「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

鬼滅の刃と進撃の巨人 3

2020-10-25 13:30:33 | 日本文学の革命
最近話題の『鬼滅の刃』はこの『進撃の巨人』を意識して作られたものだが、そこに出て来る「人食い鬼」とは「巨人」とは真逆の存在のようである。「巨人」が桑田佳祐や僕を含めたその共感者たちなら、「人食い鬼」とはズバリ「外国主義」のことのようなのだ

『鬼滅の刃』の舞台は日本昔話に出て来るような昔の日本であり、天狗やひょっとこなども現われる日本の古典的な世界である。そこを舞台にして現われるこれまた古典的な妖怪や魑魅魍魎たちが「人食い鬼」なのである。一見するとハイカラな「外国主義」とはまるで無関係に見える存在なのだが、実は「外国主義」とは日本の歴史と風土にこの上なく深く根づいた存在であり、日本の古典文明そのものと言ってもいいほどの「日本文化」なのである(このことについてはここでは深く追求できない。これを日本の歴史や文化に沿って詳しく追及しようとしたら膨大な―おそらく書けるかどうかも分からない―大著を書くはめになるだろう)

この物語の時代設定が「大正時代」なのも意味あることである。「大正時代」とは、明治維新で日本が開国し、京都から東京に都が移り、西洋新文明が日本の中に滔々と流れ込み、もうあと戻りが出来なくなった時代である。それまでの伝統的な京都文化の正当性が失われ、いわば京都文化が日本を滅ぼす「人食い鬼」になってしまった時代なのである。

『鬼滅の刃』の主人公たちはこのとてつもない強敵に立ち向かってゆくのだが、その際興味深いことがある。主人公の少年炭次郎(なんだか江戸っ子的な名前ではある)の妹が「鬼」であるということだ。鬼に喰われ自らも鬼にされてしまった少女で、人を食べないようにいつも竹(こちらはかぐや姫を連想させる)を咥えている。この妹がここぞという時にすさまじい霊力を発揮して兄を助けるのだ。「鬼」は敵であるばかりでなく、もっとも頼もしい味方にもなってくれるのだ。倒されてゆく「鬼」たちの心の中にも踏み込み、その心情に深い共感も示している。『進撃の巨人』の「巨人」たちが機械的に人を喰らうだけのデクノボーと描かれているのに対して、こちらの方が格段に優れている。

もちろん対立する相手を一方的に「鬼」だとか「巨人」だとかと決めつけてスパスパと切ってしまうのはよくないことだ。肝心なことはこの二つの対立する相手がいかに調和できるか、融合できるかなのである。

日本文学の本質は、二つの対立する相手―京都文化と江戸・東京の文化、公家の文化と武士の文化、日本の女性性と日本の男性性、、この二つの相異なり合い相争い合っている相手を一つに結びつけることにあるのである。相手を「鬼」だとか「巨人」だとか言って殺し合うのではなく、新しい調和をもたらすことが日本文学という文化の目指してきたものなのである。それこそが「新しい愛」「新しい日本文化」を実現することになるのだ。

『進撃の巨人』でブルーになったが『鬼滅の刃』でまた励まされることになった
「日本文学の復活」とその課題の実現のために、がんばってゆこう♪

鬼滅の刃と進撃の巨人 2

2020-10-25 13:25:49 | 日本文学の革命
桑田佳祐が94年に「反外国主義運動」に立ち上がって以来、「桑田をつぶせ!」とばかりに四方八方から次々と強敵が襲いかかってきた。実に様々な強敵がありとあらゆる手を使って桑田佳祐をつぶしに来たのである。僕も同じように「反外国主義運動」を行ってきた一人で、「外国主義はもう時代遅れです」という看板を掲げて一人で渋谷の街頭に立ったこともあり(当時「反外国主義運動」をやっている者はまだ一人もいなかったから僕が一番槍を入れた格好になる)その激闘の様をつぶさに見てきた。小室哲也や安室奈美恵や宇多田ヒカルや最近のAKB48に至るまで、実に多くの強敵が桑田佳祐をつぶそうと押し寄せて来たのである。

しかしその押し寄せる強敵たちを桑田佳祐はまさに巨人的パワーを発揮して全部やっつけてしまったのである!まさに圧倒したと言っていい
最近ではまともに戦っても勝ち目がないから、「シカト」するのが「桑田佳祐つぶし」の精一杯のやり方となっているほどだ。

