「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

祝! 「日本文学の革命」90パーセント完了 3

2011-08-14 20:40:22 | 日本文学の革命
ところでこの“漱石の道”であるが、これは近代日本に与えられた宿題、宿命的な課題ともいうべきもので、漱石や龍之介亡き後も、さまざまな人たちがこれを実現しようと奮闘してきた
志賀直哉は『暗夜行路」で私小説的にこれを実現しようとし、
太宰治は『斜陽』と『人間失格』でやはりこれを実現しようと命を懸け、
三島由紀夫は『豊饒の海』で漱石たちとは反対の立場―京都的立場からこれを実現しようとした
しかしいずれも中途半端、もしくは失敗に終わり、この“道”を実現できずに終わったのである

三島由紀夫の自決以後、日本文学の長期衰退がはじまり、日本文学はいつしかこの課題を担うことを忘れるようになった
その代わり70年代の初めから新しい文化―マンガやアニメ、ロックやニューミュージックが興り、日本文学に代わってこの課題を引き受けるようになったのである
70年代初めの井上陽水の曲は日本文学の精神をそれとは知らずに継承していたのである
マンガ界ではつげ義春がその後の日本マンガのクオリティーの高さを決定づけたような仕事をしたが、彼もまたきわめて日本文学的人物であり、彼の作品はマンガの世界に現われた私小説といってもいいほどだ

この二人によって様式的に決定づけられたこの二つの新しい文化は、「お気楽ごくらく」の80年代にはまだこの課題を積極的に推進することはなかった
ただ例外は中島みゆきで、彼女の「愛を求める暗い歌」には、かつての日本文学の魂が脈々と息づいていて、表面的なきらびやかさに溢れた80年代にも鳴り響いていたのである

90年代に入り、冷戦が終わり(これは戦前の第一次世界大戦終結に相当するだろう)、世界が激動し、日本でも政治改革の動きが起こったとき、この二つの文化はかつての日本文学の課題を積極的に担うようになった
それが桑田 佳祐たちが94年に起こした「反外国主義運動」であり、彼らはそれまで日本人が金科玉条としてきた外国主義を打ちこわすことで、この課題を積極的に引き受けることになったのである
この「反外国主義」も実は戦前の日本文学者たちがやっていたことなのである。一例をあげれば私小説などもそうである。それは外国主義的幻想世界が渦巻く日本的世界の中で、「何がリアルなのか、ぎりぎりの真実なのか」を確定しようとしてゆく活動なのである
アニメ界では宮崎駿がこの課題を引き受けて、これを実現しようとさまざまなアニメ大作を作り続けている

90年代に入り、さまざまな人間がこの課題を引き受けるようになったが、僕もその一人なのである
桑田 佳祐たちが10年20年とがんばってきてるように、僕もやり続けてきただけなのである
彼らに鼓舞され続けて、今までやって来れたといってもいい
どんなにやめたくても、桑田 佳祐や中島みゆきの一曲を聞いただけで、宮崎駿の一作品を観ただけで、「ハッ」と我に返って「やらねばならない」と思いを新たにしてしまう
だからやめるにやめられなかったのである

彼らに対して僕が持っている唯一の利点は、漱石という巨人の肩に乗っていることである
だから一から始めることもなく、要は漱石がやり残したことだけをやれさえすれば、それでこの課題を解決できる、という位置に立っていることである
他にこの位置に立っている人間は日本のどこにもいないから、責任は重大だ
僕がつぶれたら、この可能性も潰えてしまうのである
今は苦しい時で、「反外国主義運動」もすっかり行き詰ってしまい、桑田 佳祐たちも苦境に立たされている
(もし桑田 佳祐が絶望して自殺したら、それこそ芥川龍之介の自殺の再現である)
しかし希望も可能性もまだまだある

近代日本に与えられた宿題、この宿命的な課題を、今こそ果たしたい

祝! 「日本文学の革命」90パーセント完了 2

2011-08-14 20:35:49 | 日本文学の革命
しかし人から見ると、なんでこんなことに人生を捧げているのか、理解に苦しむだろう
まともに就職もせずに、10年も20年もこんなことにひたすら没頭している
こいつおかしいんじゃないか
気違いか性格異常者なんじゃないのか
あるいは病的に人から誉められたい、名誉欲や権勢欲に凝り固まった、一種精神病的人物なんじゃないか
と思われても当然かもしれない

