しかし同人雑誌はその後、冬の時代を迎えることになる。権力を握った軍部が同人雑誌を弾圧したからである。特にプロレタリア文学派などは徹底的に弾圧され、片っ端から牢屋送りにされたほどだ。改造社などは社員が拷問を受けてつぶされてしまった。それでも同人雑誌は苦しい時代を耐えて文学活動を続け、昭和10年代には「文芸復興」の高まりを見せ、戦前の日本文学最後の光芒を輝かせた。
戦後になり軍部が滅びると、同人雑誌は息を吹き返す。大正時代の同人雑誌的作家たちはふたたび盛んな執筆を始めた。坂口安吾や太宰治の無頼派が焼け跡の時代に世の光となった。同人雑誌『近代文学』が戦後派文学を次々と世に送り出した。同人雑誌が一斉に活躍し、ふたたび日本の文化を前へ押し進めていったのである。
しかし1956年に賞取りシステムが稼働し始めると、同人雑誌は次第に衰退してゆくことになった。賞を取ることが作家になる第一の条件となり、かつての同人雑誌の権威をものともしない溌剌とした活動は影をひそめていった。現在では同人雑誌はコミケの代名詞となり、本来の同人雑誌はすっかり衰退してしまった。そしてそのネットワークも消えてしまった。
戦後の同人雑誌の衰退にはいくつもの原因がある。
まず一つは、戦後に入ると雑誌技術や印刷技術が高度化して、同人雑誌仲間の手作りでは間に合わなくなったことがある。当時は写真一つ撮るにもプロのカメラマンが必要とされ、同人雑誌の素人たちには手が届かなかった。
また時代が大量生産大量消費の経済システムの時代となり、出版業界もそれに対応することが強いられ、同人雑誌の貧乏青年たちの生産―流通―販売システムなど児戯に類するものになってしまった。
また時代が大衆社会になったことも同人雑誌の衰退をもたらした。同人雑誌とそのネットワークは少人数の集まりだからこそ可能だったのであり、数十万数百万数千万にも達する大衆相手にはネットワークの張りようがなかったのである。
そして最後に同人雑誌の衰退を決定づけたのは日本文学の衰退である。日本文学は三島由紀夫以降、本質的発展をしなくなり、長い停滞期に入ったのである。同人雑誌の中核的精神であった文化発展の情熱が急速に失われ、空洞化していったのである。同人雑誌的若者の意気軒昂な理想は、実態を伴わない空虚な大言壮語になり、鼻につく青二才の高慢に堕していった。本当の文化発展はマンガやアニメ、ニューミュージックの分野に移り、時代に敏感な若者たちはその分野に移動していった。
そして今日、同人雑誌とそのネットワークは見る影もなく失われて、文学界には賞取りシステムという一つのシステムだけが残り、虚しく機械的に稼働を続けているのである。
(続く)
戦後になり軍部が滅びると、同人雑誌は息を吹き返す。大正時代の同人雑誌的作家たちはふたたび盛んな執筆を始めた。坂口安吾や太宰治の無頼派が焼け跡の時代に世の光となった。同人雑誌『近代文学』が戦後派文学を次々と世に送り出した。同人雑誌が一斉に活躍し、ふたたび日本の文化を前へ押し進めていったのである。
しかし1956年に賞取りシステムが稼働し始めると、同人雑誌は次第に衰退してゆくことになった。賞を取ることが作家になる第一の条件となり、かつての同人雑誌の権威をものともしない溌剌とした活動は影をひそめていった。現在では同人雑誌はコミケの代名詞となり、本来の同人雑誌はすっかり衰退してしまった。そしてそのネットワークも消えてしまった。
戦後の同人雑誌の衰退にはいくつもの原因がある。
まず一つは、戦後に入ると雑誌技術や印刷技術が高度化して、同人雑誌仲間の手作りでは間に合わなくなったことがある。当時は写真一つ撮るにもプロのカメラマンが必要とされ、同人雑誌の素人たちには手が届かなかった。
また時代が大量生産大量消費の経済システムの時代となり、出版業界もそれに対応することが強いられ、同人雑誌の貧乏青年たちの生産―流通―販売システムなど児戯に類するものになってしまった。
また時代が大衆社会になったことも同人雑誌の衰退をもたらした。同人雑誌とそのネットワークは少人数の集まりだからこそ可能だったのであり、数十万数百万数千万にも達する大衆相手にはネットワークの張りようがなかったのである。
そして最後に同人雑誌の衰退を決定づけたのは日本文学の衰退である。日本文学は三島由紀夫以降、本質的発展をしなくなり、長い停滞期に入ったのである。同人雑誌の中核的精神であった文化発展の情熱が急速に失われ、空洞化していったのである。同人雑誌的若者の意気軒昂な理想は、実態を伴わない空虚な大言壮語になり、鼻につく青二才の高慢に堕していった。本当の文化発展はマンガやアニメ、ニューミュージックの分野に移り、時代に敏感な若者たちはその分野に移動していった。
そして今日、同人雑誌とそのネットワークは見る影もなく失われて、文学界には賞取りシステムという一つのシステムだけが残り、虚しく機械的に稼働を続けているのである。
(続く)