『進撃の巨人』が新手の「桑田佳祐つぶし」だと思わせる理由はいろいろある。
「外国主義」側の人間からすれば自分たちは突如現れた「巨人」のために追いやられ狭い城壁の中に閉じ込められてしまったと感じたことだろう。また「外国主義」は女性的な文化なので、彼らの側から見れば「かあさんを食われてしまった」と感じてもおかしくない(ただ桑田佳祐自身はそんなつもりは毛頭なく、逆に「愛の実現」を目指してがんばっているのだが)。そしてその復讐のために「駆逐してやる!」と刃を振りかざして巨人たちを殺しまくっているのであろう。

ちなみにこの作品の作者の青年は大分県出身だそうである。大分を含む北九州は「外国主義」文化の一大中心地のひとつで、大分もキリシタン大名や福沢諭吉を輩出したように「外国主義」の盛んな地域である。彼がエレン・イェーガーのように復讐心に駆られても、全然おかしくないのである。

『進撃の巨人』が「桑田佳祐つぶし」であることには桑田佳祐自身も気づいていて、あるジャケット写真でサザンオールスターズのメンバーが全員黒ずくめの服装をして、黒の帽子をかぶり黒のサングラスを付けたマフィアのような服装で、目も前に何かをつまみ上げる格好をし、それに口を大きく開けてかぶりつこうとしているのである。『進撃の巨人』でよく出てくる巨人が人間を食べる動作である。桑田佳祐たちは巨人が人間を喰らうその動作をしながら、「オレたちってこんなに悪いの?」というニュアンスを出していた。『進撃の巨人』に対する抗議の意思表示として映したものなのだろう。

『進撃の巨人』に出て来る「巨人」とは、桑田佳祐や彼に同調した者たち、つまり「外国主義」が敵と見なした者たちのことなのである
ということは僕も「巨人」の一人ということになる
『進撃の巨人』に一時は熱狂して、巨人が切られてゆくことに「やれ!やれ!やっちまえ〜!」とやんやの拍手を送って送っていたのだが、なんのことはない自分がスパスパと切られていたという訳だ

鬼滅の刃と進撃の巨人 1

2020-10-25 13:18:53 | 日本文学の革命
最近のことであるが『鬼滅の刃』というアニメが巷で話題になっていることに気がついた。本屋の前を通れば特集をやっているし、自販機では「鬼滅缶」という缶コーヒーを売っているし、コンビニでは関連グッズが売り出されてるし、テレビやCMでも何かと話題になっている。「何かが起こっているらしい」と思っているところへ先週先々週とフジテレビで『鬼滅の刃』の番組がやっていたので、それを見てみた。

大正時代の日本が舞台となったアニメで、人食い鬼に家族を食われ、唯一生き残った妹も鬼にされてしまった少年が、妹を人間に戻すために「鬼殺隊」という部隊に入隊して鬼たちを倒してゆくという物語である。ダイジェスト版を見ただけでよく分からないところも多いが、猪突猛進のイノシシ人間が出てきたり、竹を咥えた少女が出てきたり、迫力ある戦闘シーンがあったりと、奇々怪々で面白いアニメだ

ことに面白く感じたのは『進撃の巨人』と似ているところだった。家族が食べられるところから始まるのも同じだし、復讐のために部隊に入隊して訓練を積むところも一緒だし、そこで知り合った仲間たちと力を合わせて巨大な力を持った相手と戦い「駆逐」していくところも同じだ。どうやらこの『鬼滅の刃』は『進撃の巨人』のパロディーもしくは対抗作品として作られたものらしい

『進撃の巨人』は以前は大好きだったアニメである。ワンクール目までは夢中になって見ていて、ネットの無料動画で繰り返し繰り返し見ては、「立体起動装置 カッコいい〜!!」「ミカサ 素敵だな〜!♪」とやんやの拍手を送りながら熱中して見ていた。
ワンクール目が終わったあとも、原作漫画を読み続け、コンビニのレジの横に『進撃の巨人』の新刊を見つけたらすぐに買って読んでいた。

しかしそのうちに『進撃の巨人』熱が冷めてきたのである。まず第一に原作漫画がつまらなくなったからだ。どんどん冗漫になり、同じことの繰り返しになり、ヘンな方向にそれてゆき、「コイツ(『進撃の巨人』の作者)何も考えてないんじゃないか」と思わせるものになっていったのだ。だんだんとバカバカしくなってきて、ついには読むことをやめてしまったのである。

そして『進撃の巨人』熱が冷めたもう一つの決定的な理由は、この作品が新手の「桑田佳祐つぶし」であることに気づいたからである。