「周りから押し上げる力」や「上から引き上げる力」について考察してきたが、では電子同人雑誌ではこの二つの力はどのような形態を取るのだろうか。まず「周りから押し上げる力」について考察してみよう。
テレビの新しい人材の発掘原理は、大衆に「受ける」人材を発掘することだった。その美貌、その歌や演技、その人柄やそのパフォーマンスなどで大衆に受けそうな人材を登用し、マスコミ的スターとして活躍してもらうことがその狙いであった。賞取りシステムの発掘原理は「売れる」作家を作り出すことである。売れそうな作家や作品を選別し、日本文学の権威を借りて世の中に大々的に押し出して流行作家に祭り上げ、その後も「売れる」作家として活躍するよう後押しをしてゆく。しかもそれを企業体として最適のコストパフォーマンスで合理的能率的に行い、半年に一回というペースで「売れる」作家を継続的に量産してゆく。そういう狙いで行われているものであった(ちょうど工場で合理的能率的に工業製品が作られてゆくのと同じような感じで作家が量産されてゆくのである)。
では電子同人雑誌の発掘原理は何かというと、それは「趣味や志ざしの共鳴」だと言えるだろう。
いままで様々な電子同人雑誌を考察してきたが、それらはその雑誌を作っている人々の様々な「趣味や志ざし」によって作られたものだった。人々は電子同人雑誌を作ってゆくことによって、自分の趣味や志ざしをさらに深め高めてゆき、その趣味や志ざしに共鳴する人々と仲間になり交流の輪を広げてゆき、雑誌作りを楽しんだり面白がったり遣り甲斐のある活動として日々の生活に取り入れたりしているのであった。このような活動を通して、彼らの「趣味や志ざし」はさらに発達し、研鑽が積まれ、その分野に関する彼らの見識や鑑識眼を磨いてゆくことだろう。
この「趣味や志ざし」は、それぞれの人々の人間的な魂が具体的な形態を取って表れたものとも言える。人々は電子同人雑誌を作ることによって自分の人間的な魂を深めたり高めたり成長させたりして、同時にそれに共鳴する人々と心の交流・魂の共感を行っているのである。
創作家たちも実は同じことをしていて、絵や歌や文章などの表現技術―そこに彼らの「趣味や志ざし=魂」が詰まっている―を深めたり高めたり磨きをかけたりすることによって、各人の「趣味や志ざし」を成長させてゆき、その表現技術を駆使して作品を作ることにより自分自身の魂や社会や世界の魂を捕え、造形化し、未来へ成長してゆくような記念碑にまで高めようとするのである。そしてそのような造形化された魂を通じて、人々との間で大々的に心の交流・魂の共感を行おうとするのである。彼らが複雑な交響曲を作ったり、緻密な絵画を描いたり、凝りに凝った文章を書いたりするのも、すべては自分や社会や世界の魂に具体的な形態を与え、それを広く人々に伝えたいという思いからなのである。つまり電子同人雑誌の制作者と創作家たちは同じことをしているのであり、ただ創作家の方が技術的な表現手段を身につけている分より純粋で結晶化されたものを作れる可能性があるという程度の違いがあるだけなのだ。
テレビの新しい人材の発掘原理は、大衆に「受ける」人材を発掘することだった。その美貌、その歌や演技、その人柄やそのパフォーマンスなどで大衆に受けそうな人材を登用し、マスコミ的スターとして活躍してもらうことがその狙いであった。賞取りシステムの発掘原理は「売れる」作家を作り出すことである。売れそうな作家や作品を選別し、日本文学の権威を借りて世の中に大々的に押し出して流行作家に祭り上げ、その後も「売れる」作家として活躍するよう後押しをしてゆく。しかもそれを企業体として最適のコストパフォーマンスで合理的能率的に行い、半年に一回というペースで「売れる」作家を継続的に量産してゆく。そういう狙いで行われているものであった(ちょうど工場で合理的能率的に工業製品が作られてゆくのと同じような感じで作家が量産されてゆくのである)。
では電子同人雑誌の発掘原理は何かというと、それは「趣味や志ざしの共鳴」だと言えるだろう。
いままで様々な電子同人雑誌を考察してきたが、それらはその雑誌を作っている人々の様々な「趣味や志ざし」によって作られたものだった。人々は電子同人雑誌を作ってゆくことによって、自分の趣味や志ざしをさらに深め高めてゆき、その趣味や志ざしに共鳴する人々と仲間になり交流の輪を広げてゆき、雑誌作りを楽しんだり面白がったり遣り甲斐のある活動として日々の生活に取り入れたりしているのであった。このような活動を通して、彼らの「趣味や志ざし」はさらに発達し、研鑽が積まれ、その分野に関する彼らの見識や鑑識眼を磨いてゆくことだろう。
この「趣味や志ざし」は、それぞれの人々の人間的な魂が具体的な形態を取って表れたものとも言える。人々は電子同人雑誌を作ることによって自分の人間的な魂を深めたり高めたり成長させたりして、同時にそれに共鳴する人々と心の交流・魂の共感を行っているのである。
創作家たちも実は同じことをしていて、絵や歌や文章などの表現技術―そこに彼らの「趣味や志ざし=魂」が詰まっている―を深めたり高めたり磨きをかけたりすることによって、各人の「趣味や志ざし」を成長させてゆき、その表現技術を駆使して作品を作ることにより自分自身の魂や社会や世界の魂を捕え、造形化し、未来へ成長してゆくような記念碑にまで高めようとするのである。そしてそのような造形化された魂を通じて、人々との間で大々的に心の交流・魂の共感を行おうとするのである。彼らが複雑な交響曲を作ったり、緻密な絵画を描いたり、凝りに凝った文章を書いたりするのも、すべては自分や社会や世界の魂に具体的な形態を与え、それを広く人々に伝えたいという思いからなのである。つまり電子同人雑誌の制作者と創作家たちは同じことをしているのであり、ただ創作家の方が技術的な表現手段を身につけている分より純粋で結晶化されたものを作れる可能性があるという程度の違いがあるだけなのだ。