ところでこの“漱石の道”であるが、これは近代日本に与えられた宿題、宿命的な課題ともいうべきもので、漱石や龍之介亡き後も、さまざまな人たちがこれを実現しようと奮闘してきた
志賀直哉は『暗夜行路」で私小説的にこれを実現しようとし、
太宰治は『斜陽』と『人間失格』でやはりこれを実現しようと命を懸け、
三島由紀夫は『豊饒の海』で漱石たちとは反対の立場―京都的立場からこれを実現しようとした
しかしいずれも中途半端、もしくは失敗に終わり、この“道”を実現できずに終わったのである
三島由紀夫の自決以後、日本文学の長期衰退がはじまり、日本文学はいつしかこの課題を担うことを忘れるようになった
その代わり70年代の初めから新しい文化―マンガやアニメ、ロックやニューミュージックが興り、日本文学に代わってこの課題を引き受けるようになったのである
70年代初めの井上陽水の曲は日本文学の精神をそれとは知らずに継承していたのである
マンガ界ではつげ義春がその後の日本マンガのクオリティーの高さを決定づけたような仕事をしたが、彼もまたきわめて日本文学的人物であり、彼の作品はマンガの世界に現われた私小説といってもいいほどだ
この二人によって様式的に決定づけられたこの二つの新しい文化は、「お気楽ごくらく」の80年代にはまだこの課題を積極的に推進することはなかった
ただ例外は中島みゆきで、彼女の「愛を求める暗い歌」には、かつての日本文学の魂が脈々と息づいていて、表面的なきらびやかさに溢れた80年代にも鳴り響いていたのである
90年代に入り、冷戦が終わり(これは戦前の第一次世界大戦終結に相当するだろう)、世界が激動し、日本でも政治改革の動きが起こったとき、この二つの文化はかつての日本文学の課題を積極的に担うようになった
それが桑田 佳祐たちが94年に起こした「反外国主義運動」であり、彼らはそれまで日本人が金科玉条としてきた外国主義を打ちこわすことで、この課題を積極的に引き受けることになったのである
この「反外国主義」も実は戦前の日本文学者たちがやっていたことなのである。一例をあげれば私小説などもそうである。それは外国主義的幻想世界が渦巻く日本的世界の中で、「何がリアルなのか、ぎりぎりの真実なのか」を確定しようとしてゆく活動なのである
アニメ界では宮崎駿がこの課題を引き受けて、これを実現しようとさまざまなアニメ大作を作り続けている
90年代に入り、さまざまな人間がこの課題を引き受けるようになったが、僕もその一人なのである
桑田 佳祐たちが10年20年とがんばってきてるように、僕もやり続けてきただけなのである
彼らに鼓舞され続けて、今までやって来れたといってもいい
どんなにやめたくても、桑田 佳祐や中島みゆきの一曲を聞いただけで、宮崎駿の一作品を観ただけで、「ハッ」と我に返って「やらねばならない」と思いを新たにしてしまう
だからやめるにやめられなかったのである
彼らに対して僕が持っている唯一の利点は、漱石という巨人の肩に乗っていることである
だから一から始めることもなく、要は漱石がやり残したことだけをやれさえすれば、それでこの課題を解決できる、という位置に立っていることである
他にこの位置に立っている人間は日本のどこにもいないから、責任は重大だ
僕がつぶれたら、この可能性も潰えてしまうのである
今は苦しい時で、「反外国主義運動」もすっかり行き詰ってしまい、桑田 佳祐たちも苦境に立たされている
(もし桑田 佳祐が絶望して自殺したら、それこそ芥川龍之介の自殺の再現である)
しかし希望も可能性もまだまだある
近代日本に与えられた宿題、この宿命的な課題を、今こそ果たしたい
志賀直哉は『暗夜行路」で私小説的にこれを実現しようとし、
太宰治は『斜陽』と『人間失格』でやはりこれを実現しようと命を懸け、
三島由紀夫は『豊饒の海』で漱石たちとは反対の立場―京都的立場からこれを実現しようとした
しかしいずれも中途半端、もしくは失敗に終わり、この“道”を実現できずに終わったのである
三島由紀夫の自決以後、日本文学の長期衰退がはじまり、日本文学はいつしかこの課題を担うことを忘れるようになった
その代わり70年代の初めから新しい文化―マンガやアニメ、ロックやニューミュージックが興り、日本文学に代わってこの課題を引き受けるようになったのである
70年代初めの井上陽水の曲は日本文学の精神をそれとは知らずに継承していたのである
マンガ界ではつげ義春がその後の日本マンガのクオリティーの高さを決定づけたような仕事をしたが、彼もまたきわめて日本文学的人物であり、彼の作品はマンガの世界に現われた私小説といってもいいほどだ
この二人によって様式的に決定づけられたこの二つの新しい文化は、「お気楽ごくらく」の80年代にはまだこの課題を積極的に推進することはなかった
ただ例外は中島みゆきで、彼女の「愛を求める暗い歌」には、かつての日本文学の魂が脈々と息づいていて、表面的なきらびやかさに溢れた80年代にも鳴り響いていたのである
90年代に入り、冷戦が終わり(これは戦前の第一次世界大戦終結に相当するだろう)、世界が激動し、日本でも政治改革の動きが起こったとき、この二つの文化はかつての日本文学の課題を積極的に担うようになった
それが桑田 佳祐たちが94年に起こした「反外国主義運動」であり、彼らはそれまで日本人が金科玉条としてきた外国主義を打ちこわすことで、この課題を積極的に引き受けることになったのである
この「反外国主義」も実は戦前の日本文学者たちがやっていたことなのである。一例をあげれば私小説などもそうである。それは外国主義的幻想世界が渦巻く日本的世界の中で、「何がリアルなのか、ぎりぎりの真実なのか」を確定しようとしてゆく活動なのである
アニメ界では宮崎駿がこの課題を引き受けて、これを実現しようとさまざまなアニメ大作を作り続けている
90年代に入り、さまざまな人間がこの課題を引き受けるようになったが、僕もその一人なのである
桑田 佳祐たちが10年20年とがんばってきてるように、僕もやり続けてきただけなのである
彼らに鼓舞され続けて、今までやって来れたといってもいい
どんなにやめたくても、桑田 佳祐や中島みゆきの一曲を聞いただけで、宮崎駿の一作品を観ただけで、「ハッ」と我に返って「やらねばならない」と思いを新たにしてしまう
だからやめるにやめられなかったのである
彼らに対して僕が持っている唯一の利点は、漱石という巨人の肩に乗っていることである
だから一から始めることもなく、要は漱石がやり残したことだけをやれさえすれば、それでこの課題を解決できる、という位置に立っていることである
他にこの位置に立っている人間は日本のどこにもいないから、責任は重大だ
僕がつぶれたら、この可能性も潰えてしまうのである
今は苦しい時で、「反外国主義運動」もすっかり行き詰ってしまい、桑田 佳祐たちも苦境に立たされている
(もし桑田 佳祐が絶望して自殺したら、それこそ芥川龍之介の自殺の再現である)
しかし希望も可能性もまだまだある
近代日本に与えられた宿題、この宿命的な課題を、今こそ果たしたい