「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

閑話休題 「『電子同人雑誌の可能性』完成へ向けて

2018-08-17 05:51:43 | 日本文学の革命
『電子同人雑誌の可能性』という気づけば大著になってしまった作品も(本にしたら五、六百ページくらい行くのではないか。嬉しいことに漱石の『猫』と同規模のものとなる)、あと一つのことを書き上げたら完成である。それは「電子同人雑誌とそのネットワーク」を一つ社会制度と成り得るまでヴィジョン的に築きあげることである。
戦前の日本文学の社会制度「同人雑誌とそのネットワーク」をインターネットと融合させ、かつて日本文学と日本の文化を大発展させたこの制度を現代に蘇らせる。現代の日本社会にも大きな活力をもたらす制度として、魅力的な形で構想する。ついでにもう衰退的になり日本文学自体を滅ぼそうとしている「賞取りシステム」を葬ってしまう。
以上のようなことが狙いである。

まずあともう少しコンピュータのシステム的なことを論じる。このコンピュータを手にして生活の一部としている人間こそが「ネットユーザー」という新しいタイプの人間たちであり、この「ネットユーザー」に新たな結集力と社会的活動性を与えようというのが「電子同人雑誌」に他ならないので、これは必要なことなのである。

ついでいよいよ「電子同人雑誌とそのネットワーク」という本丸に挑んでゆく。
まず「同人内」の社会的関係や実際の雑誌制作について構想してゆく。電子同人雑誌というものが、従来の紙の雑誌とどのような違いがあるのか、それがどのような新しいメディアに成り得るのか、などを考察してゆく。
次に「同人間」のネットワークについて考察してゆく。従来のネットワークのような正体不明の個人同士で行われるコミュニケーションではなく、同人雑誌を介してのコミュニケーションの方がいかに有益有効なものになるのか、自由に拡大的に世界に開かれたものになるのか、などを論じてゆく。
そしてこのネットワークの頂点に位置する「文壇」について考察してゆく。「文壇」とはこのネットワークから生み出されてきた文化的リーダー層のことであり、このような文化的社会的リーダー層が生じてくると―まさに戦前の「文壇」がそうであったように―このメディアは一国の文化を発展させるほどの強力なメディアになるのである。電子同人雑誌のネットワークが巨大なものになったら、今のマスコミを凌駕するほどのパワーを発揮することも原理的には可能なのである。この「文壇」とは電子同人雑誌のネットワークと一体化しており、それを代表する存在であり、ネットワーク全体とダイナミックな交流関係にある。そのようなことを論じてゆきたい。

一番重要なことは以上で論じられるのだが、補足的にいくつか付け加えたい。
まず今の日本社会で一番重要な社会制度―会社制度との関係である。この日本の会社制度が今危機的な状態にあることは多くの人々が認めるところだろう。なぜこんな状態になったのか。理由は発展の道が見つからないことである。これまでは西洋なりアメリカなりから発展の道を教わることにより日本は発展してきたのだが、それが出来ない情勢に今なってしまったのだ。自分で自分の発展の道を切り開かねばならない。そのとき決定的に重要なのが、日本人一人一人が生き生きとした活力と創造性を発揮することである。まさにそこから新しい発展の道が開かれてゆくのである。電子同人雑誌のネットワークは日本人の活力と創造性を発揮するのに大きな役割を果たし得るのだ。そのようなものとして日本の会社制度を補強する存在に成り得るのである。

また電子同人雑誌のネットワークは、「本とネットの融合」にも成り得る。「本とネットの融合」という新しい様式を築き得るメディアなのである。それは本の新しい形での復興につながるものであり、出版不況の中衰退している出版業界にも新しい復興とも成り得るのである。

最後に論じるのが「文明の時代」とそれへの対応についてである。現代は諸文明が入り交わる「文明の時代」に突入しているのであるが、この時代において最も重要なのが「文化力・文明力」なのである。日本の「文化力・文明力」を発展させて世界に向けて発揮してゆくことが重要なのである。その「文化力・文明力」を発展させる動力機関に成り得るのが電子同人雑誌とそのネットワークなのである。
というようなことを論じてフィナーレとしたい。

一つの社会制度を論じるだけではあるが、内容は多岐にわたり、これからも困難は続くだろう。しかし十分書くことは出来る。がんばって書いてゆこう!

