『電子同人雑誌の可能性』という気づけば大著になってしまった作品も(本にしたら五、六百ページくらい行くのではないか。嬉しいことに漱石の『猫』と同規模のものとなる)、あと一つのことを書き上げたら完成である。それは「電子同人雑誌とそのネットワーク」を一つ社会制度と成り得るまでヴィジョン的に築きあげることである。
戦前の日本文学の社会制度「同人雑誌とそのネットワーク」をインターネットと融合させ、かつて日本文学と日本の文化を大発展させたこの制度を現代に蘇らせる。現代の日本社会にも大きな活力をもたらす制度として、魅力的な形で構想する。ついでにもう衰退的になり日本文学自体を滅ぼそうとしている「賞取りシステム」を葬ってしまう。
以上のようなことが狙いである。
まずあともう少しコンピュータのシステム的なことを論じる。このコンピュータを手にして生活の一部としている人間こそが「ネットユーザー」という新しいタイプの人間たちであり、この「ネットユーザー」に新たな結集力と社会的活動性を与えようというのが「電子同人雑誌」に他ならないので、これは必要なことなのである。
ついでいよいよ「電子同人雑誌とそのネットワーク」という本丸に挑んでゆく。
まず「同人内」の社会的関係や実際の雑誌制作について構想してゆく。電子同人雑誌というものが、従来の紙の雑誌とどのような違いがあるのか、それがどのような新しいメディアに成り得るのか、などを考察してゆく。
次に「同人間」のネットワークについて考察してゆく。従来のネットワークのような正体不明の個人同士で行われるコミュニケーションではなく、同人雑誌を介してのコミュニケーションの方がいかに有益有効なものになるのか、自由に拡大的に世界に開かれたものになるのか、などを論じてゆく。
そしてこのネットワークの頂点に位置する「文壇」について考察してゆく。「文壇」とはこのネットワークから生み出されてきた文化的リーダー層のことであり、このような文化的社会的リーダー層が生じてくると―まさに戦前の「文壇」がそうであったように―このメディアは一国の文化を発展させるほどの強力なメディアになるのである。電子同人雑誌のネットワークが巨大なものになったら、今のマスコミを凌駕するほどのパワーを発揮することも原理的には可能なのである。この「文壇」とは電子同人雑誌のネットワークと一体化しており、それを代表する存在であり、ネットワーク全体とダイナミックな交流関係にある。そのようなことを論じてゆきたい。
一番重要なことは以上で論じられるのだが、補足的にいくつか付け加えたい。
まず今の日本社会で一番重要な社会制度―会社制度との関係である。この日本の会社制度が今危機的な状態にあることは多くの人々が認めるところだろう。なぜこんな状態になったのか。理由は発展の道が見つからないことである。これまでは西洋なりアメリカなりから発展の道を教わることにより日本は発展してきたのだが、それが出来ない情勢に今なってしまったのだ。自分で自分の発展の道を切り開かねばならない。そのとき決定的に重要なのが、日本人一人一人が生き生きとした活力と創造性を発揮することである。まさにそこから新しい発展の道が開かれてゆくのである。電子同人雑誌のネットワークは日本人の活力と創造性を発揮するのに大きな役割を果たし得るのだ。そのようなものとして日本の会社制度を補強する存在に成り得るのである。
また電子同人雑誌のネットワークは、「本とネットの融合」にも成り得る。「本とネットの融合」という新しい様式を築き得るメディアなのである。それは本の新しい形での復興につながるものであり、出版不況の中衰退している出版業界にも新しい復興とも成り得るのである。
最後に論じるのが「文明の時代」とそれへの対応についてである。現代は諸文明が入り交わる「文明の時代」に突入しているのであるが、この時代において最も重要なのが「文化力・文明力」なのである。日本の「文化力・文明力」を発展させて世界に向けて発揮してゆくことが重要なのである。その「文化力・文明力」を発展させる動力機関に成り得るのが電子同人雑誌とそのネットワークなのである。
というようなことを論じてフィナーレとしたい。
一つの社会制度を論じるだけではあるが、内容は多岐にわたり、これからも困難は続くだろう。しかし十分書くことは出来る。がんばって書いてゆこう!
