「日本文学の革命」の日々

「日本文学の革命」というホームページを出してます。「日本文学の革命」で検索すれば出てきますので、見てください

電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 6

2021-06-12 12:27:04 | 日本文学の革命
電子同人雑誌はすでに『新しい日本文学』というタイトルでキンドルパブリッシングに出している。ただこれはまったく実験的に出したもので、複数名の著者がいるが実はすべて僕一人で書いたものである。誰も協力してくれなかったから仕方なく一人でやったのだが、同人雑誌という体も成していないし、創刊号でやめてしまっている

今回本格的に電子同人雑誌を発行するに当たり、タイトルを『新しい文学』に変えようと思っている

「日本文学を復活させたい」「新しい形で再生させたい」という熱い思いはこれからも変わらないが、しかし『新しい日本文学』では文学の範囲をあまりにも狭くしてしまうのだ。文学には西洋文学もあるし、中国文学もあるし、インドやイスラムの文学、日本の古典文学だってある。脚本や歌われる詩歌だって立派な文学である。「日本文学」をタイトルにしてしまったら、そのような多様な文学のあり方を雑誌自ら否定してしまうことにもなりかねない

さらにはこの『新しい文学』はインターネットというマルチメディア環境で出版するものである。従来「文学」の範疇に入らなかった様々なマルチメディア―音楽や映像、劇やアニメ、ゲームやコミュニケーションなど様々なものと関わりを持たなければウソである。何でもアリ状態でこれらのものも積極的に取り入れていって、様々な文学ジャンルとともに受け入れてゆき(もちろんその中には日本文学もある)、その上に立って新しい時代にふさわしい「新しい文学」を目指すこと―それをこの電子同人雑誌『新しい文学』の目標にしたいのだ

この雑誌の目標はさらにもう一つある。それはインターネット上に電子同人雑誌という「新しいメディア」を具体的実践的に築いてゆくことである

電子同人雑誌が一つの「新しいメディア」に成り得ることはこれまで縷々書いてきた通りだが、それを先頭に立って具体的に実現してゆきたいのだ。様々な可能性を試し、様々な様式を実験的に切り拓いてゆき、実践を通して「新しいメディア」を築いてゆく。そのような先端的な活動の場、実際に「新しいメディア」を築きあげてゆく現場、そのような雑誌を目指したいのだ

電子同人雑誌という「新しいメディア」を築く上で鍵となるのが「本とネットの融合」である。従来の本の様式とインターネットを融合させることで「新しいメディア」の様式が築かれるのである。それは従来の本や文学を新しくすることなのであり、インターネット上の新しいメディアとして活現させるのであり、まさに「新しい文学」となるのだ

『新しい文学』というタイトルにすることで、この電子同人雑誌で「新しいメディア」を築いてゆくという目標も掲げたいのである

この二つの目標―「新しい文学」を生み出してゆくこと、そして「新しいメディア」を築いてゆくこと―それを体現したタイトルが電子同人雑誌『新しい文学』なのである

この電子同人雑誌『新しい文学』をこれから本格的に発行してゆこうと思う

執筆もそうだがこれにもたいへんな困難があるだろうが、「ひたすら道を行い道を楽しみ、困難に逢うてこれを凌ぎんとならばいよいよ道を行い道を楽しむべし」(西郷隆盛の言葉。この「道を楽しむ」というフレーズが好きである♪)の精神でがんばってゆこう



電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 5

2021-06-12 12:23:56 | 日本文学の革命
さらには時間を奪われるどころか、時間を生み出すものにもなるかも知れない。というのは電子同人雑誌は発売される雑誌であり、売れたらそれに応じて利益が生じるからである

発行しても当初はほとんど売れないだろう。利益などはまったく出ないか、出てもせいぜい二、三万円程度。お小遣い程度の額にしかならないだろう

しかし電子同人雑誌を面白くし人々に感銘を与えるものにしたら、雑誌は次第次第に売れてゆくようになるのである。もし500部売れたなら利益は15万円ぐらいになる(一冊400円で発売し、その内の3割ほどをプラットフォーム企業にシャバ代として支払ったとして)。僕が1か月働いて得たのと同じ額になるのだ。しかし毎月毎月雑誌を発行できる訳もないから、月ごとに割っていったらどんどん減ってゆき、やはり数万円程度の利益にしかならないだろう