しかし僕には僕で十分確信しながらやっていることなのだ
たとえばある川に橋を架けようとしている建設業者がいるとする
ここに橋をかけたら、分断されていた土地と土地がつながり、人々にとって非常に有益な効果をもたらすことができるに違いない
そのための建設資材も技術も持っている
よし!建設しようと建設してゆく
それを誰も気違いとは呼ばないだろう

僕もそれと同じ感覚でやっているのである
ある意味きわめて具体的な事務的工事をやっているようなものなのだ

もう一つ 僕を駆り立ててきたのは、危機感である
これは94年に行った「反外国主義運動」のときから一貫して持っているものだが、日本の未来をなんとしても切り開かねばならないという切なる思いである
日本は今、ちょうど戦前の大正末期から昭和初期の時代にあると思っている
それまでの外国主義的発展が通用しなくなり、行き詰まってしまって、不気味な不安が社会に蔓延しだした時である
実際このあと、日本は急転直下の勢いで転がり落ちてゆき、ついに太平洋戦争に突入して、国家滅亡してしまった
漱石たち日本文学者たちは、ある意味これを食い止めようとして文学活動をしていたのである
もし漱石が自分の“道”を完成させていたら、日本が転がり落ちていった道とは別の道を切り開くことができて、日本は滅亡せずに済んだかもしれないのである
しかし実際には、漱石は“道”を実現できずに死んでしまい、あとを継いだ芥川龍之介もこれを解決できず、行き詰って自殺してしまった
この芥川龍之介の自殺のすぐあとから日本の没落が始まるのだが、それは偶然ではなく深い必然があるのである

なんとしても戦前の失敗を繰り返してなるものか
こういう思いも僕を駆り立てていたのである

祝! 「日本文学の革命」90パーセント完了 1

2011-08-14 20:26:36 | 日本文学の革命
長年取り組んできた「日本文学の革命」もようやく実現しようとしている
長いこと投稿して来なかったが、本当だったら「日本文学の革命 実現 万歳!」とかなんとかで、この仕事が実現したことを伝えられるのではないかと、伸び伸びにしていたのだが、やはりまだ少しかかるし、ここらで投稿しなければということで、こういうタイトルで投稿させてもらった

実際90パーセントはもう実現できている
あともうひと押しなのだ
そこでこれからはパソコンのインストールみたいに、「95パーセント完了」「98パーセント完了」「無事100パーセント完了しました(祝」というふうに、達成具合に応じて書き込みをさせてもらおうと思う

「日本文学の革命」とは、日本文学を復活してふたたび前へと前進させてゆくことに他ならない
日本文学は長期にわたる低迷のはてに、今やまさに衰亡しようとしている
10年前にこの運動を始めた時より、今はもっと悪くなって、このまま何もしなければいよいよ文化として死亡ということになりかねない状態である
今の文学界は精神的にはとうに死んでいたが、経済的な力でまだ生かされていた。出版社などが賞を連発して、なんとか蘇生させていたのだ
しかし今や出版社もバタバタつぶれてゆく状況になり、経済的にも生きてゆけなくなりつつある
つまりもう精神的にも肉体的にも臨死状態にあるわけである

こんな状態の日本文学に再生の道があるのだろうか?
それがあるのである
それが“漱石の道”なのだ
漱石が未完成のままに残した道、これを実現しようとしたがさまざまな制約によって実現できず、そのまま残されてしまった未開通の道
具体的にいえば、『明暗』―『文学論』―新しい文学、と続く道
この道を開通できたなら、その向こうに新しい文学世界、いまだ手つかずの日本文学の「後半部」の世界が開けて、日本文学はふたたび再生して前へ進んでゆくことができるのだ

僕がやろうとしていることは、初めから今まで、徹頭徹尾これ一つなのである
未完成のままの“漱石の道”を完成させること
この10年以上ひたすら何もかも捨てて身を捧げてきたのは、このためだった
漱石文学を研究してきたのもこのため(おかげで今では漱石全集をすべて一言一句理解している)、「日本文学の革命」などというやりたくもない扇動的な運動を開始したのもこのためだった
これが今や出来ようとしているのである
もう9割がたは出来てしまったのである
長く苦しかったが、あともう少しだ