閑話休題 「信長の最後」 3

2018-08-03 12:39:29 | 日本文学の革命
明智光秀は信長の首を取ったあと、胴体の方は別にいらないし、元の主君であることでもあるし、住職に弔わせることを認めたのだろう。だから今でも胴体の方は京都御所の裏手にある小さな寺で眠っている。
正真正銘行方不明なのは首の方である。というのは信長の首は、明智が決して自分のそばから離さなかった筈だからだ。

秀吉軍に敗れた後、退却した明智軍は城に立てこもった。秀吉軍は城を目指して猛追してくる。そんな中、光秀は夜陰に乗じて、わずかな伴周りだけ連れて、近江の方の自分の領地目指して逃げてゆくのである。自分の軍隊を見捨てる行為だが、光秀がこうまでして守りたかったのはやはり信長の首だろう。それは彼にとって愛憎半ばする主君の首であり、あるときは憧れて仰ぎ見、あるときは苦しめられて憎んだ、彼の人生の支配者であり、ある意味彼の人生そのものとも言える。またこの首を取り返されることは、単に秀吉だけでなく信長の勝利とも成り、光秀はまたしても信長の前に打ちひしがれる存在となってしまう。この信長の首だけは奪い返されたくない。その思いが彼のこのような行動となったのだろう。

信長の首を抱えて逃げてゆく光秀、彼がその途中真夜中の山道で会ったのが落ち武者狩りである。真夜中の遭遇、闇の中での乱闘、光秀一同全員の討ち死…そんな中失われたのが信長の首である。
落ち武者狩りの者にとって欲しいものは、鎧や刀や金目のものであり、そして光秀たちの首なのである。桶の中に入っているどこの誰とも分からない首など関心なかったし、始めから気づきもしなかったかも知れない。信長の首は山中に放置されたのである。
もう死後相当になり、腐るのも早い。一度腐ったら、もう誰のものだが見分けがつかない。信長の首はここで行方不明となったのである。光秀が死んだその山中で、信長の首も永久に失われたのであった。



閑話休題 「信長の最後」 2

2018-08-03 12:36:42 | 日本文学の革命
この記事に記された「信長の最後」の様子は以下の通りである。

信長のいる部屋を数名の明智兵が見つけた。兵たちはもっと味方を呼んで来てから戦おうかと相談したが、やはり自分たちで手柄をあげたかったのだろう、自分たちだけで戦うことに決め、部屋の中に乱入した。

明智兵たちが部屋に乱入したとき、信長は部屋の奥でこちらに背中を向けたまま、ひとり立っていた。彼は濡れた手拭いを手にして、それで顔や手をぬぐって、身を清めていたのである。これまでの人生のことが走馬灯のように彼の脳裏を巡っていたのかも知れない、しばらくは明智兵の方を見向きもしなかったそうである。

その時、明智兵の一人が信長目がけて矢を放った。矢は信長の背中にドスッと命中した。すると信長は手を伸ばして矢を抜き取るや、明智兵の方を振り返り、鬼のように薙刀を振るって奮戦し出したのである。もの凄い気迫と勢いで、誰も近づくことができない。
そんな中、明智兵の一人で鉄砲を持っていた者が、信長に向かって鉄砲を放った。弾は信長の肘に命中した。信長はもう薙刀を振るうこともできないようになった。

すると信長はその部屋の押入れの方へ駆けていった。押入れの中に入り込むと、内側から戸をしめた。明智兵らが押入れを取り囲み、ザッと戸を開いてみると、信長はすでに押入れの中で切腹して、死んでいたのである。

つい昨日までは並ぶ者のない大権力者であり、神とまで仰がれるほどで、天下取り目前だった男が、満身創痍にされたあげく、押入れの中でただ一人、誰にも見守られることもなく、無念の最後を遂げたのである。

閑話休題 「信長の最後」 1

2018-08-03 12:31:05 | 日本文学の革命
今読んでいる『日本の歴史』は各巻がだいたい70年ほどの期間を扱っているのであるが、どの期間にも驚天動地の大激動が起こっている。たいへんな激動で、これに比べたら先ごろ死刑が執行されて話題になったオウム事件など、影がかすんでしまうほどである。この事件が起きたときは、目の前で展開されるハラハラドキドキのサスペンスに(しかも実に面白い!笑えてしまう)日本中が実に半年に渡ってテレビに釘づけになったものだが、しかしこれも歴史的事件の前には他愛無いもので、戦前の大本教ぐらいの扱いでしか歴史に残らないのだろう。

考えてみれば戦後の70年も大激動の連続だった。敗戦当時の日本国家が崩壊してしまうという驚天動地の大激動(誰もがこの時日本民族はもう滅んでしまうと思ったものだった…)、その後の奇跡の経済発展と経済大国化、バブル期のお気楽極楽の繁栄生活(誰もがこの時日本のこの繁栄は永遠に続くと思ったものだった…)、その後のまさかのバブル崩壊と長期低迷、そして現在の日本全体がほとんど「ゆでガエル」になろうとしている現状…
振り返ってみたら、まさに激動の連続である。