しかしもっと売れて5000部売れたなら利益は一挙に150万円になるのである。さらに売れて5万部に達したとしよう。すると利益は1500万円にもなる。たいへん巨額な金額になるのである。この辺まで来たら寄稿してくれた同人の人たちにも莫大な報酬を支払うことができる(報酬は出来高制、つまり雑誌が十分に売れたらそれに応じて支払うというものにしようと思っている。そうでないととても雑誌の運営など出来ないのである)

さらに売れて50万部に達したら1億5千万円もの利益になる!この50万部もあり得ない数字ではない。「本当に日本文学を復活させようとしているぞ」「本当にインターネットに新しいメディアを築こうとしている」「中身も面白いし本格的だ」と人々に思われ、いわゆる「ブレイク」を起こしたのなら、十分にはじき出せる数字なのだ。特に雑誌の場合は多くの号を出すのであり、またネット販売だから店頭から消えるということもないから、一度ブレイクしたらすべての号が売れ出すのである。だからトータルとしてこれだけの売れ行きを出すことはなおさら可能なのだ

1億5千万円も利益が入ってきたらたしかに嬉しい。これだけの利益が入ってきたら経済的な仕事から完全に解放されるし、1日の時間をすべて自分の好きなことに使うことができる。もちろんそれまで以上に文学の仕事に邁進できる

もともと僕はつつましい性分で贅沢なことをしたいとも思わない人間なのだが、これだけのお金があったら憧れていたヨーロッパ旅行に行けるし、アメリカにも行けるし、日本各地の名所旧跡を思う存分旅することだってできる(歴史好きで旅好きなのに今までまるで出来なかったのである)。さらには結婚することすらできるかも知れない。大々的に自由な時間が生み出され、憧れていたことが次々とできるのだから、こんなに嬉しいことはない

さらにはもっと嬉しいことがある。電子同人雑誌という雑誌が一つでもブレイクして巨額の利益をあげるようになったら、またその成功の機会がその雑誌だけではなく広く開かれていて、努力や創意工夫を積めば誰にでもそのチャンスがあるということが分かれば、大勢の人間たちが続々と電子同人雑誌の制作販売に乗り出してくるのである。「利益」や「立身出世」などの願望は社会を動かす巨大な力になるものである。この巨大な力が注ぎ込まれてくるのだから、次から次へと電子同人雑誌が作られてゆき、そのネットワークが広く大きく築かれていって、人々の夢や野心に押し上げられて電子同人雑誌は「新しいメディア」として力強く成立してゆくだろう


電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 4

2021-06-12 12:20:38 | 日本文学の革命
ただ電子同人雑誌という今までにない雑誌を作るとなるとたいへんな労力が必要となる。スタートアップ企業やベンチャー企業を起こすほどの労力が必要となるかも知れない。そんなことができる余裕が僕にあるだろうか

経済的な仕事のために通勤時間も合わせると平日12時間以上も奪われているし、残った時間をなんとかやり繰りして『電子同人雑誌の可能性』や『こころと太平洋戦争』という二つの大著を書かなければならないし、『新しい文学』にまで挑戦しなければならない。さらにその上に電子同人雑誌の発行にまで着手する!そんなこといくらなんでも無理だろう

僕が今まで電子同人雑誌を本格的に始めるのを躊躇していたのは、この理由が大きいのである

しかし『電子同人雑誌の可能性』を完成させた今なら、なんとかなりそうである。この『電子』はそのまま電子同人雑誌に載せることができるし、続く『こころと太平洋戦争』もフェイスブックで連載したあと、まとめてより読みやすい形で電子同人雑誌に載せてゆくことができる。『新しい文学』もうまく生み出せたら雑誌に載せてゆくことができる。これらのもの以外でも、今まで書きためたものも―小説や脚本や評論や17歳のときの日記なんてものも含めて、本にしたら10冊分くらいある―どんどん載せてゆくことができる。要するに執筆と雑誌制作活動を一体化して行ってゆけるのだ

編集活動も仕事というよりも楽しい活動になりそうである。編集活動の大半は人々との交流活動になりそうだからである。オンライン会議をしたりミーティングをしたり、どこか面白い所に行ってみんなで集合写真を撮ったり、そのあと飲み会をしたりと、編集活動と言っても社交や娯楽に近いものであり、電子同人雑誌の場合はまさにそれでいいのである