戦前の日本文学の社会制度「同人雑誌とそのネットワーク」をインターネットと融合させ、かつて日本文学と日本の文化を大発展させたこの制度を現代に蘇らせる。現代の日本社会にも大きな活力をもたらす制度として、魅力的な形で構想する。ついでにもう衰退的になり日本文学自体を滅ぼそうとしている「賞取りシステム」を葬ってしまう。
以上のようなことが狙いである。
まずあともう少しコンピュータのシステム的なことを論じる。このコンピュータを手にして生活の一部としている人間こそが「ネットユーザー」という新しいタイプの人間たちであり、この「ネットユーザー」に新たな結集力と社会的活動性を与えようというのが「電子同人雑誌」に他ならないので、これは必要なことなのである。
ついでいよいよ「電子同人雑誌とそのネットワーク」という本丸に挑んでゆく。
まず「同人内」の社会的関係や実際の雑誌制作について構想してゆく。電子同人雑誌というものが、従来の紙の雑誌とどのような違いがあるのか、それがどのような新しいメディアに成り得るのか、などを考察してゆく。
次に「同人間」のネットワークについて考察してゆく。従来のネットワークのような正体不明の個人同士で行われるコミュニケーションではなく、同人雑誌を介してのコミュニケーションの方がいかに有益有効なものになるのか、自由に拡大的に世界に開かれたものになるのか、などを論じてゆく。
そしてこのネットワークの頂点に位置する「文壇」について考察してゆく。「文壇」とはこのネットワークから生み出されてきた文化的リーダー層のことであり、このような文化的社会的リーダー層が生じてくると―まさに戦前の「文壇」がそうであったように―このメディアは一国の文化を発展させるほどの強力なメディアになるのである。電子同人雑誌のネットワークが巨大なものになったら、今のマスコミを凌駕するほどのパワーを発揮することも原理的には可能なのである。この「文壇」とは電子同人雑誌のネットワークと一体化しており、それを代表する存在であり、ネットワーク全体とダイナミックな交流関係にある。そのようなことを論じてゆきたい。
一番重要なことは以上で論じられるのだが、補足的にいくつか付け加えたい。
まず今の日本社会で一番重要な社会制度―会社制度との関係である。この日本の会社制度が今危機的な状態にあることは多くの人々が認めるところだろう。なぜこんな状態になったのか。理由は発展の道が見つからないことである。これまでは西洋なりアメリカなりから発展の道を教わることにより日本は発展してきたのだが、それが出来ない情勢に今なってしまったのだ。自分で自分の発展の道を切り開かねばならない。そのとき決定的に重要なのが、日本人一人一人が生き生きとした活力と創造性を発揮することである。まさにそこから新しい発展の道が開かれてゆくのである。電子同人雑誌のネットワークは日本人の活力と創造性を発揮するのに大きな役割を果たし得るのだ。そのようなものとして日本の会社制度を補強する存在に成り得るのである。
また電子同人雑誌のネットワークは、「本とネットの融合」にも成り得る。「本とネットの融合」という新しい様式を築き得るメディアなのである。それは本の新しい形での復興につながるものであり、出版不況の中衰退している出版業界にも新しい復興とも成り得るのである。
最後に論じるのが「文明の時代」とそれへの対応についてである。現代は諸文明が入り交わる「文明の時代」に突入しているのであるが、この時代において最も重要なのが「文化力・文明力」なのである。日本の「文化力・文明力」を発展させて世界に向けて発揮してゆくことが重要なのである。その「文化力・文明力」を発展させる動力機関に成り得るのが電子同人雑誌とそのネットワークなのである。
というようなことを論じてフィナーレとしたい。
一つの社会制度を論じるだけではあるが、内容は多岐にわたり、これからも困難は続くだろう。しかし十分書くことは出来る。がんばって書いてゆこう!