さてそんな『日本の歴史』の中で興味深い記事を見つけた。「信長の最後」の様子を克明に記した記事である。
「信長の最後」の様子は今でも謎に包まれており、よく分かっていないとされている。本能寺では遺体は見つかっていないと言われており、紅蓮の炎の中でどのように死んだのかも明らかにされていない。『信長公記』でも信長が本能寺の奥に向かってゆくところまでしか描かれていないのである。
しかしこの『日本の歴史』の記事では、やたら克明に「信長の最後」が描かれているのである。これは当時の外国人宣教師がローマ法王庁に書き送った手紙の中に記されたものであり、もちろん外国語で書かれたものである。なぜ外国語で送られた手紙の中で「信長の最後」が、日本の他の記録には見られないほど克明に述べられているのであろうか。

まずこの記事の克明さから見て、この記事の情報発信源が兵士たちの証言であるように推測できる。信長の最後の様子を一番良く知っているのは誰か。それは実際に信長を打ち取った兵士たちなのである。しかも彼らは自分たちがやったことをベラベラしゃべるだろう。なにしろ信長の首を取ることは宝くじの大当たりを引き当てるようなもので、莫大な論功行賞が期待できる。彼らは論功行賞の役人につぶさに正確に自分たちの手柄を述べ立てたことだろう。明智光秀をはじめ重臣たちが居並ぶところでも、彼らが行ったことを申し述べたことだろう。さらには自分たちの同僚の兵士たちにもベラベラしゃべったことだろうし、誰もが固唾をのんで聞いたはずである。だから明智軍の中では、この情報がまたたく間に広く行き渡り、共有されたに違いない。
しかしその明智軍もわずか10日かそこらで秀吉軍に粉砕されてしまう。しかし粉砕されたと言っても、当時の戦争だから生き残った者たちもたくさんいたのである。その中からこの情報を上げてくる者も自然と現われたのだろう。
しかしなぜこの情報が日本の記録には残らず、遠くに洩れ出た外国語の手紙の中だけに残されたのだろう。それはこの情報をおそらく秀吉が禁圧したからである。

天下取りに乗り出した秀吉は、自分が信長の後継者であることを喧伝しようと、信長の葬儀を自分で行おうとした。信長の胴体が阿弥陀寺という寺に埋葬されていることを知った秀吉は(本能寺の変の直後、駆けつけて来たこの寺の住職が「胴体だけでも埋葬させて欲しい」と光秀に懇願して、引き取って来たのである)この住職と交渉してこの寺で大々的な葬儀を開催しようとした。寺にとっては巨万の金が入るし、寺の格も上がるのだが、この寺の住職は織田家と深いつながりがあり織田家に恩義を感じていたので、この秀吉の申し出を断った。秀吉が織田家を乗っ取ろうとしているのに気づき、それに抵抗したのである。怒った秀吉はその後この寺に報復し、寺の敷地を大幅に削った上、京都御所の裏手の辺鄙な場所に移転させた。だから今も信長の胴体はこの辺鄙な場所で眠っている筈である。

信長の遺体で葬儀を行えなかった秀吉は、その後別の行動に出た。信長の遺体が発見されなかったことにしたのである。信長の遺体は紅蓮の炎に包まれて消えてしまった。どこにあるのかも分からない。信長の最後の様子も誰にも分からない。ということにしてしまったのである。
これには信長を神格化させる狙いがあったのだろう。天下人信長がみじめに打ち取られてしまったでは示しがつかない。その死もその最後の様子も謎に包まれている方が、神秘的であり、信長という人間を神格化できるのである。
明治政府も西郷隆盛に対して同じことを行った。西郷を城山で実際に打ち取っていながら、また明治政府の高官たちが西郷の遺体の前で皆号泣したという事実もある中、「いや西郷の遺体は城山で発見されていない。生死のほども分からない」と大正時代に至るまでしらを切り通したのである(芥川龍之介の初期の短編に『西郷隆盛』というものがあり、その中で作中人物に「我々は西郷の生死すら分かっていない」と述べさせている)。
天下を取った秀吉にとってこのような箝口令をしくことは容易なことだったろう。明智軍の残党などは見つけ次第処刑して黙らせればいいだけだし、『信長公記』が信長の最後を描かなかったのも秀吉の指図だったのかも知れない。
しかしそんな中秀吉の箝口令を洩れ出てしまったのが外国人宣教師のあの手紙だったのだろう。宣教師には秀吉の命に従ういわれはなく、また外国語で書かれたものなので当時の日本人には検閲できないものだった。そのため彼らが聴き取った「信長の最後」がそのままの形で残されたのだろう。