もともと昔の日本文学の同人雑誌や、パリのカフェや、あるいはイギリスのクラブやフランスのサロン、アメリカのボランティアのような、そんな「自由な社交の場」に憧れていたので、電子同人雑誌でそれが実現できたらこんなに嬉しいことはない。仕事というよりもリフレッシュして新たに仕事に向かうための活力源にできそうである

電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 3

2021-06-12 12:16:15 | 日本文学の革命
プラットフォームも整えることができる。自分たちで作った本や雑誌をアップロードして広くネット上で販売するというプラットフォームは、技術的に今や容易にできるし、キンドルパブリッシングのようにすでに存在しているものもある

ただキンドルパブリッシングでは中身をワードで作れるようなものに限定しているという限界がある。「文字と、あとところどころにイラストと写真。それで十分だろ」という従来の本に縛られた発想で様式を決定しているのだ。キンドルパブリッシングが冴えなくてパッしない要因はここにあると言っていい(前にも書いたようにインターネットそれ自体は本と相性が悪く、本の生命を奪ってしまう作用をもたらすのである)

だが電子同人雑誌は文字や写真だけではない。音楽コンサートや劇団の上演を電子同人雑誌内で行うこともできる。展覧会を電子同人雑誌内で開いたり、自主制作映画やアニメを電子同人雑誌内で流すこともできる。電子同人雑誌自体が一つのコミュニケーションツールでもあり、雑誌内で大規模な集会を開いたり、仲間たちとオンラインであるいはリアルで交流することもできるのだ

電子同人雑誌が売れる、巨大市場に成り得るということが分かったなら、参入してくるネット企業も出て来るし、そうなると動画や音楽をふんだんに使える新しいプラットフォームもどんどん整備されてゆくだろう

あともう一つ必要なのが「モデル」である。電子同人雑誌のヴィジョンを体現し、「同人」という雑誌の中核となるメンバーを集め、雑誌の制作販売を実践してゆく、その具体的な「モデル」となるような雑誌の存在なのである

どこかのネット企業が一から十まで作り上げてアプリとして提供して「あとはマニュアル通りに自由に楽しんでね」というやり方では電子同人雑誌は成立しないのである。電子同人雑誌が成立するためには、それを作る者たちのかなり高度な自主性・能動性が必要なのだ。ルールもマニュアルも必要とあれば自分たちで自由に作り変えてもいいのである。そういうメディアに対して重要となるのが「マニュアル」ではなく「モデル」なのである

世の中の人々がその雑誌を見て、「面白い」「楽しそう」「パソコンひとつあれば自分の雑誌を作れるのか」「こんなこともできるんだ」「自分もやりたい」「おれだったらもっと面白いものを作れる」「趣味を楽しめる」「仲間が欲しい」「交流の輪が広がる」「ボランティアにも利用できる」「副業としてやれるしうまくいったら本業にもできるのか」「作家やアーティストになれるかも」「一攫千金を狙っちゃる」「自分の意見を世の中に訴えることができる」などと思い、人々が自分でも電子同人雑誌を作ってみようと動き出したとき、電子同人雑誌は一つのメディアとして誕生するのである

そのような「モデル」、世の中の人々を動かすための「呼び水」、そのような電子同人雑誌を今から作ってゆきたいのである


電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 2

2021-06-12 12:10:50 | 日本文学の革命
『電子同人雑誌の可能性』は、まだ書き足す必要のある所があるが、ほぼ完成できて、「実現可能なヴィジョン」として確立できた

もともとは末期的になった現在の「賞取りシステム」を克服し、戦前の「同人雑誌」を新たにインターネット上に復活させようとして書き始めたものだが、書いている内に構想がどんどん膨らんできて、これはフェイスブックやツイッターよりも格段に面白いメディアがネット上に作れそうだ♪、テレビや出版メディアのように大きな社会的文化的パワーを発揮できるメディアにも成り得る♪♪、沈滞した日本社会に新しい活力を吹き込んで日本人の創造性を解放することもできる♪♪♪などと嬉しがりながら書き進めてゆき、ついにこの大著を完成できたのである
あとは実行するだけなのだ

