どうもあなたは「出来ない!」と頭から決め込んでますが、あとほんの少しで出来るんですよ(笑
信用できないかと思いますが
僕がなぜ「日本文学の革命」を成し遂げる!と誰はばかることなく公の場で宣言するかというと、岡本太郎の影響もあるんですよね
彼の本は大好きで何度も何度も繰り返し読んできましたから
彼の『今日の芸術』という本には次のような文章があります
「(日本的な“謙譲の美徳”を批判して)「私なんか…」と頭を下げて、ついでにかゆくもない頭をかいてみせ、「へへへ」と笑ったり」「謙虚という“型”をたてに、そのかげで大ずる小ずるがまさに百鬼夜行」「権力者には無条件で頭をさげる。ちょうど封建時代に、しもじもの民衆が大名行列に出会うと、ただすわりこんで地面に頭をこすりつけるのと同じで」
「私は謙虚というものはそんな、人の前で、おのれを無にするとか低くみせることでは絶対にない、むしろ自分の責任において、おのれを主張することだと断言します。つまり謙虚とは、権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです」
「私は、これを身をもって示し、この習慣的な偽善と退屈さをたたきつぶそうと思っています。そこで私は声たからかに「おれこそ芸術家だ」「おれはピカソを乗り越えている」と、まったく傍若無人に言いはなって、いわゆる「謙虚の徒」を呆然とさせるのです。しかし呆然としたのちに彼らは、これもまったく型どおりにせせら笑います」
「自分がそうであると公言することは、けっして得することではありません。およそ、その反対です。ことに日本では、自分では言わないで人に言わせるというのが権威になる条件だからです。他人や仲間に言わせることの名人はたくさんいます。本人が言ったのでは―しかしこれが一番正しいはずなのですが―けっして信用したがりません。なまいきだと反感をもつか、せせら笑うか、いずれにしても、あとは意地悪く、いつ、つまずくかと楽しみに見物しているやつらばかりです。ここらが、いちばん日本的です」
「公言は公約です。「おれこそ芸術家である」と宣言した以上、すべてそれ以後のわざわいは、おのれだけに振りかかってくるのです。だまっていれば無事にすんだものを。しかしノッピキならない立場に自分を追い込まなければいけない。言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。言ったことが大きければ大きいほどそうなんです。…だからうぬぼれていられるどころではありません」
「自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです」
「よかれあしかれ、何ごとにつけても、まず飛び出し、自分の責任において、すべてを引き受ける。こういう態度によってしか、社会は進みません」
まあ こういうような岡本太郎の教えを、身をもって実践しているわけなんですよ(笑
信用できないかと思いますが
僕がなぜ「日本文学の革命」を成し遂げる!と誰はばかることなく公の場で宣言するかというと、岡本太郎の影響もあるんですよね
彼の本は大好きで何度も何度も繰り返し読んできましたから
彼の『今日の芸術』という本には次のような文章があります
「(日本的な“謙譲の美徳”を批判して)「私なんか…」と頭を下げて、ついでにかゆくもない頭をかいてみせ、「へへへ」と笑ったり」「謙虚という“型”をたてに、そのかげで大ずる小ずるがまさに百鬼夜行」「権力者には無条件で頭をさげる。ちょうど封建時代に、しもじもの民衆が大名行列に出会うと、ただすわりこんで地面に頭をこすりつけるのと同じで」
「私は謙虚というものはそんな、人の前で、おのれを無にするとか低くみせることでは絶対にない、むしろ自分の責任において、おのれを主張することだと断言します。つまり謙虚とは、権力とか他人に対してではなく、自分自身に対してこそ、そうあらねばならないことなのです」
「私は、これを身をもって示し、この習慣的な偽善と退屈さをたたきつぶそうと思っています。そこで私は声たからかに「おれこそ芸術家だ」「おれはピカソを乗り越えている」と、まったく傍若無人に言いはなって、いわゆる「謙虚の徒」を呆然とさせるのです。しかし呆然としたのちに彼らは、これもまったく型どおりにせせら笑います」
「自分がそうであると公言することは、けっして得することではありません。およそ、その反対です。ことに日本では、自分では言わないで人に言わせるというのが権威になる条件だからです。他人や仲間に言わせることの名人はたくさんいます。本人が言ったのでは―しかしこれが一番正しいはずなのですが―けっして信用したがりません。なまいきだと反感をもつか、せせら笑うか、いずれにしても、あとは意地悪く、いつ、つまずくかと楽しみに見物しているやつらばかりです。ここらが、いちばん日本的です」
「公言は公約です。「おれこそ芸術家である」と宣言した以上、すべてそれ以後のわざわいは、おのれだけに振りかかってくるのです。だまっていれば無事にすんだものを。しかしノッピキならない立場に自分を追い込まなければいけない。言ったばかりに徹底的に、残酷なまでに責任をとらなければなりません。言ったことが大きければ大きいほどそうなんです。…だからうぬぼれていられるどころではありません」
「自分を積極的に主張することが、じつは自分を捨ててさらに大きなものに賭けることになるのです」
「よかれあしかれ、何ごとにつけても、まず飛び出し、自分の責任において、すべてを引き受ける。こういう態度によってしか、社会は進みません」
まあ こういうような岡本太郎の教えを、身をもって実践しているわけなんですよ(笑