ここが正念場と覚悟を決めて、ここ数ヶ月懸命に努力を重ねてきた
四冊のノートをどんどん書いてゆき、最後の目標「新しい文学」を目指して道を切り開いてきた
この「新しい文学」を切り開くことは、まあ とてつもなく難しいことだったが(10年かかったのである!10年!)、最近になって山積みだった難問が一挙にことごとく氷解してしまい、“一筋のきれいな道”になってしまった
あとはこの道をたどってゆくだけで、「新しい文学」を生み出せるわけだ
ここまできたら、もう「出来た」と宣言してももいいんじゃないか、と思うようになった
もう「新しい文学」への道は十分切り開かれて、真っ直ぐな一本道となって目的地へ続いている
その道の上を今現在もしっかり快調に驀進している
目的地もはっきりと目に見えている
あとはもう 遅かれ早かれ着いてしまうことは確実である
ちょっと気が早いが、「日本文学の革命」はもう出来たと言ってもいいんじゃないだろうか
そう思い、ここに「出来た」宣言をさせてもらうことにする
(「新しい文学」が具体的に生み出せたら、そのときはあらためて“完全実現”の宣言をさせてもらうが。そのときは「祝!祝!祝!祝!」の大花火をあげさせてもらうつもりである)
しかし10年か…
ずいぶん長くかかったな
漱石文学の未完成部分を完成させることにより、日本文学に新たな発展をもたらす
これが「日本文学の革命」なのだが、やはりこれだけのことをしようとすると軽く10年ぐらいかかるのだろう
これでようやく“奇跡のドア”を開くことが出来た
(“奇跡のドア”とは桑田佳祐の言葉である。「反外国主義運動」ーこれも今や崩壊寸前にまで追い込まれているのだが、これも今や成就できるのである)
自分でもよくここまで来れたものだと思う。ホント 奇跡だ
ここまで来れたのは、今の仕事のおかげも大きい
今やっている仕事は低賃金のアルバイトだが、実に有難かったのは「仕事中に自由に考えることができる」ということだった
単純な肉体労働のため、馴れてしまえば体が仕事を覚え込んでしまい、頭の方は自由、仕事時間中ずーーと好きなことを考えていられたのである!
文学のことや、昨日読んだ本のことや、感動したドラマのことや、政治や社会のこと、如何に生きるべきかという問題や、これから成すべき文学の仕事のことなど、もともと考えたり空想したりすることが好きなだけに、いくらでも自由に頭を使えたのである
僕が一番嫌だったのは、経済によって朝から晩までこき使われて、頭の中を経済でいっぱいにされて、他に何も考えられないようにされてしまうこと、だった
そんな状態になったら、文学の仕事を行うことはほとんど不可能だったろう
しかしこの仕事のおかげで、毎日気持ちよく運動しながら自由にものが考えられて(昔のギリシャに散歩しながら哲学にふける学派があったが、そんな感じである)、様々な発見をしたり、着想を練ったり、充実した日々を送ることができた
こんな稀有の機会を与えてくれた今の仕事には、深く感謝している
ところでこれからのことであるが、“奇跡のドア”が開けたんだから、あとはこのドアの向こうに進んでゆくのみである
具体的には「新しい文学」(「則天去私の文学」と言い換えてもいい)をどんどん書いてゆき、日本文学の後半部を実現してゆくことである
これには残りの僕の人生すべてをつぎ込んでも足りないだろう
どこまで出来るか分からないが、やれる限りやるまでだ
僕の好きな漱石の言葉に「私は(自分の道を)行ける所まで行って、行き着いた所で斃れるのである」というものがあるが、僕もそのように生きたい
これからも、社会や人々の助けを得ながら、この道を行ける所まで歩んでゆきたい
四冊のノートをどんどん書いてゆき、最後の目標「新しい文学」を目指して道を切り開いてきた
この「新しい文学」を切り開くことは、まあ とてつもなく難しいことだったが(10年かかったのである!10年!)、最近になって山積みだった難問が一挙にことごとく氷解してしまい、“一筋のきれいな道”になってしまった
あとはこの道をたどってゆくだけで、「新しい文学」を生み出せるわけだ
ここまできたら、もう「出来た」と宣言してももいいんじゃないか、と思うようになった
もう「新しい文学」への道は十分切り開かれて、真っ直ぐな一本道となって目的地へ続いている
その道の上を今現在もしっかり快調に驀進している
目的地もはっきりと目に見えている
あとはもう 遅かれ早かれ着いてしまうことは確実である
ちょっと気が早いが、「日本文学の革命」はもう出来たと言ってもいいんじゃないだろうか
そう思い、ここに「出来た」宣言をさせてもらうことにする
(「新しい文学」が具体的に生み出せたら、そのときはあらためて“完全実現”の宣言をさせてもらうが。そのときは「祝!祝!祝!祝!」の大花火をあげさせてもらうつもりである)
しかし10年か…
ずいぶん長くかかったな
漱石文学の未完成部分を完成させることにより、日本文学に新たな発展をもたらす
これが「日本文学の革命」なのだが、やはりこれだけのことをしようとすると軽く10年ぐらいかかるのだろう
これでようやく“奇跡のドア”を開くことが出来た
(“奇跡のドア”とは桑田佳祐の言葉である。「反外国主義運動」ーこれも今や崩壊寸前にまで追い込まれているのだが、これも今や成就できるのである)
自分でもよくここまで来れたものだと思う。ホント 奇跡だ
ここまで来れたのは、今の仕事のおかげも大きい
今やっている仕事は低賃金のアルバイトだが、実に有難かったのは「仕事中に自由に考えることができる」ということだった
単純な肉体労働のため、馴れてしまえば体が仕事を覚え込んでしまい、頭の方は自由、仕事時間中ずーーと好きなことを考えていられたのである!
文学のことや、昨日読んだ本のことや、感動したドラマのことや、政治や社会のこと、如何に生きるべきかという問題や、これから成すべき文学の仕事のことなど、もともと考えたり空想したりすることが好きなだけに、いくらでも自由に頭を使えたのである
僕が一番嫌だったのは、経済によって朝から晩までこき使われて、頭の中を経済でいっぱいにされて、他に何も考えられないようにされてしまうこと、だった
そんな状態になったら、文学の仕事を行うことはほとんど不可能だったろう
しかしこの仕事のおかげで、毎日気持ちよく運動しながら自由にものが考えられて(昔のギリシャに散歩しながら哲学にふける学派があったが、そんな感じである)、様々な発見をしたり、着想を練ったり、充実した日々を送ることができた
こんな稀有の機会を与えてくれた今の仕事には、深く感謝している
ところでこれからのことであるが、“奇跡のドア”が開けたんだから、あとはこのドアの向こうに進んでゆくのみである
具体的には「新しい文学」(「則天去私の文学」と言い換えてもいい)をどんどん書いてゆき、日本文学の後半部を実現してゆくことである
これには残りの僕の人生すべてをつぎ込んでも足りないだろう
どこまで出来るか分からないが、やれる限りやるまでだ
僕の好きな漱石の言葉に「私は(自分の道を)行ける所まで行って、行き着いた所で斃れるのである」というものがあるが、僕もそのように生きたい
これからも、社会や人々の助けを得ながら、この道を行ける所まで歩んでゆきたい