持ってゆくことができるぞ!

ここまで来たらもう「新しい文学」まで一直線だ
一直線に道が続いている
もう実現は約束されたようなものだ
あとは王手王手の詰め将棋である

「日本文学の革命」が実現できてしまう
(あるいはもう出来てしまった?)
誰もが不可能だと言っていたこの事業を、成し遂げることが出来るのである

さあ バンバン行こう!

勝利は目前だ
押して押して押しまくろう!

松たか子の俳句

2006-06-07 06:31:43 | 日本文学の革命
今週号のビックコミックの表紙に松たか子の俳句が載っていた

「露に濡れ
 家路を急ぐ
 傘の群れ」

なんの変哲もない梅雨の光景を描いているようだが、そんなことはないだろう
つい1,2年前に「振り回した理想は捨ててしまったの?」と歌っていた彼女である。理想の実現を目指して前へ進むのを諦め、臆病風に吹かれて逃げ戻ってゆく男たちを皮肉ったのだろう
(最近のキムタクの様子を見ていれば、こう皮肉りたくもなるだろう。キムタクに限らず、全員だらしなく総崩れ状態である)

中島みゆきも『帰れない者たちへ』で「帰るな!」と歌っていたし
こういうときは女の方が腹がすわっている
男の方は情けないものだ

女が背中をポンと押してくれれば、男は勇敢に猛進できるものである

僕も逃げずに、戦おう

「罪悪」

2006-06-07 06:28:36 | 日本文学の革命
>まるで自分が文学の将来を担ってるみたいな言い方だけど、
よくまあ恥ずかしくないねぇ


「おれがやる!」

何かを前進させようとするときは、こういう決意をすることが第一条件だと思ってます
これは傲慢じゃない。決意なんです

芥川龍之介だって言ってるじゃないですか
「文を作らんとするものの彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には如何なる独創の芽も生えたことはない」

芥川は「罪悪」とまで言い切ってます
繰り返して言いますが、あなたの言ってることの方が文学上では「罪悪」なんです
それは文学を停滞と衰退に導きますが、決して前進させはしないからです

僕が傲慢にも「おれがやる!」と主張しているのは、日本文学をふたたび前進させたいからなのです

こうなりゃ徹底的に戦ってやるか

2006-06-04 18:48:55 | 日本文学の革命
意識の波+文章=則天去私

なんだかへんな公式みたいのを出したが、このたった一つのものができたら「日本文学の革命」は実現できてしまう

「意識の波」とは、仏教の根本にあるものを近代的な言葉で表現したものである
漱石の『文学論』の中でもこの言葉が使われているが、仏教のすべてはこの意識の波から生まれたといっていい(これは「座禅」と関係がある)
文章とはもちろん文章のことで、普通に使われているわれわれの言葉である
特にこの場合韻律的な文章を想定して言っている
則天去私とはもちろん漱石の用語である
漱石の文学、ひいては日本文学の全体はこれを目指していたと言ってもいいものだ

つまりこの公式みたいなものは、意識の波と文章を融合して、それと則天去私を一体化する、という意味合いのものだ

前に書いた「韻文の文章化」「仏教の文章化」「則天去私の文章化」を一つにまとめたものである(「ネット」はぶいてある。それほど本質的なものではないので)

「日本文学の革命」は最後にこの一点にまで凝縮した
この一点さえ突破してしまえば、すべてが実現するのである

なのになんで諦めたりするんだろう?
なぜできないなんて思い込んだんだろう?

「意識の波」も「文章」も「則天去私」も十分によく分かっている
やればやるほど深めてゆくことができる
それぞれを融合する手がかりもつかんでいる
やってやれないことはない
十分にできるのに

仏典の中に、あともう少しで悟りが開けるという修行者にそうはさせじとマーラー(悪魔みたいなもの)の大軍勢が攻め寄せてくる話があるが、その類だろうか

あともう少しで十分にできるのに
あやうくつぶされるところだった
ホント危ない

この公式の則天去私は漱石の『明暗』の中心主題である
漱石はこれを実現しようとしたのだが、道半ばで斃れてしまった
意識の波+文章とは「仏教と文学の融合」のことで、これは漱石の『文学論』の中心主題であり、これもまた未完成に終わっているものだ

冒頭の公式は、この二つの未完成作品を一挙に完成させて、そこから「新しい文学」を導き出そうとするものなのである

やってやれないことはない
男一匹 命を賭けて徹底的に戦う価値は、十分にある

もし実現したら「新しい文学」が開け、さらに前へ進むことができる
また新しい独自の文学を書けるようになったら、いずれは社会的にも注目されるようになるだろう
そうなったら文学を職業にすることができるし、経済的な仕事で邪魔されることなくフルタイム・フル回転で評論や文学を書いてゆくことができる
思いっきり日本文学の「後半部」を開拓してゆくことができるだろう

もし「新しい文学」が開けなかったら…
そのときは評論だけで満足しなければならない
今までの経験でよく分かっているが、『漱石』のような評論は誰にも理解されない(あきれるほど理解してくれない)。したがって社会的なブレイクもないだろう
何かの職業に就きながら、余暇にコツコツと書いてゆくしかないだろう
しかし『夏目漱石の継承』を完成するだけでも、僕の人生としては上出来だ
これははじめて漱石の全貌を明らかにするものになるし、日本文学の本質(その偉大な本質)を明らかにするものともなる
これさえ書ければ、たとえ前へ進めなくても、漱石と日本文学の復活だけはできるはずだ

いずれにしろ あと先かえりみずに徹底的に戦おう!

これが僕の“生きる道”であり、僕の人生だ
ここに生き、この道を行ける所まで徹底的に歩んで行き、そしてここで死ぬことができたら、こんな本望なことはない

人生なんて短い
まごまごしているうちにアッという間に過ぎ去ってしまう
自分の生きる筋、自分の本質、自分の道を見失ったら、すべてが虚しいままに消え去ってしまうだろう

僕の人生はここだ
僕の生きる道はここだ

この道を最後の最後まで歩んでゆこう
(この方が人生は遥かにおもしろい。有意義だ)