その実行のための基盤も整っている。誰もが雑誌を制作販売することは、技術的にはもう十分に可能なのである

パソコンを駆使して文字やイラストや写真、さらには動画まで編集することは今や誰もができるようになっており、テレワーク的に共同作業やミーティングをすることもできるし、インターネットを通じて宣伝・販売することも容易にできる。制作コストだってゼロのようなものである

今までの常識では雑誌を制作販売することは資金力とノウハウと経営力を持った出版社しかできないと思われていたのだが、今やネットユーザーが数人集まっただけで一つの雑誌を制作・販売・運営してゆくことが可能になっているのだ

人財も豊富である。コンピュータを自由自在に使いこなす人間たち―ネットユーザーが膨大な規模で存在しているし、このネットユーザーたるや従来の「大衆」のような受け身でおとなしい存在ではなく、「おれがやりたい」「おれにもやらせろ」と能動的に参加したがる連中なのである。ことに電子同人雑誌の中核となる「同人」たちは高い能力を持っている。彼らは彼らの専門分野では―それが鉄道だろうがラーメンだろうがファッションだろうがアニメだろうが―膨大な知識と高度な見識を持っており、その能力を雑誌制作に生かすことができるのである

ただネットユーザーは能力的にも人財的にも大きなパワーを持っているのだが、今まで彼らを有効に結びつける「組織」が存在しなかったのだ。ネットユーザーは今に至るまで個々バラバラであり、「流砂の民」のような存在であり、個々人を越えてあるいは個々人の力を結び付けてより大きなパワーを発揮することができなかったのである。このネットユーザーを結びつける仕組みこそが「電子同人雑誌」なのである。共同で雑誌を制作販売することで、ネットユーザーの間に一つの社会的文化的な協力関係が築けるのであり、それによって個々人を越えた大きな社会的文化的パワーを発揮できるようになるのである


電子同人雑誌『新しい文学』を発行しよう! 1

2021-06-12 12:05:19 | 日本文学の革命
今年の1月に『電子同人雑誌の可能性』の最終章を完成させて、やれやれ万歳、ついに成し遂げたぞ、と喜んだのもつかの間、それからは首切りのラッシュに見舞われ、次から次へと首にされ、そのたびに必死になって職探し、新しい仕事を覚えてもまたすぐ首、また必死こいて次の職探し、そしてまた首、そんな息つく暇もない日々が続くことになった

コロナとは関係ない職についていたから、不況うんねんとは関係ないだろう。どこにいってもどうしても目をつけられてしまうのである。女性を見るとついやさしくしてしまうという悪い(いい?)性格を持っているのですぐにブラックリストに載せられてしまうのはいつものことだが、どうもそれだけではないらしい。あきらかに「敵意」や「悪意」を感じるのである。なんだか「鬼舞辻無惨」あたりが、「奇跡のドア」を開かれたらたまったもんじゃない、なんとしても阻止しろ、今ここでつぶしてしまえ、と裏で手を回しているような感じさえしてくる

もちろんこちらの方でも負けてはいないで、モノを書くゆとりこそなかったが、学ぶべきものはバンバン学んでいったし、グラグラ揺れる足場を固めてすべての力を「奇跡のドア」の突破一点に集中する体制も整えていった。またこうまでいじめられアホバカ扱いされ痛めつけられると、逆にふつふつと闘志が湧いてくる。上等だ、なんとしても「奇跡のドア」をこじ開けてやるよ、とますます覚悟を固めることができたのである

いまはようやく息がつける状態になったが、ただこれからも容赦のない首切りは続きそうである。さらには首にされて職探しをしても新たな仕事が見つからないようになるかも知れない。腰を痛めたりケガをしたり重病にかかったりして、そもそも仕事に就けなくなるかも知れない。これでは文学の仕事を成し遂げる前に、経済的につぶれてしまいそうである。

15万円程度の安月給でいいから、経済的な仕事に時間と精力の大半を取られずに済む仕事に就いて、「自由に使える時間」(これが僕にとって何よりも大切なものである)をできるだけ確保して文学の仕事を押し進めてゆく、というこれまでのライフスタイルが維持できなくなろうとしているのである

そういうふうに追いつめられている中、こうなったらやってやろうと決意したことがある
それは電子同人雑誌を本格的に発行してゆこうという決意である